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参考人(
多賀幹子君)
多賀でございます。
今日は、お招きいただきまして大変光栄に思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
早速ですけれ
ども、私の話は、
アメリカに一九八三年から八八年までおりましたことと、
イギリスに九五年から二〇〇一年までおりましたということを基に、そこで取材をしたり、あるいは
自分が実際に経験したというようなことを基に
お話ししてみたいと思います。
まず、
イギリスなんですけれ
ども、これは九五年から二〇〇一年まで
ロンドンに暮らしたわけですけれ
ども、そこで知ったことで、
女性の
学力上位ということが盛んに言われておりまして、
大変興味があると考えました。
三十六ページの、この緑の
関連資料の三十六ページの方に書いておりますけれ
ども、
イギリスの
義務教育といいますのは五歳から十六歳までで、少し
日本より長いんですね。そうすると、その十六歳が
義務教育終わりますので、この十六歳でGCSEという
義務教育修了試験というのがございます。これは全十六歳がやらなくてはいけない
全国共通の
試験なわけですね。これは、その結果が
男女別、
学校別や
科目別ということで、全部ガラス張りになっておりまして、親の
学校選択に役に立つというようなことでずっと行われているんですけれ
ども、これを見ますと、
女性が圧倒的にお
勉強ができるんですね。一般的に
男性の方が得意だと言われている算数、数学と理科ですね、化学とか物理といったようなものは、ちょっと前までは、確かに
男子生徒の方が
成績は上だったのですけれ
ども、これにおいても
女子生徒が抜き去りまして、全
科目において
女子学生のお
勉強が上と、
成績が上ということが出たわけですね。
それで、その差といいますか、
勉強の格差というものがどんどんどんどん縮まるどころか開いていっているわけですので、当時の全盲の
ブランケットという
教育相が、
男性の、
男子生徒の奮起をこれは何とか促したいということでやったことが
二つあります。
まず
一つは、
サッカー、フットボールが大変活発な国なんですけれ
ども、
男の子はとかくそういうものに
関心があるだろうから
勉強の教材に
サッカーなどを取り入れたらどうだろうと、
男の子の
関心が集まるんじゃないかということで、そういうものをどんどん取り入れなさいということを言いました。
それからもう
一つは、
小学校、
中学校に
男性の
教師をもっと入れたらどうだろうと。というのは、
日本もそうですけれ
ども、
イギリスは
小学校の
女性の
教師が九〇%に達しておりまして、
中学校は八〇ぐらいなんですけれ
ども、
小学校に行きますと圧倒的に
女性の
先生が教えてくださる。それで、またお
うちに帰りますと、非常に
イギリスという国は
離婚が多い国でして、ヨーロッパで一番
離婚率が高いんですね。四〇%を超えている。
ロンドン辺りだと五〇は行っているんじゃないかと言われているんですけれ
ども、そういったことで、
お母さんに育てられている
男の子というようなことが非常に多い。
お
うちに帰っても
お母さんですし、
学校に行っても女の
先生ということで、どうも
男の子に対して
男性の
大人のロール
モデルといいますか、非常に
男の子に適切なアドバイスを与える、こんな
大人の男になりたいと思わせる、何といいましょうか、お手本といいますか、そういった姿が
男の子に見えてないのではないかということで、当時の
ブランケット教育相は特に
小学校辺りに男の
先生を投入するということをやりまして、その結果はどうだったかというと、全く
成績は変わらなかったんですね。
効果がなかったんですね。
女の子はそのままもう突っ走るという
感じでですね。
そういうときに、十六歳という
年齢が問題になりまして、とかく女の方が、何といいますか、
成熟度が早いんじゃないかと、男の方がおくてじゃないかと。十六歳だからであって、その時期を過ぎればどうせ
男の子の方が抜き去るに違いないというような、十六歳という
年齢からくるものだろうというような
意見が出てきたんですが。
ではというと、
