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参考人(
栗田暢之君) よろしく
お願いします。
私のような者がこのような場に出さしていただくことは、非常に感謝申し上げます。
名古屋で活動しますレスキュー
ストックヤード、
栗田と申しますが、私は名古屋で活動しておりますが、この阪神大震災から十年という重みを非常に感じておりまして、本当に全国の仲間とともに歩んできた十年だということを考えております。その中で、現在の
ボランティアの
現状と
課題について報告さしていただきたいと思っています。
阪神大震災は、御存じのように百三十万人の
ボランティアが
被災地に駆け付けまして、きめの細かい
支援活動を展開してきました。その年は
ボランティア元年と呼ばれました。その前にも、雲仙・普賢岳や奥尻島の津波
災害で
ボランティアが活動しておりましたが、やっぱり決定的に
市民権を得たのは阪神大震災じゃないかと私は思っております。
その後も、その一回だけじゃなくって、その後も、例えば九七年、ナホトカ号の油流出事故、あるいは九八年、福島、栃木、高知における
水害、九九年、広島、二〇〇〇年、有珠山、三宅島の噴火、東海
豪雨水害、鳥取西部地震、あるいは二〇〇一年、高知西南
豪雨水害、芸予地震、二〇〇二年は岐阜県大垣市の荒崎地区、二〇〇三年は宮城県の北部連続地震、あるいは水俣の
水害、このような毎年相次ぐ
災害の現場には必ず
ボランティアの姿があった、この十年の歩みということであると
思います。
今年は、特に
台風二十三号を始め、その前の
台風二十一号も強烈でした。今は
新潟県
中越地震で、現在も、今この時間も
ボランティアが懸命な
作業を続けているという
現状があります。これはやっぱり、何度も申し上げますが、阪神大震災から十年という重みを考えますと、この間の歩みは、一たび
災害が起これば
ボランティアが不可欠なんだという
災害ボランティアの文化を創造してきたんじゃないかということで、
日本社会に定着してきたと考えております。
しかも、その
ボランティアは
特定の方ではなくって、一
被災地で何千人、何万人という大きな力になっている。例えば、不確定な数ですが、
台風二十三号で、後ほど申し上げますが、
災害ボランティアセンターというところが全国で三十五か所にできまして、そこに駆け付けた
ボランティアは全体で約五万人いらっしゃる、これは不確定ですけれども。確定していますのが、例えば七月に襲った
新潟の
水害の方ですが、このときには四万五千人、福井のときには約六万人。こういった何千人、何万人という方が
被災地に行く、こういった
日本の社会に定着してきたスタイルが
災害の
ボランティアである。しかも、
災害復旧・復興に
ボランティアは不可欠であるということが認識されたものだと思っています。
ところで、そういった
ボランティアさんが何万人、何千人と一度に
被災地に来ても
被災地の方はかえって迷惑します。あるいは混乱が続きますから、そういった
状況の中でいかにその
ボランティアさんを受け入れるかという受入れ側の問題もあります。
そこで編み出された方法が
災害ボランティアセンターの設立ということであります。これは、例えば
自治体の中に
一つ、
ボランティアの活動拠点でありますということを旗印をきちっと掲げて、つまり
ボランティアしたい人と
ボランティアしてほしい人を需給調整をする機能を持った
災害時の臨時の
災害ボランティアセンター、ここで設置されるようになりました。先ほど申し上げたように、それが全国で
台風二十三号関係だけで三十五か所、今はもう大分閉鎖をされております。
この仕組みの中で、特に昨今は、行政側は
地域防災計画にそれらのことをきちんと明文化をして、県が主体となって
ボランティア本部を作りますとか、市が
ボランティア側に場所を提供しますとか、そういう基本的な明文化をしたところもあります。あるいは、その
被災地となった社会福祉協議会だとかNPOだとか、あるいは企業とかJCとか生協とかいろんな各種団体がございますが、そういう
方々が中心となって運営するいわゆる公設民営型、こういうものが主流となってまいりました。
阪神大震災のころは民設民営のパターンが非常に多くて、約六百もの
ボランティア団体があったと言われております。その中でも、必ずしもその行政機能あるいは他機関とうまく連携をするということが十分ではなかったということを考えますと、この公設民営のスタイルでこの
ボランティアセンターが設置されて、何千人、何万人という
ボランティアさんがそこで活動の拠点を得るということは、結局、その
災害の一日も早い
復旧・復興という同じ目的に向かって、そのすべての
支援体制が互いの役割だとか違いを認識しながら行動するといったまさしく協働の姿が萌芽してきた、こんなふうにも考えております。
ただ、
ボランティアセンターも数々の
課題があります。その
課題の
一つは、
被災した
自治体が必ずしもその
ボランティアセンター設置への協力体制を整えていない。つまり、びっくりした行政側の方が
ボランティアということを余り理解せずに、うまく機能をまあ
自分のところに取り込めないといいますか、とにかく阪神以降の十年の歩みをちょっと勉強していただいていればその重要性はすぐに御理解していただけるのに、ところが、
水害では、例えば水が引いた後すぐに掃除を皆さんやっぱり
被災者の方は始めたいんです。そのときに
ボランティアさんがいないとどうしようもないのに、その判断が後手後手に回りますとタイムリーな
ボランティア支援ができない。ここで行政側の対応の温度差みたいなものが
被災地にあります。
それから、二番目として、
