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参考人(莫
邦富君) こんにちは。莫と申します。
じゃ、座らせていただきます。話させてください。
実は私、来年で来日して二十年になります。
日本語を勉強してから今年で三十年ということですが、自分ではそれから結構努力していろいろ
日本語を勉強したはずですが、一応間違いだらけでも一応しゃべれるように、書けるようになってはいるんですけれども、しかし
日本人の本音と建前を言い分けるような神業はいまだにまだ習得できていないから、もう今日は無理やり本音と建前を言い分けてやるよりも、むしろせっかくの場ですから、もう実際私が感じた問題点を率直に言わせていただこうかなと思いますが、幸い
毛里先生が
中国と
日本のデータ的なことを全部語ってくださったので、私は触れずに済むわけですね。単刀直入で本件に入ります。
まず、今日皆さんに配った私の発言要旨のところに、最初事務局の方から、莫さん、一番目の日中問題の誤診現象の「誤診」は書き間違えているじゃないかなと指摘されまして、書き間違えていません。これは誤診という現象を取り上げたいと思いますが、御存じのように、今、日中間はいろいろ問題が起きているわけですが、これは例えば病気だとすれば、正しく診断して、どういう症状なのか、病根がどこにあるのか、それはオペをした方がいいのか、薬を与えた方がいいのか、あるいはレーザー照射で治療していた方がいいのか、まず病根は、問題はどこにあるのか判明しなければならないんですね。
実際、正直言いますと、今日、
毛里先生の前で
毛里先生にお世辞を言ってもしようがないんですが、
毛里先生のような優秀な
中国問題の専門家は、
日本では、私から見れば、失礼ですけれどもやはり割と少ないと思いますね。むしろ誤診だらけの、医学大学にもう一度戻って再研修してもらいたい
中国問題
研究者が一杯いると思います。
典型的な例で言えば、九五年、
日本の
研究者、
中国問題の
研究者の多くが喬石が
中国の後継者になると、江沢民政権が長くないと、もうみんな言っているわけですね。そのときも、私が幾らメディアの取材に対して違うよと言っても、どこも取り上げてくれなかったんですよ。なぜなのか。
アメリカの国防総省がこういう研究を出しているわけですから、もうみんなそれを踏襲して発言しているわけですね。
もう
一つ、例えば九六年、
中国で「ノーと言える
中国」という本が出版されたんですが、これを私、
日本に紹介して出版しましたんですが、この本が出版される前に、もうみんな
中国、
日本のいわゆる著名な
中国問題の
研究者も、この本は、三か月、五月に出た本で三月の事件を取り上げているのを見ると、こんな速いスピードで
中国で本が出版できるはずはない、絶対江沢民の意思で、党の力でこれ出版されたものだと、もうみんな決め込んでいるわけですね。その著者の中に、三人はフリーライターの人ですから、
中国の人にはそのフリーライターの職務がない、絶対
中国の情報機関の人間がもう偽ってこういうふうに書いているんだと。今の
時代で、もう電話でも直接掛けられるんですから、なぜ確かめないのか。
私、直接この著者たちと会ったんですが、当時
中国では、まだ
北京に居住する場合、地方の人間がそこに行って居住する場合、居住許可証を申請してもらわなければならないんですが、その中の三人は、もうこういう許可証をもらえてない身分で、地下室の一部屋を、安い部屋を借りて住んでいた人ですが、これをいわゆる
日本の一部の
政治家も含めて、
中国の問題専門家が言う特権階級ですよ、こういうなぜ実態と大きく離れた結論を出しているのか。そうすると判断することができないわけですね。
今回の
中国人の対日感情も、もう皆さんも御存じのように、もう物すごく悪くなっているんですね。これはいわゆる、今度
日本では
中国の愛国教育、
つまり反日教育の結果だと言っていますね。だから、私、これもまた誤診だと思います。
