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田中きよむ君
高知大学の
田中と申します。よろしくお願いいたします。
お手元にレジュメが配付されておると思いますが、それに沿ってお話しさせていただきたいと思います。
今回の
介護保険制度の
見直しということなんですけれ
ども、
予防の意義というのは否定するものではないですが、やはり
制度上いろいろ
懸念されるべき点があるのではないかということをまずお話しさせていただきたいと思います。
一つは、
給付費の抑制ということがかなり目標として位置づいているという印象がどうしてもぬぐえないということから、
サービスの切り詰めあるいは利用者負担の増ということが中心になっているために、どうしても、
高齢者が安心して生きていく、生活する、そういったところに不安がかなり出てきているのではないかという点です。
それからもう一つは、費用負担面で、
施設の費用徴収ということで、
施設に居続けることへの不安。それから、
施設に入っている人も、今の老健
施設などに入られている方の場合、
施設に入っていてもそういう在宅の負担をされている人にとっては二重の負担になるという問題。あるいは、それぞれ別々に
考えても、在宅に比べて
施設コストの方が高くなるというような問題。
それから、食事の全額徴収ということですが、食事というのは
施設の利用者の個々の状態に応じてきめ細やかな配慮がされているということで、私は、
介護の一環として位置づけるべきではないかと思っておりますが、これを外すということは、そういった側面が軽視されるのではないか。あるいは、全額負担すると、要
介護の方で家事援助を受ける方と逆転現象も生じるのではないか。それから、通所の方で生活保護世帯の方でも食費全額負担などがあるというようなこと。
それから、ホテルコストというふうに言われますが、
介護に適した構造の
施設が公費負担によってつくられているということから、ホテルコストというとらえ方にも疑問があります。
それから、新たな第二
段階の人は保険料が
基準保険料の〇・七五倍から〇・五倍に緩和されるのですが、それでも、年収八十万円以下の人というのは保護
基準以下の非常に低い所得の人であるということ。さらに、税制改正の影響で保険料の
段階がアップする人がふえてくる。あるいは、さらに、
居住費や食費の軽減措置がそれによって受けられなくなる人が出てくる。こういったことが、いわゆる負担貧困と名づけてもいいのではないかと思いますが、それによる不安や不信が増幅をされる
懸念があります。
それから、認定がさらにもう一
段階ふえるということで、これまでの認定についてもいろいろ問題点が指摘されていることにさらに加えるということで、混乱や不安が生じないか。それから、先ほ
どもお話ありましたように、
予防給付と
介護給付を割り切ってしまうということですね、両方が必要な人への対応というのが、どちらか一方でないといけないという、切断されてしまうという問題が
考えられる。
それから、家事代行ということが制限されるという問題で、家事代行がマイナス的にとらえられてしまう一面的
評価になっている。それから、例えばヘルパーと一緒にやるとしても、それをやることが困難な人、あるいはそれに時間や手間がかかる人などが、これは報酬のあり方にもよりますけれ
ども、場合によっては敬遠されるおそれもある。
それから、
筋トレなどの
予防なんかに持続的に取り組んでもらえるのかどうかということですね。先ほどの方の中でも、意欲的にやれば
効果も出るというお話もありましたけれ
ども、みんながそういう形で取り組み続けられるのかどうか。楽しみとか喜びが特に伴わない場合、持続性ということがちょっと
懸念されます。
それから、そういった居宅
サービスを利用するから状態が
悪化するといういわゆるモラルハザードの見方なんですが、これも国会論議でも明らかにされていますように、それによって要支援や要
介護一の方が
重度化になっている比率は低くて、むしろ状態
維持に役立っているという調査もあります。そういうことから、そういうことの一般化の危険性、あるいは、それによって、家事代行が受けられないことによって生活意欲が低下する、この意欲というのが大事じゃないかと思っておりますが、生活意欲の低下がまた
機能の低下に結びつく可能性があるということです。
特に
高知県の場合は、ひとり暮らしの
高齢者の方あるいは夫婦の方が非常に多くなってきております。全国の状況と比べても単身世帯という方が多いですので、家事援助
