○紺谷
参考人 経済を専門としております紺谷と申します。よろしくお願いいたします。
郵便局の
民営化には
反対でございます。
だんだんにマスコミからの取材も、政局の移り変わりとともに
質問が変わっていくんですね。基本方針についてどうお考えですか、
法案についてどうお考えですか、修正についてはどういう御意見ですか。だんだんだんだん土俵が引きずられていきまして、そもそも論が忘れられてしまうんですね。ですけれども、私は常にそもそも論に立ち返るべきであるというふうに思っております。何となれば、
改革というものはすべて
国民のため、国のためでなければならないからでございます。権力者の個人的な好みで変わっていいとは私は思っていないんですね。
そもそもから考えますと、
郵便局の
民営化の
目的というのがくるくるくるくる変わっている。それは不思議だなと思うんですね。当初はたしか
財投改革とおっしゃっていたはずですね。しかし、素人が考えてもわかることですけれども、
財投改革、
特殊法人が非効率だ、不透明だとおっしゃるんでしたらば、
特殊法人をなぜ直接
改革なさらないんですか。その方がよっぽど効率的で正しいやり方だと思うんですね。効率化が必要だとおっしゃりながら最も非効率な方法をとられようとしているのが、私には
理解できません。
さらに、
財投改革するに当たって入り口論というのをおっしゃっていましたね。入り口を正すんだ、出口の
資金の使い方がでたらめなんだから入り口を閉ざしてやるとおっしゃいまして、これは非常に乱暴な、論理も何もあったものじゃない
議論なんでございますけれども、百歩譲って、入り口を閉ざすということが何らかの効果があったといたしましても、
小泉総理がおっしゃっていたことは全く論理的ではありません。何となれば、入り口はもう
一つあるからです。年金の積立金ですね。そちらに関しては一言もおっしゃらない。
民営化はおっしゃらない。これまでも年金の問題がさんざんに言われてきたにもかかわらず、年金の
民営化については言及なさらない。それは矛盾じゃないですか。片側の入り口はほうっておいたまんま、なぜ
郵便局の
民営化ばっかりおっしゃるのか。
しかも、その理由が変わるということは、何らかの理由から
民営化をどうしてもやりたい、理由も何もないから、ともかく
民営化を実行したいんだというようにしか
国民の目からは見えないんです。
次いで、小さな
政府だとか税収をふやすんだとかさまざまな御
議論がありましたけれども、ここに銀行協会の会長の前田さんおいでですけれども、
反対意見かなと思ったら
賛成意見みたいに聞こえてしまったんですけれども、
民業圧迫とおっしゃっていたにもかかわらず、巨大な銀行、巨大な保険会社をつくるということは民業の圧迫じゃないんでしょうか。農村で一生懸命
商売しているよろず屋を圧迫するような
郵便局のコンビニは
民業圧迫じゃないんでしょうか。
そもそも
民間のコンビニが、この競争激化の中で、店を出せるところはどこでも出そうというようなコンビニ業界の動きがある中で、
民間が幾らコンビニを出してもペイしないと思って出さない
地域に官業をしてきた
郵便局がコンビニを始めて成功するとはとても思えません。まして、コンビニがカフェレストランとか、それから旅行会社みたいなことを始めたりとか、そういうことを始めたからといって、村が活性化され、町が活性化され、都会に出ていった若者
たちが帰ってくるから
地域の活性化だと。ほとんど夢物語としか思えないですね。
そういうことから考えますと、
改革というのは一体何なんだろうかと思うわけです。どうすれば
国民生活はよくなるのか、どうすれば国はよくなるのかという、その原点から今の
現状を見まして、
現状ここに問題ありということでなくてはいけないんじゃないんですか。
郵便局の今どこに問題があるというんでしょうか。
郵便局は、そもそも公的なニーズがあって始まったものです。
経済が移り、国の情勢が変わることによってニーズが変わるということはあり得ます。だとしたら、これまで
郵便局が担ってきた
役割はもう失われたのかどうかということをまず
議論すべきではないでしょうか。
金融ビッグバンと必要もないような不良債権たたきによって、銀行はどんどんリストラを迫られて、銀行だけでもう店舗は二千以上でしたか、減っていると思います。農協まで入れればもっともっと減っているんではないかと思うんです。
