○
参考人(
黒田治君)
東京都立松沢病院の精神科の医師で
黒田と申します。
本日は、このような機会を与えていただきまして、先生方に感謝申し上げます。
私は、今は都立病院に勤めておりますけれども、数年前まで八王子医療
刑務所の方で精神科医として勤務しておりました。今回こちらにお招きいただきました理由というのは、今話題になっています
法律案に関して
参考意見を述べなさいということだと思いますけれども、私はただの精神科医で、
法律について何か
意見を述べるような知識もありません、経験もありませんので、
実務、現場の
実務者の
立場から非常に雑駁な話を
幾つかさせていただければというふうに思っております。
立場が精神科医ですから、今回の
法律案の中での精神医療に関連するであろう部分について
意見を述べたいと思うんですが、ただ、
法律案を読んでみますと、精神障害者あるいは精神医療に直接関連したような部分というのが見当たりません。今回の
法案、
法律の
改正の原動力の一つになっています
行刑改革会議での議論の中でも、精神医療に関して若干触れられたところもありますが、主な論点の中には余り含まれてこなかったように思われます。こういう
状況の中で、じゃなぜ精神医療の話を今更しなくちゃいけないのかというふうに先生方いぶかられるかと思いますけれども、これからお話をさせていただきたいと思います。
それで、まず
刑事施設の中で提供される医療についてですけれども、皆様のお
手元にお配りしましたレジュメに従ってお話をいたします。
まず、
刑事施設内の被
拘禁者が提供されるべき医療の
水準というのはどの程度というのが望ましいのかということですけれども、これはいろいろ議論が重ねられた結果、現状では、
理念としては、
刑事施設の中の医療も一般
社会の中の医療の
水準と同程度であるべきであろうということでまとまっているように感じます。ただ、そうはいいましても、それを具体的にどういう形で提供できるのかということについて見ますと、現実的には様々な理由で実現が難しい部分も多いだろうというふうに思われます。
なぜ難しいのかという理由なんですけれども、
幾つかあると思いますが、一番主要なものとしましては、そもそも
刑事施設の一番大きな
目的、主要な
目的というのは
刑事司法手続の執行でありまして、被
拘禁者の逃走とか自傷他害の
行為の防止、それから
施設内の安全や
秩序の
維持ということであります。したがって、医療というのは、その
目的と比べますと二の次であろうということです。
次に、被
拘禁者の特性としまして、疾病利得という言葉がありますけれども、それを
目的にして必要以上あるいは不必要な医療を要求する可能性があるのではないかということが懸念されます。
第三に、医療従事者を確保するというのが非常に難しいということであります。
刑事施設というのは、医療の従事者にとって決して魅力的な職場ではありません。
それから第四として、医療
水準を監視する人がいないということです。まず、医療の利用者である被
拘禁者というのは、医療機関や医師を選択する
権利が大幅に狭められておりますし、何か不服があったとしても、それを申し立てることが非常に難しい
立場にあります。それから、医療の現場の
状況というのが一般の人の目に触れにくい。それから、医療
行政当局の監査がなかなか行き届かないということもあります。
では、
刑事施設内の医療
水準を向上させるのが難しいとしたら、その
施設の外、一般
社会内、地域
社会内の医療機関を利用する
方法はどうかということが出てくるわけですけれども、それも難しいということです。それが難しい理由というのは、その
施設の中にいる被
拘禁者を
施設の外に連れ出す際には様々な障壁があるということです。
被
拘禁者を医療の
目的のために
施設外に連れ出す
根拠としましては、従来、
監獄法の中での病院移送の場合と、
刑事訴訟法の中の執行停止の場合の二種類があるというふうに思われますけれども、
監獄法の場合であれば
刑事司法手続がそのまま継続されるんですけれども、一方で被
拘禁者の周りをもう一つの
刑事施設化しなければいけない、その人の逃亡を防ぐとかそういったことですけれども。一方、もう一方の
