○
田尻参考人 本日は、私
ごときに
発言の
機会を与えてくださいましたことを大変光栄に存じ、感謝申し上げたいと存じます。
私も、一
国民として
郵便局をさまざまな形で利用させていただいております。先日、私
ごとでございますが、
家内が
年金年齢に達しました。その直前に、三カ月ほど前でございますけれ
ども、地元の
郵便局からお
電話がかかってまいりまして、
年金相談にあずかりたいというお
電話でございました。
銀行よりも早くコンタクトしてこられたわけでございます。
それから一カ月間、私
どもの
家内の
個人属性に関するさまざまな御
質問をお
電話、
ファクス等で何度もちょうだいしました。それをもとに、
社会保険庁に対して詳細なる調べをしてくださいました。そしていよいよ、土曜日に
年金相談の日を設定しましたのでどうぞお越しくださいというお招きがございました。
私、
家内に同道いたしまして、どのような応対をしてくださるのかということで参りましたらば、そこでは二人の中年の係員の方が、まことに懇切丁寧に、
社会保険庁とは比べ物にならないほど親切に教えていただいたわけでございます。そして、その
お話の内容が、複雑でわかりにくいと言われる
年金制度の説明ではなくて、あなたの場合にはこうなります、しかも、これからあなたが
選択をしなければならない
二つか
三つのチョイスがあります、それについて、これを選ばれればこういう
プラスマイナスがありますからよく考えましょう。まことに懇切丁寧にわかりやすく、約一時間にわたって御
指導を賜ったわけでございます。
かといって、すぐに
受け取りの
口座を
郵便局の
口座にとはおっしゃらなかったわけであります。つまり、遠慮がちに、御主人様の
受け取りの
口座はどうなっておりますでしょうかという間接的な御
質問でございました。
いずれにいたしましても、土曜日のお休みの日にこれほど懇切丁寧なる
指導をしてくださる
郵便局の窓口というのが
国民に支持されるのは、当然のことでございます。よく、
国営事業の弊害ということが指摘されますけれ
ども、JRの
民営化問題とは全く質を異にいたします。ストの連続で、都内で三十八カ所も乗客が放火をするというような大騒ぎにまで至った、つまり
利用者と
提供者の間が極端に悪化した、だから
民営化せざるを得なかったケースとは全く質的に異なるわけでございます。
そういう
意味で、まず、今回の
民営化がなぜしなければならないのかということについて大方の
国民が理解できないのは、私は当然だと考えております。
さて、今回のこの
郵政民営化法案でございますが、その
制度設計の
発想並びに具体的な
政策をお選びになる
手段、どのような
手段を選ばれるかという
政策選択の
方法論、これなどをずっと拝見しておりますと、これは、
国際社会が既に四半
世紀前に卒業をした極めてクラシックな
市場原理主義というものを、今、
日本国が再びその
失敗を繰り返す
可能性が大きいトンネルの中に
国民を導き入れようとしているという思いを強く持つわけでございます。
それはいかなることかと申しますと、二十
世紀の
経済社会を引っ張ってまいりました
政策原理というのは明確でございました。これは、
東西対決の中で、
市場メカニズムというものを極端に使うということから、
人間を
消費者、
生産者ということに分けまして、そして安くてよいものが選ばれるということに
情報を単純化いたしまして、その中で
勝ち組と
負け組とを選別していくという
メカニズムでございました。この二十
世紀型の
市場経済の
発想が、二十一
世紀に入りまして、
国際社会では大きく修正、転換を迫られておるところでございます。すなわち、
人間を
人間として、
社会的存在として一人一人を丁寧にとらえていく、そうした新しい
社会の枠組みとはいかなるものかということから
政策変更が
議論されているところでございます。
したがいまして、
政府の
責任を最初から放棄いたしまして、
市場メカニズムに丸投げすれば問題が解決すると言わんばかりのこの
法案は、私
どもは絶対に受け入れることができないというふうに私は考えております。
二十一
世紀の
政府と
企業の
責任とは何かと申しますと、これは、
社会に対する
責任というものをその
事業や
組織運営の
倫理として、モラルとして定着させる、そうしたことを前提に、そうしたことを可能にする
市場機構というのはいかなるものかということを研究するのが私
ども経済学の
世界の
責任だと考えております。
そうした
観点から申しますと、今日の
法案の
制度改革がいかなる
理念のもとに行われているのかということになってまいりますと、まさに、二十
世紀の周回おくれの
市場原理主義を今強行なさろうとしていると私は思うわけでございます。
金融システムとか
郵便にかかわります
情報システムというのは、客観的公正なものではございません。これは、
制度を設計する、その
システムを設計される方の
発想、思想によって、それは
国民の味方にもなり敵にもなるわけでございます。
特に怖いのは、
金融による
所得移転と申しまして、
金利をちょっと操作いたしますだけで、家計と
企業と
金融機関の間で、
所得が見事にだれも気づかない間に移動してしまうわけでございます。増税ということになりますと
国民的関心を呼びますけれ
ども、