そういう中で、さらに
郵便局までなくしてしまうような、そういうやり方が本当に
国民生活のためになるのかどうか。高齢化を控えて大変だと、
政府税調は増税案までこの時期に打ち出そうとなさっておりながら、そういう高齢化社会で、地方のお年寄りが年金を引き落とす場所がなくなるというようなことをほっておいてよろしいんでしょうか。
そもそも、財投
資金の原資となっていたわけですけれども、財投というのは、たとえいろいろ問題があったとしても、全部やめるべきものなのかどうか、それを考えるべきなんじゃないですか。その公的需要はどうなったのか、それを最初に
議論していただいて、
一つ一つの
特殊法人なり財投機関なりを、きちんとその
役割を見詰める。その
役割が失われたんだったらばそこはやめる。これまでの
役割の中で必要なものは残す。さらに新しいニーズが生じていないかどうか、公的に何をサービスすべきかということを御
議論いただかなくてはならないんじゃないでしょうか。そうであるにもかかわらず、そういうことを一切やっていない。
そもそも、
郵貯、
簡保の
資金の三百五十兆は肥大であるとよくおっしゃるんですけれども、何をもって肥大とおっしゃるのか、私にはさっぱりわかりません。公的機関である
郵便局なんですから、公的
資金ニーズから比べて肥大であるかどうかという御
議論があってしかるべきであるにもかかわらず、銀行の四メガと比べても大きいとか、大手の保険会社と比べても大きいとか、そんな御
議論ばかりなんです。
そもそも、
郵便局というのは公的機関として存在しているんだという肝心なところをお忘れではないでしょうか。ですから、肥大かどうかということは、国の
資金需要がどうなのかという点と比べて、余分に集まり過ぎているかどうかという
観点しかあり得ないと私は思うんです。もしそれで肥大であったというんでしたらば、金利を下げればよろしいだけだと思っています。もし足りなかったら、金利を上げればいいんです。
竹中大臣は、民活化するんだ、
郵便局の
資金を民活化するんだとおっしゃっているんですけれども、そもそも、
国民は強制されて
郵便局にお金を持っていっているわけではないんですね。やはり銀行は不安だとか、銀行が悪いんではなくて、
政府が必要以上に
金融不安をあおったからです。せっかく統合して安定したと言われていた四メガまでもつぶすと、わざわざ外国に行って発言なさって、
国民の
金融不安をかき立てたんじゃないですか。
小泉政権以前にも不良債権はどんどん減っていたわけですよ。それなのに、あのあこぎなと言ったら、前田さん、ごめんなさい、銀行が残そうとしていた不良債権まで処理しろ、処理しろと迫ったわけじゃないですか。そのために
日本経済に数々穴をあけていったということでありまして、激増させたものを少し減らしてきたからといって何の手柄にもならないというふうに私は思っております。
そういう
金融不安のある中で、保証されるのは同じ一千万円とはいえども、だけれども国が頼りというふうに
国民が思ったということ自体を
政府は反省すべきです。なぜ
国民が三百五十兆も公的機関に
資金を預けたのかということを
金融大臣は反省すべきです。そういう反省がないままに、あたかも
郵便局に罪があるかのようにおっしゃるわけですね。だけれども、違うじゃないですか。
そもそも、財投に問題があるというのはもう
国民周知の事実でございますけれども、その財投をいいかげんに運営してきたのは総務省なんですか、
郵政省だったんですか。違いますね。財務省です。財務省の理財局が
資金運用部という勘定にすべてを引き取って、それで
特殊法人に
資金を分配してきたんです。その見張り方が国会が甘かったという問題はあろうかと思います。
しかし、聞くところによりますと、さまざまな
特殊法人に、認可法人も含めてかもしれないですけれども、各省庁が予算をもらいに行くと、予算はつけてやろう、ついでに人材も派遣してあげるよと言いまして、財務とか経理に財務省から天下りが行く、他省庁の
特殊法人にまで財務省から天下りが行くという現実があるわけです。道路公団で何年か前に天下り役人が汚職というような大きな事件がございましたけれども、だれだって建設省だと思うじゃないですか。ところが、
大蔵省だったんですね。そういう、予算だけではなくて、財投
資金まで自由に分配して、それをもって御自分
たちの権限を拡大してきた、天下り先をふやしてきたという現実があるわけです。