刑事訴訟法の方では、執行停止という手続があるんですけれども、それはその検察官の指揮次第ですし、その間刑期がストップしてしまいますし、身元引受人が必要である、それから医療費や
生活費についての国からの支給も止まってしまうという問題もあります。
さらに、現実的な問題としまして、そういった被
拘禁者を受け入れる医療機関というのが非常に限られているわけです。それでも外部の医療機関を利用しなければいけないようなケースは多々あります。したがいまして、
刑事施設内の医療
水準の向上、それから外部医療機関との連携の強化というのは、どちらも非常に難しい課題ではありますけれども、継続して取り組まなければならない課題であると思います。
では、その
刑事施設内の医療
水準が向上されることで一般
社会が何か
関係あるのかということなんですけれども、一般
社会もある程度のメリットを受けるのではないかということが言われています。
一つは、
刑事施設内の治安というのは、その中の
生活環境やあるいはその
処遇が良くなければ悪化しやすいということです。ですから、医療を向上させることで
施設内の治安の
維持に寄与するのではないか。
それから、もう一つの理由としましては、
施設内に
収容されている被
拘禁者の病気をその中で
早期に治癒させる、あるいは
改善することによって、彼らが
社会に出た後、例えばその病気が感染症であれば感染の媒介を防ぐ、あるいは、その人が
社会に出た後に例えば
生活保護などを受けるときに、病気が軽い段階の方が悪化したときよりも医療費は少なくて済みますので、そういった公的医療扶助
制度に対する経済的な負担を減らすことができるのではないかというふうに言われています。
刑事施設内には精神障害者がおります。なぜ彼らに対する医療が問題視されるのかということですけれども、理由が二つあります。一つは、
刑事施設内にたくさんの精神障害者が
収容されていること、それからもう一つは、精神科医療というのはそれ以外の医療とは違う点があるということです。
どのくらいの精神障害者がいるかということですけれども、法務省の統計では、
受刑者の一一%余りが何らかの精神障害を有しているというふうに言われています。さらに、例えば医療
刑務所などの専門的な治療、医療を受ける必要があるというふうに言われている人も五百名程度いるということです。一方、
未決被
拘禁者については精神障害の罹患率ははっきりしません。我々が現場で見ている感覚としてはもっとたくさんいるような印象があります。
では、なぜそのように多くの精神障害者が
刑事施設内に
収容されているのかということですけれども、これはいろいろ理由が言われていまして、一つは、精神障害と犯罪、それを合併するような人たちというのは、元々、あるいはそういう障害を持った結果として犯罪に結び付きやすいような不利な経済的あるいは
社会的な背景を有している。それから、例えば薬物乱用等の精神作用物質
使用障害とかあるいは反
社会性人格障害といった、その障害自体がそもそも犯罪と親和性があるものの影響があるのではないか。それから、これは
日本ではまだ起こっておりませんけれども、脱
施設化、精神病床が削減されることの影響があるのではないか。それから、
施設内の
職員が被
拘禁者の精神障害を発見する
能力が向上しているのではないか。そういった理由が挙げられています。
さらに、
我が国特有の理由としましては、裁判の段階で
刑事責任能力の判断が比較的厳格というふうに思われます。さらに、有罪となった場合には
刑務所に行くしかないですね。治療処分といった選択肢がありません。したがいまして、統合失調症などのかなり重症な精神病に罹患した方であっても懲役刑を科されていることがあるわけです。それから、司法精神医療の土壌がそもそも一般の精神科医療の中にありませんので、そういう
刑事施設の中で入院治療を必要とするような重症の精神障害が
発生した場合に、彼らを受け入れてくれるような病院が現時点でありません。今般、心神喪失者等医療観察法が施行されることになりまして、そういった医療を提供でき得るような病院ができるわけですけれども、ただ、
刑務所の服役中の被
