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赤羽委員 公明党の
赤羽一嘉でございます。
本日は、限られた三十分間の時間でございますが、
災害対策関連に絞りまして
質問をさせていただきます。どうかよろしくお願い申し上げます。
まず冒頭、近年、国内外を通しまして発生しております自然大
災害により、とうとい命を落とされた皆様、そして被災をされた皆様方に心からお見舞いを申し上げる次第でございます。
小泉総理、本年一月十七日で、あの忌まわしい阪神・淡路大震災から丸十年の月日が経過したわけでございます。私自身もあの阪神大震災で住む場所を失った
被災者の一人であり、
被災地選出の数少ない衆議院議員として、この十年間、一日も早い
復旧復興を願いながら全力で駆け抜けてきた者の一人として、いろいろ振り返りますと、さまざまな思いが去来をするところでございます。
この一月十七日、天皇、皇后両陛下が御
出席を賜りました、兵庫県公館で開催されました追悼式で、毎年のことでありますが、遺族代表としてお話をされた村松
京子さんという女性がいらっしゃいます。村松さんというのは、実は、私が震災の当時住んでいた東灘区近所に住まれていた女性でございまして、あの震災で御主人と十一歳と九歳のお嬢さんを一瞬にして亡くした方でございました。
この方のごあいさつの中で、一瞬にして一人この世に残されてしまった私はこの厳しい
現実をなかなか受け入れることができず、失意と絶望のふちをさまよいながら、三人のもとに行きたい、そればかり
考える毎日が続きました、こういったお話がありました。
その中で、お母さん、そして地元の
地域の皆さんが毎日自宅に来ていただき、励ましの言葉をかけていただき、そして、その中でようやく、主人と子供たちは私の心の中に永遠に生き続けていく、私をずっと見守っていてくれる。泣いてばかりいては、悲しむだろうし、心配するだろう。同じ思いで苦しんでいる人たちのためにも力強く頑張ろうと決意したとき、私の心は晴れ渡っておりました。そして、悩み、苦しみ、また友人に励まされ、勇気づけられてきた十年でありましたが、これからは、会社で頑張り、輝く女性として精いっぱい生き抜いていく決意ですとのごあいさつがございました。
私はその話を聞きながら、本当に十年という月日が経過いたしましたが、あの震災で家族をお亡くしになった残された皆様、そしてまた、一生の買い物という形で購入された家が一瞬にしてなくなりローンだけ残っている皆さん、そしてまた、会社を首になったり御商売が倒産したり、こういった方たちにとって、時間が経過しても風化をするということは私はあり得ないと思うし、十年で確かに町はきれいになってはおりますが、真の復興ということにはまだまだ時間がかかるというふうに私は思っておるところでございます。
であるがゆえに、この阪神大震災から復興十年のさまざまな教訓をこれからの国内また国際社会における防災の行政に、まず
日本の
政府としてこういった教訓を大きく反映していただきたい、こう強く願うわけでございます。この阪神大震災
被災者の思いをぜひ、まず
小泉総理に御理解いただきたいと心からお願いを申し上げる次第でございます。
そしてまた、昨年は、この阪神大震災を風化させまいとするかのように、国内また国外で大変な自然
災害が起こりました。
台風二十三号では、我が兵庫県も大変な未曾有の大
災害が起こったわけでございます。年末には、十二月二十六日にスマトラ沖大
地震が、大変な
津波の
災害が起こったという一報がございました。公明党としても、二十七日に東京で緊急の
対策本部を開催いたしまして外務省からいろいろ
情報を聴取したわけでございますが、なかなか正確な
情報が伝わってこない、ライフラインも分断していてなかなか
情報がとれない。
そんな中で、私はあの阪神・淡路大震災のときに、やはり
被災地の現場を見なければ真実は何もわからない、まず現場に行くことが大事だ、こういう思いの中で、公明党の同僚議員とともに、十二月三十一日の大みそかから一月三日まで、今回の被災で
日本人の
被災者が最も多かった
タイのプーケット
地域に
現地調査をさせていただいたところでございます。
ちょっときょうはその写真を持っております。
まず、私たちが写真に写っているあれですけれ
ども、これはプーケット県の北部。実はこのホテルは、外務省の犠牲になられた方が宿泊されていたホテルの隣の
地域でございました。ほとんどずたずたにやられている
状況でございます。それで、これが、さらに車で一時間ぐらい行ったカオラックという大リゾート
地域でございまして、海から内陸に向けての一帯がずたずたにやられております。これがその全体像というか、全体の一部の写真でございます。まさに阪神・淡路大震災の当時の被災現場をほうふつさせる、大変大きな悲惨な現場でございました。
この報告は、帰国後、一月五日に
小泉総理に直接詳細な報告もさせていただきまして、その報告に基づいて
政府としても早速の対応をしていただき、今回はジャカルタの緊急首脳会談で、またその後の
会議の中で、
日本が五億ドルの緊急の無償
資金協力、緊急の援助物資の供与、そして国際緊急援助隊の増派、こういったものがいち早く手を打たれたこと、これはいろいろな議論があるかと思いますけれ
ども、実質的に最も大きな援助を
各国に比較しても
日本はとることができた、そういった
意味で、私は高く評価をするところでございます。また、私が評価するだけではなくて、これは国際社会においても、間違いなく
日本のリーダーシップというものが高く評価されているもの、そう私は確信をするところでございます。
しかしながら、自然
災害というのは途上国で往々にして起こって、先進国からの
支援というのは、緊急
支援まではするけれ
ども、復興の
段階の開発というところまでなかなかいかないケースが多い。これはやはり、緊急
支援も大事だけれ
ども、
各国の
状況を今でもCNN等で見ておりましても、まだまだこれから、まだ
復旧の
段階にも入っていない。遺体の安否確認ですとかそういったことが現状でございまして、これから
復旧が始まる。復興はまだまだ時間がかかる。神戸の
経験を通しても、まだまだ大変な年月がかかる。
その中で、我が国の
復旧復興ができたのはやはり
日本のサポートのおかげだ、こういうふうに被災
各国の
被災者の皆さんに共感していただけるような具体的な
支援が大事なんじゃないかというふうに私は思うわけでございます。
今回ニュースとして伝わっておりますが、モルディブの首都であります最大の島であるマレ島は、海抜が一・五メートルという低い
地域だった。しかし、この国に対して
日本政府が一九九四年から二〇〇二年にかけて四回にわたって無償
資金協力、ODAで、同島の周囲に防波堤をつくった結果、今回はこのマレ島における
津波の
被害を最小に食いとめられた、こういったことも報告をされているわけでございます。
まさにこれから、いろいろな
各国の
情報を聞いておりますと、社会資本をつくっていく上で、例えばセメント工場も全部流されてしまって全くどうなるかわからない、こんなような話もございますので、今後の推移を見ながら、
各国の
復旧復興支援のプロセスの中で、
日本がしっかりと、志が届く具体的な
支援策を行っていただきたいと思いますが、
総理の御見解を伺わせていただきたいと思います。