中国の反日教育が一番受けたのは、正直に言いますと、私の世代で最後です。
私が大学に入ったときは、
日本の本を読んではいけないんです。
日本の
新聞は、唯一読むのを認められたのは
日本と
中国という日中友好協会が出している
新聞で、私の読んだ
日本の小説などは、
日本人の先生からひそかに貸してもらって、みんなの前では読んではいけないから、夜、みんなが寝静まった夜、大学、全寮制ですから、大学のトイレに入って、トイレの照明が非常に暗いですから、机の上にいすを乗っ掛けて、そのいすに座ってもう読んでいたわけですよ。もう下の、夜中にやはりトイレに来る人がいるから、莫さん何をしているのかと言うと、あっ、もう急いで読まなければならないものがあるんだと言って。うちの宿舎の人間が六人いるんですが、もう一週間したらみんなそれを交代で読んで、そしてまたひそかに本を先生に返して新しい本を借りてきて、またこういうふうにやるんですよ。
あのころの
中国の人民日報とかそういう
新聞などを見ると、
日本を褒めるものはほとんどなかったんです。成田空港ではまた闘争が始まった、もういかにも
日本は革命寸前のような報道ばかりだったので。
しかし、八〇年代以降は、まあつい最近まで、
中国の
新聞には
日本のマイナス面を取り上げる記事もいろいろあるんですが、少なくとも八〇年代以降は
日本を正面的に、いわゆる評価的に、プラス的に取り上げるものはほとんどなので、なぜ反日環境がそんな悪くなったのか。
実際、反日に走っている人たちの年齢を見ると、ほとんど二十歳前後から三十歳の
前半までですよ。こういう人たちをよくよく見ると、
一つ非常に面白い現象があるんです。例えば二十歳
前半の人だと、二十年前はちょうど
中国の
改革・
開放が始まった時期で、もう彼らは、言い換えれば当時のいわゆる反日教育、私たちのような徹底した反日教育を受けていなかったわけですね。絵をかくと、もう
日本のアニメ風の絵をかくんですね。今の
中国の教育
関係者を嘆かせているわけですが、もう全部アニメ風になっている、大変だと嘆いているんですが。Jポップも物すごくよく知っている。うちの娘が
上海に帰るときですが、もう親戚の子供たちから全部細かい注文が来るんですよ、浜崎あゆの何々の歌が欲しいとか。しかし、こういう人たちが、高校までもう物すごい親日だったこういう人たちが、いったん大学に入ろうとした時点でもうだんだん反日になっていってしまうんです。なぜなのかと。
実は、ここに
一つ非常に重要な要素があるんですが、一九九五年、これは
中国のインターネット元年です。今、
中国のインターネットの使用者が八千万人、一人例えば使う人が三人影響を受けるとすれば、もう既に二億四千万人がインターネットの情報の共有者になっているわけですね。しかも、
中国の大学進学率が非常に厳しいもので、狭きドアだったので、だから、親たちがコンピューターを買い与えても、大学試験が終わるまで自由にインターネットを、アクセスを認めないんです、ほとんどの親たちが。そして、高校が終わって七月に試験が、毎年の七月に試験が終わってですが、もう解禁するんですよ。そのときの子供たちが、もう毎日インターネット浸りになっているのですが、そこから、
中国の
新聞でふだん受けていた教育と全く、もう
一つの
世界が広がったんです。そこはもうかなり激しい
意見を述べています。
これは、特に今、
トウ小平が八〇年代の当初、
日本の皆さんにこういうふうに話しましたのですが、当時
中国の
GDPが、一人当たりの
GDPが二百五十ドルでした。四倍にしたいと。一人当たりの
GDPが一千ドルになったら、これは
中国はまあまあ豊かな
社会になるだろうと。もう実際はそれは、
中国は去年で
GDP一千ドルになりました。
トウ小平の目指したいわゆる近代化の第一
段階が実現したはずですが、しかし
中国のどこを見ても祝う雰囲気が何もなかったんです。むしろ、二、三年前からしきりに千ドル、
