○鈴木寛君
是非、これは今日お集まりのすべての
委員の
皆様方に私どもから御提案を申し上げたいと思いますので、
是非委員長もよろしくお取り計らいのほどお願いを申し上げたいと思います。
それで、与党の
皆様方も
教育基本法改正に関する協議会というものをお作りになって「
教育基本法に盛り込むべき項目と
内容について」という中間
報告を六月にお出しになっているようでございます。中教審の御
報告も私ども精査をさせていただきました。
で、その基本法の
議論の前提として、今日の我が国の
教育現場が抱える基本的な問題点というものについてどうもやっぱり検証、
検討が甘いのではないかというか、もう少し重要なポイントが、率直に申し上げて重要なポイントが抜け落ちている部分が幾つかあるんではないかということを私は
指摘させていただきたいと思います。
今日、それぞれについて御
議論させていただこうと思いましたが、ざっと我々民主党
教育基本問題
調査会の方で認識をしていることだけ申し上げますが、例えば
教育の基本問題に関しまして、私は
教育財政の問題というのは極めて重要な問題だというふうに思っております。
ちなみに、一九九七年にお隣の韓国で
教育基本法というものが制定をされました。韓国の
教育基本法では第七条で
教育財政という問題がきちっと明記をされておりますし、それから、中国の
教育基本法では公財政支出
教育費が
国民総生産に占める比率をきちっとその
教育基本法の中で明記しているんですね。そして、その
教育財政の要するに
教育支出の伸びが財政の経常収入の伸びを上回るようにしなきゃいけないというところまで中国の
教育基本法は書いてあるんです。ですから、
教育財政の
議論というのは
教育の基本問題の基本中の基本だということを私
たちは重大な課題として認識をしております。
それで、これはもう文部省が発表になっておられる数字ですが、
日本は、例えば初中等
教育を見ても高等
教育を見ても、公
教育支出の公財政支出、対GDP比、先進国中最低ですね。この
事態はずっと変わっていない。この点について
教育の基本問題として
議論がなされてないというのは、私は不十分な
議論だというふうに思っております。
それから、例えば、
先ほど大臣から、
大臣の
考える
教育論、非常に御卓見を伺ったというふうに思いました。しかし、正にいわゆる期待される
人間像問題でありますが、今、西岡
先生もいらっしゃいますが、これ、昭和三十八年のころからもう十年に一回起こっている。六十二年の臨教審答申でもそうでありますし、それから
教育改革
国民会議でも正にこの
人間像の
議論というのは行われたと。
そして一方で、
大臣、
先ほどのお話はそれはそれで非常に結構なんですが、一方、国際的な動き、特に国連、特にユネスコでは世界全体の
教育の在り方というものについていろいろな提言がなされております。例えば、一九八五年のユネスコの第四回の国際成人
教育会議宣言では学習権宣言というのがなされまして、
子供の学習権というものを、市民の学習権というものをきちっと明記すべきだということがこのユネスコの宣言でなされております。学習権は人が生き延びるために不可欠なものであるという位置付けがなされていまして、これが経済的な生活、そして平和創造のすべての基本だということを宣言をいたしております。
さらに、一九九六年には、ユネスコ二十一世紀
教育国際
委員会が学習の四つの柱、
先ほど中山三原則が示されましたけれども、ユネスコは、知ることを学ぶ、なすことを学ぶ、ともに生きることを学ぶ、
人間として生きることを学ぶというようなことも
議論が行われています。
それから、これは九六年でありますが、二〇〇五年、来年からは、ユネスコは持続可能な開発のための
教育の十年、ディケードがスタートをするということになっていますし、二〇〇五年は
スポーツと体育の国際年でありますし、国際物理年でもあります、ちなみに。こうした国際的な
議論の積み上げがあるわけであります。そうしたことにやはりきちっと
日本のこの基本問題を
議論する我々は十分認識をしなきゃいけない、あるいは勉強しなきゃいけないというふうに思います。
例えば、
日本国内でも、来年、愛・地球博、愛知県で万博が行われます。そこで、例えばこのユネスコの持続可能な開発のための
教育の十年と連動いたしまして、グローバル・
スポーツ・アライアンスというNPOが、
日本国際博覧会協会とかUNEPとかと一緒にそうしたフォーラムを持たれる、サミットを、
スポーツサミットを行われるといったように、いろいろ国内でも様々なNPO団体、
教育関係者が
議論しています。それから、子どもの権利条約についてもそうしたNPOが大変な活動と
