○中根
委員 中根康浩です。
我が党には、
泉健太議員のように本当にいろいろな活動をされておられる優秀な人材がたくさんいらっしゃるのだなと、改めて今痛感したところなんですが、特別弔慰金についてお尋ねをしながら、
厚生労働省あるいは
大臣のお考えをお尋ねしてまいりたいというふうに
思います。
重ならないようにしていきたいと
思いますけれ
ども、ただいま泉議員とのやりとりの中で、
大臣が、戦後六十年たったからといって悲しみがなくなるわけではないというふうに御発言をされました。まさにそのとおりで、むしろ戦後六十年という節目を迎えて悲しみが新たになっている、そんなような
思いがいたしているところでございます。
最近いろいろなところで話題になっていますけれ
ども、ちょうどあしたが東京大空襲の六十周年という日を迎えるようであります。
資料でも配付をさせていただいておると
思いますけれ
ども、各地でいろいろなイベントが行われておりまして、私もテレビ朝日で行われております東京大空襲展というところに行ってまいりました。
そこで、記憶あるいは伝聞をもとにして描かれた絵を拝見させていただいて、こういった画集といいますか、本を買ってきたんですけれ
ども、これを見ますと、言問橋が炎上して家族全員を亡くした狩野さんという方の絵と、そして文章が書いてあるんですね。
それまで一緒だった家族とはぐれてしまった。呼吸も苦しく、雨のようにふりそそぐ火の粉の熱さに耐えかね、隅田川に飛び込んだ。私は、橋下の石段に割り込んで入り、そこで燃えあがる言問橋を見あげた。橋上は燃えあがり、人々は欄干にはりついていた。
夜が明けると、橋の下に生き残った者が二十人ほど集まったが、ほかはすべて焼死か水死していた。
私はここで一家六人を亡くした。しかし、本当の苦労はそれからだった。戦災孤児というハンデのもと、何十年ものあいだ、故なくして侮りを受け、
社会の底辺にしがみついて生きなければならなかった。一体誰が、どんな形でその責を負うのか。願くば、戦争を知らない世代の人々が、このような地獄を再び味わうことのないように祈るのみだ。
というふうに手記を書いておられます。
今、こういったような形で、戦後六十周年あるいは東京大空襲六十周年、そういったもので戦争のむごさやあるいは平和の大切さを再認識すべきだ、戦争の体験を風化させるべきではない、語り継ぐべきである、そういったことが重要視されておる、そういったことの大切さが改めて再認識されなければならない時期に来ているというふうに思わせていただいております。
もう
一つ、東京駅のホテルのギャラリーで行われているのが、この「無言館 遺された絵画展」というものでした。この無言館というのは、東京芸大の学生さんが戦争に召集されていった、その学生のときにかいていた、勉強していた絵、これが、まだまだ学生ですので未完成のものが多いわけですけれ
ども、そういったものを仲間が集めて、無言館という
施設で保存をしているというものなんですけれ
ども、これもちょっとだけ
紹介をさせていただきます。
特別弔慰金の議論の中で、その特別弔慰金を支給する対象が、今七〇%以上の方が兄弟姉妹になっているわけなんですけれ
ども、やはり兄弟姉妹の方の
思いというのも本当に悲痛なものがあるんですよね。
中川さんという方が戦争に行ったんですね。「お姉さん 生きて還ったらぼくをパリに行かせてくれますか」というやりとりが最後のやりとりだった。出征するほんの少し前、珍しく勝吉が居ずまいを正して私のところにやってきて、お姉さん、
一つ頼み事があるんですと。「何なの?ときくと、もし
自分が戦争から生きて還ってきたらもういちど絵の勉強をやりなおしたい、生きて還ったらぼくをパリに行かせてくれますか、といって真剣な眼で私をみつめるんです。私はもちろん行かせてやるとも、だからどんなことをしてでも生きて還っておいで、といってやりました。」という
思い出とともに、絵が展示をされておりました。
やはり、戦争の体験を語り継いでいくということ、あるいは英霊の顕彰はこれからも引き続き行っていくということ、戦没者の
遺族に対する国としての責任を果たしていくということの大切さを、こういったことからも痛感させていただきました。
昭和館というところにも行ってまいりました。昭和というのは、第二次世界大戦、太平洋戦争がクローズアップされがちなんですけれ
ども、その前には、ささやかな幸せを享受できるといいますか、そういう穏やかな時期もあって、そして戦争に突入して、戦後の苦しい時期があって、高度経済成長があってという、まさに激動の時代だったということなんですけれ
ども、昭和館というところでもパンフレット、これなんですが、当然、
大臣や厚労省の
皆さんは一度は行かれたことはあると
思います。ここでもやはり、英霊に対する顕彰の大切さ、こういったものを感じさせていただいた次第でございます。
それに、今、郵政の民営化というものが話題になっていますけれ
ども、昭和館には、特に軍事郵便、戦地とのやりとりをした郵便物というか、はがきとかお手紙がたくさん飾ってあったんです。もし民営化されて、そして、もし、もし、日本が戦争になってしまったら、民営化された、まあ今はメールとかありますから違うのかもしれませんけれ
ども、その軍事郵便というかそういったものが、どういうふうにきちんと行われていくのかなというようなことも改めてちょっと感じながら、見学をしてきたんです。
そこで、特別弔慰金のことなんですけれ
ども、特別弔慰金、兄弟姉妹、あるいは、おい、めい、こういった方々に支給をされるということなんですけれ
ども、
遺族会の方にちょっと聞いてまいりました。
遺族会の方に、この特別弔慰金のことについて何か意見はお持ちですか、御要望はありますかというふうに聞きましたら、兄弟姉妹で、例えば一番上のお兄さんがいて、弟と妹がいて、三人兄弟で特別弔慰金を受け取っていた。一番上のお兄さんが亡くなった。戦没者の、英霊のお墓、あるいは仏壇なら仏壇は、そのお兄さんとその奥さんがお世話をしていた。それで、お兄さんが亡くなると、その弟と妹がその特別弔慰金を受け取ることになるわけなんですけれ
ども、別に冷たいというわけじゃないんですが、例えば、弟と妹は日常的にはどこかよそに行って、僕は愛知県ですので、東京や大阪に行って仕事をしたりお嫁に行ったりしている。そういったときに、お兄さんが亡くなった場合に、今まで仏壇やお墓のお世話をしていたそのお兄さんのお嫁さん、奥さんは、そういう弔慰金を受け取ることができない。ここが非常に心情的に忍びないという御意見を承ってまいりました。
ここにきちんと特別弔慰金が行き渡るように、支給されるように、今回はちょっと無理かもしれませんが、今後、そういった形で検討されることについてはいかがお考えでしょうか、御見解をお聞かせください。