GDP千ドル問題を語り始めたんです。なぜかといいますと、これまでの発展途上国の発展、経験則を見ると、
GDPがいったん千ドル辺りになったら、次のステップの四千ドルまでの間は一番
社会が揺れ動く
時代になるので、所得格差の不平等が出てくる。
人々が、一応食べる問題とか住む問題が解決すると、もうどんどん要求を求める、権利を求めるようになる。
今、最近の
中国人の発言は、それをよくよく見ると、別に
日本に対して厳しいことを言っているだけではなくて、
中国の官僚に対しても、
中国国内の
経済政策に対しても、
社会問題に対しても、ひいては非常にソフトな問題に対しても、もう物すごく厳しく言っているんですよ。
アテネ・オリンピックの閉会式のとき、もうアテネの市長の女性の人がそれは物すごく上手に雰囲気を盛り上げたんですが、
北京の王岐山市長が次回の主催地市の
代表として旗を受け取ったんですね。もうその姿が
中国のブラウン管に、テレビのブラウン管に映し出された後、猛烈な批判が来たんですよ。何を批判したのか。固かったと、やっぱり
中国共産党の官僚だからそういう国際舞台にはもう合わないんだと、そういう問題までも批判し始めたんですよ。
だから、私から見れば、今の反日感情の問題は、正直それ、皆さんにとっては耳の痛い話かもしれませんが、私から見れば、
中国は正常に戻りました。
国民が物を言うようになったんですよ。
実は、九六年、今から八年前ですね、「ノーと言える
中国」を出版したときに、私、既にこの問題を指摘しました。ここに、皆さんに出した
資料の中にも書いてあるように、
中国はワンチャンネルの
時代から多チャンネルの
時代になっていくですよと。その
中国との新しい付き合い方を覚えないと、今までもう
中国共産党だけを見て、人民日報、
中国官僚の発言を見て、ああ、じゃこれで
中国の声だと、
中国の意思表示だと表明しているのを見て、これだと理解すれば、もう大間違いがします。
一番典型的な例は新幹線導入の問題ですね。去年の三月、
中国の全人代が始まる前に、一月に発売された
日本の月刊誌に、もう
日本のメディアが当時全部
中国の人事の問題を取り上げているのですが、私がそのとき取り上げたのは新幹線の問題ですね。
日本は早く
中国の
国民に働き掛けないと新幹線は取れませんよと警告を出しました。それはもう見事に、その三か月後、五月になるとそれがばあっと
中国国民が拒絶反応を見せたんですね。わずか二週間で署名がもう八万人になったんですよ。その後、もう毎日一万人ずつそれが増えているんですが、
中国政府が、やっぱり十万人、二けたになるとそれは困るということで、慌ててそのウエブサイトに圧力を掛けてその署名をもう途中中止させたわけですね。それでもやはり、結局、
中国政府は新幹線の導入を、本来は
上海と
北京の間の高速道路が二〇〇八年の
北京オリンピックに合わせるように開工したいんですが、結局延期してしまったんですが、今どうなるのかまだ分からないんですね。
そういうような
意味を、ことも考え、私はやはり主張したいのは、
日本のこれまでの
中国との付き合い方あるいは
外交のやり方、先ほど
毛里先生もおっしゃったように、
国民外交、
中国との
国民外交が必要だと。私、全くそのとおりで、
中国の官僚だけを見るのではなく、
中国の
国民に向けて
日本がどんどん働き掛けないと、もうかなりこれから厳しくなると思います。
日中関係の行方は、私はそんなに楽観的に見ていないんです。多分、これから二十年間は
日中関係はもうますます悪くなっていく一方で、だから、そうすると最悪のことは、じゃ日中間戦争していいのか、もちろんそれはいけないですから平和共存でやらなければならないと。じゃ、平和共存のために何をやればいいのかという問題がありますね。
今、みんな政冷経熱という言葉、唐家センさんの言葉を
日本のメディアが盛んに使っているんですが、私は下手をすると、これからは政冷経冷の
時代になる可能性もある。だから、そうすると、今の、先ほども
