○前田武
志君 民主党・新緑風会の前田武志でございます。今議題になっております
都市再生について質問をさせていただきます。
国土交通省、政府の方からいろいろ資料をいただいているわけですが、今回はまち
再生丸ごと総合
支援と、こういうことになっておりまして、先ほど来同僚
議員の
質疑の中にありましたように、
市町村の
創意工夫、民間の
資金、ノウハウを
活用した
まちづくり支援と、こういうことでございます。
中身については大体各同僚
議員の
お話とダブってくるかと思うもんですから、なるべく見方を変えて
質疑をさせていただきたいと思うわけでございますが、多少
地元のことに関連付けて、まずは冒頭、私の
まちづくりの感慨みたいなものを申し上げますと、私は今、奈良県の橿原市というところに住まいをしております。橿原市といいますと、神武天皇が御即位なされたまさしく歴史発祥の地であるわけですが、片一方で奈良県の副県都と言われるぐらい、奈良県というのは県都奈良市が京都府との境にありまして北に寄っているもんですから、この橿原市が副県都の
役割を果たしております。
交通の結節点でもあるんですね。近鉄の名古屋、伊勢等から来る本線と、そして京都、奈良、橿原、吉野に行く線がクロスしている。大阪から、都心の難波から三十分といったような
土地にあります。しかし、
道路は悪いんですね。ちょっと横にそれますが、京奈和
道路を大いにやってもらわにゃいかぬのですが、京都、奈良、和歌山のこの背骨、できておりませんから、ひとつこれ
大臣、ひとつよろしく頼みますよ。
実は、この橿原市に今井町という非常に古い町がございます。近世の環濠
都市なんですね。海の堺、陸の今井と、こう言われました。海の堺は
大臣、
北側大臣の
地元でございます。ちょっと信長さんと折り合いが悪かったり、それから戦災を受けたりして、今はまあ恐らく当時の面影はほとんどないんだろうと思うんですね。陸の今井の方は、当時大和の富をすべて集めるというぐらい発展した寺内町なんですね。浄土寺の寺内町ですが、実はこれが信長さんともうまく折り合いを付けまして、浄土宗ですから戦っていたんですよ。当時大和にはなかなか大政治家がおったんですね、最近はどうか知りませんが。信長さんとちゃんと折り合いを付けまして、その町が今に至るに、人が住まい、大きな
活動をしてて残っているんですね。
戦後、
都市計画がどんどん進む中で、確かに不便になってきて一時停滞したことがあるんですが、国土総合
開発事業調整費調査なんかを入れまして、今や近世の町がよみがえっておりまして、町ごと重要文化財というような感じでございます。非常に風格のある環濠
都市、個々の家なんかも数十軒重文に
指定されているぐらいのすばらしい町で、観光客も随分参っております。
言いたいのは、やっぱり
まちづくりというのは、その当時から、
経済的、社会的な背景の中で
住民が寄ってきて、そしてその中で本当にやる気のある
まちづくりを自らやっていくと、これはまさしく自治
都市であったわけなんですが、すばらしい町をつくっている。お上に頼ったわけじゃないんですね、税金に頼ったわけでもないんですね。自ら富を集めて、すばらしい町をつくってそれが今に実は生きているわけなんです。
八木駅というこの、副県都の一番のかなめになる特急も止まる駅がありますが、そこから歩いて十分も掛からぬところです。ところが、その駅降りた、八木駅のその目の前が、これ何十年掛かっても町がなかなか
再生されないんですよ。公がかかわっているんですね。市が一生懸命やる、県も後押しする、国も後押し。しかし、一向に進みません。
公共が入っても、本当にその
地元、そして
地方自治体、すべてがかみ合ってその気にならないと、うまくいかない典型的な二つの例がまさしくこの
地元にあるというようなことを御紹介をしながら、
まちづくりそのものは、自分たちの
生活の基盤といいますか舞台であると思います。老いも若きも女性もすべて、子供たちも、自分たちの人生の舞台といいますか、人生いろんなことをやっていく、その人生の自己実現の舞台が町であると思うんですが、それだけにこの
まちづくりというのは、多くのそういう
地元の方々、そして外からもどんどん魅力を感じて来るというようなものになっていこうとすると、すべての知恵を結集して、そして気持ちを結集してやっていかないと実現しないと思います。まさしく
まちづくりというものは歴史であり、そして現実の自分たちの
生活であり、その舞台であり、そして次の世代の人たちに引き継いでいく大きな魅力を抱かせる未来であると思うんですね。
そんなことを感じながら、確かに今の時代というのは、人口減少時代に入りましたし、それは当然
高齢化である、そして子供が少なくなった、そういう中で、町でバランス良く、子供たちも、そして若い人たちも働く、お年寄りたちが非常にこの町、自分たちのふるさとに魅力を感じて日常
生活ができるそういう町にして、こういう、この本案が大きな議題になっているということは、そういうことが実現されていない。いやいや、逆に、戦後の
まちづくりの中でむしろばらばらになってきたのではないか。
ニュータウンなんというのはどんどん造りましたが、これも今空洞化しております。
中心市街地の空洞化、非常にこれまた大きな問題でありますね。そして、先ほど来の
議論のように、
中心市街地の空洞化でございます。大きな社会的な、あるいはグローバル化した中で、市場ということになってくると、世界とツーツーになっておりますものですから、そんなことも背景に入れながら、いよいよ
まちづくり、この市場化を進めていく段階になって今回の提案になってきたのかなと、こんなふうに考えております。
そこで、前置きが長くなりましたが、そんな私の感想も前提にして、
北側大臣から、今までの、
施策としていろんなことを打ってきたわけでございますが、これまでの
まちづくりの
政策全般について、
都市が抱える、具体的にはこういうところが一番問題なんだというようなことも含めまして、歴史的な経緯を総括してお述べいただきたいと思います。