ボランティアセンターが、公設民営といいながら、例えば行政だとか社会福祉協議会など、私も前サラリーマンですからよく分かりますが、縦社会ということがそのまま反映されてしまいますと、結局どうしても
ボランティアさんを管理したり傘下に置くというイメージがわいてきます。その概念はやっぱり縦社会の概念ですから、
ボランティアは本来横の、横の社会である、つまり
ボランティアコーディネーターだとか
ボランティアリーダーとか
ボランティアさん、いろんな
方々がその現場に登場しますが、みんな一線に横並び。
一番偉いといえばやっぱり
ボランティアさんが偉いんだと。何で偉いかといいますと、
被災者の声を生で直接聞いた
方々だということを考えると、その
ボランティアさんが活動しやすい環境を整える、あるいは
被災者と直接聞いたその声を次に反映させる。つまり、上から下へ何かこう縦社会で指示をするんじゃなくて、下から上へ
ボランティアさんを大事に扱う、持ち上げる指示の方、こういう概念が
ボランティアセンターは大事であると考えておりますが、ただ、行政とか社会福祉協議会が中心になって運営されると、どうしてもまあそういった概念が先に出てしまうということが問題となると思っています。
第三番目に、
災害によってその
ボランティアセンターの設置の体制やあるいは種類といったものも
かなり異なる、その性格が異なるということが
地域地域によって異なる、これが大きな
課題としてあります。つまり、例えば
水害の場合は掃除をするという
一つの単純
作業の目的が主体となりますので取り組みやすい。ところが、今もそうですが、
新潟県の
中越地震に大量の
ボランティアが入ってもいかがなものかと私は思っていますが、つまり地震の場合は、
被災者の方の恐怖だとか悲しみとか耐え難い
避難生活とか、あるいは先行きの不安、こういった心の問題を扱うことが多いので、何かこう一斉に掃除をするというそういう
ボランティアセンターじゃなくて、もっと
被災者の心の中に飛び込んでいけるような
支援、そういったことも必要だ。つまり、
ボランティアセンターただ作ればいいということではなくて、外部からの
支援なんかをうまく連携しながら、あくまでも
被災地の地元が主体でありますよ、ここが頑張らなきゃいけませんよということを
被災地が本当にこう
ボランティアセンターとして自覚できるかどうか、こういうことが大きな
課題としてあると思っています。
こうした
課題をやっぱり考えてみますと、平常時にぼうっとしていては、いきなり
災害が来て大変だという
状況を作るということ自体がおかしくて、つまり、
災害が発生して慌てて調整してもそれはどうしてもやっぱり無理がある。やっぱりふだんからその
災害が起きたらどうしましょうか、あるいは
災害に対してどのような体制でその
ボランティアを受け入れるのかというようなことが
事前に話し合われて、そういったことを場を作ったり、あるいは講座を運営したりする行政や社会福祉協議会がもっと
災害の
ボランティアとかコーディネーターの養成なんかを積極的に図って、地元が大事だと私申し上げましたが、地元の中に貴重な
応援団として何人すぐに、そういった
ボランティアセンターと聞いてすぐに頭にイメージのわく
人たちが何人いるかということが大事だと思っていますから、そういうようなことをふだんからやっていくことが大事である。
ただ、これはもう既にいろんな
自治体とか社会福祉協議会あるいは各種団体で実践されておりますけれども、ただ
地域地域、あるいはその主催者によって考え方がばらばらな方法でやっていますから、おたくはどんな方法でやっていますかとか、どういうねらいでやっていますかという互いの
情報を交換したり、あるいはお互いもっとどんな
支援がいいのかということを勉強できる、研さんしていく場が必要だと
思います。
最後ですが、究極の学びが
災害現場ということですが、今改めて私もこの十年来の活動を振り返って考えてみますと、
ボランティアさんが
災害現場であの惨状を確かに見た、聞いた、
ボランティアが現場に行ってそれを確かに見た、そのことを、その事実を逆に絶好の機会というふうに、まあ不謹慎な言葉かもしれませんが、絶好の機会ととらえて、その
ボランティアさんが他
地域から来ている場合においては、その
自分の
地域、
ボランティアが出身の
地域、地元における
災害前の
防災体制はどうなのかと。こういう
災害が来てしまった
地域を実際に見て、私のところの町が
被災してしまったらどうすればいいのかということを考える動機付けの役割を持って活動に参加すると、例えば四万人、五万人とか六万人とか申し上げましたが、そういう
方々が地元で
事前の
防災に取り組む、あるいは
災害に強い町づくりを参画するといった貴重な人材になる、人材にこれからなっていくというふうに思っています。
そういう今までの十年の歩みの中で携わった
災害ボランティアは、今の
災害前の取組も含めて
かなり知恵を集積しております。ところが、その知恵の集積は集積するだけではもったいなくて、それを
情報公開しなきゃいけませんが、その集積をしていく部分だけでも、私どものような小さなNPOがそういうことをやろうとしても、なかなか資金の問題、人材の問題で行き詰まってしまうんです。ですから、これだけ
災害ボランティアとかNPOが期待されているという
現状にあっては、その量と質の向上をやっぱり図りまして、緊急時のみならず平常時からこうした
課題に取り組むソフト面の各種施策の充実を
是非皆さん方に
お願いしたいと思っています。
なお、この
お願いと
ボランティアは無償であるということは全然次元の違う話であるということを御了解いただければと
思います。
以上でございます。