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江川参考人 おはようございます。
私自身もかかわりました
行刑改革会議の提言が生かされて、こうして
法案となり、それが真剣に論議されている、そういう場で
発言の
機会をいただきましたことを
本当に感謝いたします。
ただ、私は、今回の
行刑改革会議に加わるまで、行刑というジャンルに関しては全くの素人でした。それどころか、正直に申し上げて、格別の関心を払っていなかったというのが
本当のところです。
新聞記者になって以来、さまざまな
事件の取材あるいは
裁判の
傍聴の取材をする
機会はたくさんありました。けれども、大抵の場合、被告人の刑が確定すると、その
事件は
自分の中で一件落着というふうになっていたような気がいたします。
名古屋刑務所での
事件が起きたときも、もちろん大きなニュースとして取り扱われましたので関心は持ちましたけれども、実感としては、私とは無縁の世界の出来事だというふうに受けとめておりました。そうした
自分の認識不足というものを棚に上げるわけではないのですけれども、塀の向こう側というのは
自分のいるこの
社会とは全く異なる異次元の世界のように感じている人は少なくないように思います。
行刑改革会議のメンバーとなってから、そうした
自分の態度やあるいは無知というものを非常に恥じることになりました。
法務省の方からレクチャーを受けたり、六カ所の
刑務所を見せていただいたり、その際に、
刑務所の
職員の方にお話を伺い、あるいは
刑務所で仕事をされているお医者さんなどにも話を聞きました。あるいは、
受刑者や
職員に
アンケートを実施しましたけれども、そうしたことで知ったことはいずれも
本当に驚きの連続でした。
とりわけ私が衝撃を受けたのは、府中
刑務所で、いわゆる
処遇困難者と呼ばれている人々がいる区画に行ったときのことでした。独房がずらりと並んでいました。そこには、昼間でも工場に出役できない
受刑者たちがおりました。一人で黙々と
作業をしている人がいるにはいたのですけれども、それ以外に、生気のないうつろな目で漫然と時を過ごしている人たちがたくさんいるということに驚きました。
さらに、私たち一行が、通路を歩いて、ある箇所まで差しかかりますと、
職員の方が私たちをとめました。そして、その
職員の方が、
一つの房の横側についている窓、これはプラスチックの板が張ってあって中が見えるようになっていたわけですが、その中をのぞき込み、そして私たちに向かってこう叫んだんです、気を
つけてください、しょんべん持って立っています。私もその窓から中を見てみました。すると、ドアのすぐ横に男の人が立っていて、器を持っていました。そして、目をぎらぎらさせながらそこで待ち構えていたわけです。その通路に面したドアにもプラスチックの小窓がついていますが、そこは、恐らく会話がしやすいようにでしょう、小さい穴がたくさんあいているんですね。その男の人は、私たちがドアに近づいたら、その穴越しに容器の液体をお見舞いしてやろうというふうに構えていたのでした。
その様子が、私も横から見てわかったので、私たちは、そのドアの前を迂回するようにして房の前を通り過ぎようとしました。すると、ドアの下のすき間から液体が廊下に流れ出てきたわけです。計画が失敗したということを知って、その男の人は腹いせに液体を床にぶちまけたらしいのです。
私はそのとき、
刑務官の方に、そういったものをまともに浴びてしまうこともありますかと聞きました。するとその方は、大小便を浴びせられるなんてしょっちゅうですよという答えが返ってきました。それを聞いて、
刑務所の
刑務官というのは何と大変な仕事なのだろうかということを思いました。そして、果たして私自身は、例えば排せつ物を浴びせかけられても、感情を動かすことなく丁寧に対応し、汚れた房を黙々と掃除する、そういうような仕事ができるだろうかと考え込んでしまったのでした。
しかも、
刑務所の
過剰収容の実態は
本当に深刻でした。私が行った
刑務所でも、定員の一二〇%近い
受刑者を収容しなければならないために、独房に二人、あるいは六人
部屋に八人を詰め込んだり、本来は
更生のための
教育に使われる教室、あるいは図書館に使っている
場所を改造して居房にするというようなことをしておりました。ただでさえ狭い独房に二人を入れると、布団を敷いたときに重なり合ってしまうわけです。そういう
