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2004-11-24 第161回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十六年十一月二十四日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         松田 岩夫君     理 事                 山東 昭子君                 世耕 弘成君                 野上浩太郎君                 直嶋 正行君                 山根 隆治君                 加藤 修一君     委 員                 大仁田 厚君                 岸  信夫君                 小林  温君                 末松 信介君                 中川 雅治君                 二之湯 智君                 長谷川憲正君                 水落 敏栄君                 大石 正光君                 大久保 勉君                 工藤堅太郎君                 佐藤 雄平君                 田村 秀昭君                 藤末 健三君                 前田 武志君                 浮島とも子君                 澤  雄二君                 大門実紀史君    事務局側        第一特別調査室        長        三田 廣行君    参考人        早稲田大学政治        経済学部教授   毛里 和子君        ジャーナリスト        作家       莫  邦富君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○理事辞任の件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件 ○国際問題に関する調査  (「多極化時代における新たな日本外交」のう  ち、日本アジア外交日中外交回顧と今後  の課題)について)     ─────────────
  2. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ただいまから国際問題に関する調査会開会いたします。  理事辞任についてお諮りいたします。  田村秀昭君から、文書をもって、都合により理事辞任したい旨の申出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  この際、理事補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事に直嶋正行君を指名いたします。     ─────────────
  5. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 本調査会調査テーマについて御報告いたします。  本調査会調査テーマにつきましては、理事会等で協議いたしました結果、お手元に配付しておりますとおり、三年間を通じた調査テーマは「多極化時代における新たな日本外交」と決定いたしました。  また、この調査テーマの下、具体的調査項目につきましては、日本アジア外交日本の対米外交日本の対EU外交等及び国際社会の責任ある一員としての日本対応等について調査を進めていくことといたします。  何とぞ委員各位の御協力をお願い申し上げます。     ─────────────
  6. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国際問題に関する調査のため、本日の調査会早稲田大学政治経済学部教授毛里和子君及びジャーナリスト作家莫邦富君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  8. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会調査テーマである「多極化時代における新たな日本外交」のうち、日本アジア外交に関し、日中外交回顧と今後の課題について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人におかれましては、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。  本調査会では、日本アジア外交について重点的かつ多角的な調査を進める予定でおり、本日はその第一回目としまして、日中外交回顧と今後の課題についてお二方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず毛里参考人莫参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、毛里参考人から御意見をお述べいただきます。毛里参考人
