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参考人(
国分良成君) どうもありがとうございます。ただいま御紹介をいただきました
慶應義塾大学の
国分でございます。
本日、国際問題に関する
調査会にお招きをいただきまして非常に光栄に思っておりますし、また非常に重責であるというふうに強く感じているわけであります。と申しますのは、
日中関係が非常に複雑な様相を呈しております。そうした中で、我々は一体
日本として
中国とどう付き合っていくのかというのは非常に重要な段階に差し掛かっているというふうに思います。そういう
意味では、こうした機会を与えてくださったことを厚くお礼申し上げたいというふうに思います。
お配りいたしました
レジュメは、ゆっくりお話しいたしますと三時間ぐらい掛かりますので、三十分ということですので、本日は、とはいいましても四時までの長丁場でございますので、かいつまんでまず私の
ポイントをお話しして、後の
質疑応答の中で、またこの
レジュメにかかわることについては触れることになろうかというふうに思います。
私は、今の
日中関係がいいのか悪いのかと、まあこれは非常に主観的な
判断になるわけでありますけれども、一般的にはとにかく悪いという、こうした評価になっているわけであります。それはどこを指して悪いのかということになるわけでありますが、具体的な大きな問題が今あって大変なことになっていると言えば、もちろんそれを挙げることは可能でありますけれども、また別の
側面では、
日本にとって
中国が
最大の
貿易パートナーになった。
世界の中で
アメリカを抜いて
中国が
最大の
貿易相手国になったと。
中国から見てみると
日本は上から三番目であると、こういう構図ができ上がってまいりました。
日本の今の
景気の
回復も当然
中国との
貿易が
関係しているわけでありまして、その今申し上げた
貿易の増大ということで増えているのは
輸出でありますから、現在
中国に対する
輸出の方が多くなっているわけであります。という
意味で
日本の
景気回復に大きな
意味を持っている。
そういう
意味では、
日中関係は
経済の
側面あるいは文化的な
側面、
様々交流を重ねているわけでありますけれども、しかし、今いわゆる
国民感情というような
テーマが出てきておりますが、つまり
日中関係というものが非常にこうぎくしゃくとしたものになってきているということであります。それを今日は御説明申し上げるということで、一応ここにお話ししたいことはもうすべて網羅しているわけであります。つまり、
日中関係の
構造全体をお話しして、一体どういうことなのかということであります。
私の
結論は、
日中関係はしばしば
靖国の問題ですとかこういうことで
議論されるわけでありますけれども、もう少し
構造的な問題があるんだというふうに私は思っております。
日中関係そのものが大きく今転換期を迎えつつあるというところで新しい形の
関係の
構造が見付からないということだと思っています。それは、一九七二年にできたこの
日中関係の新しい形が、それが、そのときでき上がった枠組みが現在ではかなり
構造的に現状に合わなくなっている、こういうことを私は申し上げたいわけであります。
したがいまして、私の本当の
意味の
結論は、恐らくこれは長期的に構えなければいけない、そういう
テーマであるというふうに思っております。恐らく今日あしたで解決する
テーマではありませんし、恐らく
首脳交流があればあったにこしたことはありません。もちろんこれは望ましいことでありますが、それによって恐らくある程度の緩和はできるでしょう。しかし、もう少し長期的に構えていかないといけないという部分についてもお話ししてみたいと思います。
日中関係が今どういう状態にあるかということ、
日中関係が非常に悪いというのは、これは我々の
認識でもそうでありますけれども、しかし
世界じゅうがこれをほぼ常識化してきているということですね。つまり、
世界がこの数年、どの雑誌どの新聞でも
日中関係はもうどうしようもなく悪いということを特集で組んできたわけであります。それがもう疲れて、最近ではほとんどそのような記事すら出なくなったというのが
日中関係の今の
世界における
位置付けだと思います。
日中関係は恐らくもう当分改善しないのではないかという、そうした見方がかなり
世界では強くなってまいりました。
起こっている現象は、言うまでもなく
中国の台頭ということであります。
中国の
存在感が日に日に大きくなってきていると。その中で
日本が