状態でも同房者同士がもめたりしない人がそういうところに入れられることになるわけです。つまり、まじめでおとなしい人ほど割を食う、こういう
状況になっているわけです。当然、そういう中では
受刑者のストレスも高まっているようです。
そんな
状況でも、
受刑者の増加に見合うほど
職員の数はふえていないようです。当然、仕事は多くなり、当直明けでもすぐに帰れないというようなことを聞きました。どうしても勤務の時間が長くなるわけです。
どこの
刑務所に行っても、
刑務官の方たちから伺う労働実態というのは、
本当に悲鳴に近いものがありました。
私たちは
刑務官の方への
アンケートをやりましたけれども、そこでも、六割以上が前の年一年間にとれた有給休暇の日数は三日以内と答えておりますし、一日もとれなかったというふうに答えている人も三割以上に上っています。また、その
アンケートでは、三人に一人の
刑務官が
受刑者の
処遇でストレスを感じておりますし、六割近くが仕事において身の危険を感じたことがあると答えています。あるいは、先ほど
久保井先生の方からお話がありましたように、
受刑者への
アンケートでも、三四%が何らかの
いじめや暴力ということを答えておりますけれども、その一方で、
刑務官の方も、四割以上が実際に
受刑者から暴力を振るわれたりおどされたりしたことがあると述べています。いずれにしても、非常に緊張感のある中で仕事をしているということが言えると思います。
名古屋刑務所の
事件のような一件がありますと、
刑務官の
人権意識を高めよ、
人権教育をもっと行うべきだという
意見が出てきます。それは当然のことです。そして、実際にそれは、そのような対策が十分にとられなければならないというふうに思います。今回の
行刑改革の中でも、
刑務官に対する
人権教育というものが強調されているのは当然のことだというふうに思います。
けれども、それだけで十分なのでしょうか。当の
刑務官の
人権が十分に守られていると言いがたい
状況の中で、さきのような困難な職場において
受刑者の
人権を大事にする基本姿勢を貫くというのは
本当に大変なことだと思います。あってはならないことですが、
刑務官の間にストレスがたまり、それが何かのきっかけではじけてしまうということが絶対にないとは言えない
状況にあるなということを
刑務所を見て感じました。
刑務所を
本当に
改革しようとすれば、
過剰収容や
処遇困難者と呼ばれている人々の存在、この
処遇困難者というのは、先ほど申し上げた排せつ物を浴びせかけるような攻撃的な人ばかりではなくて、さっきも申し上げた、うつろな目をして座っているままなど何らかの知的な障害や問題を抱えている
可能性があるという人も含めてのことなのですけれども、そういった
現状、現実を直視した上での
改革というものが必要になっているというふうに思います。
具体的には、
過剰収容の
改善と適正な数の
職員の配置、また、
一言に
処遇困難者といっても、その
状態や原因はさまざまです。薬物が原因の人もいれば、拘禁反応を示しているケースもあるでしょうし、その他病気によるものもあるでしょう。さまざまな原因あるいは態様が見られるわけです。そうした個々の
状況に応じた適切な対応というものが求められるわけです。
今申し上げたように、いわば
人権など、建前だけを論じるのではなく、現実に即した
改革が必要であるということは、医療に関する論議の中でも感じました。
刑務所の常勤の医師というのは、本来は週五日
刑務所で勤務すべきということになっております。ところが、その多くが週に二日は大学などで研修をしているということが明らかになって、報道では随分批判が起きました。
確かに、筋論としては、そういうことはあってはならないわけです。しかし、実際に医師の話を聞いたり
アンケートの結果などを見ますと、簡単に医師たちに対して週五日勤務の原則を徹底させよと言うだけでは済まないことがわかります。
医師たちは、
刑務所で勤務している間に医療の最先端から取り残されるということに不安を感じています。そういう研修日がなければ、給料が倍になってもやめたいというふうに答えている者も少なくありません。研修の
機会を与えていても、医師の定着率は低いというのが実情です。行刑
施設に勤務する医師のうち、行刑
施設での勤務
経験が三年未満という医師が六割を占めているのが現実なわけです。
この現実を踏まえて、十分な医師を確保し、今回の
法案で述べられているような