  9. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 御紹介いただきました毛里和子でございます。よろしくお願いいたします。  私、早稲田大学政治経済学部に所属いたします。現代中国の政治と外交、そして東アジアにおける国際関係というものを専攻しております。  現在、文部科学省拠点形成のために二十一世紀COEプログラムというのが行われていますが、早稲田大学現代アジア学の創生というCOEプログラムを立ち上げました。それの私は拠点リーダーを務めております。現在、東アジア国際関係が非常に動いておりますし、また東アジア共同体をめぐる様々な議論が行われております。そういうことを我々は学問的に少し整理して新しいスキームあるいはコンセプト、パラダイムといったようなものを作り上げようという努力をしております。  今日は、皆様の前でこのようなお話をする機会を得ましたことを、私自身、大変誇りに思います。三十分ほど、私の具体的なタイトルといたしましては最新中国事情日中関係ということでお話をいたします。パワーポイントそのものに私はまだ習熟しておりませんので、あるいはちょっと混乱するかもしれませんけれども、お許しを願いたいと思います。(資料映写)  それで、まず中国事情というところで、ここは国会でございますので、中国における国会について、ちょっとお国柄の違いということでごく簡単なことをお話しいたします。  まず、中国国会全国人民代表大会というふうに申します。それの代表というのが、衆議院議員及び参議院議員日本においてはですね、その両方を意味します。中国は一院制です。三千人ほどの議員が四段階の間接選挙によって選ばれてまいります。任期は五年です。一回五年で選ばれますと、国会は解散されることがありませんし、また、何というんでしょうか、ほぼ身分は安定ということになります。  中国政治で基本的な特徴というのは、皆様よく御承知のとおり、中国共産党という政党、巨大政党が権力をほぼ排他的に独占していると、その状況が五十年続いているということであります。  これは一九六〇年代と、それから右の方は今期ですね、つまり二〇〇三年から第十期国会が開かれておりますけれども、それの代表、つまり議員の党派別構成というのを御紹介いたします。六〇年代、文化大革命の前でありますけれども、中国共産党員がほぼ五五%になっております。千六百六十七人。それに対して、最近、十期で選ばれてきました議員の四人に三人は中国共産党の党員であります。  憲法においては、憲法改正という一番大事な事項が三分の二事項になっておりますが、強調しておきたいことは、中国政治においては中国共産党が一貫して議員の三分の二を確保しております。それで、今や四分の三を確保しておりますので、国会という面では極めて安定的と、あるいは停滞的というか、そういう状態であります。  ごく簡単に、日本と違いまして、日本国会議員というのがお仕事になっておりますですよね。専任のお仕事になりますが、中国においては専任の仕事ではありません。つまり、アマチュアでありまして、彼らは一年のうち二、三週間ほどの国会開会期間中に、臨時国会も開かれませんから、国会開会期間中にその大会に出ると、国会に出る。この職業の割合が最近、ごく最近ですね、初めてある資料で公開されました。これを私はずっと欲しかったんですが、初めてであります。  これを見ますと、注目すべきなのは、この左から二番目の指導幹部というのがほとんど、四割ですね。それから、左から五番目の教授・研究者というのが三百四十八人。この両方を合わせますと、ほぼ半分になります。他方、労働者、農民という普通の人々は選ばれてくるのが五十六人、三十人と、こう極めて少数であります。  最近の中国における国会の顕著な特徴というのは、非常にエリート集団化しているということですね。高学歴でありまして、国会議員の九八%は大学卒で、かつ、そのうちの一部は大学院卒、MBAを含む大学院卒の非常に有能なテクノクラートが国会議員になっているということです。  しかし、中国重要事項というのは最終的には国会で決まるというわけではありますけれども、実質的には中国共産党がほぼ決定を握っております。ある意味では、形式、制度にすぎないというふうに言えるかもしれません。  次に、中国に入りますが、日中関係を考える前に、一九八〇年代以降の中国の経済の非常に目覚ましい成長というんでしょうか、もちろん様々な問題を含んでおりますが、これを示す一例としてこの表を作成いたしました。ピンク色が対外貿易総額成長率、それから緑色がGDP成長率実質GDPです。それから、この青いブロックになっておりますのが、これが直接投資の導入額。これは決定額実行額でありまして、契約額でありません。  これを見ますと、非常に持続的な高度成長が二十年続いているということがもちろん示されますと同時に、一九九二年を境にいたしまして外国からの投資というのが非常に急激に増えたということが言えます。現在もこの趨勢、伸びる趨勢は続いております。一九九二年というのは、天安門事件を経て、トウ小平氏が改革・開放を加速せよという、実質的には彼の最後の遺言を残したそのとき以降です。