サービスを現実に必要としている人あるいは潜在的に必要な方が今後もふえていくということを
考えると、かなり慎重さが求められるのではないかということです。
それから、
筋トレについても、これも国会論議の中でも明らかにされておりますように、
モデル事業で、必ずしも
改善している面だけではなくて、
身体機能では
改善しているようですが、生活
機能では
悪化もかなり出てきているというような状況が明らかにされております。そういったことからいうと、
筋トレを
制度的に一般化するということへの
懸念があります。
それから、そういうものがかなり重視されると、
サービスが、
身体機能を
改善することが非常に目標視されるということです。つまり、
身体機能をとにかく
改善するように努めましょうということがかなり強くなって、生活支援という部分が希薄化するのではないかということですね。逆に言うと、
身体機能が低下する人が肩身の狭い思いをしないかということ、低下することが悪いというような風潮が出てこないかということです。
それから、そういう中で、利用者が
筋トレなんかに出ていきたくないとかいう形で閉じこもってしまったり、それから体調
悪化する場合も示されておりますが、そうなると、かえって逆
効果、あるいは
重度化、コストが高まるのではないかということですね。そうすると、持続性ということが言われますが、
サービス利用の持続性ということが逆に問題になるかと思います。
それから、在宅の利用者がそういう形で敬遠したり、あるいはこれから決まっていく報酬水準のあり方、それから
施設などの利用料の設定、こういったものから、
事業者から見ても不安という部分があるのではないか。
事業の持続性問題ということですね。
それから、どういう形で家事援助が制限されるのか。あるいは、先ほど来も出ていますように、支援センターとか
予防マネジメント、ここら辺の不透明性ということが
考えられます。
それから、
地域支援
事業なんですけれ
ども、
給付費の三%を使うということですが、国の負担は三分の一ないし二分の一から四分の一に下げられる反面、保険料負担部分が半分という、
介護保険サービスと同じような財源構成になるのです。そうすると、これが保険料引き上げ要因になる。同時に、保険料を負担しているけれ
ども、その保険料財源で保険外
サービスを賄う、こういう乖離が生じてしまうということですね。
それから、そういう中で、レジュメの二枚目をごらんいただきますと、これは現在、私とほかに同僚何人かでやっていまして、私は福祉の部分でごく一部ですが、現在、四国四県で全市町村にアンケートをかけている途中なんですけれ
ども、まだ中間集約の
段階ですが、
介護保険財政の収支見通しで、黒字、赤字、それぞれそのような状況が答えられています。
それで、これは
質問をそのまま書いておりますが、
介護保険制度の
見直し、費用徴収の
見直しや新
予防給付の創設などによって
介護保険財政は
改善あるいは
向上すると思いますかという
質問に対しては、明確に期待している市町村は少なくて、変わらない、わからない、あるいは
悪化するということで、市町村もかなり、どう
判断したらいいのかわからない、あるいは、そういった新
予防給付によって
改善するというようにはっきりと期待されている様子がないという、ある
意味不安な状況があるのではないかと思われます。
それから、今後、自立支援
法案も現在
審議されておりますけれ
ども、さらにそれが統合していくという中で、
高知県議会あるいは各市町村でかなり慎重
意見の採択ということが出てきております。これは応益負担ということがあります。
それに対しては、
高知市の状況にもありますように、支援費の支給決定を受けている人あるいは要
介護高齢者の八割前後の方が住民税非課税という低所得の状況にあるということを踏まえて、利用料負担のあり方はかなり慎重に求められるのではないかと思います。
それから、三ページに、最後、今後の課題として
考えられることとしまして、先ほどの
皆さんの御
意見もそうですが、このまま改正法の施行ということになると、混乱あるいは不信が生じないかということを恐れます。
それからもう一つは、
介護予防、
介護予防ということがかなり言われておりますが、それをどのようなスケールで
評価していくのかということですね。要
介護度の低下とかあるいは
筋力向上とかさまざまな側面が
考えられると思うんですが、そういったスケールをどういうふうにして各市町村で