中国と
様々その対立を起こしているということが一体どういうふうに
世界から映るかということ、これもやはり我々にとっては気になるところであります。
日本自体が今
世界的な
存在感というところにおいて
様々議論があるところであります。そういう
意味でいきますと、その
中国との
様々なあつれきみたいなものがどう映っているかということもやはり考えなければいけないというふうに思っておりますので、
世界で特集されるそういうものを見ていきますと、そろそろこうした
状況を卒業していかなければならないと私は思っています。
しかし、
日中関係は非常に複雑だというのは、それぞれの内政と密接に結び付いているというのが、「はじめに」に書いてある、つまり「
日中関係と
小泉政権」であります。今では、例えば
靖国に参拝するしないということについては、
アンケート調査を見ますと大体もう半々かあるいはもう行ってもいいということの方が多いかと思います。で、その
中国がこれに対して
様々言ってくること、これに応ずるべきだという人はほとんどいないわけであります。つまり、
中国が言ってくるということに対して、我々はこれはやっぱり我々の問題であるということでもって対応する、そういう傾向が強いわけでありますから、つまりこの
問題そのものも、かなり
小泉政権あるいはこうした
日本の
政局あるいは
政治的現実、そういうものと非常に密接に結び付いているという、そういう事実があるわけであります。
同じことは実は
中国にも言えるわけでありまして、
胡錦濤政権も私の見るところまだそれほど盤石ではありません。まだまだ党内にはいろんな勢力がおりますし、同時に
中国の
政治そのものが極めて多元化していて、そしていろいろな
利益集団が出てきているわけであります。軍の
発言力もかなりあると。そうなってまいりますと、
胡錦濤政権自体が安易にその
発言をすることもできないという
現実があるわけでありまして、つまり、
日本と親しくし過ぎること、あるいは親日という
言葉の
意味、これが
中国においてはかなりネガティブになりつつあるわけですね。そうなってまいりますと、
胡錦濤政権が
幾ら日本とうまくやりたいと思っても、それを強調し過ぎるとかえって
国内において問題を起こすという、こういう
現実があるわけであります。したがいまして、
国内の
政局あるいは
政治的現実と
日中関係が密接に結び付いている結果として、簡単にはこの
日中関係だけの問題として考えられなくなってきたという、そういう問題があるわけであります。
そこから後、私が出してきている項目はすべて
一つ一つが大事な
テーマでありまして、これ
自体でとても何分かでお話しできることではありません。
結論だけ申し上げていきたいと思います。
まず、
相互イメージということ、つまり
お互いが
お互いをどういうふうに
認識し合っているかということであります。これについては、皆様にお配りした資料の
イメージ調査のところをごらんいただければお分かりかと思います。
中国に対する
親近感、
日本と
中国の
関係をどう思うかと。これは内閣府の昨年秋の
調査であります。これがもちろんニュースになったわけでありまして、
日本の対
中国観は非常に悪化しているということがあります。これはちょうど
アジアカップのサッカー、あれがあった後の、すぐ後の
調査でありますので、非常に
親近感が落ちるという、そんな
現実があるわけです。それから、
日中関係がいいか悪いかということについても、非常に良くないというのが多いわけであります。
ただ、この
親近感の数字をどう
判断するかということになるわけですが、
日中関係だけで考えてみますと、これは
昭和五十五年がピークであります。
昭和五十五年と申しますと、一九八〇年。一九八〇年に
中国の
イメージが最も良かった。この年は
アメリカを抜いております。それだけの
関係がどうしてできたのかということでありますけれども、当時、直接
投資はほとんど少額しかない、人の
接触も非常に少ない。つまり、そのときあった
日中関係というのは非常に薄いものでありました。しかし、
イメージだけは先行したということは、つまり実態が伴っていないということであります。そのときの
様々な
テレビ番組であるとか、あるいはパンダが影響したとか、いろいろありますけれども、結局のところ、そこにあったのは直接的な
接触ではなかった。それが
接触が増えていくに従って徐々に
イメージが悪化するという、そういう
現実があるわけであります。
その転換になったのが、これが
平成元年十月、
天安門事件の直後であります。