刑務所医療を行うためには、単にかけ声ばかりではなくて、厚生労働省や各大学など
法務省以外の部局との積極的な協力など、
本当に省庁を超えた連携が必要になってくると思います。
先ほど、府中
刑務所で衝撃を受けたという
経験をお話ししましたけれども、もう
一つ、この
刑務所で考えさせられたことがあります。それは、当たり前のことなのですけれども、彼らもいずれ
社会に帰ってくるということです。
刑務所の中では、
刑務官があらゆることを受けとめて処理をいたします。私たちはそこでの現実を見たくなければ見なくても済むわけです。けれども、
処遇困難者と言われる人々も含めて、
受刑者の多くは
社会に戻ってくるわけで、一たん戻ってくれば私たちの隣人になるわけです。
そのことを考えると、彼らがどういう
状態で
社会に戻ってくるのかということに関して、私たちはもっと関心を払わなくてはいけないのではないでしょうか。できることならば、犯した罪を反省し、
社会の中でもう一度やり直すという意欲を持って出てきてほしいのです。そういう人が一人でもふえることが、
再犯を減らし、
社会の
治安を
改善するということになるからです。
けれども、今の
刑務所は、そうした
社会の願望や要望にこたえているでしょうか。あるいは、こたえられる
状況にあるでしょうか。もちろん現在でも、
刑務所で
更生教育が行われていないわけではなく、職業訓練や通信
教育なども実施されております。けれども、それが十分なものとはとても思えません。また、
刑務所に長らくいて、家族からも見放されたような人が、出所後に自力で職や住まいを探して、すぐに
社会復帰をするというのは非常に困難な現実があります。
しかも、
受刑者の中には、
生活力もない人がかなりいるようです。
刑務所の中では
生活力というのは必要とされません。そこでは食事が
提供されておりますが、いざ出所となれば、ラーメン
一つ自分でつくれないという人がいきなり自活をしなければならないわけです。
更生保護
施設というものはありますけれども、先般、読売新聞の
調査で明らかになったように、
施設の半数以上が性
犯罪の前歴者の入所を受け入れないなど、必要な保護が十分に行き届いていないという
現状があります。
こうした現実を踏まえると、さまざまな側面でもっと、
社会復帰、いわゆる出口を見据えた行刑を行っていくことが重要になっていると言えます。
今回の
法案では、さまざまな点で、
受刑者が
社会との接点を維持したり、
社会性の涵養のために工夫がなされております。それを一歩進めて、
矯正と
更生保護との連携をもっと深めたり、他省庁、さらには民間との有機的な協力
関係を築くということが求められております。
例えば、就職に関して、
フランスでは、職業安定所と司法省がタイアップして、出所と同時に就職ができるように受刑のときから準備をする仕組みがあると聞いております。
日本でもそういうような取り組みができないものでしょうか。
あるいは、深刻な薬物中毒の問題に関して、
行刑改革会議の提言では、受刑中に専門家の集中的なケアが受けられる治療センター、そういう
施設の必要性に言及いたしました。さらに進めて、そうしたところでの受刑中のケアを、出所後の治療、カウンセリングあるいは自助グループなどといったケアにつなげていくことで薬物事犯の
再犯を減らすということはできないものでしょうか。
今回の
法案第十四条は、
受刑者の
処遇は、個々の資質や環境に応じて、
社会生活に適応する能力を育てることを旨として行うという趣旨のことが書いてあります。これこそがこれからの行刑に最も求められることであり、今回の
法案の真髄だというふうに思います。
ただ、この理念を現実のものとしていくには、なさなければならないことがたくさんあります。今回の法整備というのは
行刑改革のスタート地点にすぎません。
法案の
審議を通じて、あるいは今後のさまざまな
機会をとらえて、
刑務所が真の
意味で
人間再生の場になるよう
改革を進めていただきたいと
本当に心から願うものです。
また、この
改革を効率的に進めるには、
国民の理解を得ていくということがとても大事だと思います。かつての私のように、塀の中は異次元の世界という感覚ではなく、
治安のとりでとしての行刑の役割について
国民の間で認識が深まるよう、先生方、そして
法務省など
関係機関のなお一層の御
努力に期待をしているものです。
どうもありがとうございました。(拍手)