大学の
首席の数ですね、
大学首席を、
トップを取ったのはやはり
女の子の方が多いことが分かりまして、医学部というものに注目いたしますと
女子学生が六〇%を占めているわけですね。それから、
弁護士ですけれ
ども、二十代に限りますと
女性の数の方が
男子よりも多いと。二十代では
弁護士の数は
女性の方が多い。あるいは、
大学の
教授ですけれ
ども、
大学教授は
大学の男の
先生の方が多いんですけれ
ども、助
教授となりますと
男女がほぼ同数というような数字が出ておりまして、これは十六歳だから
女の子の方が先に行っているんじゃないかというようなことはどうも言えなくなりまして、じゃ、その
男の子の
意見はどうだといいますと、やっぱりよく
勉強するのは
女の子だよというような、もう
男の子が認めているんですね。ノートをしっかり取るとか、何かこつこつこつこつ
勉強をがりがりやっているのは
女の子の方で、もうこれはガールズパワーといいますか、そういうものが、歌手もいたんですけれ
ども、そういうようなものをもう認めようというようになってきたわけです。
そこで大きく問題になったのが、なぜ
女の子が
勉強が、
学力の
成績が上だとこんなに騒がなくちゃいけないのかという
意見だったんですね。これが、もし
男の子がはるかに
成績が良くて
女の子の方ができないとこんなにみんな騒いだだろうかと、
女の子が上だとどうしてこんなに問題になるんだろうというような
意見が働く母親の方から出てきまして、むしろ
男の子の方、そちらの方を底上げしてやるよりも、
教育界の
男女平等を、
教育界というのは
学校の
成績で出てくるわけですから非常にはっきりするわけです。それがむしろ
社会の中でも、それが生かされる
社会であるべきだと、
教育界の平等を
社会にこそ持っていくべきだというような発想の転換をすべきだという
意見が出てきまして、どうして
男性と
女性の賃金の差が、今
女性は八四%なんですけれ
ども、このように抑えられてなくちゃいけないのかと。
考えてみれば、サッチャーという
女性の首相は一九七九年に出ているわけなんですね。あるいは、
エリザベス女王、
女帝なんですけれ
ども、もう半世紀、
女帝を頂いているというような
社会で、
男の子の底上げよりも
女子の平等をむしろ
社会に持ってこようと、
教育界の平等を
社会にまで伸ばそうというようなことが今
イギリスの最先端で言われております。
次、ギャップイヤーなんですけれ
ども、これは二十六ページの方に書かせていただいたんですけれ
ども、ギャップイヤーというの、なかなか面白いなと思ったんですね。これは、高校を出まして
大学に大変な入学
試験頑張りまして合格したということが分かったときに、その
入学資格を持ったまま一年間の
猶予期間が与えられる。
これで何やるかというと、三つありまして、
一つはアルバイトするんですね。なかなか
イギリスの
大学も
勉強が大変で落第させるものですから、アルバイトしているような時間は余りないと。こうなると、一生懸命に一年間で稼いでおいて、一気に集中するためにアルバイトしてお金をためるという人ですね。
あるいはまた、
旅行をする人も
大変人気がありまして、主に
発展途上国辺りに出掛けていって、
日本の
卒業旅行のような華やかさではなくて、
発展途上国なんかに出掛けていきまして、そこら辺の
人たちのお手伝いをする。
三番目が
ボランティアでして、この
ボランティアは、
奉仕活動ですね、津波のあの大変な被害がございました、ああいうところに行ってお手伝いするなりなんなり、
ボランティアをすると。これを、
旅行と
ボランティアを兼ねまして
旅行先で
ボランティアをするとか、
イギリスですので、そこの国のお子さんに英語を教えるという
ボランティアをしながらずっと世界を見て回るといったようなモラトリアム、
猶予期間を一年間ばあんと与えてしまうというようなことがありまして、これはもちろん取らなくてもいいわけです、取ってもいいわけですね。
それで、そのモラトリアム、ギャップイヤーを過ごして帰ってきた
学生さんというのが非常に、大変成長していると。落第率は、
イギリスは一二%ほど落第するというように言われているんですが、これが何と一%に下がるわけですね。入学