毛里先生も取り上げたいろいろのデータを見ると、
中国との
経済の交流は物すごくウエートが高まってきて、なぜ政冷経冷になるのかと皆さんが疑問に思うかもしれませんが、全体のボリュームから見れば
日本と
中国の
経済が物すごく順調に進んでいます。しかし、個別分野で見ると、
日本経済の、あるいは
日本企業、
日本製品の存在感がむしろどんどん下がっています。
例えば、今、
中国で一番売れている商品は何なのかといいますと、携帯電話、パソコン、車、分譲住宅、そして分譲住宅関連の内装関連のものなど、一番売れているものですね。
じゃ、携帯電話は今年の五月、保有台数が三億台。しかし、日系企業全部合わせていても六%未満。モトローラ一社で最盛期に八〇%のシェアを握っていました。もう今でもモトローラは一四、五%ぐらい握っていまして、一、二のシェアを争っているんですね。一社ですよ。
パソコンを見てみましょう。二〇〇二年、
中国は初めてパソコンは年間販売台数一千万台を超えました。千十一万台でした。しかし、
日本のNEC、富士通、パソコンの大手でしょう、
中国での年間販売台数がそれぞれ一万台、〇・一%のシェアしかない。存在感がまるっきりない。
車を見てみましょう。一番シェアを取れているのがフォルクスワーゲン、二番目はGM、
アメリカの会社ですね。
日本の会社がようやく入って、トヨタが二年前に進出して、車の名前に
中国語で横暴という名前を付けました。出した広告が、
日本語に直訳しますと、おれは横暴だ、このおれをおまえは尊敬せずにはいられないというようなコピーで広告を出してしまう。
それで、
北京で、あの
アジア・サッカー試合で皆さんも見られたように激しい
日本チームに対するブーイングがありましたですね。その現場で叫ばれた言葉の
一つには、おれたちも一回横暴しようという言葉です。もう明らかにトヨタの広告に対する反感が、こういう
政治の面、問題で出てきたわけですよ。まあ、もちろんトヨタがやはり
日本の一流の会社で自分のやり間違えたことを気付いてから、一か月前にこの横暴という車の名前をやめました。こういうのは
日本国内で絶対してはいけないと理解しているはずの問題で、
中国では堂々とやってしまったわけです。
だから、そこら辺はじゃ何を言おうとしているのかと。実は今の日中間の交流が、昔のような毛沢東、周恩来対田中角栄とか大平首相とか、そういう
時代がもう終わりました。
経済がその主役になっているんです。しかし、
経済、企業、
日本の商品は、自分たちが主役だという意識が全くない。それでこういういろいろ過ちを、試行錯誤を起こしているわけですね。だから、その
意味では私は、日中間の
外交問題とか国同士の付き合いの問題が、
政治だけではなくて文化も
経済もいろいろ絡んだ問題です。
日本のソフト
パワーは、実はここ十数年は
中国でのそのソフト
パワーの存在感どんどん下がっています。
二〇〇〇年に
北京で
北京市政府が催した大
規模なイベントがある。その
北京市政府から働き掛けを受けて
日本の著名人を招待したいと。そうすると、じゃ
北京市側にどういう人に来てほしいのか名簿を下さい、それで私が誘いますからと。そして、もう送られてきた名簿が栗原小巻さんと中野良子さんです。もう今はっきり言いますと、これは記録に残りますからはっきり言えないですが、一応私、中野良子さんを連れて行きました。それで、二年後また同じ依頼が来て、また中野良子さんを指定したんですよ。そのところ、私、さすがにもう少し今の
日本を
代表するような人物を選んでくださいと文句を付けました。そうすると出てこない。
八〇年代、
中国人が
日本人を語ると、
日本を
代表するような人物が、おしん、高倉健、そして中野良子さんとか、そういうような人ですね。じゃ、今
中国人に語ってもらうと、小泉首相と、そして東条英機になっちゃう。そうすると、後この九〇年代になってから
中国でヒットした
日本の映画がない。ずっと私はもう言い続けているんですが、
日本の歌舞伎を
