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参考人(
尾木直樹君)
教育評論家で法政大学の
尾木直樹です。よろしくお願いします。
僕は、
教育評論家という立場で本当に
全国あちこち歩き回りながら現状を把握していくのが主な仕事なものですから、そんなところ辺でかなり大ざっぱになるか分かりませんけれども、
状況を
報告したいというふうに思っています。
まず、僕の方のレジュメですけれども、二枚と、それからちょっとB4判の大きな資料が入っているかと思うんですけれども、最初に、もう先生方御承知のところ何か申し訳ないんですけれども、資料の方で、
少子化の現状ということで私の専門の教育の領域のところに引き寄せるとどういうふうになっているのかというのを確認させていただきたいというふうに思います。
これ、朝日新聞の世論
調査ですけれども、去年の十一月に発表されています。
少子化の進行
状況については、
社会の問題だととらえる人々が約五八%ですね。
少子化の背景は、じゃ何かといいますと、一番多かったのが
男女の結婚への意識が変わったというのが三七、次に
子供に
お金が掛かるが二六で、それから三番目が、家族の
在り方が多様化したというふうに述べています。
この
男女の結婚への意識が変わったという問題でいいますと、実は読売新聞がこの二〇〇五年の二月の十二、十三日、二日間にわたって
全国調査をしたんですけれども、その結果、結婚しなくても幸せだというふうに答えた未婚の
女性は七三%に上っています。これは、前年度に比べると何と一〇%も増えているんですね。ですから、いわゆる保育政策のところの充実だけで
少子化が防げるかということには必ずしもならないんじゃないかと、その
傾向は加速しているというふうに思います。
それからあと、夫の育休取得については困難だというのが八三%に達していますし、それから何よりも、
子育てというのは楽しくないと
子供をつくろうというふうに思えないと思うんですけれども、
子育てが楽しいというふうに答えた方は四五%、半分に達していません。しかも、苦しいと答えた方が四四で、ほとんど拮抗しているんですね。
子育てが苦しい方が四四%いて
少子化を解決というのは、これはかなり難しいなと思います。この苦しい
理由についてまた聞いているんですけれども、教育に
お金が掛かるというのが一八%、それから次、安心して育てられる
環境にないからというのが一五%で続いています。
あと、その下のところをちょっとかいつまんで見ていきますと、真ん中の辺ですけれども、「あなたは
子育てにどういう印象をもっていますか。」と、
子育てに対するイメージを聞いていますけれども、それで、希望とか充実という、そういうプラス思考というかしら、
感覚を持っている方は三四%にしかすぎなくて、責任があって負担が大きいみたいなそういうとらえ方は六割に達しているわけですよね。ここら辺も大きな問題。
それから、上の段の真ん中のところですけれども、「いまの
日本は子どもを育てやすい
社会だと思いますか。」という問いに対して、思わないと、明確に思わないという方が七四%にも達している。
こういう
状況をどういうふうにして打開していくのかというのは、もちろん政府の方も
考えて、いろんな施策、新新エンゼルプランなんか非常に切り口の鋭いのが出てきているわけですけれども、私の教育や
子育ての領域から見ると、こういう点についてはどういう問題が出てくるのかということについてちょっと御
報告したいと思います。
レジュメの二番目のところに入っていきますけれども、やっぱり何よりも、先ほどの朝日の世論
調査の結果にもありましたけれども、今日の
子供不信、
子供への不信感と、それから
子育てへの不安感というのが物すごく蔓延しているような感じを私は持ちます。
例えば、二年前の七月でしたけれども、長崎県で中学一年生の少年が四歳の少年をビルの屋上から突き落として命をなくすという悲惨な事件が起きました。あのとき、本当にエピソードで申し訳ありませんけれども、僕は近くのクリーニング屋さんへ行っていたら、三、四歳の男の子の手を引いたお母さんがいたんですけれども、しっかりと手を握っておられるんですね。もう先生、片時も
子供から手を放すなんてもうできなくなりましたというので、しっかり握っているわけですよね。そして、そうおっしゃった後、間髪を入れずにおっしゃったのが、でも、あと十年もたつとこの子が加害者になりかねないんですよと。あっ、五年もたつとと言いましたね、五、六年たつとこの子が加害者にならないかという心配をしなきゃならないんですと言うわけですね。つまり、四、五歳か三、四歳の
子供の手を引きながら、被害に遭わないという不安感と同時に、あと数年たてば加害者になりかねない
状況なんだというこの不安感、これは今まで
日本の
子育ての歴史の中ではなかったというふうに私は思っています。
それから、不幸なことが続いていますけれども、昨年の六月一日には、同じ長崎県の佐世保で小学六年生の女の子が同級生の女の子を
