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遠藤参考人 皆様、おはようございます。
本日は、このような各
地元の
代表の皆様と接する機会を与えてくださいまして、まことにありがとうございます。
また、この場をかりまして、大変恐縮でございますが、昨年八月に、私
どもは
千葉県にあります
ワタミファームという
農場を訪れ、
農業の
意識が根底から崩されるという経験をしております。その節は、お忙しいところ、
ワタミファームの
武内社長には数時間にわたりいろいろと御指導をいただいた件がございました。あのときに食べた生のミズナスの甘い味と、
農業は
自分の生きがいだとおっしゃったことが今でも耳に響いております。
武内社長、本当にその節はありがとうございました。
さて、私は、東北の福島県喜多方市で土木建築業を営んでいる
遠藤広と申します。
自分が今から十五年ほど前に、故伊東正義さんが手がけた
農政の
事業に、下請でパイプラインの仕事をさせてもらいました。当時、こんなべな土で果たして作物がつくれるのだろうか、一体今
自分がやっているパイプラインは役に立つのだろうかといった疑問点を抱きながら、仕事として割り切って仕事を竣工させたことを時々思い起こします。
というのも、広大なパイロット
事業が完了してから一度も活用されることなく眠っている
土地、作物がうまく育たず放棄された
土地、石だらけ、カヤだらけの荒れ果てた
土地が、この
地区に約五十八ヘクタールほど点在しております。
国営事業であって、国民の税金を投入し、また、
地元の地主においては償還金の返済に苦しみあえいでいるというのが現状です。まさかそんな状況をわかっていながら、
自分がアグリ
特区によりこの地で作物をつくることになろうとは夢にも思っていませんでした。
参入の主な理由なんですが、以前より多少なりとも
農業土木に関連した仕事に携わっていて、
農業に非常に興味を持っていた。また、公共工事の激減、イコール売り上げの減少で、
うちの
会社は小さい
会社で、多いときでも三億円程度の売り上げなんですが、現在は約半分の一億五千万円でここ数年推移しております。
喜多方市は、蔵とラーメンの町として皆様も御存じのことと思いますが、主な基幹
産業がなく、御多分に漏れず公共依存型の町でございます。自助努力により何とか公共依存型脱却を常々模索していたところでした。そして、数年前に中国に旅したときに、道路からあふれんばかりの人がアリのようにいるんですよね、中国は。それで、その人の多さにびっくりしまして、現在バブル景気に舞い上がっているところの中国ですが、この中国の人口が例えば二〇%ぐらいの、二〇%といっても日本の人口を上回る人口になってしまうんですけれ
ども、日本と同じような飽食状況になったら、食物輸入依存の日本は大変なことになってしまうんじゃないか、遅かれ早かれそういう時期が来るなと私なりに考え込むようになり、早目に自給率を高めなくてはと思うようになった次第です。
また、現実的に、
地元の食材の加工場には、中国産のタケノコ、それからシイタケ、里芋、タラの芽など、さまざまな野菜類が安い金額で入ってきています。その加工場で
作業している人
たちに、その加工したものをあなた
たち食べられますかと聞きますと、一〇〇%食べませんと答えました。
日本じゅうにこのような食材がたくさん出回っているんです。食の安全を求めるためにも、
地域での地産地消ではなくて、日本が
一つになった地産地消を求めるべきじゃないかなというふうに考えております。
これからの話は、私が
特区に
参入しまして足かけ三年になりますが、その期間内において
自分なりに現実に野菜づくりをやってみて直面していることを皆様にお話ししたいと思います。
まず、アグリ
特区の契約期間五
年間についてです。
御承知のとおり、
特区により
耕作できる
土地は、
農家の方
たちが放棄したもので、当然
荒れ地となっていて、最たるものは、パイロット
事業が竣工してから十五
年間一度も耕していない
土地もあるという現実です。二メーター以上に生い茂ったカヤ、雑木、畑一面にある石、それらを伐採、伐根、除根して初めてトラクターで耕すことが可能となります。一年目でそれらすべてを行い、二年、三年で土壌改良、四年目でやっと正常な畑地に変わりますが、今の契約ですと、五年後に
地権者より
土地を返してくれと言われたならば返さざるを得ません。裁判になれば
