○山口(壯)
委員 ですね。やはりこれは問題なんですよ。
そういう
意味では、きちっとした、我々がチェックができるように、役人だけでまとめるというのではなくて、そういう、我々がシビリアンコントロールができるような取り組みをしてほしいわけです。
私は、今のグアム移転の話については、同盟の抑止力、この話についてはまだ
大臣と
議論していませんけれ
ども、抑止力について、
大臣は本
会議での私の
質問に対して、日米安保
条約があるから大丈夫なんだという答えでした。
でも、一九五一年に安保
条約が結ばれたときに、これは経緯としてあるわけですけれ
ども、例えば、最終的にアメリカ側としては、できるだけ
日本に対するコミットメントをしたくなかったんです。次の戦争はヨーロッパで起こると思っていたから、極東でできるだけ足を引っ張られないようにしたかった。だから、最初は、パシフィックパクトみたいな、マルチでやりたかったんです、
自分たちのコミットメントができるだけ薄くなるように。
最後の
段階で彼らは、在日米軍は極東の平和と安定のためにメイ・ビー・ユーティライズドという条文を出してきたんです、当時の西村
条約局長と藤崎
条約課長に出してきたんです。朝鮮戦争が行われていたから、メイ・ビー・ユーティライズド、朝鮮で在日米軍を使うことができるというふうに言われて、しようがないなと思ってオーケーしたんです。そうしたらアメリカは本当に喜んだ。要するに、メイ・ビー・ユーティライズドということは、メイ・ノット・ビー・ユーティライズド、使われないかもしれないという
意味が入っていたんです。
それで、吉田首相に当時すぐ報告したら、激怒されたらしい。ばか者、これじゃディフェンスコミットメントがなくなるじゃないかと。次の日に、
条約課長がフィンという書記官あてに、メイ・ビー・ユーティライズドではなくて、本土がやられたときにはシャル・ビー・ユーティライズド、必ずユーティライズドされるということですねとノートを出したけれ
ども、アメリカ側は完全に黙視です。
だから、ディフェンスコミットメントが最初の五一年の
条約には入っていなかったんです。十年かかって、六〇年の安保改定で初めてこのディフェンスコミットメントを取りつけたわけです。
だから、そういう
意味では、アメリカはできるだけディフェンスコミットメントをしたくないという気持ちが当初からあったということは知っておかなきゃいけない。そのために今まで日米
関係において、牛肉買えと言われたら牛肉買い、オレンジ買えと言われたらオレンジ買い、今では変な牛肉さえ買えと言われているわけでしょう。全くこのディフェンスコミットメントというのがすべてのキーワードなんです。
だから、そういう
意味で、
大臣が、安保
条約に書かれているから大丈夫だと言うのは当てはまらないんです。そして、これを大丈夫だと思っていることが平和ぼけということにも言われてしまう。
このことが、例えばイランの核兵器の能力、
現実にはないわけです。でも、アメリカのブッシュ大統領はもうイランのことで頭がいっぱいだから、
北朝鮮のことについては六カ国
協議ということで
中国に丸投げしてしまっている。
中国は、
北朝鮮が問題であればあるほど
自分たちが
北朝鮮カードとして使えるから、温存しているわけです。
だから、そういう
意味では
日本は、
現実に
北朝鮮が核兵器を持っている。アメリカは、持っているところの話はほっておいて
中国任せ。そして、持っていないイラン、まだ核兵器を持つまで十年はかかる、そのことについては安保理まで持っていってやろうとしている。その中で、グアムのことについては金まで出せというのは、おちょくられているんです。本当におちょくられているんです。
だから、我々は、そういうことをわかった上でやらなきゃいけないわけでしょう。だから、ディフェンスコミットメントの話については、決して安保
条約に書かれているから大丈夫だという話じゃないということをよく我々は知った上で、アメリカとの
対応をしなければいけないわけです。イラクにブーツ・オン・ザ・グラウンドと言われて陸上自衛隊を持っていったのも、結局このコミットメントの話がかかわっているわけでしょう。
麻生大臣、いかがですか。安保
条約に書かれているから大丈夫だということではなくて、もう少し、吉田茂首相が当時苦心されて、そして安保
条約を、最後に、メイ・ビー・ユーティライズドについて激怒された。本来だったら、西村
局長というのは安保
条約を結んだ大仕事をした人だから、次官になるはずですよ。でも、なっていないんだ。それはそのときの経緯があったからでしょう。だから、そういう
意味では本当に大事な話なんです。ただ単に文言の上でどうのこうのという話じゃないはずです。それは今までの五十年以上にわたる日米
関係の
日本側の努力がすべてそこに帰着するから、私は申し上げているんです。
吉田茂首相が安保
条約を結ばれるときには、まず講和
条約の署名をしてから、一人で署名したわけですね。自分の子分の池田勇人とかみんな、おまえたちには責任を負わせたくない、本当にアメリカが守ってくれるかどうかおれはわからないから、おれが一人で歴史の責任を負うというので、あのプレシディオで自分で一人で署名をされた。それほどかたい気持ちでもってされたわけです。
サンフランシスコについては特別の思いがあるかもしれない
麻生大臣、そのことも含めて、この日米
条約というものは決して
条約に書かれているから大丈夫だという話じゃないと私は思います。いかがでしょうか。