拘禁者というのはその対象者にはなりません。それから、精神障害で受刑している方たちというのは
基本的には仮釈放の対象にならない。そういった理由で、
刑事施設の中に精神障害を持った方たちがかなり存在しているということです。
もう一方の精神科医療の特殊性についてですけれども、一般の医療と精神科医療、何が違うのかということですけれども、一番大きな点としましては、医師と患者間の治療
関係が非常に特殊であるということです。どういうことかといいますと、例えば統合失調症などの一部のものでは、患者さん自身が、自分が病気であるという認識あるいは病気だから治療を受けなくてはいけないという治療
意欲、そういったものを欠いています。で、一般的なインフォームド・コンセントの
原則が成立しない場合があるということです。したがいまして、必ずしも患者自身の意思に基づいて医療が提供されるとは限りません。場合によっては、第三者の利益を
目的にその患者さんが拒否しているような医療を強制的に行わなくてはいけないような場合もあります。
それから、二点目としましては、精神疾患のほとんどのものはその原因がはっきりしませんので、その原因を取り除く、原因を
改善して根本的に治療するということが非常に難しい。表面に出ている症状を抑えるような対症療法が中心になっていきます。
それから、三番目に、精神疾患というのは医学的に完全な治癒状態、完全に治った状態まで達しないケースがたくさんあります。したがって、ある程度良くなった状態、寛解状態といいますけれども、そういった状態を
維持することも治療上必要というふうに言われます。
それから、四番目に、例えば風邪とか肺炎であれば安静にして横になってお薬を飲んで静かにしていれば良くなっていくわけですけれども、精神障害の場合は薬物療法といった物理的な治療だけでは治療が完結できません。それ以外に精神療法や環境療法、それから様々なケア、
生活指導や環境の調整、あるいは家族療法といった多面的な治療が不可欠であります。
こういった精神科医療の特殊性をかんがみまして、一般の地域
社会ではインフォームド・コンセントの
原則が成立しない場合の医療の在り方の大枠を決めるための
法律、特別な
法律、これ精神保健福祉法といいますけれども、そういったものが特に存在しているわけです。
それから、精神科医療において区別しなくてはいけないのは、同意
能力の障害を招く可能性の高い精神障害、例えば統合失調症といった精神病ですけれども、それと、同意
能力の障害を招く可能性が低い精神障害、例えば依存症であるとか人格障害といった障害では、その提供すべき医療の在り方が異なっております。
次に、精神科医療を提供する場としての
刑事施設ということについて考えてみたいと思います。
刑事施設は精神科医療を提供する場たり得るのかという設問なんですけれども、これについては、
国連の
原則あるいは
規則を参照いたしましたところ、次のように言われています。一つは、すべての
刑事施設で精神医学の知識を有する医師による精神医療を提供すること、二つ目は、精神病に罹患した被
拘禁者に対する一般
社会と同
水準の精神医療の
保障、三つ目は、精神病に罹患した被
拘禁者の
刑事施設から精神医療
施設への適正手続に基づく移送の促進、四つ目が、釈放後の医療の継続とアフターケアの提供というものであります。
これを読みますと、
国連原則では何を言っているのかということですけれども、一般医療と同
水準の精神医療を
刑事施設内でたとえ提供できたとしても、精神病に罹患した被
拘禁者は
刑事施設から精神医療
施設へ移送すべきであるというのが
基本的な考えになっています。
では、なぜ
刑事施設内で精神病の被
拘禁者に対して医療を提供すべきではないのかということなんですけれども、
刑事施設ではインフォームド・コンセントの
原則が成立しない場合の非自発的医療の提供のために必要な適正手続に基づく同意
能力の減損の評価であるとか治療の必要性の評価といったものを定義している
法律が一般に適用されないというのが一番大きな理由です。さらに、
施設内の治安や管理のために精神科医療が悪用されるおそれがあるということ、それから拘禁
状況下では真のインフォームド・コンセントが行使できないという問題もあります。