実績を上げておられます。
やはりこうしたことをきちっと
教育の基本問題をする前提として我々は勉強をし、そしてその中で取り入れるもの、あるいは
日本の基本的、例えば学習権の問題などは私は
教育の基本的な法律の中でやっぱり明記すべきだと思う。さらには、憲法の中で、憲法改正の中で学習権というのを明記すべきだというふうに思います。そういった問題。
それから、例えば
先ほども
有村委員から出ておりましたけれども、私
たちはもちろん、自然な形で
子供たちが健全に、
自分たちが育った、あるいは
自分たちを育ててくれた、はぐくんでくれた郷土やふるさと、場合によれば母校なんというのもその中に入ると思いますが、そういうものを愛して、その延長線で
日本社会という共同体を愛するようになってほしいと私は思っています。
もちろんそのこと、とっても重要でありますし、そのことの
議論の深めも大事だというふうに思っておりますが、今、私も東京を中心とする多くのお母さん方とお話をしていて一番心配しているのは、
学校をとにかく安全な
場所にしてくださいですよ、一番最初にお母さん、お父さんから出てくる第一声は。正に外部の侵入者からの安全、それから、
先ほどもお話がありましたけれども、
児童同士が正に友達をあやめてしまうという悲惨な、こうした
学校をとにかく一刻も早く安全な
場所にしてほしいと。
子供の身体と生命の安全の問題というのは喫緊の課題です。このことについて
教育の基本問題の中で扱わずしてどこで扱うんでしょうか。
それから、せっかく今、特別
支援教育、これは
大臣のあいさつでも触れられました。このことは、これも評価したいと思います。しかし、いろいろな
議論の積み重ねがあって、今までの特殊
教育から特別
支援教育だと。これ、概念もきちっと整理し直して、特にLDとかADHDとか高機能自閉症と、これが
現状として全
児童の六%いると。そのことが、いるという前提で学級運営とか、そうしたそれぞれの
子供に対して、そのLDとかADHDというのは別にカテゴライズできませんから、その
子供子供のそれぞれの
状態に応じて個別の学習
支援計画を作らなきゃいけないという
事態が分かってきた。それに対して取り組まなきゃいけない。これも私は
教育基本問題上極めて重要な課題だというふうに思いますし、お隣の韓国ではきちっと
教育基本法の中でこの特殊
教育という条項を設けて認識をしています。
ほかにもいろいろ申し上げたい話がありますが、例えば就学前
教育の問題、これは幼保一元化で厚生省と
文部科学省の間に始まった、もう二十年来の課題であります。これを解決するのは、正に政治主導で、そして
教育基本法という極めて
教育の根本、あるいは人づくりの根本を
議論する際に、政治主導で、国会主導でやらなかったら、この長年の文部省、
厚生労働省の、もう
大臣よく御存じだと思いますが、問題は解決されません。中教審でやっている限り、この幼保一元化を、さらに就学前
児童の、私
たちは無償化ということまで踏まえて
検討すべきだと思いますが、これも解決できない。
それから、例えば建学の自由の問題。憲法八十九条が非常に訳の分からない形で、分かりにくい形で存在している。韓国は、きちっと私学の育成ということを
教育基本法二十五条に設けて、そして私学の
学校設立についても、法人と私人はきちっと
学校を設立、経営できると建学の自由を明記しているんです。もちろん財源の限界というのはありますが、私学助成法の話と私立
学校法の話とは、これはきちっと分けて
議論をしなければいけないという長年の課題に決着を付けるのも、この際、政治主導で、国会主導で
教育の基本問題について
議論をするというチャンスなんです。このことも行われていない。
それから、私がもう何度も申し上げておりますが、この国会で、大学
教育について、大学という、あるいは高等
教育という文言は今回の与党の御
議論の中では出てきません。しかし、今日の
教育基本問題の中で大学
教育、高等
教育を抜きに
議論することはできない。この点も欠けている論点だということを我々は
指摘させていただきます。
それで、これは参議院の
附帯決議も過去にございましたが、
日本は、国際人権規約十三条の二の(c)、「高等
教育は、すべての適当な方法により、特に、無償
教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」と、この条項、批准していません。留保しています。留保している国は、百四十六か国中、
日本、ルワンダ、マダガスカルです。この問題についてどうするのかと。もう何十年も前に国会で
附帯決議がありながら、この問題を放置しています。これも決着するのは今しかありません。
