○
江田五月君 大
災害で被災された
皆さんに心からお
見舞いを申し上げます。
そのような中、誠に恐縮ですが、
お許しをいただき、
一言お礼を申し上げます。
ただいま、私の永年
在職につき、
院議による
表彰を賜りました。また、
青木幹雄自民党参議院議員会長から身に余る
お祝いの
言葉をいただきました。私には過ぎた光栄であり、顔が赤くなる思いです。ただただ感謝するのみです。誠にありがとうございました。
この
栄誉は、もとより、これまでの各
選挙で何の見返りも求めずに私を支持してくださった有権者の
皆さんの御
支援があったればこそで、心から感謝いたします。
思い起こせば、最初の
選挙は
昭和五十二年、一九七七年の夏でした。私は、
政治家の家に育ったので、
政治への関心は強かったのですが、
大学卒業の後、父の
悪戦苦闘ぶりを見て、
日本の
政治の
可能性に絶望し、その対極にある司法に職を求めていました。
ところが、本院に十二年、
衆議院に十三年、永年
表彰も受けた父が、その年の春、
政治生命を懸けて新しい道を踏み出し、その直後に中道に倒れました。それも、私の
誕生日に合わせるように、急いで旅立ったのです。
政治に一身をささげ尽くすその姿を目の当たりにし、小ざかしい理屈で
政治に絶望などという己の愚かさを悟り、父の残した道に従って、夏の
参議院全国区
選挙に立候補。今
も本院に御
在職の
田英夫さんに続き、百三十九万余の
皆さんの御
投票で、第二位
当選の
栄誉を与えていただきました。
社会市民連合という新党で、
当選は私一人。翌年、田さん
たちと
社会民主連合を立ち上げましたが、長く
ミニ政党のままでした。
初
当選の瞬間、少なくとも私の
任期六年の間は新しい
政治を求める動きは消させないと腹を固めていました。以来今日まで、道のない荒野を手探りで歩いてきました。過ちも多かったと思います。父が
表彰を受けたとき、請われて色紙に「
議員二五年、
政権も取れず、恥ずかしや」と揮毫しました。まだ現在のところ、親子二代で恥ずかしやです。
表彰を受けていいものか迷いましたが、ここは素直に同僚の
皆さんの御好意を受けることにしました。
今、新しい
政治への胎動はだれも押しとどめることができないほど大きくなってきました。
政治は
可能性の技術です。私
たちの未来は豊かな
可能性にあふれているのです。これを閉じ込めている既成の干からびた
政治を終わりにし、
国民の
可能性を
最大限に解き放し、みずみずしい発想で新しい
時代を開くときがすぐそこに来ているのを感じます。
私が求めてきたものは二つあります。その
一つは、
市民の
政治です。
国民の
願いが素直に通ずる
政治の実現です。今なお、
政治と金、平和や人権、命や
暮らしなど、まだまだ
庶民感覚と大きく隔たっているところがあります。しかし、
透明性や
説明責任が大切な
政治的価値と認められるところまでは確かにたどり着きました。
もう
一つは、
政権交代のある
政治です。この目標は、やっと今、単なる夢や掛け声でなく、かなりの手ごたえを感ずるところまで来ました。もちろん、与党の
皆さんも簡単には
政権を渡してくれないでしょう。厳しい試練が続くと思います。愛のむちと受け止める覚悟です。
有り難いことに、この夏の
選挙で三たび本院に議席を与えられました。これから六年間、
皆さんとともに切磋琢磨に努め、
学生時代にゼミで発表した
吉野作造博士の
言葉で言えば、
憲政の本義を達成するため、
全力を尽くす決意を新たにしています。
本日は、本当にありがとうございました。(
拍手)
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