試験の疲れをいやしまして、しっかりリフレッシュしてきまして、
自分がなぜこれからお
勉強するか、
大学で何を
勉強するか、何のために
勉強するかということを非常にはっきりつかまえて戻ってくると。
ほとんどのギャッパー
たちが、私は成長したと、親離れもできたし、
自分が何者かも、いわゆる
自分探しとよく言われますけれ
ども、
自分探しをしてきたというようなことを言って大変好評で、六〇年代からあったんですけれ
ども、どんどん、高校によっては八割の高校卒業生、これから
大学に入るという人がそれを取っているというようなことがあります。
非常にいきな計らいというか、何か道草の効用というか、真っすぐ直線で行くだけがいいとは限らない。一年間遊んでおいでと言いながら、その子供を信用して成長させて帰ってくると。何かこんな寿命が延びた今、
日本もこんなことができたらなかなかいいんじゃないかと。
自分探しをやってくるというようなことで、
奉仕活動あるいは
旅行するといったような、こういうような一年間のモラトリアムのギャップイヤーというのが
イギリスはございます。
それから、何か急ぎ足なんですけれ
ども、ま
たちょっと
イギリスに行ったときに、先日行きましたときに面白いなと思ったものが、
男性向けの、恐らく世界で初めてと言われております父親向けの育児雑誌というのが出版されました、創刊されました。その名前も「ダッド」という、「Dad」という、お父さんという、お父ちゃんという育児雑誌なんですけれ
ども。
なかなか、これを見ていますと、めくってもめくっても、おしめの替え方とか、いわゆる、何といいますか、離乳食の与え方とかそういったハウツーものが全然出てこない。全然、全く出てこないんですよ。普通、育児雑誌といいますと、離乳食で、ニンジン百グラムすり下ろして、まず煮沸してというのをこういうふうに教えているんですけれ
ども、そういうのが全然なくて、何を教えているかというと、いわゆる父親哲学といいますか、父親とはどういう存在かというのをまず教えている。
母親というのは、
女性というのは、子供ができると何かすぐもう母親の顔になれるけれ
ども、父親というのはなかなか、はい、お父さんとか言われてもぴんとこないというか、何だか、いいのかなというか、どうしたらいいのかなという戸惑いの方が大きくって、なかなかそんなに簡単に、はい、お父さんにはなれないものだというところを非常に上手につかんでおりまして、父親とは妻子をいかに守っていく存在なのかと、むしろ今まで
自分を見ていてくれた妻がもう赤ちゃんに夢中で、何か僕のことを忘れている、忘れているんじゃないのって不安でしようがないというようなことを非常に率直に、そんなふうな気持ちになるんですということを率直に言っているんですね。もう妻と
自分の二人の甘い生活というのもこれで終わりとか、もう夜もろくろく寝れないよとか、妻はあなたよりも子供に夢中なのは当然で、それを別に不安がったり、
自分への愛情がなくなるんじゃないかと心配することはないんですよとか、そんなことを非常に率直に教えているんですね。
こういう育児雑誌というのは今までなかったと。あなたができることは、おしめを替えること、おふろに入れること、それでももちろんいいわけですけれ
ども、父親とはいかなる存在かというものがはっきり打ち立てることができれば、自然に手も出るし、足も出るし、いろんな行動ができてくるはずだと。まずそのハウツーからいって、こうやっておしめ替えますよ、こうやって離乳食与えますよというところからいかない。
男、父親とは何かと、
自分に対する新しい、人生の環境の新しい局面にどのように上手に適応していくかと、その辺にページを割いているこの「ダッド」という育児雑誌で、産後うつ病ですね、よく母親がなりがちなんですけれ
ども、産後うつ病への理解とか、あるいは、赤ん坊が泣いてばっかりいるけれ
ども、あれはどういう意味があるんだと、どうしてあんなにうるさいんだろうといった、赤ん坊が泣くことへの理解とか、あるいは一番あなたが大事なことは奥さんの言葉に耳を傾けることだと。休みたいと言えば休ませてあげればいいし、子供とちょっと離れて
自分が何かしたいと言えばそれをさせてあげればいいわけで、まず二人目の母親をつくることではないというのがその「ダッド」の最も大事なポイントでして、第二の母親が横に、その母親のアシスタントとして、ごそごそ
