○萩生田
分科員 今御
答弁ありましたように、非常に取扱件数が多くなって、極めて狭隘な施設の中では対応がし切れないということなんですね。それは私もそのとおりだと思いますし、地裁と地検が新たな大きなものをつくるということは決して反対じゃございません。
ただ、あえて申し上げれば、三多摩だけでも、
大臣、四百万の
国民が生活している。四百万といいますと、山梨県や島根県の数倍ですよ。それらの場所には地裁も地検も複数存在するわけですから、本来、
法務省がそういうことが原因で新しい施設が欲しいんだということであれば、八王子の地検を残して、そして新たにもう一カ所つくるという方が極めて説得力があったんだというふうに思うんです。この点は
一つ指摘をしておきたいというふうに思います。
それから、現在の土地について、いきなり昭和三十五年の四月という
お話がございました。
八王子地検の支部は、明治九年に八王子区の裁判所に検事が置かれたことに起源をする施設だというふうに私
どもは
認識しています。その後、明治四十三年に市内の台町というところでございますけれ
ども移転をして、昭和二十二年には裁判所法と検察庁法が施行され、東京地裁八王子支部に対して東京地方検察庁八王子支部、簡易裁判所に対して八王子区検察庁と位置づけがなされ、昭和三十五年に地裁の移転を追いかけるように現在の場所に移転をしました。それは、背中合わせにあった方がお互いの性格上利便性が高い、そのことは私は理解をします。
しかし、この土地は、昭和二十五年に、国が八王子市に対して、台町の現在の土地では庁舎が狭隘で困っているので、ぜひ明神町の現在地を市の責任であっせんしてほしいという依頼を受け、市が国策だからということを理由に、地権者約二十数軒あったというふうに記録がございますけれ
ども、一軒一軒お願いをして説得して移転していただいた、八年の年月をかけて今日の地形を得たというふうに記録がございます。
この土地は、台町の国有地と交換をするために、昭和三十三年には八王子市議会に特別
委員会が設置をされ、議会でさまざまな議論が行われ、そして議会の議決を経て、正式には昭和三十四年の九月九日に国有地と市有地の財産の交換をした、こういう土地であります。
そして、
大臣、この土地にもともと住んでいた
皆さんは、ちょうど私の母親のような年代、父親のような年代。ですから、
皆さん現在も実は御近所にお住まいなんです。それで、中には、庁舎の北側に移転をした方もいらっしゃいまして、今御
答弁があったように、昭和六十年以前は低層化の建物でしたから、その後ろで、ああ、いい代替地があったといって生活をしたけれ
ども、六十年に現在の高層の建物を建てたので、結果としては極めて日照に限りがあって、今日では後悔をしている方もたくさんいらっしゃるんです。そういうまさに多くの八王子市民の
協力のもとに、今日の地裁や地検の土地が確保され、建設がなされたということをぜひ理解していただきたいというふうに思います。
そして、今でこそ
法務の合同庁舎と呼んでおりますけれ
ども、交換時には、あくまで、
法務省東京地方検察庁八王子支部と市議会の記録に書いてあります。すなわち、地検が移転をするということは、土地を取得したときの主たる目的を失ったという判断をされても私は仕方がないんだというふうに思うんです。
しかも、移転の主な理由が、今御
答弁があったように、裁判所の移転によるという
答弁がございました。曲がりなりにも、最高裁の方は、約十年前からこの移転計画を市に明らかにして、移転候補地を市にも相談し、さまざまな場所の比較検討をした後に、結果としてやむを得ず立川の国有地への移転を決定したというプロセスがあります。地元の
皆さんは、この地裁の移転そのものも決して賛成ではございませんけれ
ども、簡易裁判所の存続ですとか、あるいは跡地利用の計画など、地元の自治体の
意向を最大限に
受け入れる姿勢を示しております。
一方、
法務省は、地検が移転をしても合同庁舎は自分
たちの所管の建物だといって、その使い道を内部で検討しているにとどまっておりまして、しかも、私が
国会議員になって初めて移転の事実を確認するまで、ただの一度もですよ、
大臣、八王子市に対して移転の方針すら報告していないのが
法務省の姿勢ですよ。
この事実が明らかになったのは、以下の
経緯であります。
台町から明神町に移転をするときに、実は、
法務省の所管する
法務局も、移転場所を探して、市役所のすぐ近くに移転をしました。東京
法務局八王子支局といいます。
平成十二年に多摩ニュータウンの南大沢という駅前のビルに移転をしたんですけれ
