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山谷えり子君 私は九百万部の生活情報紙の主婦向けの編集長をしておりました。今、
細田長官がおっしゃっていられたことを一生懸命進めてきたんです。女性がもっと元気になるように、
社会進出できるように、差別なくすように、それはもう当然のことです。けれ
ども、私は、ジェンダーというこの言葉によって、
家族の否定、文化の否定、
教育現場の混乱が起きているから、ジェンダー論をちょっと
考えた方がいいんではないかということを言っているわけです。
四自民党の合同部会で
男女共同参画審議会基本問題部会の議事録を精査してまいりました。平成十年、基本法、基本計画ができる前の
審議会でございます。
例えばこう書いてあります。ジェンダーという概念を認めるところからある意味ではフェミニズムは出発しているわけですね、そこをかぎ付けてしまわれるととかですね、女子トイレと男子トイレを一緒にしなければいけないのですか、それは
社会的、文化的に形成されているものなのですよ、ジェンダーとか偉そうなことを絶対言っては駄目ですよ、強引に押し切る、余り理屈を言わないで、これで熟した言葉ですというふうに押し切る、
日本がジェンダーというものを書けば画期的なことになって
国際社会に貢献するかもとかですね。こういう、これ何ですか、これ
審議会ですか。この議事録、自民党の四合同部会でみんなで読み合わせたんですよ。
そして、野中官房
長官は、平成十一年、ジェンダーは非常に理解しにくい、基本法案では
社会的、文化的に形成された性別という言葉を直接用いていない、ジェンダーという表現も用いておられないと、おらないと答えておられます。また、平成十四年、福田官房
長官は、行き過ぎた解釈をすべきでない、ジェンダーフリーという言葉はくせ者で、理解の仕方、主張する方、使う人、いろいろな場合にその意味が違って取られると答えております。ジェンダーという言葉はお外しいただきたいと思います。
もう
一つですね、プロジェクトチームに寄せられた三千五百の中に大学生からたくさんのノートが届きました。ジェンダー学、女性学が必修科目になっていると。ノートを見ましたら、近代的結婚は、無償で妻が家事、育児を引き受けさせられる、男らしさ、女らしさは男女間の力の格差を生み、差別の元凶となる、男らしさ、女らしさの否定、機会の平等ではなく結果の平等を求めよ、区別は差別だから区別してはいけない。これだからテント一緒に寝かせるわけですよね。そういったようなラジカルフェミニズム理論を教えられている。男は抑圧者、男女を階級闘争のようにとらえているわけで、学問の自由はあります。私も、一九七〇年代、アメリカでジェンダー学を傍聴しました。だから分かります。
しかし、必修科目にするのはどうしてでしょうと大学生自身から上がってきていますが、文部省、これ、必修科目、大学でどのぐらい進んでいるんですか。