というように、極めて
教育の問題、大変な課題、しかもここで解決しなければ解決できない長年の懸案があるにもかかわらず、与党案、中教審案は不十分だということを民主党としては申し上げておきたいというふうに思います。その意味でも、
先ほど申し上げました、
是非この国会に、
教育の基本問題について、今のような
議論を
参考人も来ていただいて、そして
委員間の自由討議も含めてできる場を作っていただきたいというのが我々のお願いだということを
大臣に申し上げておきたいと思います。
それで、時間がありませんので、次の
質問に移りたいと思いますが、
国立大学法人化の問題です。
これは、参議院の
附帯決議を受けまして、先週、
文部科学省から参議院に対して
報告がございました。正直申し上げまして、極めて不十分な御
報告だということを申し上げざるを得ないと思います。
それで、二点についてまとめてお伺いをいたしたいと思いますが、昨日、そして本日も、この国会内で国立大学の
教員の
方々がポスターセッションをやっておられて、大学の現場が大変な財政的な危機にあるという惨状を訴えられていらっしゃいます。
それぞれについて時間がありませんから御紹介申し上げませんが、
附帯決議では、国立大学の法人化と独法化は違うんだと。すなわち、独法化はスリム化ということが目的に入っていましたが、
国立大学法人はスリム化ということは入っていません。いわゆる大学の自主的な経営というものを、自律性、自主性を
確保するためのガバナンスの変更だと。このためだけに国立大学をやるということで、当然予算もカットしないと。十分な予算、これから
教育・
文化立国で、
科学技術創造立国で極めて重要な拠点が大学であるということを我々ここで
確認をしたはずであります。しかしながら、現場から聞こえてくる声はそれと違う声がある。これに対してきちっと
報告で答えていただくべきだというふうに思います。
それから二つ目。我々が懸念したことでありますが、大学のガバナンス、アドミニストレーションの中核を担う人事の問題。
我々が心配したことがやはり的中をしていると思わざるを得ない
報告が現場からいろいろ聞こえてきます。この件についてはこれからも、特に一年間終わったところできちっと精査をするということを申し上げておきますが、一言だけ申し上げますと、例えば四月一日に五百十四人、それからこの十月一日に三十七人の
国立大学法人の課長級以上の人事異動が事実上文部省の人事で行われているんです。
これは、大変に立ち上がりの極めて重要な時期に課長さんとか
部長さんとか事務
局長さんとかが突然いなくなっちゃうわけですね。中には、中にはというか、多くは非常に頼りにされていて、正に新しい大学を作るその中心的な役割を担っている課長さんであり
部長さんであり、そして例えば産学連携の話なんかでも、企業に行って何度も何度も、その御本人は本当に努力をされて、企業との
関係も十分にできて信頼
関係も出して、そしてこれから産学連携で頑張るぞと。それが突然一週間前になって、いや私このたび人事異動でいなくなることになりましたと。一緒にやっていた大学の
教員もびっくり、それから産学連携の相手先である企業もびっくりと。
正に
国立大学法人化の意味は何かというと、これは
大臣も役所にいらっしゃったからお分かりだと思いますが、役所の人事異動のルールはそうなんですね、これは特別権力
関係ですから。しかし、もう
国立大学法人はそういう意味では役所じゃないんです。正に
地域の方、正に現場の
教員、正に現場の学生、そして正にその連携先の企業あるいは団体、組織、そうした市民社会の一員としてより良い知の学府を作っていくと、こういうことでありますから、
是非この点は、この人事制度、予算制度、大いにまだまだ直す点があります。
それから、法人化に伴って一番聞こえてくる声は、ペーパーワークが物すごく多くなったということですよ。大学の
教員には本来業務である研究と
教育に専念をさせてあげるというのがこの
国立大学法人化の意味だったんですよ。それに全く逆行している。これもさっきのアドミニストレーションスタッフの問題とかかわります。アドミニストレーションスタッフが突然いなくなる、そんな人にはペーパーワーク任せられません。しかし、この人がきちっとそうしたアドミニストレーションのペーパーワークを始めとするそういうふうな事務的なマネジメント的な仕事を担えるということになれば、
教員も専念できるというふうな、いろんな課題に対して大いなる疑念ございますので、この
国立大学法人の問題、我々引き続き見ていきますが、
国立大学法人について、予算、人事、事務体制の問題について一言、更に改善の余地があると思いますが、お答えをいただきたいと思います。