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竹中参考人 皆さん、おはようございます。
プロップ・ステーションの
竹中ナミこと、ニックネーム、
ナミねえといいます。どうぞよろしく
お願いいたします。
私は、自分が重症心身
障害の娘の母ちゃんとして、
雇用とかの中身の細かい部分じゃなく、
考え方の根っこみたいなところをお話しするお時間をいただきたいと思っています。
実は、衆議院でお話をさせていただくのは昨年に引き続いて二回目です。昨年の二月に衆議院の予算
委員会公聴会というところで発言をさせていただき、三月には参議院の国民生活・経済に関する調査会の方でも発言をさせていただきました。そして、ことし、またここで私の
意見を述べさせていただけるということ、大変光栄に思っております。なぜならば、この
国会という場は、日本国民から委託を受けられた多くの国
会議員の皆さんが、日本の国の国柄をどのようにするべきかということを議論される場所であるからです。その場所で私が
意見を言わせていただけるということは、非常に貴重な時間であり、光栄なことだと思っています。
今も言いましたように、私は、三十二年前に大変重症の脳
障害の娘を授かりました。そのときに出会ったお医者様が、どのように元気に育てていったらいいか教えてちょうだいと言う私に対して、お母さん、こんな子を産んだんあんたのせいちゃうんやから、元気出すんやで、頑張るんやでという励ましの言葉をくれました。私の父は、つまり彼女のおじいちゃんですね、父は、おまえがこんな子を育てていくのは大変やろうから、わしが今この孫を連れて死んだるわとか言いました。
つまり、
障害を持つこと、とりわけ重い
障害を持つことはそのようなものなんだなと。かわいそうで大変で不幸で、それに尽きる存在なんだな、しかも、そういう人を抱えたと言われる家族も不幸なんだなと。ほんまか、ほんまにそれでええんかと私は疑問を抱きました。なぜならば、もしその言葉を認めてしまったら、私は、彼女を一生懸命育てていく、愛していく元気もなくなるわけですね。まして、自分ももし彼女と同じような状態になったら、それは病気でなるか年齢がいってなるかわかりませんが、そのようになったときに、同じように社会から、気の毒でかわいそうで実は存在していなくてもいいんだというような自己否定につながってしまうわけです。こんなことがあってもええのかなと私は思いました。
ですから、私は、彼女の存在だけではなく、
障害を持つと言われる
状況の
人たちの存在が、社会のメーンストリームで堂々と生きていけるような、その尊厳が認められるような道を自分自身で探ってみたいなと思ったわけです。そうしたときに、たまたま十五年ほど前、このプロップの活動を始めたときなんですが、パソコンとパソコン通信というような道具が日本にも上陸といいますか、少し普及を始めました。
そのときに、私は、全国の大変重度の
障害を持つ
方々にアンケートをとらせていただいたんですね。もし皆さんが大変重い
障害を持っているけれ
ども働きたいと思われたときに、これからはどんなものがそのための役立つ道具になると思いますかというアンケートでした。もちろんこれは、あなたは働きたいですかという質問も最初についていたわけですが、もし働きたいと思ったならばというこのアンケートに、多くの
障害を持つ
人たちが、私たちも
障害が重いけれ
ども働きたい、人から支えてもらいながらでも支える側にも回りたいのだというのが
一つでした。もう
一つは、これからは恐らくコンピューターや通信という技術が自分たちの働きをバックアップするんじゃないかというふうにそのアンケートに書かれていました。
私は、目からうろこといいますか、アンケートの回答の八割ぐらいの方がそのような御
意見だったものですから、これだけの方が働く意欲を持たれているにもかかわらず、それがなし遂げられていないということと、そのために彼らがコンピューターのような科学技術、そういうものに期待をされているということを知って、ぜひ、私たちが始めるこのプロップ・ステーションの活動では、人の心の応援だけではなく、具体的に道具も活用して、しかも最先端の科学技術な
ども活用して、その
人たちの中の眠っている力、あるいは眠っていると思われている、それは社会からも思われているかもしれないし自分も気づいていないかもしれないですけれ
ども、そういう力を全部引っ張り出すような、そしてそれを
仕事につなげていくような活動を始めようということで、このプロップが発足したわけです。
おかげさまで、大変なスピードで、他の業界と違ってこのコンピューター業界というのは、この十数年、ドッグイヤーとか言われます、最近はマウスイヤーとも言われるそうですが、非常な進展を遂げました。おかげさまで、プロップ・ステーションを通じてコンピューターを学びお
仕事をできるようになった
障害を持つ方が、次々と世の中に自分の力を
仕事という形で発揮をするようになってきました。
例えば一人、例を申し上げますと、ある難病の、大変重い