考えていけばいいのか。いろいろやったけれ
ども、それをどういうふうに
評価していけばいいのかということをやはり
確立していく必要があるのではないか。
それから、
予防は大事なんですけれ
ども、これが強調され過ぎますと、先ほ
ども申しましたように、
予防絶対主義といいますか、
重度化というのはある程度避けられないとは思っておりますが、
重度化することが何か非常にその人に肩身の狭い思いをさせるということですね。
つまり、逆に言えば、要
介護状態になったとしても、あるいは要
介護度で見て
悪化したとしても、あるいは、さらに言えば病気を持っていたとしても、その人がその
地域で本当に幸せな暮らしができている、生活に対する満足度というのが高まっているかどうか。つまり、病気の
予防とか
介護の
予防とかいうことも大事ですけれ
ども、仮に
介護や病気の状態になったとしても、その人らしい生き方ができているかどうか、やはりこちらの方が本当は目標とすべき点じゃないかと思っております。
それから、
応能負担ということがやはり必要ではないかと思われます。二〇〇五年度から訪問
介護の継続利用者の軽減措置も廃止されますが、私は、訪問
介護だけじゃなくて、
サービス全般について、低
所得者への軽減措置というのは逆に一般化すべきではないか。
それから、収入のみに着目した減免は不適当とされておりますが、やはりそれは私は認めるべきではないか。もっと言えば、ドイツのように保険料の定率負担化ということですね、負担の逆進性が生じないような措置が
考えられていいのではないかということです。
それから、
ケアマネジメントということについては、
サービス提供機関から切り離していくべきではないかということです。
制度的に、一般的に
サービス提供機関との分離を図るということですね。それによってさまざまな問題を排除していくということ、あるいはそこに認定業務というのを組み込んでいくべきではないかというふうに個人的には
考えております。
それから、やはり
介護労働者の
評価というのが今なお非常に低いという問題があります。本当に、
介護労働者の専門性ということが仕事の大変さの割には報われていないのではないかということ。それが燃え尽き症候群になってしまう、あるいは
施設やその他で虐待的な現象が生じる遠因にもなるのではないか。専門学校とか大学生にとっても魅力ある仕事場として、そこら辺を特に
評価していったり、
介護労働者に対するケアということも
考えるべきではないか。
それから、
地域で暮らし続けられるということは私は大事だと思っておりますが、ただ、今の
段階で費用徴収などをかなり強めてしまうと、まだ条件が熟していない中で
施設から出ざるを得ない事態が生じると、いわゆる
介護難民と言ってもいいような
人たちが出てくるのではないかというのを心配しております。
それから、選択、選択ということがよく言われますが、本当の
意味での選択は、先ほ
ども言いましたように、自分らしい生き方を選択できるということで、
サービスの選択ということに矮小化されていないかということなどがあります。
それから、保険料の
地域間格差などを緩和する上で、調整交付金五%の引き上げなどが検討されてもよいのではないか。場合によっては、国の二五%分についても再検討の余地があるのではないか。
それから、健康づくりや
介護予防というのは、意義
自体は否定しませんが、それを国が一律的にあるいは
制度的に押しつけるよりも、やはり住民自身が
地域の中で内発的に、自分自身が自発的に行えるような条件や環境を整える。これは細かいことは省略しますが、県内や県外、いろいろなところを見ておりますと、やはり住民が非常に主体的に取り組んでいるところほどいろいろな
意味での
効果があらわれているということがありますので、そういう自発性ということを大事にすべきではないかと思っております。
介護だけじゃなくて、
社会保障についていろいろ論議がありますが、どうしても不安感がいろいろな調査で出てきておりますが、やはり国政レベルの決定の前に、地方での協議会、これは党派とか議会を超えて、地方での協議ということを積み上げていくことが大事じゃないかと思っております。ということがあります。
そういう
意味では、公聴会というのも大事かもしれません、聞くというよりも、協議するといいますか、その
地域のいろいろな人が協議して、それを積み上げていって国政での
判断をするということも必要ではないかと思います。
済みません、ちょっと超過してしまいましたが、終わらせていただきます。(拍手)