○松島
分科員 自由民主党の
松島みどりでございます。
先ほど、
中山大臣が
江藤拓委員に対して、お父様、
江藤隆美
先生にお世話になったことも含めて感無量とおっしゃっておられました。私自身の経験で申し上げますと、実は私、二十数年前に、大学を卒業して最初に新聞記者として赴任しました宮崎支局におきまして、
中山大臣がまだ大蔵省をやめて間もなく、これから選挙に出るという記者会見を宮崎県庁で行われました。その記者会見を、私、まだ駆け出しの記者として取材して書かせていただいた、そんなことを今思い出しながら、
中山先生は初志貫徹されて、当選回数を重ねられて
大臣になられた。その
中山大臣に対して、そのころは政治家になるなどとは思いもよらなかった私が、国会議員二回生として質問させていただく、私も、きょう、感無量でございます。
質問させていただきます。
中山文部科学大臣が、就任以来、
子供たちの学力を高めるために、国語、算数、理科、
社会の授業時間をふやすということや、あるいは
全国学力テストの
実施、さらに、土曜の授業容認などについて熱っぽく語っておられます。このことについて、私は、いずれも親
たちの、お父さん、お母さん
たちの
要望に沿ったものであり、非常にすばらしい、全く同感でございます。そして、そういう観点に立ちまして私は質問させていただきたいと思っております。
まず第一に、国語教育の
充実ということについて、そして読み書きの問題について
大臣に質問をさせていただきます。
私は、国語の教育というもの、国語、日本語、母国語というものをしっかりと、特に
小学校の段階で身につけさせるということは、何にも増して大事なすべての基本であると
考えております。
今、そこそこ名前をよく聞く大学の学生
たち、例えば私の事務所にインターンとして来たいというような
子供たち、あるいは、就職試験を受けるんだけれ
どもといってあいさつに来られる
子供たち、学生
たちの書いたものを見ますと、そういう人
たちでさえ、片仮名のツとシが混同されていたり、ソとンが混同されていたり。これは、
小学校の一、二年生できちっと書き順を含めた片仮名の書き方を教え込まれていない、あるいは教え方が悪かったか。教師はきちっとそれぐらいの程度については何度も繰り返し練習させて、完全にマスターするまでやって初めて教師の
責任だと私は思うんですが、それがなされていないということが非常に残念に、悲しく思う次第でございます。
そしてまた、国語ということについて申しますと、これは
文部科学省も
関係あります、総合初等教育研究所というところが一昨年
実施した漢字の調査で非常にショックな結果が出ております。これは、
小学校の二年生から六年生までと中学一年生を
対象にいたしまして、一万五千人に対して、その前の学年で、例えば
小学校二年生に対しては
小学校一年生のときに習った漢字について問う、そういう形で調査しているんですけれ
ども、高学年になるほどできが悪くて、六年生で学ぶ漢字を中学一年生の生徒に書かせましたら、八割の子が書けた漢字はわずか一六%しかないというショックな結果でございます。
中学一年生の半分以上の生徒が、
小学校六年生で学んだはずの字で、例えば山の頂というのをイタダキと読めないでチョウ、頂点の頂ですけれ
ども、音読みをしてしまう。そういうふうに読んだり、仰げば尊しなどというと、もう今は歌わないんでしょうか、この「尊」という漢字を書けた中学一年生はわずか三%しかいない。あるいは間違いの例でいいますと、「尊」のかわりに「遠」という字を書いて、仰げば尊しの
先生が、尊い存在じゃなくて遠い存在になっているのかよくわからないんですけれ
ども、「遠」という字を書く子がいたりします。「落書き」というのが「楽書き」、それは落書きする人間は楽しいんでしょうけれ
ども、そういう字になってしまったり、あるいは、「田園地帯」というのが、デンが「田」じゃなくて「電」になったり、「積乱雲」というのが、ウンが「雲」じゃなくて「運」になったり、細木数子さんなんて運命の
関係で人気がある人もいますけれ
ども、そういうことを書いたり、あるいは、家路を急ぐの「家路」が「家事」になったりする。そういうふうに漢字が、今言ったような例は中学一年生で三割ぐらい、「楽書き」「電園地帯」「積乱運」「家事」、こういった間違いの例がございます。
これがきちっとできないと、音楽の題名にもなっていたり、あるいは
社会、歴史だとか、あるいは自然現象を学ぶとか生物でも何でも学ぶということについても、基本として日本語が、漢字や片仮名、そういうものができていないと次へ進まない、私はそんな気がいたしております。
小学校のときにこうした基本的な字、読み書きを頭にたたき込まないと理科も
社会も音楽も始まっていかない、次へ進んでいかないと思うんです。
無理に教えて覚えるから覚えられる。よく詰め込みがいけないと言われますけれ
ども、掛け算の九九なんというのは、小さいときに詰め込まれなかったら絶対大人になってわかるわけない、覚えられるわけない。私は、暗記させるということは、基本においては非常に大事なことだと
考えております。
読み書きができるようになって初めて、本を読んで、私も
子供のときから、例えばごんぎつねとかフランダースの犬、そういうものを読んで涙を流したり、祇園精舎の鐘の声なんという平家物語も、そこで歴史というものをいろいろ感じたりする次第でございます。それが基本にないと、心の豊かさとか、あるいは死に対する恐れとか痛みとか、そういうものを書物によって獲得するにもやはり基本は国語である、そういう
考えでございます。
私自身は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、ずっとそう思っておりまして、最近は、一に国語、二に体育かなという気もしているんですけれ
ども。そういう
考えを持つ次第でございますが、
大臣はどのようにお
考えになるか
伺いたい。
そして、大学のセンター試験というのでも、国語を必須としている大学学部は六三%にすぎません。それに比べて、外国語が必須というのが二割ほど高い。恐らく、外国語というのは意識して学ばないと身につかない、それに比べて、国語はほっておいてもわかっているというふうな認識をいろいろな教育
関係者が持っているんじゃないかと思いつつ、それは誤りではないかと
考えております。
自分の意見をいっぱい言い過ぎてしまいましたけれ
ども、
大臣、どのようにお
考えになるか、基本として
伺いたいと思っております。