日本は一生懸命
中国に出して公演する、それは文化交流だと思っているんですが。実際、
中国で公演するとき、
中国側がもう大学の、
日本語を勉強している学生とか、
日本と付き合いのところにもう強制的に切符を渡して、出勤、学校のいわゆる授業への
出席とみなされて、いろいろみんな出ていくんですが、会場に入るとドアが後ろからかぎを掛けてしまって、途中逃げられないようにするんです。そうすると、しばらくして、もうトイレの窓から人がはい出てくるんですよ。
私は、当時言うのは、なぜ例えば
日本の宝塚などを
中国に出さないのか。もっと
人々にアピールできるようなものをなぜ出さないのかと。ようやく宝塚が
中国で公演されることになったんですが、私、物すごい喜んだんですが、
北京で張り出されたポスターを見ると、がっくりしてしまいました。はんてんを着込んだ宝塚ですよ。あの華やかさが全然出てこないんですね。そういうところが私はやはり
日本側ももう少し工夫しないと。
昔、例えば
中国の
国民にとっては、製品でいえば
中国国産の商品か
日本の商品という選択肢しかなかったんです、九〇年代の
前半ころまでですね。今は、
中国国内の製品か外国の製品、
日本はその中の
一つ。元々その中で存在感も薄くなっているのに、更に
日本企業の不努力もあって、漢字の、
中国に投入した
日本の携帯電話は漢字入力ができないんです。オランダ語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、もちろん英語も含めてヨーロッパの国の言葉が十三か国語も対応できているのに、
中国語入力ソフトを入れないままこういう携帯電話を
中国で販売しているんです。
じゃ、
中国語入力ソフトが非常にお金を掛けて
開発しなければならないのかというと、全然違うんです。一九九五年、
中国のインターネット元年にもう既にただでダウンロードできるような物すごくポピュラーなソフトです。
日本製品だから、一流メーカーのものだから売れると思ってもう販売しているわけですね。
中国で一番最初に漢字入力のできる携帯電話、発売したのはモトローラなんですよ。どう考えてもそれは私には納得できない。モトローラと
日本の企業と比べると、どっちの方が漢字文化に近いなのか。言うまでも
日本の企業でしょう。それなのに、モトローラが二年も先に漢字入力のできる携帯電話を発売しているのに、
日本は頑として
中国でローマ字を普及させようとしているわけです。
そういうようなこともいろいろあって、特に今、二十代、三十代
前半の人たちは
日本に対する敬意を持っていないんですよ。私たちの世代で、いろいろ反日教育は受けたんですが、
日本に対して
一種の畏怖に近いような敬意を持っていたんです。戦後、廃墟からもう
世界二番目の
経済大国を築いてきたと、そういうふうに
日本を認識しているわけですね。
だから、もう
日本にも、私、
日本に来てから作品などを発表し始めたのではなくて、
中国でもうずっとそれをやっていたわけで、威張って言うと、今の大使館の
政治担当の参事官や大阪の総領事なども私の教え子くらいですから。
日本のことはもちろん
日本に来る前既に分かっていて、いろいろ論文も書いていまして、もう
日本には、東京には歌舞伎町というところもありますし、
日本の警察官もよくやってはいけないことをやるし、
日本の
政治家の中にももらってはいけないものをもらったりしているんだと、そういうことを分かっているんですが、紹介しません。
当時私が紹介していたのは、もう後でいろいろ学生に批判されたんですが、もう莫先生はいつも
日本を評価するものばかり私たちに教えていたんですが、
日本に行ったらちょっと違うじゃないかと。
日本にはこういう問題もいろいろあると指摘されて、私から見れば、
中国に
日本の問題というのをいろいろ教えてこれは何のためになるのか。
中国の共産党の幹部が安心させるだけで、ほら、
