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中川雅治君 自由民主党の
中川雅治でございます。今日は、時間も非常に短くなりましたので、私の
郵政民営化の問題についての
考え方をしばらく述べさせていただきたいと思います。
竹中大臣、いろいろ反論されたくなるかと思いますけれども、しばらく私の意見をお聞きいただきたいと思います。
私は、
郵政民営化の問題について国民の理解が進まないのは、なぜ
民営化するのかという肝心な部分について、誤ったあるいは正確でないことを言ったり、核心の部分について納得のいく丁寧な説明をしていないからだというふうに思います。
まず、
郵政民営化、特に郵貯、簡保の
民営化について、資金の流れを官から民へ変えることが必要だ、あるいはそれが望ましいというように説明されているわけでございますが、官から民へという場合の官とは何なのか、ここは明確にしなければならないというように思います。
確かに、
平成十二年の財政投融資制度の改革以前は、
郵便貯金は全額大蔵省の資金運用部に預託され、
特殊法人等への融資に充てられていたので、官へ資金が流れていたという表現で正しいと思います。
しかしながら、
平成十三年度以降は郵貯資金は完全自主運用となりまして、主として国債を
市場から購入して運用しているのであります。そして、
特殊法人等は個々に財投機関債を出して資金調達をするか、あるいは国債、財投債という形で国が国債を出してそれぞれの
特殊法人に融資をしていくと、こういう形に変わったわけであります。もちろん経過措置として郵貯は財投債を直接引き受けることはあるわけでございますけれども、この経過措置はあと二年で、つまり十九年度に終わるわけであります。
郵貯は財投債を購入しているから、今でも
特殊法人等の、官に流れているという言い方を聞くわけでございますけれども、現時点では郵貯への預託金の払戻し額は三十八兆円程度なのに対しまして、財投債の引受け額は十二兆円程度となっております。これも今申しましたように、十九年度にはゼロになるわけであります。そうなれば、郵貯は、完全自主運用の下で
市場から国債を購入することで資金の大部分を運用していくことになります。
ところで、国債を発行するに当たっては、建設国債も赤字国債も財投債もこれは一緒にして発行しているわけでありまして、財投債という銘柄があるわけではございません。新規の国債も借換債も、国債の発行に当たっては区別していないわけでありまして、
日本国債という債券があるだけでございます。もちろんいろんな年限債はたくさんあるわけでございますけれども、国債一本でございます。
ですから、郵貯が国債を購入するときに財投債だけを購入しようと思ってもそれはできないわけであります。国債を買えばその一定割合は財投債に充てられるわけでございますけれども、それは郵貯の意思とは
関係のないことでありまして、しかも、それは民間
金融機関が国債を買っても個人が国債を買っても、その一定割合は財投債部分があるということは同じであります。
ですから、郵貯が財投債を買っているから
特殊法人等の官にお金を流している、これを改める必要があるという言い方、これはいろんな方が同じような言い方をされておられるわけでありますが、私はよくこれが分からないんですね。それは、経過措置として財投債を直接引き受けている、これを言っているのか。それだとすれば、これはもう終わるわけでありますし、国債を買っていて、その中に一定割合財投債部分が入っているからということを言っているのか、そこがよく分かりません。
そこで、
竹中大臣は郵貯の
民営化に
関連して、入口、中間、出口の改革を一体的に行うことにより官から民へ資金の流れを変えることができるというふうに答弁をされたわけでございますけれども、今は入口、中間、出口という
概念はないわけであります。出口と言われた財投機関の改革は小泉政権になって進んでおります。現に財投は、フローで見ればピーク時の四割の水準にまで縮小されているわけであります。
しかしながら、これからも
竹中大臣が言われますように改革を進めなければならないことは当然であります。ただし、これは郵貯の
民営化とは
関係のないことであります。今でも郵貯資金の大部分が
特殊法人などの財投機関へ流れていると誤解をしている方が多いわけですね。テレビなどでそういう解説をしているのを私は聞いたことがございます。それは間違いなんですが、何かそういう誤解に乗じて
民営化の説明をしているようでフェアでない、そういった気がいたします。
それでは、郵貯が国債を購入していることをもって
特殊法人等への資金が流れているということではなくって、国債そのものが官であるから官に資金が流れている、これを改めていこうということであれば、何か郵貯が国債を買っていることが良くないことで、それで郵貯を