天安門事件から急激に
現実の
中国を見たということになったわけでありまして、つまり、
中国との
接触という点でいきますと、一番増えたのは一九九〇年代であります。直接
投資、
貿易あるいは人の
交流、これは飛躍的に伸びたのは一九九〇年代でありますから、その
接触を繰り返すことによって
中国が理解できなくなってきたということに、これが象徴的に表れているわけであります。
ということで、私が申し上げたいのは、
接触が増大し
相互依存が拡大すればするほど、
お互いの
認識、この場合
中国は一体どうなのかというのがその次に書いてあるわけですが、ただ、その前に、今ある
中国についての像ということになりますと、
中国が台頭し、軍事的にも台頭し、
中国は
日本を凌駕するという、そんなような一種の
脅威感みたいなもの、あるいは
中国の
政治はよく分からない、不透明だというようなこと、あるいは
犯罪が増加している、これはもう
中国人の
犯罪が増加している、これによって非常に
恐怖感がある。こんなようないろいろな
イメージみたいなものが重層的に重なってきているというのは、これは
つまり接触が増えた結果という、そういう皮肉な結果もあるわけであります。
中国の対
日イメージも、もう実は、悪化しているというよりは実は
調査はほとんどないわけでありまして、
調査があるのは一九九〇年代に入ってからであります。一九九〇年代も後半に入って、というよりは、ほとんどあるのは散発的にあるだけでありまして、いわゆる
国民感情という
概念そのものが最近のことであります。つまり、
中国人にとっての
日本というのは、基本的には、これはまあ
中国人というよりは
中国指導者が基本的に対
日政策をすべて運用してきたわけでありますから、一人一人の対
日観がどうであるというようなところにまでは実はいっていなかったわけであります。
それが
中国自身が社会的に多元化し、あるいは
インターネットで声が大きくなり、そういう
時代の中で
国民感情という、
括弧付きでありますけれども、つまり
インターネットでかなり騒いでいるような言論がこれが世論かということになってまいりますと、これまたおかしいわけでありますので、そういう
意味では
括弧付きの
国民感情でありますけれども、そういう
状況なんだということ。
ただ、
中国のもう少し丁寧に最近の
アンケート調査を見てみますと、確かに
イメージは良くないかもしれないけれども、しかし例えば、
日本と聞いて何を思い出すかというときに連想するものが、それが桜であったり
富士山であったり、もちろん
日本の
中国侵略、こんなのも入ってまいりますけれども、むしろ多いのが桜であったり
富士山であったりという形で、非常に古い
イメージのままで動いていないという、こういう
現実もあるわけであります。
ということは、つまり、
日本に対する関心も正直なところどれだけあるのかということになりますけれども、同時に、
日本に対する理解も非常に浅いということになるわけでありまして、そういう
意味では、
お互いに
接触が増えて、そのことによって
お互いが理解できなくなってきているという、そういう
状況があるということをまず御理解いただきたい。
そこには、私は、二番目のところに書いてございます七二年
体制というものが大きく変わってきている、しかしながら、その新しい姿が見えてこないということであります。その一九七二年
体制と私が呼ぶものは、そこに書いてございます四つの要因を持っているわけであります。
まず第一には、
国際秩序が変わったと。
国際秩序が変わったというのは、一九八〇年代は
中国に対する
イメージが非常に良かった。
中国は
国防費も増大させるし、あるいは
核実験もやるし、人権もかなり問題が多かった。しかし、当時は
ソ連というものがより
日本にとっての大きな
対抗目標でありました。同時に、
アメリカとの
関係においても、
アメリカは
中国に対して武器を売却するというのが八〇年代であります。
天安門事件以降、これを停止しておりますけれども、八〇年代はかなりの
軍事協力をいたしました。そういう
米中関係、これは
ソ連を
対抗目標にしていたということになるわけです。
つまり、
ソ連が崩壊し、
冷戦がすべてこの
地域で消滅していくというプロセスかと思ったんですが、もちろん
冷戦は完全にはまだこの
地域では終結しておりませんけれども、いずれにしても
中国の
存在感が際立ってきたと。つまり、
台湾海峡危機などあり、
中国脅威論などが生まれ、つまり
ソ連の後、この
日米中関係というものが非常に不安定になってきたと。
つまり、八〇年代までは