学校で殺害するという事件が起きましたよね、命をなくしましたけれども。あの直後に佐世保のNPOの
子供の団体から連絡がありまして、先生、講演に来てくれと言うんですね。どうしたんだろうというふうに聞いてみたら、もう親たちが、佐世保の親たちが
子供を産むのが怖いと言っているというんですよ。この不安、何とかしてほしいというので僕は駆け付けました。
そういうちょっとした身近なところの聞こえてくる声を聞いても、
子育てに対する不安感、
子供そのものに対する不安感みたいなものですね、こんな広がりが相当あるんじゃないかというふうに思います。
それは単なるエピソードだけではなくて、そこにもポツをして四つぐらい書きましたけれども、
一つは、青少年の凶悪事件が非常に急増しているという問題。ただ、これはお断りしておきますと、この十年間に限っては急増しているんであって、戦後の歴史的な経過で見ると、半分に激減しているというとらえ方もできるんですね。ただ、量の問題ではなくて、質の問題に着目すべきだというふうに私は思っています。
かつては、一九六一年は四百数十件の凶悪事件、
子供たちが逮捕されていますけれども、今は二百件か百五十件、あるいは百件ちょっとというところを推移しているんですけれども、半減したという
意見もありますけれども、質が全く変わりました。今、
子供たち、お母さん方がうちの子が加害者になりかねないんじゃないかという不安を抱くのは、つまり普通の子という、変な差別的な
意味ではありませんけれども、全く今まで非行の逮捕歴や補導歴があるわけでもない、
成績はむしろみんないい子が単独犯で事件、殺人事件を起こしている子は
成績がいいというのが大きな特徴ですね。今まで非行を起こしていないというのも大きな特徴です。
そうしたら、私たちが
子育てで目指している
子供像、
学校の先生方がこんな
子供になってほしい、
成績も良くて、ちゃんと素直で明るく、あいさつができてというのにぴたっとはまる形だったわけですよね、今回の佐世保の少女にしても。そうしたら、怖くなっちゃいますね、これは。そこのところの質をきちっととらえるべきだろうと思います。そんなふうに
一つ、この凶悪事件の質の
変化の問題ですね。
それから二つ目は、青少年の発達不全の問題。これは先ほど無
藤参考人からもありましたけれども、コミュニケーションスキルが非常に落ちてしまったということですね。
これは今、法政の私の授業でアンケートを取ったんですけれども、そのときにも、携帯が今の
若者のコミュニケーション不全を決定的に変えてしまっているということが分かりました。例えばある学生は、携帯はとっても怖いです、表面的には仲良くなさそうにしているのに実は仲がいいとか、携帯でだれがつながっているのか
考えると怖くなるときがあります。大学に来てから、心から相談していない、笑えていない
自分が多いと思います、なかなか腹を割って話せないですと。こういう声だとか、あるいはもう
一つは、チャットや2ちゃんねる、2ちゃんねるというのは
インターネットのですね、チャットや2ちゃんねるでは
自分を出せるのに、実際の人との触れ合いの中では自己表現ができない、そんな
状況は僕が
小学生のころはなかった、現代特有の問題だと思うと言っていますけれども、
子供たちの人間
関係をすっかり質を変えてきていると、急激にこの数年間で変わってきたということを改めて認識させられます。
そういうことが、現象的には不登校だとかあるいはいじめ、いじめというのも、ついに、文科省の
データによりますと八年ぶりに増加に転じたということで、減少
傾向がひっくり返り始めました。それから学級崩壊、依然として止まっていません。暴力行為も昨年の文科省の発表では小中高とも増えてきて、小
学校の暴力行為については二八%増ということが言われています。あるいは引きこもりの問題ですね、これは
厚生労働省の発表でも四十一万人ぐらいになるんじゃないかと。私の
調査研究では八十一万人ぐらいになるだろうと。親の会は百二十四万という数字を出しておられます。それから、ニートが五十二万人になったとか、あるいはフリーター、これはカウントの仕方、文科省と違うところがありますけれども、四百十七万人とか、トータルすると四、五人の青年に一人がいろんな
状況に置かれている、困難なという我が国の
状況です。
それからもう
一つ、今度は
子供たちが被害に遭っている
状況でいいますと、いつも
子供たちの加害
状況がクローズアップされるんですけれども、とんでもありません。例えば誘拐される事件なんか、〇三年についていえば四百十五件も発生しています。それから、
学校がこの間襲撃されたりとか、あるいは
子供虐待は一九九〇年に
データ取り始めたときには千件ちょっとでしたけれども、今や二万七千件近くに達しています。それから
子供たちの性被害、これも無
藤参考人からもありましたけれども、〇三年でいえば六千二百三十三件に達しているわけですね。凶悪事件に遭った
子供たちは二千二百四件です。凶悪事件というのは、殺人、それから強姦、放火、こんなところですかね、を指していますけれども、大変な
状況です。
もう
