○山花
委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。
本日のテーマは、
司法、
改正、最高法規等ということでございますが、
日本国憲法の第四章は「
国会」、第五章は「
内閣」となっておりますが、第六章は「
司法」となっております。
司法というのは作用に着目をした概念でありまして、本来であれば立法と
行政と
司法というのが並びとして正しいと思いますので、第四章、第五章が
国会、
内閣という
機関に着目をするのであれば、第六章のタイトルは、本来、裁判所とあるべきではないかと考えております。
ところで、
憲法の保障ないし合憲性の統制という
観点からお話をさせていただきたいと思います。
憲法の
改正の
議論をするにしても、
改正したにしても、法治主義、法の支配の
観点から、それについてはちゃんと守らなければいけない、このように思うわけであります。
そこで、この
憲法の保障の担い手がだれであるかということによって、政治部門による保障であるケース、裁判所による保障であるケース、
国民による保障であるケース、三つのケースが考えられると思います。よく裁判所というのは
憲法の番人だというふうに言われますので、
司法的な保障というのが非常に注目をされますが、例えば
憲法尊重擁護義務など事前予防的な保障のケースもありますし、また、政治部門によってその合憲性の統制を行うということも考えられてよいわけであります。
ところで、何か事が起きた後、事後的な保障のために、八十一条におきまして、いわゆる違憲審査権というものが
規定をされております。一般的に、この八十一条というのは、七十六条、
司法の作用というのを前提としておりますから、付随的違憲審査制であるとかあるいは具体的審査制と呼ばれております。つまり、具体的事件の解決に必要な限りにおいて
憲法問題が提起され、また、その限りにおいて裁判所の
憲法判断が要請をされるという構造であるというふうに一般には説明をされております。
我が国の裁判所が
憲法判断をする態度については、
司法消極主義という
言葉で語られることがございます。
司法消極主義と申しましても、レベルとしては二つあり得るのかなと思うんですけれ
ども、まず、そもそも
憲法問題として取り上げるかどうかというレベルの話と、
憲法問題として取り上げた場合に違憲判断というものを積極的に行うかどうか。一応レベルとしては二つあり得るんですけれ
ども、そのいずれも消極的ではないかというような見解が非常に有力ではないかと思います。
ただ、そもそも
憲法問題として取り上げるのかどうかという話で申し上げますと、付随的違憲審査制ということを前提といたしますと、それからくる限界というのはやむを得ないのではないかと考えます。これは、そもそも具体的事件性であるとかあるいは争訟性ということを要求する
司法権の観念に由来するものでありまして、七十六条の解釈に直結をするものだからであります。
ただ、もっとも、
行政訴訟法の
制定と申しましょうか、
行政事件訴訟法の
改正によりまして、若干従来より間口が広がる可能性はあるのかなと感じております。参考人の方々の御意見の中で、付随的違憲審査のもとでも違憲審査権を積極的に行使できるはずである、そういった旨の
発言な
どもございました。
ただ、これまでの運用というものを見てまいりますと、既に最高裁判所の
憲法に対する取り扱いのやり方というのが、
憲法慣習ないし
憲法習律と言うと言い過ぎかもしれませんけれ
ども、このような感じになってきているのかなというふうにも思いますし、また違憲判断を、つまり、
憲法問題であるとして最高裁が取り上げて、それをさらに違憲だという判断を積極的に行うかどうかという話になりますと、これはまさに
司法権の自律にかかわることでありますから、有識者の方々が分析をするのはそれは自由なのでありましょうけれ
ども、余り
議会側から文句をつけるという筋合いのものでもないのかもしれません。
ただ、
憲法保障という
観点から見た場合に、
現行の運用で十分かどうかというのは、疑わしいこともあるのも事実であります。
憲法そのものの
議論をするという場合には、法治主義の原理を徹底するという
意味から、
憲法保障の
あり方を
制度論として再構築するというのは十分
意義のあることではないでしょうか。そして、