一緒に、おしめ替えましょう、はい、おふろ入れましょうといったようなことをするのが父親じゃないというわけですね。
日本でも
男性の育児休業の取得が大変促進されておりますけれ
ども、じゃ、その父親が家に帰って一体何をするんだと。パチンコに行っちゃしようがないわけですよね。そこのところで何をするかと、どういうことをするのが父親の育児休業かということをしっかり是非言っていただいて、何だか仕事の職場に帰ってきたら何かほっと安心して、ああよかった、やっぱりこっちの方がずっと楽だとか、そんなふうになるんじゃないかと思うんですけれ
ども、一体家で父親は、何か月かあるいは何週間の育児休業を取るということが多分強制になるというか、そんな気がするんですね、もうとても取る取得率が低いですから。これならもう強制にしようというふうに進んでいると思うんですけれ
ども、じゃ、そのときに、第二の母親ではない、
男性として、父親としての
在り方という父親哲学を一回是非皆さんに打ち出すべきだというように考えております。その「ダッド」を読むとそういうことを考えたものですから、お知らせしました。
それから、
人材育成のことでニートという問題が
イギリス発祥の言葉で是非
お話ししたいんですけれ
ども、もう時間がだんだんなくなってきておりますので、もう
一つの
アメリカの方の経験を話してみたいと思います。
アメリカのニューヨークで暮らしたのは八三年から八八年までで、レーガン大統領もアルツハイマーで亡くなられましたけれ
ども、レーガン大統領の時期で、大変
アメリカとしても安定した時期でした。上の長男が八歳で下の長女が五歳という二人の子供を連れていって、五年間ほどニューヨークの経験をさせていただいたわけですけれ
ども、本当にすばらしい体験だったと思っております。
自分の実際の経験で恐縮なんですけれ
ども、ニューヨークというのは
日本でいうとちょうど青森
辺りのとても寒いところで、兄弟げんかばっかり冬の時期とかするものですから水泳教室に行かせましたんですね。水泳教室に行かせまして、洋服を脱がせて水着に着替えさせるときに、ほかの
アメリカ人の
お母さんたちもやっぱりそういうふうにさせているんですけれ
ども、そういうときに、送り出すときに、子供にはエンジョイと言っているんですね。エンジョイというのは、やっぱり泳いでくるときに楽しんでいらっしゃいねっていう言葉だと思うんですね。
私は、周りの
日本人の
お母さんたち、やはりニューヨークの生活をしていらっしゃる
お母さんたちいらっしゃったんですが、やはりみんなで
一緒に、頑張るのよということを言っているわけですね。
アメリカの
お母さんは、もうただエンジョイ、エンジョイと言っているわけですね。ところが、
日本人の
お母さんは、しっかり頑張るのよと言って、私ももちろんそうだったんですけれ
ども、払ったお金は元を取りたいという擦れっ枯らしの
自分がすごく何か惨めに
感じまして、
アメリカ人の
お母さんみたいにエンジョイって、こう言ってやって送り出させる余裕っていうのがすごくうらやましいと思ったことがありました。太平洋を越えちゃうとこんなに親から子への言葉掛けでも違うもんかなっていうふうに思ったんですけれ
ども。
あと、やっぱり
サッカーですね、子供二人とも地区の
サッカーチームに入れまして、コーチは
大学時代に
サッカーやっていたという銀行員のお父さんが
ボランティアでやっていてくださったんですけれ
ども、長男はシュートを入れたんですけど物の見事に失敗するわけですね、入んなかったんですね。ああ、親は、もう何だみんなの前で恥かかしてとか、また駄目だったって思っているんですけど、そのときのコーチの方の声掛けが、ナイストライって、こう言ってくれたんですね。
そのナイストライっていうのは、結果は駄目だったけれ
どもよく試みたというか、よくやってみたというか、うん、それでいいんだよっていうか、ちょっとしょぼんとこう、ああまた駄目だったって下を向いていた息子が、顔をちょっと上げましてまた走り出すというようなシーンがまだ非常に鮮明に覚えておりまして、何だかそういう先につなげる励ましというのがいいなというか、なかなか、
アメリカもいろいろ問題のある国ではありますけれ