金利の
変更とか
金融システムの
変更というのは非常にわかりにくいために、
国民の知らないところでとんでもない
事態が進行するということでございます。
今日、
政府の
失敗という
観点からこの
郵政民営化を急がなければならないという
お話でございますが、
政府の
失敗も怖いことでございます。が、それ以上に
市場の
失敗はもっと恐ろしいということも御認識いただかなければなりません。
いわゆる
市場メカニズムというのは、
倫理性とか
社会的公平性とか
客観性というものを持ち得ない仕組みであります。つまり、そこに
公的関与があって、
環境づくりがあって初めて
機能するマシンでございます。したがいまして、その
制度設計の
基本理念は何か、
原則は何なのかということを明確にしていただかないといけない。
ところが、それはどこを読みましても、あの竹中五
原則以外には
存在しないわけであります。しかしながら、
市場経済において、すべての人が得をし、だれも損をしない
市場メカニズムというのは私はとても信じられない。そのような
制度が本当にあるんだろうか、どこにそのような
経済理論があるんだろうかというふうに考えるわけでございます。
さて、
民営化は決してただではできない。すなわち、
情報システムの
改修コストを初めといたしまして、
郵政公社、すなわち
加入者、
貯金者に対して、最低二兆円、下手をいたしますと三兆円もの
民営化の
コストが押しつけられることになるわけであります。
さて、それだけ
負担をいたしまして、
一体、
加入者、
貯金者は何を得ることができるのでございましょうか。都心にコンビニができることが、
一体、三兆円の
国民的負担の代償としてふさわしいものでございましょうか。二兆円と申しますと、
消費税を一%引き上げられるに相当する
国民負担でございます。
そういったことを考えますと、得るものがない、どこまで
国民は辛抱させられるかという
我慢比べのために二兆円か三兆円のまず
国民負担を強いられるというのが今回の
法案の本質でございます。
次に申し上げたいのは、
郵貯の
肥大化論とか、あるいは官から民に
お金を流すのだという
言い方がございます。しかしながら、
現行の
法案では、絶対に官から民に
お金は流れないのであります。
なぜかと申しますと、
お金を
一体だれが流しておるかということを考えてみますと、
お金を方向づけているのは
預金者、
貯金者ではないんです。
不良債権問題を発生させたのは、
銀行に対する
預金者ではないんです。それは
銀行自身なんです。
資金仲介をする
責任者たちなんです。
つまり、今回のこの
郵貯におきましても、
郵貯の
加入者、
貯金者が、
財投の
出口機関の放漫な部分の
責任をとらなければならないという
議論はないんです。それは、
郵貯の
資金や
簡保の
資金をお使いになって
信用割り当てをし、
資金配分をなさった
政府並びに旧
大蔵省資金運用部にかかわった
方々の
責任であります。それを、
郵貯があるからという
言い方は、
不良債権をもたらしたのは
銀行の
預金者であるという暴論をおっしゃっているに等しいものでございます。
そのような中で、
国民に
一体お金が流れてくるのかということでありますけれ
ども、
司令塔の考え方、
司令塔の
財政節度というもの、
規律というものが確立されない限り、これは従来と全く変わらないわけであります。
もし、
市場メカニズムを通じて自主的に
運用させることに
民営化の目的ありとおっしゃるのであれば、私
ども制度設計にかかわらせていただきました
平成十三年度からの
全額自主運用体制以降、それはもう実現されていないとおかしいんです。ところが、
出口機関はほとんどそのままでございましたから、従来
どおり財投の
資金繰りに変化を与えない、激変を与えない経過措置なるもので、相変わらず
郵貯、
簡保が
国債の
引受機関という
状態がますます強まってきておるわけであります。つまり、
市場メカニズムを通じて
資金効率を上げるんだという公約はどこへ行ったんでございましょうか。
そういうことを考えますと、さらに、だれが
お金を流しておるかということでございます。
先ほど、
日本銀行が
国債を持っているのはまだしも、
郵貯、
簡保が
国債を持っているのはという御
議論がございました。とんでもないことでございます。
中央銀行が
政府の借金の証文をどんどん引き受けていくというのは、
通貨を増刷する、
通貨を供給する
立場にあります
中央銀行のやってはならないことでございます。これは、円の信頼を損ないます、そして、
日本経済、
日本国民の生活を
根底からひっくり返すことでございます。
しかも、
日本銀行は現在
国債をどういう持ち方をしておりますでしょうか。昨年末の時点でありますと、確かに八十五兆円
程度でございます。
郵貯、
簡保に比べますと、六割とか七割
程度であります。ところが、
日本銀行は、
償還期を迎えた
国債は償還していただかなくても結構ですということでお待ちになっていらっしゃるわけであります。どちらが
財政規律をだめにしているんでございましょうか。
そういう
意味で、私は、
中央銀行が
償還期の来た
国債の返済を猶予してやるなどということを、絶対に受け入れてはならないことだと思います。しかし、そのことは、
国民がほとんど意識されないままに、そういう