そういったことを考えますと、
刑事施設内の医療の
水準が上がったとしても、精神病に罹患した
拘禁者を移送するための精神医療
施設の
確立、それからそういったところへ適正手続に基づいて移送できるような手続の設立というのが必要になると思います。
済みません、時間が短くなりましたので飛ばしますけれども、では
刑事施設の精神医療が抱える今後の課題ということですけれども、一番大事なのは
刑事施設内の精神医療の
水準を向上させることです。これにはマンパワーの拡充というのが一番重要です。よく専門医の確保ということが言われますけれども、その以前に
刑務官の方々が
基本的な精神保健についての知識を獲得するということが最も大事であろうというふうに思われます。それから、二点目としては、精神障害に罹患した被
収容者の方たちが不服を感じたときに、もっと簡単な
方法で不服申立てをできるような
制度というのも必要であろうというふうに思われます。
それで、二点目としましては、
刑事施設内に
収容されている重症の精神病に罹患した被
収容者を適切に精神医療
施設に移送できるようなシステムづくりも今後考えていかなくてはいけない課題だと思われます。その一つのアイデアとしては、医療
刑務所を精神病院と全く同じような構造にしてしまうということです。二つ目は新しい病院を造るということですけれども、いずれにしても法務省だけでは実現できない課題も少なくありません。厚労省や文部科学省やあるいは医師会等の職能団体、あるいは地方自治体など多くの
関係機関の関与が不可欠です。それから、
刑事施設の中の精神医療の向上には、それを取り巻く地域の精神医療や司法精神医療などとの連動した底上げというのも欠かせません。
このように、いろいろ言いましたけれども、やはり実現させるには非常に多くの障害が予想されて、前途多難であろうと思われます。
最後に、
法案について若干の
意見を述べさせていただきます。
今回の
法案の中で、三十三条に
刑事施設における医療
水準を定義されていること、それから三十九条の一項で非自発的な治療、患者が望まない治療は
原則禁止するというふうに書かれている点については評価すべきであろうというふうに思います。ただ、一方で、三十三条の
社会一般の
水準に照らして適切な
措置を行うという表現というのは、ややあいまいな印象は否めません。
それから、精神障害について特別な
規定はないんですけれども、仮に
受刑者の方が精神障害に罹患していたとしてその病気が統合失調症などの重症な病気だとした場合に、同意
能力が損なわれているような被
拘禁者の場合も非自発的な治療を
原則禁止と考えていいのかというようなことも想像します。それから、では、私はそれは特別な別の手続が必要だと思うんですけれども、そういった人たちに対する適切な医療の在り方とはどういうものかということを考えていかなければいけないと思います。
それから、二点目としましては、八章に
規律及び
秩序の
維持というのがあります。それから、十一章に賞罰に関しての
規定があるんですけれども、例えば病気のせいで遵守事項に従えない、あるいは病気のせいで大声を出したり暴力を振るったりするような被
拘禁者も、それからそういった病気がなくて、ただ単に反
社会的な性格傾向があって
規律違反に及んだような被
拘禁者も、
規律及び
秩序の
維持の名の下に画一的な隔離や戒具の
使用や保護房の
収容といった行動
制限、あるいは懲罰の対象となるようなおそれはないのかというような疑念がわいてきます。
ここで大事になるのは、そういった反
規律的、反
社会的な行動の原因まで考慮に入れた柔軟な対応がなされるべきであろうということです。そこで大事になってくるのは、やはり現場にいる一般の
刑務官の精神保健の知識の程度が問われるのであろうというふうに思います。
結論ですけれども、今回の
法案には全く触れられていませんけれども、重症の精神障害に罹患した被
拘禁者の人権を守り、彼らに適切な医療を提供し、さらに彼らに対する医療の悪用を防ぐための特別な法的な枠組みというのが必要だったのではないかというふうに考えます。
以上です。
どうもありがとうございました。