障害の女性がいらっしゃいました。彼女は、ウェルドニッヒ・ホフマンという大変珍しい難病で、筋肉の難病なんですね。ですから、全身の筋肉の力が抜けてしまうんです。ところが、彼女は絵をかくことが大好きで、しかも、子供のときから外で遊べなかったので、お母さんが読み聞かせてくれる絵本によって自分の人生を豊かにしてきたという彼女でした。彼女は、自分が絵をかくことが好きなので、いつか自分も絵本作家になって、後に続く子供たちに、自分が絵本から学んだことと同じように人の温かさとか楽しさというものを伝えたいなと思ったんですね。
ところが、彼女は、車いすに座って絵をかかれるんですけれ
ども、その車いすに自分の自力だけでは真っすぐ座っていることができない。全身をコルセットで固め、なおかつ頭までまくらのついたような車いすに乗って、その頭から二センチ、まくらから自分の頭が二センチずれても自分では起こすことができない。まして、絵筆を持つときに絵筆を持たせてもらって、お水をだれかにくんできてもらって、主にお母さんがおうちでかかれるときはサポートされたんですけれ
ども、お水をくんできてもらって、そしてチューブをひねり出してもらって、自分の思いどおりの色が出るまで、もうちょっと白を入れて、赤を入れてという形で、そして、手が動く範囲が限られますから、大きな絵をかくときは画用紙を回してもらって、それでも彼女は、一生懸命自分が制作をしたいという思いで絵をかいておられたわけです。
ですけれ
ども、彼女がプロップ・ステーションのコンピューターのセミナーでグラフィックソフトと出会いました。彼女は、大好きな絵をこのグラフィックソフトによって思い切りかけるようになったわけです。まず、わずかに動く手をマウスの上に乗せてあげさえすれば、あとは自由自在に色も瞬時に変えられる、あるいは失敗しても瞬時にかき直せる、あるいはどんな大きな画面もマウスによって画面の方が自動的に動いていく、そういう形で、彼女はすばらしい才能でぐんぐん絵の作品をかかれるようになりました。
今、既に彼女はプロの絵本作家になりました。二冊の絵本が出ました。それどころか、昨年は、プロップ・ステーションが仲介
機関として、さる化粧品会社から依頼を受けたカレンダーのお
仕事を、一年分のカレンダー、十二枚の絵をかかれるというお
仕事をされました。もちろん、彼女自身がカレンダー会社とシビアなやりとりができるわけではありません。私たちは、そういうときのバックオフィス機能もとります。つまり、その人ができることは、その人のできる分量、そしてその内容を働く形にするということなんですね。そして、私たちのやることは、それを
仕事につなげるさまざまな方策を生み出すということです。
私たちは、彼女の絵が非常にレベルが高いものであること、もちろんこれは見ていただいたらわかるんですが、そして同時に、彼女の絵がたくさんの人の心を打つものであることということをその化粧品会社の方とお話をし、説得をし、彼女の今までかかれた絵を見ていただいて、そして、いわゆるプロのアーティストと変わらない金額で彼女のカレンダーの絵を受注することができました。
おかげさまで、全国のその化粧品会社の代理店の方が彼女の絵に非常に感動をしてくださって、こんなにたくさんお客様から求められたカレンダーは初めてであったということで、実は、また来年のカレンダーのお話もちょうど数日前に始まったところです。そして彼女は、そのカレンダー会社のプロフェッショナルの一流のクリエーターの方と今自宅で打ち合わせをしながら、来年のカレンダーに向けて制作を続けておられます。
彼女がもしコンピューターと出会わなければ、あるいは
仕事のコーディネーションをする私たちのような組織と出会わなければ、あるいはプロフェッショナルの彼女の実力を見抜くことのできるプロフェッショナルの人と出会わなければ、彼女は大変重度のかわいそうな全面介護の
障害者でいたと思います。ですけれ
ども、今彼女は堂々と働く人として存在しています。
同時に、すごいことは、彼女がお
仕事をされる何時間の間は、介護をしていたお母さんも自由な時間を得ることができるようになったということなんですね。今までは、お母さんがそばにいなければ、二十四時間だれかがそばにいなければ、彼女は生きていけないとかつては思っていたわけです。ところが、彼女が自分の力によって何時間かでも自分のできることを世の中へ発揮する、しかもそれが収入につながるという
状況になったときに、家族の介護の量あるいはその関係性までが変わってきました。このようなことがプロップ・ステーションではたくさんのたくさんの方に起こりました。
今お手元に置かせていただいています三枚ほどの私の
資料の二枚目からが、実は霞が関の各省あるいはさまざまな自治体と私が
連携させていただいたり、あるいはプロップ・ステーションが共同でやらせていただいていることなんですけれ
ども、おかげさまで、例えば、昨年から国土交通省では自律移動
支援プロジェクトといって、日本のITの最高の技術を使って、どんな
障害の方も高齢の方も、あるいは外国から来られて日本語がわからない方もあるいは子供さんも、そういう
人たちも、IT技術で自分が今いる場所がどんなところで、自分が行動をして目的に向かって移動することを、全部そのITが導いてくれる、携帯端末が導いてくれるというような事業も始まりました。