自分たちに有利に進むという話は聞きますが、争ってまで借りる気にはなれません。しかし、人間の心情としては、種をまいて五年後に花がやっと咲いたというときに手放さなければいけないというのは断腸の思いです。
御参集の皆様に例えてわかりやすく言うならば、毎回選挙は大変です。それで、当選され、向こう四
年間、五
年間と地盤固めを一生懸命なさいますよね。そして、あそこで子供が生まれたといえばおめでとう、おばあちゃんが亡くなったといえば御愁傷さまでした、
息子さんが結婚したらばおめでとうございます、本当に寝る間も惜しんで奔走されるでしょう。そして、さあ次の選挙になったとき、いや申しわけない、党の事情で、今まで三区だったけれ
ども、五区から申しわけないが出てくださいと言われたら目の前が真っ暗になると思います。そういった事情と、私
たちが
農地を五
年間で返さなきゃいけないというのは同じ事情と思えるんですが、いかがでしょうか。(「そのとおりだ」と呼ぶ者あり)ありがとうございます。
現に、
特区に
参入しているほかの業者の方
たちも、いつ返してくれと言われるかわからないので、借りた
土地に関しては、本腰入れて
土地を改良したいという方は本当に少ないです。
このようなことからも、契約期間を最低でも十
年間とし、
行政が窓口になって両者を取りまとめているのですから、
責任の所在ははっきりすべきだと私は思っております。
次に、運転資金ですが、前に述べたように、放棄地を正常な畑にするには、大変な労力とお金、つまり初期投資がかかります。昨年は、プロパー、県、国、
JAらの金融機関に運転資金の借り入れについて検討してほしいと足を何回か運びましたが、門前払いと同じような状況でした。今どき、この業界に、土木建築の業界において、余力のある
会社など数えるに足りません。何とかこの苦境の中で挑戦する我々にも、一般の
農家や
農業生産法人と同様に融資
制度を適用してくださることを切にお願いいたします。
次に、
特区のさらなる緩和ですが、集中している
遊休地の箇所についてのみ認可範囲となっていますが、現在、これは各
市町村にゆだねているというところと承知しております。広い範囲にわたり
遊休地が点在している箇所が現実です。区域を特定せず、すべての
遊休地において活用されることを望みます。
また、今現在の現象なのですが、
地権者が五名おります。五名といいますと、上の方から一名、二名、三名、四名、五名で、その真ん中の方だけが、では
特区に
土地を貸してもいいよと言ってくれました。だけれ
ども、上の二人と下の二人は貸してくれないんですね。その背景には、
特区に
土地を貸してしまうと、
農業者年金がストップしてしまうというようなことから貸してくれないというお話でした。でもこれ、物すごく矛盾があるのは、貸さなくて
農業者年金をもらっている方、その方
たちは確かに
息子さんに
農地を移譲してやっているわけなんですよね。でも、その
息子さん
たちが果たして
農業をやっているかといいますと、サラリーマンであって、
農地を放棄しているというのが現状です。
今後の
取り組みですが、
基本的に土つくりから始めていきたいと思っております。幸い、だれもが見放していたカヤだらけの
土地は、手を加えられなかった分だけ土に元気はないですが、壊れてはいないということがわかりました。そのことがわかったのは、農薬害と
化学肥料による硝酸態性窒素の危険性を説いてやまない山形県の小林宝治さんとの出会いでした。小林さんの指導の
もとつくられたホウレンソウを東京にあるデパ地下に、キムチ専門店に試食してもらったところ、では一日当たり百キログラム納入してくれないかという依頼を受けました。これは、裏返せば、このホウレンソウがいかにうまかったかということだと思います。いつもなら翌日に電話をよこす
担当者の人が四日たっても連絡をよこさなかったので、変だなと思っていたんですけれ
ども、その
担当者の人は、四日間ホウレンソウがどういうふうに変わるのかなというふうに確認していたそうです。元気な土からは長もちする元気な野菜が生まれるということを確信した瞬間でした。
これからも、小林宝治実践会の指導の
もと、安心、安全な野菜を消費者の皆様に安定供給していきたいと思っております。
最後になりますが、私がここに立たせていただいたことは本当に大海にポチャリと落ちる小石のようなものかもしれませんが、
全国展開される
特区の小さな道筋になればという思いで
参考人としてのお話をさせていただきました。
本日は、私のつたない話を御清聴いただきまして、本当にありがとうございました。(拍手)