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浜四津敏子君 この五年間、本
調査会等で活発な
議論が行われ、また多くの識者の皆様から参考人として多方面にわたり有益な御
意見が展開されました。それらを学び、踏まえた上で、私見を述べさせていただきます。
私は、
憲法は時代や社会の変化、進展に応じて変えていいと思っております。不磨の大典ではない、その
意味で
見直しは当然あってよいと
考えております。
しかし、
憲法を見ればその国の姿が分かると言われるように、
憲法は端的に国の在り方、国の姿を示します。したがって、
憲法をどう変えるのか、その
方向性については、当然、これからのより良き
日本の国の姿を描きながら、それに沿った
改正がなされるべきことが求められます。
私は、これからの
日本が真の
民主主義国家へ、質の高い人権
国家へ、より成熟した
平和国家へと進むよう、その
方向を目指しての
改正を
考えるべきと思っております。言葉を換えれば、目指すべき
改正の
方向性は、
民主主義先進国、人権先進国、平和先進国であります。したがって、
現行憲法の
国民主権主義、
基本的人権の尊重、恒久
平和主義の三
原則は人類普遍の原理として将来ともに堅持し、より深化させ、成熟させ、発展させていくべきと
考えます。
なぜなら、
日本国憲法が目指す究極の目的は、個の尊厳、言葉を換えて言えば、すべての人の平和、幸福、そして人間の尊厳、生命の尊厳でありますが、これは人類英知の結晶であり、今後も永遠、不変の目的であります。
そして、この個の尊厳の実現を支える三本柱が平和、人権、
国民主権の三
原則であり、これらの三つは互いに密接不可分に
関連し合い、そのどれ一つを欠いても個の尊厳の実現が不可能となるからであります。そして、この三
原則をより良く深化、成熟させることにより、
日本はより人間の尊厳、生命の尊厳が尊重される真の人間主義
国家へと発展できるからであります。
この
憲法三
原則の堅持については、大方の党派、また
国民の大多数の合意もあると思っておりますが、ただし、三
原則といってもそれぞれの立場でその内容に差があることも事実です。特に、
平和主義については、一方には非武装的立場に立ち、
自衛隊違憲、したがって
自衛隊の海外派遣も反対との立場があり、他方、
自衛隊の存在を是とする側でも、国連の旗の下であれば
国際平和活動として
自衛隊の武力行使も容認されるべきとするいわゆる集団
安全保障への
参加容認の立場や、さらにまた、集団的
自衛権の行使も認められてしかるべきだとする立場もあるわけで、そこに大きな隔たりが存在いたします。
私は、
自衛権の裏付けとしての
自衛隊の存在は合憲であると
考えておりますし、また
憲法前文と九条の冒頭の一句、「
日本国民は、正義と
秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、」との条文からして、国連を軸とする
国際平和活動へ武力不行使を
前提として
自衛隊が非軍事、民生中心の活動に
参加することは当然認められると
考えております。
私は、
我が国の
国際的地位からしても、
我が国が
国際平和へ一定の
責務を果たすべきは当然のことと思います。特に、九・一一米同時多発テロ事件を境に、各国の平和観や
安全保障観が劇的に変化し、
国際テロに対する
国際社会の共同対処が求められる時代となっております。それだけに、従来、一部に見られた言葉だけで平和を唱え、一国平和に閉じこもる内向き、後ろ向きの姿勢ではとても
世界に通用しない、
世界に向けて
平和国家とは到底言えないことがより一層明白となってまいりました。
国といっても、
世界の中の一部であれば、一国だけが平和を守ろうとしても、
世界全体の平和を実現する中にしか各国の平和もあり得ないことは明らかであります。したがって、
国際平和の確立へ
世界とともに行動する
平和主義でなければ真の
平和主義とは言えないことは明らかでありますが、
国際平和への
責務をどこまで行うかについては
日本の将来像にかかわってまいります。
冒頭述べましたように、
日本が真の平和先進国となるためにとの視点からこの問題を
考えたいと思います。この点の具体的
検討は後述するとして、
憲法改正の在り方全般についてまず述べたいと思います。
私は、
現行憲法は、戦後
日本を誤らず、
平和国家、
民主主義国家をつくり、今日の
世界有数の繁栄を築いた源泉であり、よくできた優れた
憲法であると評価しており、まだ十分な有効性を保持していると思っております。したがって、その価値は今後も引き継がれるべきと思っております。その趣旨からして、
現行憲法の維持を基本としつつ、二十一
世紀を人権の
世紀、平和の
世紀、人道の
世紀、人間主義の
世紀へと深化させるための時代適合性などの
観点から、足らざるところ、不十分な部分を新たに付け加え、補っていけばよいとの加憲の方式がベターではないか、すなわち護憲的改憲のスタンスでよいのではないかと
考えております。
具体的に私が主に加憲の対象と
考えているのは、現
憲法制定時には想定されず、今日においてクローズアップされてきた課題、特に新しい人権と言われる
環境権、プライバシーの
権利あるいは知る
権利などであります。人権の
世紀と言われる二十一
世紀に入って、人権の実現こそ政治の目的であるとの認識が従来にも増して一般的になってきております。人間が人間らしく生きる人権の実現のためには、今日の時代要請に正しく適合する