これは国交省、
一つの省といいますけれ
ども、道路、鉄道、港湾、住宅政策、すべての局がこのプロジェクトに入って動き出したという、本当の
意味でハードからソフトに国土交通省が転換されたユニバーサルな取り組みであろうというふうに思っています。
それから、総務省では、私、総務省の情報通信
審議会という方にも参画をさせていただいているんですが、情報通信、つまり、インターネットのような新しい科学技術がどれだけの人の力を世の中に発揮させることができるのか。そして、その人が会社へ通うことが、あるいは
仕事場へ通うことが無理であっても、
仕事がその人の手元に来る、そして、その人が最も働きやすい
環境の中で、自分の体を傷めない
状況で、自分の身の丈に合った働き方で社会を支える一員に回れるというような働き方について、総務省とも今、さまざまな実証実験を行ったり、議論を続けさせていただいています。
そして、今、
厚生労働省では、
障害者自立支援法ということで、一人一人の人が、決してマイナスのところだけに着目をされて、あんたはここができへん、ここがあかん、ここが無理な人やねんというのではなく、あんたはここが無理かもわからへんけれ
ども、きっとこんな力はあるよね、それを引き出せる制度にしていこうね、日本にしていこうねという
法律に今なりつつあります。私は、この
法律に変わりつつあることを大変うれしく思っております。
例えば、日本の国内だけを見ていたらわからないんですけれ
ども、既に、アメリカやスウェーデンでは、四十年前に、ある
意味福祉を通じて国柄を変えました。それはどんなふうに変えたかというと、弱者というものが厳然と存在をして、その弱者には社会が税なりでお手当てをするのだという
考え方から、弱者を弱者でなくしていくために使う予算をある
意味福祉と呼ぼうじゃないか、それを
福祉政策と呼ぼうじゃないかと。そして、本当に弱者と呼ばれる極めて一部の
人たちをもみんなで守っていこうじゃないかというふうに
考え方を変えたわけですね。
例えば、アメリカでは、四十年前というのはケネディが大統領に就任しました。一九六一年の二月でしたけれ
ども、ケネディが大統領に就任をされて、最初に議会に提出した教書の中で、彼は、すべての
障害者を私は納税者にしたい、タックスペイヤーにしたいとその社会保障の項目の中で書きました。
これはどういうことなのかと、私は、初めはその
意味がわからずに、不審に思ってバックボーンを調べたわけです。そうすると、ケネディ家には、妹の
知的障害のローズマリーさんを初め、何人かの重い
障害を持たれる方が親族におられた。そして、ケネディは、その
人たちが、
障害を持つ
人たちがアメリカ人としてどんな低い位置に置かれているかということを知った上で、この言葉を初めての議会に出したわけですね。つまり、この人は
障害があるから働くことは無理やねん、タックスペイヤーになんかなれへんねん、社会を支える一員にはなれないねんというふうに決めつけることが差別なんだと。彼らを堂々たるタックスペイヤーにしようという意思を国家が持たねばならない、国家が持たねばならないというふうに彼は発言をしたわけです。
そして、アメリカはさまざまな
法律を
整備し、お父さんのブッシュ、パパ・ブッシュのときには、アメリカンズ・ウィズ・ディスアビリティーズ・アクトという、どんな
障害を持つアメリカ人であっても、
障害を持たないアメリカ人と同じように社会に参画し、タックスペイヤーになる権利を平等に持つのだという
法律もつくり上げられました。スウェーデンでも約四十年前に、同じような
考え方から、弱者を弱者でなくしていく制度というものに切りかわってきました。
残念ながら、日本ではまだ、その根っこのところ、根幹のところが変わっていません。やはり彼らは無理なんだろう、無理なところがあるだろう、不可能なところがあるじゃないか、そういう目線で、マイナスのところだけに着目をする
福祉。ただ、マイナスのところに着目をして、温かい気持ちで接する、あるいは手伝おうとする努力をする、何らかのげたを履かせてあげねばならない、これはもちろん重要なことで、これを否定するものではありません。ですけれ
ども、履かせたげたの上に自分で積んでいくチャンスのない国、これが今の日本なんですね。
アメリカもスウェーデンも、多くの国々がその上に積むチャンスを、自分でリスクを幾分かとってでもその上に積むチャンスというのを国策でたくさんつくってきました。私は、今、
厚生労働省がそのような政策に転換していっていただけるのだというふうに信じています。
ぜひ、きょうこの私のお話を聞いていただいたすべての国
会議員の皆さんが、どの政党であれ、
障害者はかわいそうと思っていることにおいては恐らく私は変わりがないんだと思います。ですから、すべての政党の皆さんがここで一斉に、そうではない、可能性の方に着目をしてみよう、それを引き出してみる制度をつくろうじゃないかというふうに団結をしていただけることをきょうは心から
お願いをしたいと思います。
ということで、
竹中ナミ、
ナミねえのお話を終わらせていただきます。きょうは本当にありがとうございました。(拍手)