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五島委員 大変時間のかかってまいりましたこの
介護保険改正に関する質疑も、きょうで三十六時間という大変な時間を費やしてまいりました。そして、お互い、この議論の中において非常にいろいろな思いがございます。それを今、
山井議員が非常に率直に語ってくれたと思っています。私も実は、きょう
最後の質疑の中で同じことを申し上げたいと思っておりました。
厚生労働省は今回
法案を出すに当たりまして、政省令事項が非常に多い
法案でした。それだけに大変な不安を国民は持った。それはやむを得ないことだと思います。問題は、
厚生労働省がさまざまな政策を新たにやっていくときに、もう少しだれが考えても常識的なところで物事の判断をしたらどうなのか。
例えば、一番最初に出されてきたのは、家事
サービスが多いから
高齢者の
介護度が悪化する。あほ言いなさんなと。そんなもの、家事
サービスがふえたから悪化度がふえるということはまずあり得ない。
今度は、筋トレ。筋トレという言葉自身が最近の流行語になっていますが、
高齢者に対して筋肉トレーニングをする場合は、間違いなく有酸素運動です。そういう
意味においては、器械を使う、エアロビクスを含めてそういう運動をすることが、一定の条件においてそれはお年寄りの
状態を
改善するでしょう。しかしながら、要
介護になっているお年寄りの問題というのは、それが最大の課題かどうかという検討はどうだったのか。
例えば、そのお年寄りに基礎疾患の管理ができていない場合、あるいは認知症がある場合、あるいは九十を超える高齢だった場合、そういうふうなそれぞれのリスクファクター、それを超すほどの
効果が筋トレにあると。ばかなことを言いなさんなと。そんなことはやらなくたってわかる話。一体どういう範囲においてそういうものが必要なのか。そういう解析が全く出ない。
それどころか、やはり大事なことは、個々のお年寄りに対して一定の
効果を判定するときに、
医療ではありません、まして運動選手をつくるわけではありません。そうだとすれば、要
介護度というのは一体何なのか。
これは、お年寄りが年をとることによって、あるいは障害を持つことによって、人としての尊厳を
維持するために、第三者がお手伝いをすることによって人としての尊厳を
維持させる、その目標のもとでどれだけ
サービスが必要かということを出しているのがこの要
介護度。そうだとすれば、要
介護度が進行するケース、二年間なら二年間、進行するケースについては何が原因で
介護度が悪化したか、そういう調査をされたらどうですか。
一つも難しくありません。
例えば、ヘルパーさんやケアマネジャーさんに、二年間たって
介護度改定をして、悪化していると思われる人について、その悪化原因について書きとめていただく。ほとんどのケアマネさんは書いておられます。それを集計すれば、何のことはない、何が原因で
介護度が悪化しているのか、何が原因で
改善したのか、わかるわけですね。そういうことをしないままに、何かある日突然筋トレという言葉だけが出てくる。
恐らく、今回の
介護保険の
改正をやらざるを得ない
理由については、今
山井議員が
指摘したとおりだったと思います。ところが、そこを避けて、そういうふうな思いつきのような、議論を最初から聞いて、僕はあほくさい議論をしているなと正直思っていました。なぜ家事
サービスがあれば
介護度が悪化する、そんな常識外れなことを言っておったら、なぜそんなものが通ってくるんだろうかと。これが、施設に入れておれば
介護度が悪化するというデータがあるんですが、そうであればまだよくわかる。そうではなしに、例えばそのお年寄りが閉じこもりである、ヘルパーさんが行って、その人を外へ連れ出すことに成功した、それで
改善したというのならまだわかる。そういうことの分析も何もしないままの議論が始まったということが、私は、この
委員会審議の中でむだな時間を使ってきた最大の原因であったと思います。
この点については、恐らく、
大臣も副
大臣も、あるいは厚生省の幹部の皆さん方もわかった上での話だろうと思いますから、時間の都合がありますので、返事は要りません。しかし、そのことについては、
最後に当たって強く申し上げておきたいというふうに思います。
そこで、こうした問題との関連の中で、厚生省がいろいろ出されてきましたデータがございましたが、大変興味のあるデータを手に入れることができました。
これは、福岡県八十二
市町村を
対象として、国保と
介護保険のデータすべてを結合させた検討のデータでございます。すなわち、一九九九年に三百日以上長期入院していた患者さんが
介護保険導入後どういうふうに変わってきたのかということを、
一つはまとめています。それで見ますと、九九年に三百日以上入院していた
方々は、
介護保険ができましてから四つのところに移っています。