一つは、大きな問題、今教育改革が非常な勢いで進んでいます、教育領域はですね。教育政策への不安感が非常に現場では大きいということですね。もちろんヒットしているのもないことはないんですけれども、それは、先ほどもありました
学力低下の問題というのは
一つありますね。それから学習指導要領、この間、大臣が見直しもというので、今、中教審始まりましたけれども、この問題。それから、
学校選択の自由というのが、今東京ではもうかなりの、十六、十八の区で始めていますけれども、これが北海道でも取り入れられたり、あるいは広島、三重だとか
全国各地に広がっていっていますけれども、これは、親たちは結構賛成している人が多いんですが、ただ、結構厳しいのは、自己選択、自己責任の問題というのが当然出てくるわけですよね、そこでの重さ。それから、英語教育についてもいろいろ今議論されていますけれども、保育園、幼稚園に講演に行きますと、
質疑応答で一番多いのが、三歳から始めるのがいいんだろうか四歳からだろうかと、早期英語教育ですね、本当に必死の
状況でお尋ねになっていて、そんなん幾つからやったって余り変わらないんですけれども、本当に不安感は増しているという感じですね。
それから三番目。
子供と、じゃそういう
状況に対して私たち教育政策やいろんなところでどういう現状打開しようとしているのかという特徴だけちょっととらえていきますと、
一つは、これは、僕は
子供の立場から仕事をしている人間からいうととても残念なんですけれども、
子供たちをバッシングしているような、封じ込め策を取っているように見えてしまいます。もちろん、おやりくださっている人々はそうではないんですけれども。つまり、例えば少年への厳罰化の兆しというのですね、これなんかも最近の新聞のコピーなんですけれども、タイトル見てくだされば、十四歳未満も警察調書をとか、実際に行われたのが佐世保で、六年生たちは夕方六時半まで残されて警察に調書を取られましたね。拇印まで押さされています。
それから、これなんかも、少年犯罪、顔や氏名公開とか、各紙で、新聞で発表される
子供への私たちの目線というのは、
子供たちをぐっと押さえ込もう、厳罰化しようと。それによって犯罪の抑止効果をねらおうという
アメリカスタイルを取っているわけですけれども、これが続々と今流れています。そして、実際、法整備もそういう下で行われているんじゃないかと思います。
だけれども、結論からいいますと、これはほとんど役に立ちません。今、
学校の安全でセキュリティーの問題というのは、これは整えなきゃいけないというのは前提の問題ですけれども、それで安全な
学校が確保できるかというと、ほとんどそれは無理ですよね。金属探知器入れてスクールポリスに散弾銃を所持させても
アメリカでは絶えないわけですから、その方向だけでは駄目なんですね。その方向が無駄だというふうには全く思いませんけれども。
それから、十七歳のこの間の寝屋川の少年が昨日の自供の中で、先生を殺して
自分も自殺するつもりだったという、はっきりまだ分かりませんけれども、述べています。つまり、優秀な少年たち、佐賀のバスジャック事件もそうですけれども、自殺願望として犯罪を起こしている例がもう圧倒的に多いんですね。そうしたら、どんなに厳罰化しても、そういう少年にとっては有り難いことにしかすぎないんですよ。ああ、じゃ、国家に殺してもらえるんなら有り難いというので望んでやってしまうかもしれないというふうに思います。私たち、抑止効果が出るような
子供たちは元々そんなことはしないんですよね。そこら辺かなり、僕、盲点になっているというふうに思います。
それからもう
一つは、
子供観が
大人への発達途上人、もちろん発達論でいえば当然そういう側面ありますけれども、そこのみに限定されている
傾向がないんだろうかということです。
つまり、これが、具体的に言いますと、例えば
子供たちの
学力が
低下しているという心配の下で、じゃ、
学力を回復しなきゃというので授業時間数を増やしたりとか教科書を単純に厚くしたり、それからトレーニング主義を強化したり、いろんな、授業時間、
学校の始業時間を早くしたりとか、あるいは読書を量的に増やしたりとか、かなり単純な
対応をしているというふうに思います。
そうすると、結局、私たちの思いは間違いじゃないんですけれども、結果どうなるかというと、無責任な
若者を増やしていくだけ。だって、おれが好きで決めたことじゃないんだというふうに必ず反論します。それから、受け身の
子供をつくっていくんじゃないかというような不安ですね。
それからもう
一つ、
少子化による親たちの過剰期待と
子育て責任の重圧が掛かっていくという問題があります。これは、
少子化の中で端的に、先ほどこれも無
藤参考人からありましたけれども、出てきていると。特に、失敗をさせてはならないという思いを物すごく親たち今持っているんですね。それにしてはうまくやってないじゃないかという御批判もあるかと思うんですが、主観的には一生懸命です、親たちは。それから、そういうのが
子供たちに、良い子ストレスと私たちは呼んでいますけれども、ストレス、ストレッサーになっていっているという問題ですね。
