○五島
委員 医療制度というのは、
日本の場合は、
保険制度で成り立っている
社会保障で成っています。どうも
経済財政諮問会議や規制
改革会議の話を聞いていますと、例えば、この
保険という、
国民全体から集めている、ファイナンスしているお金で賄う金額に上限をつけて、そこから外してしまえば、
医療費が伸びることは知ったことじゃないよ、それでいいんじゃないのという
議論をしているように思えるわけですが、では、
国民経済全体から見て、それはどちらが利益なのかと。
私は、
日本の
医療制度が
保険というシステムでファイナンスされていることに対しては、非常に
意味があると思っています。特に、これまで感染症の時代から結核の時代、成人病の時代を経過して、この
保険制度というのは、やはり
日本の
経済成長を支えた
一つだろう。
これはもう釈迦に説法ですが、簡単な話で、十人の人が一年間に百万円かかる病気にかかる心配があるときには、十人の人が百万円ずつ自分でお金を
蓄えないといけない。一千万円のお金がそこでストックとして備えられないといけないけれ
ども、十人のうち一人の人が百万円のお金が要るだけであれば、十人の人が十万ずつお金を出し合えば、百万円のストックでもって賄える、そういう理屈です。だから、
保険制度でやることによって、
国民全体として
医療に要するストックという部分を小さいものにして、そのお金はほかに使える、運用できるというメリットがあったわけですね。
ただ、疾病構造が変わりました。もし仮に、十人の人が十人とも百万円かかる病気になってしまうという
状況になりますと、
保険制度の
意味がないわけです。そうなれば、利害者に対する公平性とかなんとか言うんだったら、税でやっても構わない。しかし、疾病というものはやはりそこの
リスクの不均衡というものがあるわけで、
保険制度のメリットはあります。
厚生省は、鳴り物入りで患者
負担率を引き上げましたけれ
ども、三割に引き上げますと、結局は、本当は
経済効率からいうと余りよくないわけで、やはりこれについては、
保険制度なら
保険制度のメリットを生かせるようなシステムでやらないといけない。それを、今言われているように、
混合診療とか自由診療とかいう形になってしまいますと、見かけ上、
保険からの支出は減りますけれ
ども、
国民医療費が減るわけではありません。それに備えて
国民が備えなければいけないストックはふえてしまうわけで、決してプラスにならない。私は、あの人たちは自分たちの商売のために言っているんだろうとしか思っていません。
そういう
意味において、今ここで
混合診療を解禁する、自由診療をすることによって
保険医療費の支出を減らすという選択をとれば、
日本という国はとんでもないことになってしまうだろうということを、まさか
大臣はそう思っておられないということを信用しておりますので、私からも申し上げておきたいと思います。
そうした前提の上に立ってですが、いま
一つ、実はこれまでの
医療保険制度の
議論の中で抜けている点があったのではないか。
先ほ
ども、
大臣は中医協の例を出されました。中医協でやられてきていることは、せいぜいのところ
医療費の伸び率の抑制でしかなくて、
保険として集まったお金、この
医療資金をどのように資金管理すれば効率的な
医療ができるのかという立場から、すなわち、ある種のシステムにかかわるところについては、中医協では
議論していません。国会でも、厚労省なんかでいろいろやっておられたんですが、前任者の手法をそのまままねしているようなことばかりが続いてまいりました。
しかし、
考えてみれば、
医療費の決定というのは、やはり患者さん、すなわち被
保険者と、それから
保険者と
医療担当側と、この三者の中において、合意点でもってシステムが進んでいくんだろうというふうに思います。
例えば、患者さんと
医療提供者との利害だけで
考えれば、一致点は、いつでも、どこでも、だれでも最新の
医療の技術が提供されることですね、患者と医者だけでいえば。しかし、不一致点は何かというと、患者の側からすれば、提供される
医療費が安い、すなわち自己
負担が少ない、それで患者の最小限の
努力で最大の成果が得られるというふうなことが、
医療の側とは不一致の点として出てくるんでしょう。
