○
森岡大臣政務官 お答えをさせていただきたいと思います。
私も、毎日のように、宿舎が一緒で、バスの中でも一緒になる中根先生からこういう御
質問を受けるということを、本当に御縁だなというふうに思わせていただいているところでございます。
きょうは、
厚生労働委員会という公の場であり、そして私も
厚生労働大臣政務官という立場でこうして答弁席に立たせていただいているわけでございまして、私が先日、自由民主党の代議士会の中で申し上げた、党内のだれもが自由に、自由民主党所属の国
会議員がしゃべれる場でございます。そこで私が申し上げたものであるということをまず御確認をしておいていただきたいというふうに思いますし、本来ならば、私はここで、こんな公式の場で政務官としてお答えするのはいかがかなというふうにも思いながら、しかし、中根先生が率直に、誠実なお答えを、こうおっしゃっているものですから、私も率直にお話をさせていただきたいなという思いも持っているわけでございます。
のっけから私ごとを申し上げて恐縮ですが、中根先生がまだ十八のころだったと思います。昭和五十五年に私は
法務大臣の秘書官をやっておりました。そのときに、時の
法務大臣が社会党の代議士さんから、自主憲法について、あなたはどう思うか、個人的意見でもいいからということで問われました。そして、その答えが、たとえ同じものであってもつくりかえることができるならば望ましいことだ、こう
法務大臣は答えたわけでございました。
ところが、朝その
会議で答えて、午後になったら
法務大臣罷免という声が社会党の方から上がってきまして、大変な混乱になったことを覚えているわけでございます。四半世紀前のことでございます。
今、憲
法改正の問題、また憲法論議、これを国会の中でしゃべって悪いと思っている人いるでしょうか。総理
大臣みずから、憲法は遵守するけれ
ども、しかし憲
法改正についての
議論は大いに結構じゃないか、こうおっしゃっていますし、与野党を問わず、また国民の間でも三分の二の
人たちが憲
法改正やるべきだという思いになっておられる時代でございます。
そういうふうに、私はいろんな問題、特に国家の基本にかかわるような問題、大事な問題、時代とともに変わってくるものだと思います。ところが、私は残念に思うのは、国会の体質そのものが余り変わっていないなというふうに思うわけでございます。
中根先生のように、春秋に富んだ政治家でいらっしゃるわけでございますから、こういう面から大いに
議論すること、結構じゃないか、閣内不一致だとかいうようなことにとらわれずに、もっともっと、閣内でも、そして与野党内でも、国会では大いに
議論すればいいじゃないか。そして、閣内不一致というならば、いろんな
議論がなされた上で内閣総理
大臣が、おれはこの方針でいくんだ、私はこうやっていきたいと思うと、その方針に従って、
大臣や副
大臣、政務官がそれに従っていく、総理の方針が出たら、それに従っていくということが私は正しい行き方だと思いますし、一から十まで何でも、総理
大臣が
考えておられることに違うようなことを言ったら、それは閣内不一致だということでわっと騒ぎ立てるようなマスコミの一部でありますとか、野党の
皆さん方の中にもそういう
人たちがいらっしゃいますけれ
ども、私は、それはいかがなものか。やはり、政治改革ということを
考えると、自由に国会の中では
議論できるような場にしてもらいたいものだなというふうに思っていることをまず申し上げておきたいと思います。
そして、今お尋ねのことでございますが、資料としても私のホームページを配っていただいておるようでございますので、そのとおりでございまして、五月二十六日の私の自由民主党の代議士会で発言した
内容でございますが、私は、
小泉総理に靖国神社にぜひお参りしてもらいたい、世界平和を願い、そして日本は決して戦争をしたいと思っているんじゃないんだという誓いを、不戦の誓いを立てたいと思って総理
大臣が靖国神社にお参りしたいと思っておられるものを支援していくのが当たり前じゃないか、それなのに、どうもこのごろ我が党内でもそういう動きになっていないじゃないかという思いでお話をさせていただいたわけでございます。
小泉総理の靖国神社参拝をめぐって中国がA級戦犯合祀を問題にしております、これに対する与党幹部の態度はいかがなものか、中国の気にさわっているから、何とかして靖国神社とA級戦犯を切り離したいという対応しかしていないように見えますと。
そもそも、A級戦犯といいますけれ
ども、日本が占領下にあったとき、勝者である連合国軍が国際法違反の軍事裁判で敗戦国日本を裁いたものですよ、戦争というものは、してはならないものだけれ
ども、どうしても話し合いで決着しないときは、国際法で認められた
一つの政治形態であります、日本は、経済封鎖されて、やむなく戦争せざるを得ない状態に追い詰められて、国際法のルールにのっとって戦争をしたんじゃありませんか、勝った方が正義で、負けた方が悪ということではありませんよと。
独立回復後は、国会でも全会一致で、それこそ共産党から社会党の
人たちまで全部賛成をして名誉回復を図って、そしてA級戦犯と言われた
人たちの遺族にも恩給が支給されるようになりました、A級戦犯の中には、絞首刑になった人も禁錮刑になった人もいましたけれ
ども、皆、罪を償いました、後に、重光葵さんなどのように
大臣になった人も、賀屋興宣さんもそうでしたね、
大臣になった人もいらっしゃいましたし、岸信介さんのように総理
大臣になった人もいらっしゃいました、A級戦犯は、もはや罪人じゃありませんと。
日本は、中国にも韓国にも何度も何度も謝ってきました、戦後六十年間、平和主義を貫いて、一度も戦争しないでやってきましたし、経済援助もしてきました、中国や韓国にこびて、A級戦犯の分祀や新たな追悼施設建設を目指すのではなく、東京裁判は国際法上違法であったということを全世界に向かって
主張すべきでありますということを私は申し上げたことを正直に御報告させていただきたいと思います。これは事実でございますので、御報告しておきます。