それで、これは去年の十二月に発表されましたけれども、文科省の研究助成を受けて北海道大学の医学部の先生がされた
調査研究で、うつ病が小
中学生で一三%と、八人に一人という数字が出てきています。政府がうつ病の
調査をしなきゃならないような事態に入っているという問題ですね。
学力低下を防ごうというお気持ちは有り難いんですけれども、方向を間違っちゃうとうつ病を増加さしていくような
状況という、抑うつ
傾向ですね、抑うつ
傾向が一三%。それから、今、
子供たちの安全が不安になっていますから、道徳教育とかセキュリティーの強化とか、いろんなことが言われていますけれども、かなり対症療法であるということですね、実効性に疑問があると。
それから教育改革、形を変えていくというところに今重点が置かれています。今の文科省の教育改革の目玉は教育の
構造改革ですので、
構造を変えるところで、形の変えるというところで各地方は入っていますので、相当親たちが右往左往して翻弄されているようなところがあります。
じゃ、四番目ですけれども、
子供と
子育てに希望を抱くためにはどうするのかという問題です。これも無
藤参考人と重なることが多いんですが、自己肯定心情の問題ですね。ここのところを私はもっとストレートに、いかにはぐくんでいくのかという点で
報告したいと思うんですけれども、ここの拡大の問題というのがもっと徹底されなけりゃならないというふうに私は思っています。
例えば、それが
社会政策としてとらえたときには、だれもが安心できる
生活あるいは
社会、
地域づくりということが問題になってくるだろうと。それについては、このたびの新新エンゼルプランと呼ばれるのが極めて僕は大胆で、本当に実行されればすばらしいなという感じがしていますけれども、これを本当に行政とかあるいは
企業努力で実行されていってほしいというふうに思います。それから
地域づくりも、新たなネットワークをどうつくっていくのかというのは極めて大胆な提言されていますけれども、これなんかも今
地域で随分、先ほど関西の方の
報告もありましたけれども、そんなんで随分あちこちでできてきました。これがどんどん広がっていけばいいなと思っています。
それから次ちょっと飛ばしまして、
若者の自立、それから就業
支援の拡大の問題ですね。これも、
若者のジョブサポートをあちこちで展開され始めましたけれども、その効果を出しているところとそうでもないところ、開店休業とまでは言いませんけれども、落差がはっきりしてきています。どこが違うのかといいますと、やっぱり
若者が参加しているかというところですね。
若者に
意見を聴き、
若者が運営
委員に入ってきたりとか、
若者が、職を得た
若者がまだフリーターの
若者を応援するだとか、そこのところが
一つのポイントだというふうに思います。
ちょっと時間が来ましたので、二枚目、ちょっと大急ぎで。
それから、これも無藤
委員の方からありましたので省略します、メディアの役割の問題ですね。
学校とか教育政策のところではやっぱり質の問題というのが重視されてしかるべきだろうと、
少子化の中でそれを長所として生かせばですね。ポイントだけ言いますと、少人数学級を、やっぱり今この
状況だからこそ、例えば二十五人学級をやるべきだろうというふうに私は思っています。
それから、あとは、キャリア教育元年というので、二〇〇四年度、文科省、去年ですね、キャリア教育元年というのでキャリア教育にうんと重点入れ始めましたけれども、これを本当に
全国の小中高に行き渡らせてほしいなということを思っています。
それから、あとは、小中高を貫く保育実習とか保育体験、これが物すごく効果が大きいということが明らかになってきました。保育実習を是非もっと拡大してほしいと。
それから、あと、父母、
子供、住民参加の大胆な拡大、これは今政府の方ではコミュニティ・スクールという言い方されていますけれども、僕は逆転してスクールコミュニティーと呼んでいますけれども、
学校にコミュニティーをどうつくるのかというところで
考えていくと。
それからもう
一つは、
成果主義に基づく競争万能
傾向というのが非常に激しくなっていて、今東京なんかはこれ激しいんですが、いろんな矛盾が出てきています。この競争が万能というのを、競争すべてがいけないわけではありませんけれども、教育の領域は非常に慎重にならなきゃいけないところがありまして、二極分化が、
学力だけじゃなくて
生活や意欲のところまで完全な
日本は二極分化の
子供の
状況に入ってきました。
それから、児童生徒参加をいかに拡大していくのかと。これは二つのメリットがあります。
一つは
子供たちに自己責任感というのを形成していくという問題、それから今回の大きなテーマです自己肯定心情も同時にはぐくんでいくという問題ですね。私たち
大人と
子供がパートナーシップを営みながら、
学校や
地域やあるいは
日本の国づくりにどういうふうに挑んでいけるのかということがあると思います。
最後、ちょっと残りましたけれども、省略させていただきます。
以上です。