民営化して貸付けなどに回すことが良いことだという印象を国民に与えることになりまして、これはとんでもないことだと思います。
現在、国債残高は五百兆円を超え、全世界で類を見ない財政事情の悪化の下でも国債が順調に消化され、金利も十年国債で一%台ということで推移しているからこそ
日本経済はもっているのであります。郵貯、簡保が何十兆円というオーダーで国債を安定的に消化してきてくれたからこそ、国債の大量発行下でありましても金利上昇、国債価格下落、
金融機関等の損失、
日本経済への打撃という悪いシナリオを回避できてきたわけであります。特に郵貯は、国債を定額郵貯という商品に転換をして個人に対して小口化して販売をする、安定的な保有者をつくっているということを、というふうに見ることもできるわけでありまして、
日本経済の安定に大きく貢献していると言ってもよいのであります。
この資金を民間に回せば経済の活性化につながると、こういうふうにおっしゃっているわけですが、これはどうかと思うんですね。国債購入に回っていたお金が民に行き、国債の消化に支障を来すということになれば、それは経済全体の活性化どころか経済の沈没につながりかねないわけであります。
ですから、既に五百兆円を超える国債を発行してしまって、十七年度においても借換債を含めて百七十兆円もの国債を発行しなければならない政府としては、郵貯、簡保に本当に感謝をしなければいけないのであって、国債を買っていることが良くないことで、
民営化して民間に資金を流すように改めるべきだというようなことを言うことは、残念なことでありますけれども、これだけ国債を発行してしまった今の政府にそんなことを言える資格はないんではないかと思うのであります。
次に、政府保証を付して定額郵貯を集めて、官である
郵政公社が運用主体となっているからこれが、資金が官に行くんだというふうにとらえて、これを改めるべきだという説明も聞くわけでございますけれども、私は今の政府の重要な仕事は国債の順調な消化であると思っておりますから、それを否定するようなことを言う資格はないと思います。
現に、プライマリーバランスを回復する、あるいは財政
構造改革が必要だ、適切な国債管理政策が必要だということは、これはもちろんでございますけれども、これからも新規国債は発行せざるを得ない、残高が増えていくわけでございますから。したがって、郵貯、簡保が貸付けや株式に回って、その分民間の方に流れるわけですけれども、それで国債の購入の部分が減れば、民間にその分国債を買ってもらわなければ
日本経済は立ち行かなくなるわけです。
ですから、官から民へという流れが出れば、その分民から官へという動きが出なければ、経済全体としてのつじつまは合わないわけであります。したがって、どうも資金の流れを官から民に改めるという説明は説得力がないというふうに私は思うのであります。
それで、次に、政府はまた
民営化が必要な理由として、
郵政事業はこのままではいずれ立ち行かなくなる、だからといって
公社のままでは改革に限界があるということを言っているわけでありますが、私はこの点は基本的には正しいと思っております。
ただ、この点についての説明はよほど丁寧にしなければ納得を得られないというふうに思うわけなんです。なぜならば、国民も
郵政公社の職員の方も、
郵政事業は今まで税金を投入しないで独立採算でやってこれたじゃないかと、どうしてこの
事業がこれから立ち行かなくなるんだろうという、そこのところをなかなか理解できないわけなんですね。
私なりにこの点を整理しますと、
郵便事業につきましては、メールなどの普及で取扱量が減っていく、ですから今のままの
経営では厳しくなっていくということはだれしも納得すると思いますが、他方で、メールがどんなに普及しても、
郵便事業は国家としてきちんと守っていかなければならないものだということも国民の間には異論はないと思います。だからこそ、
郵便事業会社、
郵便局会社については、政府が関与できる持ち株体制と主務
大臣の監督権限により今後ともしっかりと維持できる仕組みとしなければなりませんし、是非そのように設計をしていただきたいと思います。
問題は郵貯、簡保であります。
私は、郵貯については、今のままでは長い目で見れば大変厳しい
状況になる可能性は否定できないと思っております。それは私なりに整理しますと、財投改革以前は、資金運用部への預託は七年預託であったにもかかわらず十年国債の金利に〇・二%上乗せした金利を支払っていたわけでありますが、財投改革により今は完全に
市場での自主運用となっているわけでありますので、今までのような上乗せ金利による収益はないわけであります。
