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古川(禎)
分科員 自由
民主党の
古川禎久でございます。
本日は、こういう機会をいただきまして、ありがとうございます。私の考えを披瀝させていただきますとともに、大きな
視点からやりとりをさせていただく、ちょっと面持ちの違うやりとりをさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
まず、申し上げますが、あの天才物理学者、アルバート・アインシュタイン博士が、大正十一年に初めて
我が国を訪れました際に、感動しまして、手記でこういう言葉を残しております。
近代
日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。世界は進むだけ進んでその間、幾度も闘争が繰り返され、最後に闘争に疲れるときが来るだろう。そのとき、人類はまことの平和を求めて、世界の盟主をあげねばならぬ時が来るに違いない。この世界の盟主になるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰り、それはアジアの高峰である
日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に心から感謝する。天がわれわれ人類に
日本という尊い国を作っておいてくれたことを。
という言葉がございます。私は、このアインシュタイン博士の言葉は、予言ではなくて現実味を帯びた予測であったというふうに思います。
そう感ずることは、例えば
一つエピソードを引きますと、我が自衛隊が、今、インド洋ですとかゴラン高原、イラクのサマワ等で活躍をいただいておりますけれ
ども、第一次先遣隊でイラクに行かれました佐藤正久一佐が、エピソードとしてこういうことを教えてくださいました。
すなわち、あの宿営地の周囲に安全のために、防御のために有刺鉄線で鉄条網を建設した。そのときに、自衛官二名と現地のイラク人八名で、十人一チームを組みまして、そして区間を決めて設営したんだそうです。
そのときに、有刺鉄線ですので、針金がひっかかります。もつれてしまいます。それを何と
日本の自衛官が、あれ、おかしいなということで潜り込みまして、もう傷だらけになりながら、服を破りながら一生懸命やる姿、それをイラク人が見て感動するわけですね。ほかの外国の部隊であれば恐らくそうではないんだろうと思うんです。率先して一生懸命汗かき、血を流しながらやっている
日本の自衛官を見て、よし、おれたちもやろうと、その十人のチームが心が
一つになりました。そして、夕方五時なんでしょうか、一応時間が来るんですけれ
ども、いや、隣のチームに負けないようにもうちょっと頑張ろうよというようなことで、あっという間にその設営が完了したというエピソードをお聞きしました。
まさにこれが
日本の精神文明をあらわしているのではないかというふうに思ったわけでして、こういうところにもこのアインシュタイン博士の予測というものがあらわれつつあるのではないかと
感じておるわけでございます。
日本文明といいますと、この四季折々、恵まれた
日本の
国土、この中で大自然と共生する知恵、生活観、循環型
農業、こういったものに根差した
我が国民族の死生観なり価値観というものがございます。
あるいはまた、わび、さび、物の哀れといいますような美
意識、そういう美を大自然の中からつかみ出すといいますか、このような美
意識ですとか、あるいは和をもってとうとしとなせという言葉にあらわれていますように、協調、調和という価値観、原理、こういったもので言いあらわすことができると私は思っております。
その
日本文明、
日本文化なるものをもっと探りたいという思いがありまして、実は私、このお正月に古事記を読みました。口語訳のものがありますので。これを読んで改めて認識した部分がございますので、申し上げます。
これは戦前の教科書などには必ず載っておったそうなんですが、神勅というものがございます。これは、アマテラスオオミカミが孫のニニギノミコトを高天原から下したもうときに、要は命令を出すわけですけれ
ども、有名な言葉です。「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ。宝祚の隆へまさむこと、当に天壌と窮りなかるべし」という言葉があります。
これは、その統治の正統性をあらわす文章であると同時に、私は、
農業立国宣言であるというふうに読みます。
そしてまた、これは
日本書紀の方にございますが、例えば、スサノオ。これはアマテラスの弟ということになっていますが、スサノオは、海の向こうから
我が国に帰ってきたときに、
日本のこの緑の山、島、緑に覆われた美しい島に大変感激をするわけです。そして、からくにには金銀という宝があるけれ
ども、
我が国には木という宝があるじゃないかということをはっきり言っております。つまり、スサノオは木の神ということになっております。このような神話を見ますときに、
我が国の文明、精神文化というものの核心は、やはり農、林、漁業という営み、そしてこの四季折々の風情に恵まれた
国土、こういうものが核心になっているのではないかということを確信したわけでございます。
この
日本文化、
日本文明を私たち
日本人がもう一回再認識をして、きっちりとそれを取り戻すことができるならば、これはすなわち、その瞬間において既に人類社会に対して貢献し得るのではないか。この協調、調和という原理を