憲法条項、すなわち
環境条項や個人の尊厳に基づく人格条項なりを確立する必要があると思っております。加憲の対象として、ほかには
地方分権の徹底、
私学助成の明確化などが
考えられます。
さらに、
憲法第九条につきまして、私どもの
党内でも、今のままでよいとする
意見のほかに、
現行の一項、二項はそのまま堅持し、新たに第三項を設ける、つまり加憲ということになりますが、そこに
自衛権と、その裏付けとしての
自衛隊の存在の明記並びに
国際平和活動への貢献ということも併せて
規定したらどうかという
議論もあります。
私の個人的
意見としては、九条は
現行規定を堅持した方がよいと
考えます。以下、その理由を述べます。
まず、九条一項の
戦争放棄、不戦条項の維持は当然であります。また、第二項の戦力不保持
規定についても、
自衛隊との関係が分かりにくいとの
意見もありますが、
自衛隊の存在については既に
国民的な合意があり、またその合憲論も政治的にはほぼ決着済みのことであります。したがって、あえて二項を
改正する
必要性はないと
考えます。二項を
改正することになると、むしろ内外に更なる
自衛力肥大化の懸念を生じさせるのではないかと
考えます。
また、
国際貢献についても、
現行憲法の下で
自衛隊がイラクまで派遣され、多国籍軍に協力し、人道復興支援を行っておりますが、この程度のことが現状の
日本のなし得る平和貢献の限度だと私は思います。現状の国連では、国連軍結成はまず困難で、多国籍軍編成が限度と思われますが、それへの
参加、協力は、
現行の
憲法解釈によって認められている、武力行使を伴わない、武力行使と一体化しない後方支援活動に限定すべきだと
考えます。それ以上の任務、
役割となる武力行使はやるべきでないと私は
考えます。多くの
国民の方々も許容しないだろうと思います。したがって、そのための九条
改正は必要ないと
考えます。
次に、集団的
自衛権の行使についてですが、私の個人的
見解ですが、解釈変更であれ、
憲法改正であれ、認めるべきでないと
考えております。
それは、仮にこれを認めるということになれば、これまでの専守防衛という立場から他国の
戦争に加担する立場へと、戦後
日本の国としての行き方を根本的に大変更していくことになるからであり、
国民の方々の理解も到底得られないだろうと思います。また、今日の
日本を取り巻く
国際状況が、近い将来も含め、集団的
自衛権の行使を必要とする情勢にあるとは思えません。集団的
自衛権については、そもそも何のために持つのか、持ったら何をするのかの
議論が不明確であります。
さらに、個別的
自衛権、集団的
自衛権の定義、範囲について洗い直しの
議論をすることが必要と
考えます。現状は、個別的
自衛権の範囲が狭く解釈され、集団的
自衛権の適用範囲が逆に広くとらえられているように見受けられます。集団的
自衛権とは異なる集団
安全保障体制については遠い将来のことと思われますが、国連常設軍の
設置という普遍的な集団
安全保障体制が確立されるに至ったときには、その本質はあくまで
国際公共活動、
国際警察行動と言うべきものであって、
現行憲法の
前文及び九条一項の
規定に照らし、その段階に至ったときには
日本としての
参加は
検討されていいとは思います。もちろん、その場合には
国民の方々の御
意見をしっかり伺わなくてはいけないと思っておりますが、ともかく今はそうした段階に到底至っていないと
考えております。
もう一点、加憲ということの妥当性について申し上げたいと思います。
憲法のような国の根本法の
改正に当たっては、多様な価値観が混在する
民主主義社会においては、一挙に
憲法を丸ごと変えるような抜本的
改正というのは一種の
革命にも似たやり方ではないかということで社会的なあつれき、摩擦もそれなりに大きいと予想され、現実問題としては難しいのではないかとの見方があります。その点から、漸進的な部分的な
改正、改革の方がベターではないかと言われております。実際、成熟した
民主主義社会と言われる欧米諸国では、
憲法については漸進的な加憲型
改正となっているという事実に注目すべきであります。英国は
憲法のない国と言われますが、もちろん
憲法的規律はあるわけで、それは加憲型となっていることは御承知のとおりであります。
憲法改正のためには党派を超えた多数の合意形成が不可欠ですが、当
参議院の
憲法調査会を見ても、党によって、また同じ
党内でも人によってその
発言には大きな隔たりがあるように思われます。その一事を見ても、各党間での合意形成は容易ではないと思われます。
国の根幹の法である
憲法という性格上、その取扱いには
国民大多数の理解を得る必要があります。そのためには、超党派的な幅広い合意形成を目指すべきだと
考えます。
憲法改正は多くの
国民に祝福される形で行われるべきだと思います。
国家の基本、根幹の問題で、国論を分裂させるような事態は避けるべきだと私は
考えます。
こうした制約と現実政治での合意形成の難しさ、そして成熟した
民主主義社会に近づきつつある
日本の現状を
考えると、加憲という手法こそ当を得たものではないかと思います。そして、それによりこの
日本を個の尊厳、すなわち生命の尊厳の実現を目的とした真の
民主主義国家、質の高い人権
国家、成熟した
平和国家としていくことを念願し、私の
意見陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。