○山本孝史君 薬害エイズにしてもハンセンにしても何にしても、とにかく、被爆者もそうですけれ
ども、裁判を起こして裁判所の判断を求めないと国が動かないということですと、これは御存命のうちに問題は解決しません。そうではなくて、今
遺族会としても、あるいは戦争の未亡人あるいはその
遺族としても、いろいろよくお分かりの
尾辻さんが、しかもドミニカ移民の問題で日本の国策に鋭い批判をされてこられたそのお
立場におられる
尾辻厚生
大臣が、今あなたの
立場でやらなければだれがやるんですかと私は思うんです。だから、期待半分やっぱりここはちゃんとやるべきだと、こう
思います。
私も
平成五年に衆議院に初当選して、すぐその年の九月に中国残留婦人の皆さん十二人の成田強行帰国という問題がありまして、そのときに竹川英幸さんから「帰り道は遠かった」という本をいただきました。北満に置き去りにされて、三十年掛けて朝鮮半島を通じて自力で日本に帰ってこられて、ようやくお父さん、
お母さんと再会をされたという
お話。
そして、この間はまた私の手元に、これは中国残留孤児問題協議会の香山磐根理事長から「ああわが祖国よ」という本をいただきました。朝日新聞の大久保真紀さんが十五年近く中国残留婦人の問題を追い掛けられておられ、その皆さん方の今の
生活ぶりあるいは当時の御苦労を記されておられるわけですけれ
ども、その中に岡村清昭さんという方のことが紹介をされています。奈良県吉野郡大塔村の御出身。昭和二十年五月の二十七日、終戦の年の五月二十七日に大阪から船に乗って、六月六日に大塔開拓団の一員として入植をされた。九月七日の朝、青酸カリを飲んで百五十人以上が集団自決をしたとされています。当時十三歳の岡村さんにも親が青酸カリを口に含ませましたけれ
ども、一時間後に目が覚めた。青酸カリを吐いたらしいと。帰国後、家に火を付けて回った開拓団幹部は生きて帰ってきたことを知り、複雑な心境だった。そして、こう書いておられるんですね。こういうふうに
お話をしておられる。開拓団で青酸カリを飲んで生き残ったのは僕一人だ。神に守られたと思う。だが、兵隊
たちは少しずつ復員したのに、開拓団の人は帰るすべもなく殺されてしまった。しかも、生き残ったとしても恩給も何もない。だれが悪いのか分からないけれ
ども、余りにも不公平だと思う。私もそう
思います。
今の話を聞かれて、
尾辻大臣はどのようにこの岡村さんに声を掛けてくださいますか。