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三原委員 ことわざというか
言い方に、丸い豆腐も
切りようじゃ四角、物も
言いようで角が立つ、こう言うでしょう。それと同じことですよ。だから、物の
言い方も、初めからちゃっと切ったように九百、千人でどうですなんて、バナナのたたき売りじゃないから、やはり人の一生を決めることだから、
言いようをもうちょっと考えてこの
司法試験の
委員会も言えばよかったよね。
そんな、
知的レベルが最も高い人が、人の心臓をとめさせるようなことを言わないで、やる人に勇気を持たせる、
希望を持たせるような
言い方を、私はこれは
資格試験と思うから、落とすんじゃない、
大学の入試じゃありませんから、席が決まっていて、もうこれ以上の人は幾ら高い人でも席がないからまた来年来てねというのと、ある
レベルより上に行けば、みんなあなた
たちはこれから先
司法界で頑張ってもらいますという、そうでなくても、例えば会社勤めしてもいいけれ
ども法務部門で頑張ってみるとか、
NPOあたりでもっと
リーガルマインドを持ってやらせてみるとか、そういうことをやるわけだから。この
レベルより上に行っている人はみんな、これから先、
遵法精神をみずから発揮して
社会でいろいろなことに貢献してくださいということである以上は、何か落とすのが目標みたいな、そういう意識だけはやはり持っちゃいけないし、
勉強する人の側にもそういうことの恐怖をもたらしめるようなやり方というのは私はまずいと思いますから、そこのところは大いに反省してもらいたいと思うし、いわゆる
試験の
先生方に言っておいてくださいよ、あなた。
しかし、私はこの新しい
ロースクール、
法科大学院制度というのはすごくいいことだと思います。これから先、事前でいろいろなことを、今までは
行政指導みたいな
感じでいろいろなことを決めていたのを、より自由なこととしていく。そうすると、自由になればそれだけやはり問題、トラブルが起こったりあつれきが起こることはあります。そういうことを事後でちゃんとチェックをして、決められた法にのっとって物事をやっているかどうか、
社会をフェアにしていく上で、
リーガルマインドを持ってやってもらう人をどんどんふやしていこう、こういうことは、私は、これから先の二十一世紀の
我が国の国の形として正しいことだと思うわけであります。
だからこそ、私は、そういう人には
法科大学院でちゃんとしたいい
教育をしてもらっておいて、そしてできる限り多く、今度でも三年行く人も入れたら全部で五千六百人はいるんですね、五千五百九十人かな、六十八
大学でそうなっていますから、そういう
人たちのほとんどが、初めから七、八割と言わぬでも、
資格試験ですから、
レベルに行っておけば九割八分になろうと一〇〇%になろうと、それが六割になろうと私はいいと思うんです。
試行錯誤のうちに、
最初の第一回目からどうなるかというのはそれは難しい。みんな一生懸命、興味津々で見ていますけれ
ども、時がたつにしたがって、二年、三年、五年、十年になるうちに、大体このぐらいの
レベルだったら
資格試験にみんな通りますという。例えば、
国家試験からいえば
医学部の
試験はそうですよね。
医学部の
試験は、ある
レベルを通っておけばみんな通してあげる。そのかわり、何か
成績の悪い学年かなんかあるとだあんと落ちちゃったなんてありますよね。僕は、そうしたらそれでいいと思うんです。ちゃんと国がその人に有
資格者といってやる以上は、ちゃんと威厳を持ったものでありながら、なおかつ
社会に
法律の
専門家として貢献できるような人を出してもらうということは私はいいことだと思うし、そのためにもどんどん、そんな七割、八割と言わないで、ある
資格があれば、その人が明らかに
法律の
専門家として
社会でやっていけるということになれば、それが九割になったって一〇〇%になったっていいはずだと私は思うんです。そのことをいま一度ちゃんと念頭に置いて、何のために
法科大学院ができたかというと、つまりそういうことなんでしょう。だから、それを私は強く要望したいと思います。
次の
質問に移りますけれ
ども、ここでも何度かこの
法科大学院のことに関していろいろ
質問がありましたし、
予算委員会でもあったのをテレビで私も見ていたりしていたんですけれ
ども、特に今度の、去年から入った人でも、ほぼ半分近くが
社会人から、ではもう一遍
自分で人生チャレンジしようと入ってきた人がいます。
家庭的に、例えば、ある瞬間だけもうちょっと親のすねかじってもという人もいるかもしれないが、そうもいかぬ、
大学へ行くときだって
奨学金で、一生懸命頑張ってアルバイトをして、それで会社に入ったけれ
ども、
弁護士の志を捨て切れない、こういうのがあったから入ろう、こうなったとしたときに、今度は経済的な面でも、
財政支援の面でも少しはされておりますし、ここでも議論がありました。
特に、例えば
家庭を持っていて子供さんもいながらも、志は失いたくない、頑張ってみようということになったようなときに、ここでは無利子の
奨学金とか
有利子の
奨学金なんてありますけれ
ども、こうやって
勉強して
社会に出れば、それによって絶対に、その
人たちこそ
法律を
勉強するんだから借りた金は返すことは言われなくたってやる、率先して進めるべき
人たちなんだから、私は、この
有利子の
奨学金あたりでももっと枠を広げるような
感じでやってもらうようにすることが大切だと思うんです。
まして、今調べてみたら、私の住んでいる
九州でも、
福岡県は四つあります。
長崎県はない。
宮崎県もない。
大分県もない。
あと、沖縄、鹿児島、熊本、
福岡はあるんですけれ
ども。
福岡の人だったら
選択の幅はありますよ、家からでも通えるとかあるけれ
ども。では、今言った
宮崎とか
大分とか
長崎の人が、さあ
法科大学院に行こうといったら、県を出なきゃいけない。そういう
人たちは、例えば
家族持ちだったりすると、この
有利子奨学金だけでやっていけるかというと、常識的に考えてもできるわけないよね。その
程度ぐらいまでもうちょっと
配慮をするというようなことができなかったのかな、こう私は思うわけですよ。
例えば、
福岡に住んでいて、
九州大学の目の前が家だったりなんかすると、それはもうラッキーということなんでしょうが、そうでない人でも、志は、男子一たび学に志し郷関を出ず、学もし成らずんば死しても帰らず、骨を埋
むるただ墳墓の地のみならんや、人生至るところ青山あり、そういう
気持ちを持った人がやはりこういう
法律の
勉強をしようというんだから、そういう面でのもうちょっと懐の深い
配慮というのができないんだろうかね。そこのところをちょっと聞いてみたい。