まずは、財投が非常に非効率だ、不透明だとおっしゃるんでしたらば、そこで何が行われてきたのか、だれがどういう意思決定をして、だれにどんな責任があるのかということを明確にしていただかなければ、
財投改革にさえならないというふうに私は思っております。
さらに、財投
資金がある程度必要だということになったときに、今だって、
国債は幾らになったとまるで自慢のように
政府はおっしゃっているわけですけれども、しかし、
国債を
郵貯のお金、
簡保のお金でたくさん持っていたりするわけですね。そういう公的
資金の
資金調達をどうするかという視点も重要だと思うんです。
私、
日本証券
経済研究所に勤めておりまして、証券市場育成に微力ながら一生懸命頑張ってきたつもりなんですけれども、残念ながら、
日本では、証券というのは好まれないんですね。そういう中で、
国債だって、ほかの国に比べたら、
国民が、個人が持つ割合は非常に低いわけです。まだ六十年前の、戦後、
国債が紙になってしまったという記憶を残している方もおいでであれば、目の前のバブル破裂で証券は懲り懲りだ、しかも財務省が、金利が上がる金利が上がるというふうにあおっているわけじゃないですか。景気対策なんかやって
国債を発行すると、
国債の信頼が失われて、いつ金利が上がるかもしれない、裏返せば、いつ
国債が暴落するかもしれない、そうやってあおられている中で、だれが
国債なんか持とうというふうに思うでしょうか。
そういう中で、
郵便貯金というのは、私は、ある
意味で第二
国債だと思っているんです。証券を好まない、債券を好まない、株式を好まない
日本人の中にあって、出し入れ自由な貯金という形態をとった
国債だというふうに考えることができると思うんです。
国債よりもある
意味では出し入れ自由という便宜がついている分だけ割安の金利で
資金調達できる、そういう国の公的
資金調達の手段であるということを忘れてはならないと思うんです。国家がどれだけの公的
資金を必要としているかということがあるとしたら、どういう
資金調達方法が一番低利であるか、コストが低いかという
観点も忘れてはいけないというふうに思うわけでございます。
ですから、
郵便局に関しましても、効率化を標榜なさる、
改革を標榜なさる
小泉政権であるならば、今現在ある二万四千七百の
郵便局をもっと活用するということをお考えいただいてもいいと思うんです。せっかくある財産を解体してばらばらにして、価値をなくすようなことを考えるのが
国民にとってプラス、本当の効率化とは私は思わないんです。
私は、実はこういう提言をずっと何年も前からさせていただいておりまして、
郵便局は利用の仕方があると。どういうことかというと、例えばボランティア貯金をやってほしい。今、
郵便局がおやりになっているボランティア貯金というのは金利の一部を寄附するというものなんですけれども、そうではなくて、現実のボランティアを献血手帳のように積んでいくというものなんです。そうすると、何ができるかというと、エコマネー、
地域マネーの
全国ネットを張ることができるんです。そうすることによって、都会に出ていった息子や娘が御近所でボランティアした分を、その貯金をおろしてふるさとで年老いた両親が御近所の若者から世話を受けることができる、そういう
ネットワークとして
郵便局を使えるわけでございます。
さらには、もっと実質的に、ボランティアの窓口ということもできると思うんです。例えば、三国でオイル事件があった、それから阪神大震災、中越地震とか、その前には、鳥取西部地震もあったりしたわけですけれども、
全国からボランティアが集まるんですね。どこへ行ったらいいのかわからない、どこへ行ったらば寝る場所があるのか、どこへ行ったらば御飯がもらえるのかということがわからないんですね。
一部のマスコミは、そんなもの、手伝いに来たんだから自弁しろとおっしゃったんですけれども、なかなかそれは難しいわけでございまして、
郵便局に行けば、どこそこのおうちが民泊させてくれますよ、どこそこでおふろに入れますよとか、そういうことを教えてもらえるというような、本当の
意味でのボランティアの拠点というふうにすることもできると思うんですね。
時間になってしまったので、とりあえずやめさせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)