医療の側はそこのところは余りこだわらないとなってくると思います。そうすると、結果はどうなるかというと、出来高払い、フリーアクセス、濃厚検査、濃厚診療、頻回受診というような形になって、非常に多くの
医療資源が必要となる
医療制度になってこざるを得ません。
それから、
保険者と被
保険者との利害でいえば、一致点は、
医療コストを安くして
保険料を安くして、自己
負担を少なくして、
国民皆
保険制度を維持してくれという点が一致点になるでしょう。しかし、不一致点は、
保険者の方は、
保険料の引き上げを自由にやらせてくれ、それによる
財政の健全化、あるいは
医療に対しては、人頭払いとか包括払いとか、ゲートキーピング制によるアクセスの制限、そういうふうなことによって
保険の支出を減らしたい。これが患者と
保険者との不一致点になるでしょう。
そうすると、当然のことですが、そこでの合意点は何かというと、では、税の投入によって
保険料の引き上げを抑制して、診療報酬や薬価の一点単価の引き下げをして、そして新技術や新薬の
保険収載を延期しましょう、こういうふうな措置に終わっていかざるを得ない。
それから、医者と
保険者とのところについていえば、同じようなことになりますが、結局そこのところで出てくるのは、フリーアクセスの制限と原則出来高払いの自己
負担増というところで不一致点が生まれてくるということになってくるんだろうと思います。
そうしたことを
考えて見ていきますと、一体どういうふうなシステムでこれをやっていくのかというのは、今までのやり方とは違った管理の仕方を
考えざるを得ないのではないか。
これは多くの学者も言っているわけですし、私自身もそう思うわけですが、治療行為に関しては、
医療資金の投入額と成果について必ずしも一致しないものはたくさんあります。
例えば、救急救命
医療であったり、それから急性期の感染症の治療であったり、そういうふうな治療ですね、こんなのは
医療費用の投入と
医療成果は相関します。逆に言えば、こんなものは、出来高払い
制度を完全に堅持しても、私は、成果と相関するものなら
医療費からいえば効率のいいシステムだろうと思います。
しかし、高度
医療であったり、がんの治療であったり、リハビリ治療であったり、長期にわたる高血圧や循環器や精神病患者の入院治療なんかについて見れば、これはある一定までは
医療費用の投入に非常に相関して成果は伸びていきます。しかし、ある一定以上になると、ちょうど平方根のあれみたいな感じで頭打ちになって、
医療成果と相関しない。だから、こういうふうなものは出来高と包括化というものを疾病別に分けていく。
あるいは、風邪だとか、ノロウイルスだとかなんとかが出ましたけれ
ども、ああいうふうなものは恐らく
医療費の投入と治療の成果とは全く関係しない。恐らく、今最近では抗ウイルス剤がいろいろ出ていますけれ
ども、抗ウイルス剤を飲ませて、一日当たりの
医療費を、五千円ぐらいかかる薬を飲ますのも、アスピリンを飲ますのも、実際上関係ない。だから、逆に言えば、人頭払いみたいな
制度であったとしても、余り変わらないんだろう。
そういうふうな内容に立ち至った
議論ができない限り、これからは有効な
医療費用の管理ができないんだろう。これが果たして中医協の中でできるのか。あるいは、
厚生労働省がそんなもので、いろいろなエビデンスに基づいてつくりますというけれ
ども、つくったものが
保険者からもあるいは
医療担当側からも信用されるのか。こういうふうなものまで含めたそういう
制度をどこで手をつけるのかという
議論をしないと、私は、
医療費の伸びというものは有効に管理できないんだろうと。
何かの原則で、包括か出来高かみたいなもの、それを急性期病院か慢性期病院かというふうな形だけでやれるのかどうか。かつて
厚生労働省が言っておられた、一般病院は全部DPCにする、慢性期は全部RUGにする、これもこれまでになかった
一つの
考え方です。どちらがいいかというのは私
どももまだ十分
議論しないといけないと思っておりますが、しかし、少なくともこういうふうなものがどこかで、中医協という現在の枠を超えたところで
議論できる
仕組みをつくらないと、私は効率的な
医療費の管理はできないんだろうと思いますが、その点についてどうお
考えか、
大臣の御
意見をお伺いしたいと思います。