○自見
委員 自由民主党の自見
庄三郎でございます。
武力攻撃事態対処に関する
特別委員会、きょうは
基本指針が発表されたわけでございます。今
石破前
長官の
質問にあったのは、
民間防衛という
概念ですね。昨年、たまたま私、ゆえあって
委員長をさせていただいて、
久間筆頭、
前原筆頭から大変お助けいただいたわけでございますが、やはりこの
民間防衛という
概念、私は、それが少しこの前抜け落ちていたのかなというような気もいたします。
特に、
防災だとかあるいはけがをした人を救うとか、そういう自主的な
民間の創意といいますか、それがやはり
基本的には非常に大事になってきます。百里の道も一歩からということがあります。私は、戦後五十九年、こういう
有事法案、
有事関連法案ができなかったわけですから、これは一歩一歩、あるいは半歩半歩、本当に国の
安全保障ということは大事なことですから、そしてそれは
国民全体を結局は守ることですから、そのことを踏まえて、
民間の
防衛ということが、そういった
概念あるいはシステムを次の段階としてやはり充実していく必要があるというふうに思っております。
きょうは、実は私の
質問は、
マラッカ海峡における
船舶襲撃拉致事件、これが三月、今月起きたわけでございまして、
国民の非常に大きな関心を呼んだわけでございます。
私は、昨年の八月、九月、おかげさまで、当
委員会の
委員長として、
久間筆頭、
前原筆頭とも
ども、この
委員会の御許可をいただきまして、スウェーデン、英国あるいはカナダ、アメリカにも行かせていただきました。そのとき、本当に私が感じたのは、九・一一以来、世界の国家の
安全保障に対する
概念というのは非常に大きく変わってきた。まさにそれまでは国家対国家だった。しかし、九・一一以来、国家と言うなればアルカイダのような非国家が、巨大なニューヨークのワールドトレードセンター、私も何回か上ったことがありますけれ
ども、あれを瞬間にジェット旅客機で爆破する、そういったことが今の危機の原因だと私は思っております。
私、実は竹下さんと一緒にトロント・サミットに行かせていただきまして、ちょうど帰りにシカゴで、竹下さんを迎えての、イリノイ州初め、たしかたくさんの州知事さんのシッティングのパーティーがございまして、たまたま私の横が今のアメリカの国防
大臣でした。そのとき彼はこう言いました。米ソの冷戦構造が終わるにしても、大きな大蛇は世界でいなくなる。しかし自見さん、小さな毒蛇、毒ガがいっぱいうようよし出すよ。それは言うなれば国境紛争であり、民族間の対立であり、宗教的な対立だ。そういったことが非常にこの世界を覆うようになるというふうに、確かにあれは炯眼でしたね。そう言ったのをよく覚えております。今、テレビで見ても、まあいろいろございますが、まさにそういった時代になったのかな、こう思うわけでございます。
今、私が何を言いたいかといいますと、
安全保障という
概念が広くなってきた、広義になってきた。前は、国家と国家だ。海賊というのは物取りだ、強盗だ、その程度に
考えられていたのが、今はその海賊行為、これはいろいろ国際的定義がありますよ。いわゆる武力によって、暴力によって公海上の船舶を占拠するんだ、いや、それはしかし、公海上でもないんだというふうな定義もあるようでございますが。
そういった中で、言うまでもなく、我が国石油の八〇%、エネルギーの八〇%近く
マラッカ海峡を通ってくる船舶によってこの日本国の経済は成り立っているわけでございますし、また、御存じのように
マラッカ海峡を通る二〇%の船は日本国の船でございまして、まさに
マラッカ海峡こそは日本国経済、社会、国家の動脈線でございます。
そこで今回、御存じのように三月十四日、北九州市の、恐縮でございますが、私は北九州の出身でございまして、
近藤海事に所属するタグボート韋駄天が
マラッカ海峡のペナン島沖で海賊の襲撃を受けた。犯人はまだわかっておりませんが、一説によると、事件は、インドネシア・アチェ州の独立武装
組織、自由アチェ
組織のメンバーによる犯行の可能性が高いとの
指摘もある。これはたしか、私も船長さんの記者会見を聞きましたが、非常に訓練された五人の兵士のような感じがしたというようなことを聞きまして、そういったこともあるのかなと。
それから、ロケット砲と銃で武装した海賊が突然あらわれて乱射をし始めた。何か、
専門家によりますと、ロケット砲を持っているかどうかが非常にポイントで、普通の物取りとか泥棒だとせめて刀とか鉄砲だというんですね。ロケット砲を持っているというのは、やはりかなり
組織的なものじゃないかという
専門家の御
意見もあります。タンカーがロケット砲でねらわれると一発らしいんですね。十万トン、二十万トンのタンカーが、ロケット砲でやられますと燃えますからね。
それは余談でございますが、そういった、まさに乱射をし始めて、Tシャツに長ズボン、はだしのままの船員がなすすべもなくただ凍りつくばかりであって、銃を突きつけられて三人拉致された。御存じのように、三人はジャングルの中を転々と移動されて、結果は本当に、日本国
政府、また地元の北九州市も
対策本部をつくっていただきましたが、無事に結果的には解放されたことを率直に喜びたい、こう思っております。
その過程におきまして、
政府の方も
対策本部をつくっていただきました。海上保安庁あるいは国土交通省あるいは
外務省あるいは警察庁、そして
内閣官房危機管理監ですね。次の日、北九州市に
対策本部をつくって、末吉興一市長さんが御上京されましたので、私も、大変僣越でございますが、海上保安庁
長官あるいは
外務省の領事局長あるいは危機管理監に直接お願いをいたしまして、その夜、
玉沢委員長の招宴がございましたので、官房
長官初め、当然
村田大臣にも、それから外務
大臣にもお願いをさせていただいたわけでございます。
海賊事件としては比較的短い時間で無事解放されたということを、私、
政府の
対策本部のそれぞれに、徹夜で頑張っていただいた方もおられるという話でございますが、大変敬意を表するわけでございます。
私があらかた言ったわけでございますが、ぜひ
大臣から、こういったことも実はあったのだと、言えることと言えないことがあると思いますが、そのことについて、
政府が事件解決に向けてどのような
措置を講じたのかということについて何かコメントがあれば、
村田大臣、よろしくお願いします。失礼いたしました。外務副
大臣、どうぞ。