日本にもこんな問題があるよと自分たちの行動を正当化するばかりに利用されるおそれがある。だから、逆にむしろ
日本のいろいろいいところを、
市場経済はどうやっているのか、企業家の競争はどうやっているのか。
政治家はもう確かに賄賂をもらっているんですが、その賄賂の金額と給料の比例と、
中国の官僚のもらっているお金との比例と比べると、どっちの方がひどいなのか。ですから、いろいろ
日本について敬意を持っているから、
日本の問題に対してある
意味では冷静に見ることができた。
今の若い人たちが、もう特に都会部の人たちが、今パソコンなどを使える人たちが、
中国で恵まれている家庭の人たちですから、子供
時代からもう
日本に対する敬意がないんです。そうすると、問題があるとこれはもうストレートに問題として見るので、そこが非常に厳しいことですね。
もう
一つの点、日中間は物すごく後ろ向きの話題が多いです。まあ
歴史の問題もそうですが、いろいろ問題があるんですが、もうネギまで問題になっているぐらいでですね、もっと前向きの未来型の話題を出すべきです。
未来型の話題はどういうのがあるのかといいますと、一番簡単に言うと、EUに対するAUというのが、
アジア連合をやがて作ろうじゃないかと。これは多分、例えば三十年掛けて、五十年掛けて作るかもしれませんが、今からこういう話題にも私たちは向かって一緒に考えるべきじゃないかと。ユーロに対するもう将来の、今、
中国で物すごく語られているのは、亜元、
アジアの亜に
中国の元ですね、
つまりアジアンドルという、
アジアの共通通貨の問題がもう物すごい今みんな語り始めているので、将来、皆さんは今、
日本国内では目先のいわゆる対応しか見ていないから、
中国の人民元を切上げしろといろいろ圧力を掛けているんですが、人民元が切上げしたら
中国人の自信がその分増えると思います。もっと
アジアンドルに対する要望が出てくるので。
そういう
日本には、
日本にはそういう将来の
アジアに対してビジョンを持っているのか。これを、ビジョンを持たないと、二十年間で
中国はまだ一人当たり
GDP千ドルくらいの国ですから、もうここまで強気に出てくるので、四千ドルになったらもう、もし今の価格のままでいえば、
中国の平均物価が
日本の五分の一か六分の一ですね。だから、
つまり、その一人当たり
GDPを掛ける五倍、掛ける六倍で見るべきですね、購買力平価で見ると。だから、そうすると、四千ドルになると、もう二万あるいは二万五千ドルぐらいに見なければなりません。
実際、
中国の長江デルタが今もう既に四千ドルになっているのですね。だから、なぜ、例えば今、反日問題などが長江デルタに限っては余り起きていない、それはなぜなのかというと、実際はその
経済のレベルと非常にいろいろ関連があるんです。四千ドル、五千ドルくらいに来ると、もう安定した
社会を求めたいわけですよ。だから、低いところは逆に富分配時の公平性とかいろいろ求めてもういろいろ問題が出るから、例えば重慶で一番問題が起きて、最初、
アジア・サッカーの問題も最初重慶で起きているんですね。
中国の四つの直轄市の中で重慶は一番
GDPが低いところです。四川省から独立されたとき、もう四川省の貧しい県もいろいろ抱き合わせたから大きい。だから、そういうところが非常に厳しい。
もう
日本に対してだけではなくて、
中国国内、
中国政府に対してもやはり厳しい行動を起こすんですよ。だから、つい最近、ダム建設をめぐって暴動を起こしたでしょう。結局、胡錦濤さんと温家宝さんが指示を出して、住民が納得するまでダム建設を凍結すると、そういう指示出したわけですが。ですから、私から見れば、
歴史的な問題など後ろ向きな問題のハードルも越えなければならないんですが、もっと大事なのは未来型の話題、そして
日本のソフト
パワーの向上を一緒にもう考えるべきじゃないかと思います。
時間になりましたので、この辺で終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。