日本人がその日々の日常の暮らしの中で体現することを取り戻すことによって、イラクの例に見られたような、そういうメッセージを世界に対して発することができるのではないかと。
つまり、ただ単に産業
振興策として
農業、林業、
水産業を論議する前に、文明史的あるいは人類史的な
意味で、これをもう一度とらえ直してみるべきではないかというような思いをいたしておるところです。
その
意味では、この
日本文化、
日本文明の核心たる部分を最前線におきまして総指揮をとっていただいております
島村農林水産大臣におかれましては、どうぞ今後とも御奮闘、御精励をいただきたいと心より御期待申し上げる次第でございます。
さて、今申し上げました木の文化ということでございますが、一口で申しまして、私
どもの日常生活を見回しますときに、木というものが相当失われてきておるなと思っております。
先日、製材所から、安くちゃぶ台を求めてまいりました、杉の無垢材ですけれ
ども。私はふるさとで小さな子供たちが三人おりますけれ
ども、一緒に食事をする機会はほとんどありません。けれ
ども、朝晩に、できればこの木のぬくもりの伝わるような、値段は安いけれ
ども杉の無垢材のちゃぶ台で
御飯を食べさせてあげたいという思いがあって、生活の中に少しでも木を置きたいというような思いから求めたわけでございます。
実は
大臣、私がふだん使っております名刺でございますが、これは
地元の杉材を利用しました木の名刺でございます。こっちは間伐材パルプを使った名刺でございまして、ふだんから、これをごあいさつするときに差し出します際に、これは間伐材でつくった名刺ですと言ってお渡しするように心がけております。特に、都会の方は間伐材とは何ですかとおっしゃるものですから、御
説明を申し上げます。山をしっかり手を入れて守って初めて川下では水が飲めますよ、田舎がしっかりしておって初めて都会の人はおなかいっぱい
御飯も食べられますよ、だから、都会も田舎も
一つでまとまって初めて
日本国でありますというようなことを申し上げておるわけです。
残念ながら、八二%は海外から取り寄せておるという残念な
状況の中で、一方でまた、
森林は荒れ、林業、林産業というものも大変苦しい
状況に置かれておりますけれ
ども、林野庁におかれましても、可能な限りいろいろな努力をしていただいておると承知いたしております。例えば、木材利用拡大アクションプログラムですか、そういうものですとか、
公共事業、公共調達にしましても、公共施設等におきましても、できるだけ木材を使ってというような努力を
関係部署等でやっていただいておるということはよく承知をいたしております。
例えば、
農林水産省、林野庁、水産庁の職員の皆さんの使っておられる名刺は間伐材パルプの名刺だと思います。
農林水産省、林野庁、水産庁の使っておられる封筒、これも間伐材パルプの
使用だというふうに思います。残念ながら、ほかの省庁を見ますときに、再生紙
使用というものはありますけれ
ども、間伐材というこのグリーンの丸いマークの入ったものはございません。
ですから、
大臣、今度閣議のときに、ほかの
大臣の方々にぜひ協力をお呼びかけいただきたいと思います。よろしくお願いします。
それから、私は今、間伐材というふうに申しましたけれ
ども、間伐材という言葉が悪いという御意見もあります。つまり、間伐ですから、何かむだなものを取り除くといいますか、間引くというようなことですから、もっとやはり山を守るという積極的な
意味を込めて、
環境材とかグリーン材とか、もっと違う呼び方があるんじゃないかという御意見もいただくことがあります。
例えば、全国にこの新しい名前を公募して、いろいろな方々からアイデアを出していただく、そのようなことを通じて、コンテスト、公募を通じて、山があって川下があるんだというようなことを広くやはり認知していただくような、そういう試みができないかなと思っておるところでございます。林野庁もしくは
関係団体でも結構なんですが、そのような試みに対して、どうか応援をしていただきたいというふうに思う次第でございます。
それからもう一点は、私の
地元宮崎県でございますけれ
ども、宮崎県西諸県郡須木村というところがございます。須木村というのは、那須与一の須という字に木材の木、須木と書きます。すなわち、木をもってすべしというそのものの名前でございまして、実際、面積の九割方が国有林ということになっております。
そして、この須木村では、将来の村づくりを見通したときに、
一つのグリーンツーリズムということを考えておりまして、できる限り、杉、ヒノキの人工植林を何とか広葉樹にかえていきたい、もちろん常緑の。こういうことで村づくりをしていきたいということで頑張っておられるんですが、いろいろな制度上の問題があったりしてなかなか明るい見通しが持てないということでございました。
いろいろな目的を達するための手法というものは、いろいろな知恵を出していただく中で可能になるものだと思っております。いずれにしましても、この須木村という村が、
森林、この緑の宝を自分のふるさとの宝として村を建設していきたいという思いを持っていることに対しまして、どうか
大臣、
林野庁長官からも激励をいただきたいと思いますし、また、可能な限りの応援、御指導をいただきたいと思っておるところでございます。
この点につきまして、
林野庁長官に、一言、温かいお言葉をいただきたいと思いますが、よろしくお願い申し上げます。