ども、このときにも、実は、前年に、そのビルを管理する信託会社から、どうも
法務局さんがテナントとして入りたいという
お話があるけれ
ども、市は承知をしていますかということを道義的にお聞きになってきた。それを聞いた市が、
法務局に、おたくは引っ越しを考えているようだけれ
ども、利便性を考えたら市役所の近くにある方がいいんじゃないんですかということで、当時の市長さんが極めて熱心に説得をしたにもかかわらず、それを振り切って今の南大沢の地に移転をしてしまったんです。
ところが、
平成十五年になって、引っ越してみたものの、やはり利便性に問題があって
機能が悪い。そして、改めて
法務局の
皆さんが市役所にお見えになって、市役所の東側の市有地がございます。この土地は、実は、市が将来国の合同庁舎を建設したいということで、長い間確保し、国土交通省等に申請をしている場所なんです。この土地に何とか
法務局が移転ができないだろうかという相談がございました。
この合同庁舎計画に支障を来してはいけないという判断で、市も困惑をしたんですけれ
ども、ある意味では
行政パートナーである
法務局ですから、
平成十六年になって、将来の合同庁舎計画に影響のないよう、単独の簡易庁舎という形だったら可能性はあるということで、
法務局もそのことを強く望んでいらっしゃいました。そして、そのときの条件が、将来合同庁舎ができれば再入居することを条件に、当時の
法務省に
予算要求をしたという報告まで正式に八王子市は受けているんです。
ところが、その後の十六年五月になって、地検跡に入居することになったので、
法務省からそういう指示があったので、今までの話は白紙に戻してほしいという報告を受けました。
これはもう極めて
法務省としてローリングし過ぎている話じゃないかというふうに思います。そのことを聞いて、私が
法務省に対して、あなた方は地検を引っ越す予定なんですかと聞いたのが公になった初めてですよ。
すなわち、それで、引っ越す側、さっき、一番最初に、建てるときにはどういう相談をしますか、地元の自治体の合意をいただきます、近隣の
皆さんの
協力をいただきます。引っ越すときはいいんですか。引っ越すときはこんなに簡単に省庁
一つ引っ越すことを決めていいのか。私は非常に疑問でなりません。
そして、幾ら自分のところの所管の建物だからといって、その使い道は省内で決められるんだという、法律上は確かにそういうことなんだろうというふうに思いますけれ
ども、道義上は、同じ
法務省の関連施設だからといって、自分
たちの考えでどう使おうが八王子市には
関係ないなんて姿勢がもしあるとすれば、これはゆゆしき事態だと思いますよ。例えば、勝手に中身を刑務所に変えたなんということがあったら大変なことですよ、これは。
百三十年近くお世話になった自治体に対して、礼を尽くすどころか、どちらかといえば恩をあだで返すような形でこの移転計画が今進んでいることに、私は大変憤りを感じてきょうこの場に立たせていただいているんです、
大臣。
市は既に、国交省に対しても財務省に対しても、当初希望していた合同庁舎計画は断念をして、現在、三者協議といいまして、最高裁と
法務省と八王子市の間で、地検が移転をした後の建物についてはどういう活用方法があるんだろうかということをテーブルに着いて話をしましょうということになっているんですけれ
ども、この協議会の中で、八王子市は、具体的には、八王子市の税務署ですとか、あるいは労働基準監督署ですとか、あるいはもともと
皆さんの所管団体である
法務局等々を入れ直して、言うならば、八王子市が目指していた合同庁舎計画を中古の建物でもいいから
法務省さんの合庁の跡地を上手に使ってやろうではありませんかということを提案しております。
ところが、
法務省は、私の指摘の後、八王子市に何度か通っていますけれ
ども、そのたびに自分
たちが使いたい面積が変わるんです。ふえるんです。最初は二千五百平米程度必要だ、次会ったときには二千七百平米程度必要だ、その次会ったときには出入国管理事務所も入れる予定だ。だれがそんなことを決めたんですか。そんなことを
法務省が勝手に、自分
たちの建物だからといって何を入れたって構わないんだという姿勢があるとすれば、私はこれは話し合いはうまくいかないというふうに思います。
八王子市の提案というのは極めて妥当な提案だというふうに思いますけれ
ども、
法務省は、ある意味では、一度その建物を明け渡して、そして改めて必要な面積を要求するような形の中で、誠意ある対応が必要だというふうに思いますけれ
ども、
大臣の御
所見を伺いたいと思います。