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町村国務大臣 安保理改革は、先般の
成果文書の中でも、幅広い
国連改革の中の重要な
一つの柱であるという位置づけになりました。
一年前、
小泉総理が
国連総会でこの
安保理改革の話を述べたとき、ほとんど反応がないような状態でございました。それから一年かけて、
日本がいわば主導した形でこのG4をつくり、運動をやってきた。また、昨年の十二月、十一月末でしたか、有識者の提言が出され、また三月にはアナン事務総長の報告書も出されるという形で、どんどん
機運が高まっていったと思います。
したがって、今回の
国連総会の中でも、
首脳会合、
一般討論演説を通じて、百九十一カ国のうち百三十九カ国までが、形は多少違ってはいますけれども、
安保理改革の
必要性に言及するようになってきた。これはまさに大きな変化だ、こう私は受けとめておりまして、今
委員が言われたように、私もある方から、それは一九四五年に戦争の結果でき上がった戦後のパラダイムを変えるには戦争をやるしかないよ、話し合いで変えられっこないではないか、そういうことを言われる方までいたことを、私はよく記憶に残っております。
しかし、もとより戦争を通じてということはあり得ない選択でありますから、
外交活動を通じてその
活動をやってきたということでありまして、もとより難しい仕事であるということはよく承知をした上で始めました。しかし、結果、
委員御指摘のように廃案になったということでありますから、いわば第一
ステージはこれで終了し、今の総会あるいは
首脳会合から第二
ステージに移っていったと言っていいんだろうと思います。
では、過去一年あるいは実はその前からやってはきているわけですが、それをどう評価、総括をするのかということでございます。
確かに、
一つはアフリカという要素が大きかったことは事実だろうと思います。何しろ五十三カ国という、派閥と言ってはなんですが、わかりやすく言えばそういう最大グループでございますから、これらがどう動くかというのは大変大きな要素であったわけであります。AUというものが存在をし、AUの
一体性ということを彼らは口を開けば言っておられました。
ですから、AUが
一体的に行動するのであろうということを、どうしても彼らと話をするときにはそれを前提とせざるを得ないわけでございますが、現実にはそう簡単なものではない。どこかの国が可能性が高くなればほかの国がそれに反対をするといったような、複雑な、やはり
日本的な
言葉で言えば足を引っ張るというんでしょうか、そういうようなことも働きます。また、拒否権をどうするかということについて、これは理念的な面で大変な相克があったとも聞いております。
結果、アフリカ首脳
会議というものが八月に最終的に開かれて、何らの結論も得ないまま先送りにされてしまったというところは正直言って大変大きかったかな、こう思います。
それから、二番目の要素として、確かに
委員言われた反対グループ、いわゆるコンセンサスグループと言っている
方々、
中国は必ずしもコンセンサスグループではないにしても、反対グループというこれらの
活動も確かに活発であり、彼らもまた決議案を出してきたということであります。
しかし、それらの
人たちが
安保理改革そのものに反対かといえば決してそうではないという意味では、私は共通の
認識があると思います。あとはどうこれを具体論でやっていくのかということでありまして、そういう意味で、
中国との
対話をより一層
強化していきたい。私と李肇星
外交部長と、随分話し合いをしましたが、さらにこれも
強化していかなきゃいけないと思います。
アメリカのことにもお触れになりました。
アメリカも、正直言うと取り組みが立ちおくれていたと私は思います。何しろボルトン
国連大使が発令されたのは八月でございますからね。そういう中でありますから、彼らが安保理についての意見を議論し始めたのが春以降でございますから、なかなか彼らの意見が固まらなかった。いずれにしても、関心事項は、
安保理改革もあるけれども、それ以上に人権問題とかあるいは
国連事務局の
改革といった方に、当面、
アメリカ議会との
関係で、米
政府はそちらに重点を置かざるを得なかったという面もあろうかと思います。
ただ、ライス国務長官は、先般の
国連総会一般討論演説の中で、
安保理改革の
必要性、またそれの拡大を支持する、
日本の常任
理事国入りも支持するという
発言もしておりますから、今後、米国とはより一層緊密な協議を行っていこうかなと思います。
そして、G4の戦略、これがいけなかったんではないかという意見も確かにあります。では、逆に言うと、
日本一国だけでどこまでこの運動を展開できたかというと、やはりそこには一定の制約もあったんだろうと思いますので、当面、私は、G4という組み合わせといいましょうかグループでやってきたことは別に間違っていなかったとは思います。
しかし、最適、ベストであったかと言われれば、それは結果がこういうことだったんですから、そこは今いろいろ
考えなければなりません。しかし、一年を通じてともに戦ってきたというか、
活動してきた連帯感もありますので、第二
ステージに移ったからはいさようならと、それほど人情のないことはできようはずもありません。
今後G4諸国ともやはりよく話し合いを続けながら、
中国、
アメリカあるいはアフリカ、そういう国々とも話し合いをし、新たな運動を構築するような方向で、今さまざまな話し合いを
国連の場あるいは個別の場で行い始めているというのが現在の
状況でございます。