一つは
特別養護老人ホーム、
一つは老健施設、そして
一つは
介護療養型、
一つは
医療療養型、それぞれ移っておられますが、トータルを見てみますと、それぞれの施設の間の移動はあるけれ
ども、ほとんどはその
方々は
在宅には戻っていないまま経過している。これは、
介護保険ができて、
在宅をと進めようとしたということが目的でした、しかし、そこについては、少なくても福岡県では成功していないという
一つの例ではないかというふうに思います。
もう
一つは、同じくこの
方々について、それぞれの施設について、その施設に入ってからの死亡について、いわゆる標準化死亡率といいますが、死亡について計算しています。そうしますと、
介護保険導入後も、そうではない対照群と比較してみて、死亡に関しては、ほとんどが施設に
入所されてもされていなくても差がないという数字を出された
資料が入ってきています。
その辺から見ると、
介護保険の問題というものを、今回盛んにエビデンスとかなんとかいう形で
医療と一体になったような話をしておられましたけれ
ども、やはりメジャーが違うんじゃないか。
介護保険というのは、人としての尊厳を自力では
維持できなくなった人に対して、第三者がどの程度
サービスを提供することによって
維持できるか、そこのところを果たすメジャーが必要なのを、それをあえて目をつぶって議論してきたということではないだろうかと、この
資料からも言えると思います。
そして、第三の問題として、詳しいことは申しませんが、同じデータの中から、例えば今施設に入っているお年寄りは非常に
サービスの質が悪いというふうに受け取られたら困ります。というのは、三施設とも
介護五の
状態になったお年寄り、その人の平均余命がどれぐらいあるかというのもこれは計算しています。そうしますと、要
介護五の段階でも、男性の七十歳で平均余命は三・四年、八十歳で二・四年、九十歳では一・六年でした。しかし、女性の場合は、
介護五でも七十歳の平均余命は七・一年、八十歳では四・五年、九十歳でも三・二年。これは大方倍の違いが出ます。男と女とによってもそういうふうな生命力の強さといいますか、そういうふうなものが違ってくる。
基本的に大きな問題は、施設がどうなのかということを超えて、若年時代からの健康度の問題や男女の性差というものが、要
介護の
状態になっても、生命という問題で見るならば出てきている。そういうふうなものを前提とした議論をもう一回構築する必要があるのではないかというふうに私は思います。
そのために大事なことは、
介護予防という言葉を盛んに使われました。そして、それに対して、我が党の議員の中からも、予算の関係も含めて大変反発もございます。問題は、予防の中に
介護予防を入れていくということは、
介護状態になることを防止するということは当たり前だろうと私は思っています。しかし、それが、高齢期になってきて要
介護状態になってからの話ではない。そのためには、現在の四十代あるいは三十代からのそうした予防の体制をどうつくるのか、そこのところが大事なんだろうというふうに思います。
この辺もかつて私も申し上げましたので、後ほど一括して
答弁をいただきたいと思いますが、どうお考えかをぜひ後ほどお話しいただきたいと思います。
そうした私の見解のもとで申し上げるとするならば、今、何が一番高齢期になった場合に大きな問題かといいますと、施設、
在宅の
人たちに対して、さまざまな基礎疾患を持っておられます、高血圧あるいは脳血管障害、あるいは糖尿病、そうした
生活習慣病が加齢によって大変問題になっているケースがふえてきています。こうした基礎疾患のコントロールができていないと、筋トレやあるいは家事
サービスがあったとしても、そんなものを超えてリスクファクターが大きいと私は思うわけですが、そうしたことはどうするのかということが第一点。
二つ目の問題として、認知症の問題とうつ病の問題です。
認知症の問題は非常に深刻になってきています。一体、認知症の
早期段階はどのような形で発見させるように
厚生労働省はガイドラインや何かをおつくりになっているのか、また、それは実際どういうふうになっているのか。
もっと深刻な問題はうつの問題です。人口の五%がうつにかかると言われています。高齢期になっても非常にふえています、高齢期のうつがふえてきています。これに対しては、精神科の医師がタッチすればいいという話ではありません。そうかといって、今開業医が
早期のうつの
状態をきちっと診断できるのかどうか。もし診断できれば、今の時代、薬物療法を含めてかなり対応は楽になります。しかし、それは不可能、
現実にはなっていない。
そうすると、この問題はどういうふうに対応しようとしているのか。その辺の問題をまずきちっと整理することから
介護の悪化度あるいは
改善の問題というのは議論に入るというのが私は筋だと思うわけですが、そのあたりについて、ぜひ御
答弁をお願いしたいと思います。