状態が今年度も続けられるそうでございます。
そのように考えますと、さらに
郵貯、
簡保が主たる
資金源だ、
財投出口への主たる
資金源だとの
言い方は、もう
一つ正しくございません。なぜならば、統計を見ましても、
民間の
銀行、
民間の
保険業界、これらが持っていらっしゃいます
国債の
保有残高は、
郵貯、
簡保の
保有残高とほぼ同額でございます。つまり、
お金の出所が官であるか民の問題ではなくて、
お金の流れが決まりますのは、そこに投資することが
お金を出す側にとって有利かどうかということで決まってくるわけでございまして、自分が官であるか民であるかということは、
お金に色は
関係ございません。そういう
意味で、たとえ
郵貯を
民間金融機関にいたしましても、
現行の
法案の枠の中では、
事態は何にも変わりはないというふうに申し上げざるを得ないわけであります。
さらに、この
郵貯、
簡保の問題で、
郵便局ネットワークを維持できるかどうかという
お話がございます。
建物の
郵便局に
価値があるわけではございません。
郵便局が提供する
郵便貯金事業なり
簡保事業なり
郵便事業、その
機能に
価値があるわけであります。
機能をいかに維持するかという問題と
建物の数が
幾つあるかということは、直接
関係ございません。そう考えますと、つまり
国民にとって必要なのは、
郵便局の
建物ではなくて、その
金融サービスなり
郵便サービスが必要なんです。これを利便性という言葉で表現なさるものですから、三軒あるうちの一軒がなくなってもまあ御辛抱くださいということになるのかもしれません。
しかし、そうではないんです。つまり、
金融システムの
改革というのは、その
変更によって
社会のどの階層が利益を受けどの階層がしわ寄せを受けるのかということが全く欠落してしまうわけであります。つまり、これまでの
日本版
金融ビッグバンにしろ現在のリレーションシップバンキング論にしろ、すべて小口、個人の問題、地域
金融の問題、あるいは零細な
社会の
年金生活者等のマイクロ
金融の問題、そういった問題はすべて欠落しておるわけでございます。
そういうことを考えますと、今日、
国際社会においては、
郵便のみならず、小口、個人の
金融機会もユニバーサルサービスの対象にどんどん加えております。それを法制化しております。フランスに始まりましてスウェーデン、いろいろな国々にそれが広がってきております。ドイツですら、それをユニバーサルサービスの範疇に加えつつあるわけでございます。そうしたときに、私
どもは、
郵便局ネットワークがその
機能をどこまで維持できるのかということになりますと、今日の
法案の枠組みでは大変将来不安が大きいということでございます。
利便性という言葉は
市場経済の言葉でございます。つまり、
コストを幾ら
負担して、それに見合ったサービスが受けられるかどうかという相対的な基準でございます。しかしながら、五十円、八十円の通信の
機会、あるいは貯金の
機会、あるいはさまざまな
社会給付を受け入れるための
口座の維持の問題、あるいは極めてシンプルな
リスクカバーの
手段、こういったものは、いわゆるライフライン的なものでございます。これは、
コストが
負担できるかどうかという問題から決まってくる相対的基準ではなくて、国家が無差別に保障すべき絶対的基準でございます。今日、
国際社会の考え方はその方向に大きくシフトしております。そうしたときに、
日本国だけがそれに逆行いたしまして周回おくれの
市場原理主義に立ち戻るというのは、まことに
世界に目をふさいだ考え方だというふうに申し上げなければならないかと存じます。
最後に申し上げたいのは、
郵政公社だからできることというのがたくさんございます。あるいは、
郵政公社でなければできない、
公社経営でなければできないことがたくさんございます。その部分はほとんど
議論されないで、
公社ではだめだから、
民間金融にすればこういうことができますとおっしゃっていることは、現在の
公社形態のまま、すべて可能でございます。つまり、
公社経営で何ができていないのか、何をなすべきかというところから
議論の組み立てが行われるべきときではないかと思います。
そういう
意味で、私は、
市場メカニズムに基づいたビジネスモデル何とかの二十
世紀型の
金融システム論ではなくて、
社会のすべての階層が排除されない、しわ寄せを受けないで済むような仕組み、これは、
企業だけではできないんです。
企業と官の両方が補完して初めて可能になる仕組みでございます。いわゆるソーシャルファイナンスとかソーシャルバンキングサービスの
世界を私
どもはこれから構築していかないといけないときでございます。そのときに、
日本郵政公社を
企業の論理、株主支配の論理だけに丸投げをして、
一体何をなさろうと考えておられるのでございましょうか。
私
どもは、そういう
意味で、今回の
法案は、
郵政改革を考えていただくいいタイミングではあると思います。しかしながら、推進論者がおっしゃっておられるお題目と現実に目の前に提示されました
法案との間は、全く質的に異なるものでございます。そのあたりをぜひ御理解いただきまして、何が
国民のためなのか、
一体だれのための何のための
改革なのかということをぜひ御
議論賜ればと存じます。
失礼いたしました。(拍手)