ども、懐が深いというか度量が大きいというか、くじけることなくまたやってごらんという、ナイストライっていうのは何かうらやましいっていうふうに思いました。
ちょっと時間が過ぎて恐縮なんですけれ
ども、
あと娘の方はやっぱり
アメリカの幼稚園に、現地の幼稚園に入れたんですけれ
ども、今のように英語を教えるということは全然なくって、ぽんと
日本の保育園からあちらの現地の幼稚園に入れたんですが、三、四か月は全く言葉が出てきませんでした。何だかかわいそうなことをしたなっていうふうに思っていたんですけれ
ども、ある日、黄色いスクールバスから出てきましたら、
お母さん、あたしは英語頑張っちゃうって、こういうふうに言ったんですね。
一体何が起きたかといいますと、三、四か月たって初めて娘の口からイエスとかノーとかっていう、どっちか言葉が出たらしいんですね。そうしましたら、それを聞いたお友達が、和夏子っていうんですけど、和夏子が英語話したっていって、
先生のところに走っていって言ってくださって、すると、
先生が、何か園児さん
たちの絵か何か張るようなお仕事をなさっていたんですけれ
ども、すぐ飛んできてくださって娘の肩を揺さぶり、ほおにほお擦りせんばかりにして、今日はあなたの英語記念日ねと、英語という手段が手に入ったらあなたはもうすばらしい世界をこれから手に入れるわよと、本当に
先生はうれしいわと、もう娘を揺さぶって励ましてくださったんですね。
それを機会に、娘は一言もそれまで英語が出なかったのが、堰を切ったように英語が出てくるようになったわけですね。それまでは口には出なかったけれ
ども、多分単語か何かを頭にインプットして、それが
先生の非常にタイミング良く褒めてくださった、励ましてくださった言葉でぱっと出てきたというわけで、なかなか
先生はプロだなというんですけれ
ども、このように英語のことで力を入れて、英語は手段だと、あなたの夢をかなえる手段ですよ、目的ではないと、ツールですよと、手段ですよということを励ましてくださったわけですね。
これを考えてみると、エンジョイにしてもナイストライにしても、何だか
アメリカの
教育の基本はセルフエスティームといいますかね、自尊の心を養うと、
自分を愛する心を養う、
自分を大事にする心を養うものが
アメリカの
教育の根幹だと。幼稚園、その前からもうやっていると、家庭からやっていると。
自分を愛せない子が他人を愛せるわけないし、
自分を大事にできない子供がほかの子供を大事にできるわけがないわけです。これからどんどんどんどん大きくなってきたときに、いろいろな面でくじけることやら失敗することがあるけれ
ども、あなたは本当にすてきな子供なのよと、こんないいところがあるのよ、本当にあなたはすばらしい子供なのよと、あなたのこと大好きよって、こう言われたのが基になるのではないかと、
自分を信じることができる力というのを養うことができるのではないかというふうに思ったんですね。
日本に帰ってくると何か全部減点法で、ちょっとあなたの息子さんは落ち着きがないとか、字が汚くて読めませんとか、何かあれが悪いこれが悪いってずっとこう言われ続けていて、ぷしゅんとなることがとても多いんですね。
日本のお子さんと取材なんかで
お話ししても、どうせ
自分なんかっていう言葉が出るんですね。何か、どうせ
自分なんか何やっても駄目ですからとか、何か、何やっても失敗するしとかっていうふうに言われて、もっと
自分を信じたらどうなんだろうって、こういうふうに思ってしまうんですけれ
ども、やはり
日本は昔から子供は豚児とか妻は愚妻とかって言われてきた国なんですけれ
ども、本当にこんなところがすばらしいのよと、あなたの英語、私大好きよって言われたりとか、そんな子供を肯定する
教育、まあこれがすべてとは言わずに、これが
アメリカのいろんな弊害を起こしているというような言い方もできるのかもしれませんけれ
ども、取りあえず子供は前向きに何でもチャレンジしたり、勇気を持って挑戦していく力というのは、この辺の自尊の、セルフエスティームというようなところから生まれているのではないかと思いました。
何かもう、済みません、時間が大幅に出てしまったので、ニートとか
女性と仕事の両立の話は届きませんでしたけれ
ども、ひとまずここまでにいたします。
ありがとうございました。