基本的に、
市場でお金を集める、定額郵貯という形で
市場で集めたものを、これを
市場で運用していく、国債という商品に運用していくわけですが、一時的にそこは長短のスプレッドを
確保するという仕組みで
経営をするわけですけれども、順イールドのときも逆イールドのときもあるわけで、それを完全に予測することは不可能なわけですから、長期的に見れば収益はとんとんにならざるを得ないわけであります。
最近では、順イールドの期間の方が長く、しかも金利低下局面が長く続いてきましたし、残高も伸びていったということで、まあ
経営も順調に来れたわけでありますけれども、これからは長期的に見れば収支はとんとんと考えておいた方がよいと思います、経費の分が出ないというぐらいですね。しかも、定額郵貯は預け替えリスクがあるわけですから、その分収益がマイナスになる可能性が高いわけであります。簡保についても、契約高が落ちてきていることに加えて、やはり上乗せ金利がなくなったという事情があるわけであります。
それでは、これをどうするのかということでありますが、私は定額郵貯という商品を改める必要があると思いますし、一方、運用面でも
収益力を付けるために、貸出しをするとか株や社債等の購入割合を高めるということも必要なんだろうとは思うんですが、そうなると民業と競合するようになるから
民営化すべきだという説明、これも基本的には理解できるわけなんですね。
しかし、だからといって郵貯や簡保はなくなってよい、あるいは
市場に完全にほうり出してしまってよいというふうには思わないわけであります。国債を大量に購入していただいて、正に
日本経済の安定にとてつもない大きな貢献をしていただいた郵貯、簡保についての感謝の気持ち、それから、これからもそうした役割というものは必要なんだという気持ちを持って改革を進めなければならないと思います。
私は、
民営化という
方向は間違っていないと思うんですけれども、今進めようとしている
民営化は、郵貯、簡保の果たしてきた、これからも果たすことを期待する役割についての
認識が欠けている、言ってみれば、感謝の気持ちがない、血が通っていない改革案だというように思います。
例えば、持ち株会社が持つ郵貯銀行、保険会社の株を十年後に完全にゼロにすることにこだわり過ぎているんではないかと思うんです。持ち株会社と郵貯銀行、保険会社との資本
関係を続けるという前提に立っても、持ち株会社の株式の政府保有割合が三分の一まで下がれば、NTTやJTの
民営化よりも進んだ
民営化になると見ることもできるわけであります。
ですから、持ち株会社と郵貯銀行、保険会社との一定の資本
関係をこれからもずっと維持していくという仕組みにしておいて、その間は、一方で例えば預入限度を下げていくなどして、他方で
自由度を徐々に高めていくというような形で、十年たった時点で完全に持ち株を処分してもよいという
状況になれば、その時点で
法律改正をすればよいというのが私の
考え方でございます。
まず、十年後はゼロにするということを決めておいて、十年後は通常のルールに従って持ち株会社が郵貯銀行、保険会社の株式を買い戻してもよいという構成は極めて分かりにくく、それもその時点での持ち株会社の
経営判断だということであれば、
郵政公社の職員も国民も納得することはなかなかできないんではないかと。改革を成功させるには、
関係者はもちろん、国民の大多数が安心できるような、これならいいだろうという改革案でなければなりません。
そこで、そろそろ
質問をしなければいけないわけでございますが、十年たって持ち株会社が郵貯銀行、保険会社の株式を売却し切れなかった場合は、売却のために株式を信託するということを考えているという説明を聞きました。
そこで、例えばNTT株式については昭和六十三年に百五十万株の売却をして以来、
平成十年までの九年間にわたって、
市場の
状況などを勘案して売却できなかったという例があるわけであります。ですから、郵貯銀行、保険会社の株式についても、
市場がどんな
状況になっていても、また安くてもよいから売ってしまおうというなら別ですけれども、国民の貴重な財産はやはり適切に、適正な価格で売却しなければならないわけであります。そうなると、十年たってもかなりの株式が売却できないという場合もあり得るわけであります。ですから、その場合の処理についてお伺いをいたします。
この信託先というのはどのようにして選定するんでしょうか。持ち株会社は特殊会社ですから公平なコンペで選定しなければならないと思いますが、その場合、外資系の信託会社が有利な
条件を出してくれば、残っている株式は全部外資系の信託会社に行ってしまうというようなこともあり得るんではないかと思いますが、その点についてお伺いをいたします。