日米中関係は非常に安定していたと、これは
軍事協力までやっていたわけでありますから。それが結局のところ、
構造が崩れてきた。つまり、
中国をどう
認識するかというのが第二番目であります。
つまり、七二年
体制の下では、
中国が閉鎖的な
体制に戻っては困る、文化大革命のようなああいう
中国では困る、
中国を
国際社会に引き上げることによって、そして
中国が後戻りしないようにするというのが七二年
体制の合意でありました。つまり、
中国を
近代化路線に持っていくと。その
背景から実は
日本のODAがスタートしているわけです。これは
大平政権のときでありますけれども、つまり
中国をいかに
向こう側に持っていかせないかということが
判断の一番強い
背景にあったわけであります。
それが
中国が八〇年代、
計画経済か
市場経済かで大論争をやり、そして行きつ戻りつやりながら
天安門事件を経た。
ソ連が崩壊したという瞬間から
中国はすべて切って、
市場経済路線、つまり
経済さえやれば国は安定するということになったわけであります。これは
トウ小平さんの決断だったわけでありまして、つまり
中国の
位置付けというものが
天安門事件を経ても我々は基本的には変わっていません。つまり、
中国が後戻りしては困るということ。そして、つい最近までWTOの加盟というものまで
中国を後押ししてきた。これはつまり
中国というものを
市場経済あるいは我々の側に引き止めておくという、こういう作業だったわけであります。
それが
中国が、特にこの九〇年代の後半以降あるいは二〇〇〇年代に入ってからと言ってもよろしいかもしれませんが、
経済成長してきたと、物すごい台頭してきたということであります。もちろん、今でも
中国の
GDPは
日本の
GDPに比べれば三分の一ぐらいであります。よく
中国では言いますけれども、十三億掛けると数が大き過ぎると。十三億で割ると数がちっちゃ過ぎると。そう考えますと、
中国の
GDPというものをどう考えるかというのは、これは
日本との
単純比較は成り立たないというふうに思いますけれども、いずれにしても、
中国をどう
位置付けるのかという、そういう
テーマであります。
そのときに
世代の
交代が起こっているということですね。これは恐らく政界もそうだと思いますし、
研究者の
世界もそうだと思います。あるいはビジネスの
世界もそうでしょう。かつては
戦争を二度と起こさないというところで、
友好という
言葉のこの効力があったわけであります。それによって、
日中友好ということでその
関係はどうにかしようと。しかしながら、今はもう
世代交代が完全に進んだわけでありまして、よりリアルな
関係になってきていると。しかも、
戦争からかなり時間もたっている。
戦争を経験した人はもうほとんど今の
一線級にはいないということになってまいりますと、その問題がかなり薄れていくわけでありますけれども、しかし
中国共産党から見ますと、
中国共産党の正に独立の論理、あるいは中華人民共和国の
国是そのものが
抗日戦争に
関係してまいりますから、これを忘れるわけにはいかないと。こうした
世代の
交代という
ポイントも
一つ大きな分かれ目になるでしょう。
もう
一つは、
台湾問題であります。
台湾問題も、かつては
台湾というのが実質的に
国民党の一
党独裁政権であり、かつての
台湾と今の
台湾はもう全く違う
台湾になってきたわけであります。それは一九八〇年代の後半以降、急激な
民主化を遂げたわけでありまして、そして昔の
国民党はもう既に
政権を下野しているわけであります。そして、今やだんだんと
少数政党になってきているという
現実があるわけでありまして、となってまいりますと、
台湾というものも七二年
体制とは全く変わってしまって、つまり、
台湾との
関係については、
一つの
中国をこれを変えないということは、ここの原則は変わらないわけでありますけれども、しかしながら
台湾そのものが変わってしまった。
台湾住民の意思をどう評価するのかということであります。
というようなことで、私が申し上げたいのは、七二年
体制がこれだけ大きく変わってきたということ。ですから、この新しい
構造をどう作り上げていくかということの
ポイントは、恐らく新しい
世代になってきた、そのときに
中国を我々はどうとらえていくかと。
中国ももちろん
日本をどう見るかということをきちんとやってもらわなければならないということだろうというふうに思うわけであります。
争点につきましては整理してあるだけでございますので、簡単に
一言だけ、