憲法裁判所というものを新たに設置する、あるいは現在の最高裁判所に
憲法部を設けるということであったとしても、
憲法上の根拠を持つとすることの方が望ましいと考えます。
また、今後のあるべき姿としては、従前より
議論させていただいてきておりますとおり、法の支配の徹底という
観点から、
憲法裁判所の設置ということの方が望ましいものと考えます。この点、参考人の方々からの御意見では、
憲法裁判所を設置すると政治の裁判化が発生するなどの懸念も表明をされました。
憲法上疑義があると指摘されるケースには、極めて政治問題の色彩の強いものがあるのも事実であります。ただ、
憲法保障の方法として、裁判所による保障というだけではなくて、
議会による保障というものも考えられてよいのではないでしょうか。先ほど、政治部門による保障ということを申し上げたのはこのことであります。
議会側にも
憲法判断を行う部門というものが存在をし得てもよく、
憲法委員会のようなものが
国会に存在をしていてもよいのではないでしょうか。
憲法判断に対する最終判断権をいずれが有するかという問題さえはっきりしていれば、
憲法判断を行う
機関が複数存在するということも技術的、論理的にはあり得ることだと思います。
先ほど河野
委員からの御指摘があったこととも関連をいたします。ひいては、このことが
内閣法制局の
あり方にもかかわることだと思います。先ほどの意見陳述の中でもありましたとおり、法案作成に当たって
内閣法制局がどのような
憲法解釈に基づくか、それはそれとして
意味のあることではありますけれ
ども、決定的な権威であるということは本来あり得ないはずであります。
現行憲法上、合憲、違憲の判断の一部は、最終的には裁判所によって担保されるものであるとしても、
法律案を審議する際に、あるいは
行政上の措置を論じる際に、その合憲性について、第一次的にお墨つきを与えるのは
国会であるべきだと考えます。
また、そのこととあわせて、衆議院あるいは
参議院の法制局の体制の強化ということも必要となるのではないかと思います。
法律案の作成についてのみではなくて、
憲法判断についてもリーガルサポートをできるだけの人員が確保されることが必要ではないでしょうか。
また、違憲判決の効力について申し上げたいと思います。違憲審査の発動の形式、契機ということと、その結果たる違憲判決の効力は、論理的には別次元のものではないかと考えます。付随的違憲審査制をとっているから直ちに個別的効力しか持たないということになるという論理関係にあるのではないのではないかと思います。
最高裁判所の裁判
事務処理規則十四条によりますと、違憲判決要旨の官報による公告、
内閣、
国会への裁判書正本の送付が定められております。これは違憲判決の効果が当該訴訟事件の
範囲にとどまらないことのある種の認識を反映するものではないかという指摘もあります。
ただ、問題なのは、自由権のようなケースですと、当該措置を違憲無効であるという判断をすれば、当該事件の解決にとっては有
意義な判決なんでしょうけれ
ども、国務請求権であるとか社会権、特に、余り
国会にとっては名誉な話ではありませんけれ
ども、選挙権絡みの公職選挙法の一票の
格差の是正のような話ですと、違憲無効であるといっても具体的事件の解決にとっては必ずしも適切ではない場合があります。こういったケースについての救済の
あり方というもの、これについては、必ずしも
憲法上の話なのか、あるいは
法律次元の話なのかということはあるかもしれませんけれ
ども、
憲法救済法的なものを考える必要があるのではないかと思います。
また、その文脈の中で、立法の改廃というものを義務づけるということは、
現行の
憲法ではできない建前だと思いますが、これを義務づけるようなことは、
憲法改正が必要ということになろうかと思います。義務づけしなければならない事態というのは
国会にとっては極めて不名誉な話でありますので、発議をするというのも、なかなかしづらいかもしれません。
時間が参りましたので、余り
国民投票の話ができませんでしたけれ
ども、
国民投票法などを考えるに際しては、
現行憲法の
改正のためだけということではなくて、
憲法改正に当たって、例えば
国民にイニシアチブを持たせるということもあり得るのではないか、立法の改廃を義務づけるということな
どもそういったテーマの一つの例ではないかと考えます。
以上です。