一言、二言で整理していきたいと思いますが、歴史問題は御承知のとおりであります。教科書問題、
靖国問題あるいはその賠償の問題、それから
様々、閣僚による
不規則発言とか、まあそんなことが歴史の問題に関連してはこれまであったということを申し上げたいわけであります。
今では
靖国の問題が最も大きな
テーマになってきておりますけれども、
中国自身もこれについては
様々、
内部で
議論があります。
内部で
議論があるというのは、つまり
外交部もかなり今、
中国の中では苦しい
状況にありますので、かなりその
外交部そのものが
インターネット上でたたかれるという
現実はあるわけでありますから。
外交部自体もそんなに
日本に対して甘くはできないという部分もあるわけでありますが、その
靖国の問題に関しても、つい最近、胡錦濤氏とそれから小泉首相との会談がございましたけれども、チリでございました、APECで。そのときに、胡錦濤氏が若干
発言を加えたのは、それは、
日本の兵士も含む、一般兵士を含む、その
日本人民も犠牲者であると。そういう言い方をしたのは多分初めてだろうというふうに思いますけれども。
そういう形で
中国自身も非常に
議論があって、この問題だけで拘泥している、このようなことによって
関係が進まないということには問題があるということは
認識があるようでありますが、ただ、先ほどから申し上げているように、これ
自体がもうシンボル化しておりますので、
日本でも
中国でもこの問題を譲歩できないという
国内的な事情ができ上がってしまったと、ここからいかにこう脱出するかということが非常に難しくなってきているという、そういう事実があるわけであります。
台湾問題については、これも過去いろんなことがございました。七〇年代の日中航空協定の問題から光華寮裁判の問題、あるいは李登輝総統の、前総統ですね、これは。前総統の訪日問題というような問題がありました。この李登輝前総統の訪日もつい最近またありましたけれども、ただ、まあこの辺も、どうしてこんなに大きく取り上げられたのかというのも何となくよく分からないんですけれども。辞められた方ですから、ほぼ特に問題はないと思いますけれども。
このことも、ただ
中国の、例えば陳水扁氏が、陳水扁現職の総統がつい最近もグアム島に立ち寄っているわけですよね。あるいは昨年夏もシアトルに立ち寄ったりしているわけですよね。そして南米に行ったりしているわけです。つまり、
アメリカに立ち寄っているわけですよね。ところが、
中国の反応はゼロでありますし、もちろん
アメリカのメディアもゼロです、書くのは。全く書いていません。ですから、だれも知らないんですけれども。しかし、
現実には現職の総統が
アメリカに立ち寄っているわけで、特に最近はグアムに立ち寄っているわけですけれども。もちろん
アメリカの国務省と
中国ではかなりやり合ったと言われていますけれども、しかしほとんど問題になっていないわけですね。
前総統がどうしてこんなに問題になる。もちろんメディアが書くということはあります。そうなると、どうしても対抗し出すというのもあるわけですけれども、そういうようなちょっとアンバランスな
状況が生まれていると。また、いろんな問題に過敏になり過ぎるというところも
お互いにあるという感じがするわけであります。
ですから、
アメリカに対しては非常に今、何といいますか、ソフトな政策、非常に柔らかい政策を取るというのが基本方針でありますから、これはいろんな
背景ありますけれども、今日お話ししている余裕はありませんが、まあそんなことであります。
いずれにしても、この
台湾問題というのは今後も
様々に揺れる可能性があるということはありますが、ただ、今
台湾の動きを実質的にブッシュ
政権が抑えてくれているという
現実がありますので、
中国にとっていいますと、ブッシュ
政権を基本的に支持するということで、ブッシュ再選を実質的には喜んだというのが
中国の対応だったわけであります。それは、
台湾を
中国が抑えようとすると
中国脅威論が生まれると。それを今、イラク問題、テロの問題で忙しい
アメリカにとってはこれ以上問題を付け加えられたら困るということでありますから、
台湾が余りにその独立傾向を強めることに対してブッシュさんが結構クレームを言うという
現実があるわけであります。
そのほかにも
様々ありますけれども、これは時間の
関係で一応割愛させていただきますけれども、まあ基本的にはよく言われるように、歴史と
台湾ということになるのかもしれません。
日中関係の現状については、ここに書いてございますように、いろんな問題があります。その問題を挙げますと、ここに書いてございますように、ありますけれども、特に最近では、
アジアカップでの反日の行動とか、そういうことがありましたけれども、ただ、まあそれも全体の中でどうとらえるかということが大事でありますし、それから、同じ重慶でその直後に今度は社会不満の暴動が何万人規模で発生しているわけですね。今ではもう
中国で社会不安による暴動はもう至るところで起きているわけであります。
そういう点で考えますと、まあ
一つのいい契機になって、
日本というところで
一つターゲットになってしまったということかなというふうに思うわけであります。そういうことで、ただ単に反日だけではない、その背後にもいろいろなことがあるだろうなというふうには思います。
ただ、
中国はイラクの自衛隊の派遣に関しては
一言もまだ非難をしてこないという、そういう
現実がずっと続いておりますし、できるだけ最近は
テーマを抑えるということは続いております。最近は、どうも私の見るところ、
日本に対する論評そのものを控えると。つまり、
日本とかかわり合い過ぎて、
日本のことは関心はあるけれども、今やり過ぎて逆に国の中で非常に苦しい立場に置かれるというのも困りますから、どうも
日本問題をちょっと距離を置いているという感じがいたします。ですから論評そのものが減ってきておりますし、ただ、出てきている
様々な公式の記事は比較的、対日、今ソフトなものが多いということが言えるのかなというふうに思います。
ただ、いずれにしても、根底的には問題がありますし、その「その他」に書いてございます東シナ海の海洋資源の問題、これももちろん二〇〇〇年から始まっているわけでありますから、今騒いでおりますけれども、今
お互い大きな問題になりましたけれども、
現実には恐らく二〇〇〇年から起こってもよかったわけですが、こういう問題ですとか、原子力潜水艦の問題、これもどうしてこの時期に、しかも胡錦濤氏とそれから小泉首相がチリで会見をするという直前に何でこんなことをしたのかということ。それはつまり、胡錦濤氏はほとんど把握していなかったというのが
現実だろうというふうに思います。
そういうことを考えていくと、
中国の政策決定の中もかなり揺れている。シベリアのパイプライン等の問題については、また質問がございましたら後ほどお答えしたいと思います。
いずれにしても、最後にまとめとして申し上げたいのは、とにかく対中戦略といいますか、
中国とどう付き合うのかということの腰をとにかくしっかりと固めないといけないということであって、これは恐らく短期的にはできはしないだろうということであります。
我々
中国研究やってきたような人間にとってみますと、二十年も三十年も
中国を見てまいりますと、
中国との付き合い方、あるいは
中国をどう見るかというのが大体分かってまいりますけれども、先ほどの
アンケート調査を見ても分かりますように、つまり
中国をどう理解するかというのは簡単なことではありません。その時間が恐らく必要であるということはそのとおりでありますし、そのために研究基盤、
中国研究そのものももう少しやはりしっかりと作っていかなければならない。これは恐らくアジア戦略という、あるいはアジアとの付き合い方の問題、その辺に大きくかかわってくるというふうにも思います。
二十一世紀委員会というのがございますが、ここで日中共同基金というのを提案いたしました。これ
自体が今かなり前に進みつつありますので、こうしたことは、これは共同基金でございますので
日本だけが出すわけではなくて、
日本と
中国で出し合ってその共同基金を作り、共同の研究であるとかあるいは
交流の
一つの柱にするということであります。
あとは人的なネットワークであります。その人的なネットワークは、正直申しますと、私は、
経済界ではもちろん今、
中国との
交流の中で大変なことになったり、もちろん問題もたくさん抱えながら、あるいは成功している人もいますけれども、いろいろあるわけであります。しかしながら、私が申し上げたいのは、そういう層、あるいは有識者、知識人のレベルもそうですけれども、かなりいろんなもうネットワークがあるわけであります。官僚レベルでもかなりあるかと思います。地方レベルもかなり
交流が盛んであります。そういう
意味では、是非トップの、
政治の
世界の正に最も重要な場面におられる皆様方の、何といいますか、
中国との付き合い方あるいは
交流というものをどうするかというそのネットワーク、これが非常に重要であるということを私は最後に申し上げておきたいというふうに思います。
以上で私のお話を、少しオーバーいたしましたが、終わります。