つまり外部世界の特に経済畑の人々は、中国の脱社会主義というのがこれは戻ることはないだろうという確信をこの九二年の段階で得たということが言えるかもしれません。  その次が、改革・開放政策ステップアップということですが、ポイントだけお話ししておきますと、八二年の十二回党大会で二十年間四倍増計画というのを出しました。この結果は九五年、つまり十五年間で四倍増計画を実現することができました。  先ほどお話しした九二年のトウ小平氏の南巡談話というのがありまして、ここでは、言わば社会主義の本質というのは皆が豊かになることではないのかという彼の非常にプラグマティックな言葉に示されるように、これが今日の中国の基本的な国民、リーダーたちコンセプトになっているということです。  それから、九六年に二〇一〇年に向けての長期目標を作成いたしましたが、これは二〇一〇年までの十年間で倍増計画と。行け行けというところでしょうか。  それから、二〇〇二年の、二年前ですが、十六回党大会をいたしました。これは非常に大事な大会でして、恐らくこれからの中国を考えるにはこの大会から出発ということになろうかと思います。第二次二十年間四倍増計画を提起いたします。二〇二〇年までに小康の社会、まあまあの状態というのを実現する。  それから、それと同時にこの十六回党大会で注目されますのは、対外開放ステップアップすると。つまり、これまでの対外開放というのは専ら中国に入れる方だった。これは技術、資本ですね、こういうものも含めて。しかし、これからは出しますよということであります。つまりは、労働力あるいは商品を含めて、それから投資ですね、それから中国系の多国籍企業によって要するに東アジアを拠点に中国が対外的に経済進出しますというこの対外開放は、したがって第二段階に入った。これは、日本を含むアジアの国々、あるいはアメリカを含む世界の国々に非常に大きなインパクトを与えることになるだろうということであります。  次が、対米・対中貿易なんですが、これは日本から見たあれでございまして、これを、ちょっと前にもう一度戻りますが、ただし、この二十年間、二十五年ぐらい続きます対外開放政策あるいは改革政策つまり市場化政策というのが残している問題というのは非常にたくさんございます。  一つは、農村、農民、農業の問題、これを三つの農と呼んで、三農問題というふうに現在中国では言っておりますが、これが中国経済の恐らく長期的にはネックになるだろうということが想定されております。各新聞でも、日本の新聞でもしばしば、一つは、都市部における労働者のストライキあるいは農村部における農民たち現地幹部に対する一種の税不払運動とか、あるいはちょっとした暴行事件とか、こういう社会的コンフリクトが非常に増えている。  それから、第二のボトルネックというのは、基本的にはエネルギーの問題だと思います。これは電力、それから石油を含めたすべてのエネルギーにおいて純輸入国に、エネルギー輸入国中国は最近転じましたけれども、恐らくはこれからの七、八%の経済成長をこれから二十年近く維持していくためには、基本的にはこのエネルギーでどのような道が開けるかに懸かっているかもしれません。エネルギーをめぐる国際的な紛争というのが、ある意味で予測されるということです。  それから、もう一つのボトルネックは、中国自身が一つの市場、一つの世界というよりは、三つの世界を持っている。一つは十九世紀世界ですね、それからもう一つは二十世紀世界、そして二十一世紀世界。  恐らく皆様方、議員の方が中国調査、参観あるいは交流にいらっしゃる際には、北京、上海という大都市が多いかと思います。北京、上海を見ますと、気が遠くなるような繁栄ぶりであります。半年に一回行くと、もう上海も様変わりというぐらい非常に変化が激しいところですが、奥地に、内陸部に入りますと、やはり二十世紀の、一九六〇年代、七〇年代の状況が見られる。それから、更に奥に行きますと、やはり十九世紀の後半あるいは末と言ってもいいようなそういう状況。  つまり日本のようにある意味で非常に均質的で、規模がある意味で国民国家として適正規模日本と比べますと、中国はそういう意味では非常に不適切なほど大きいということによって、成長も長期に続くけれども、問題も非常に予測を超えて大きいと。これがいつ爆発するかというのはだれも予測できないという状況であります。  日本との関係でちょっとお話しいたしますが、これは、ここで申し上げたいのは、ここの部分ですね、ここの部分で、日本の対米輸入、対中輸入という部分が、米国が赤い色、中国が緑なんですが、この二〇〇二年ですか、二〇〇一年の段階で中国日本にとって最大の輸入相手国に変わりました。これは最近ますますその傾向が強くなっております。恐らく二〇一〇年より前に、二〇一四年より前に日本の対中輸出が対米輸出を越すかもしれないという、つまり輸出、輸入とも中国が第一の貿易パートナーになるという時代もそれほど遠くはないという、そういう状況です。  次に、中国の、外の世界にどういう印象というんでしょうか、あるいは戦略あるいは認識を持っているんだろうかということを非常に大ざっぱに考えてみたいと思います。  それは、一つは、一番この左にあるこの青い色なんですが、こちらの方は十九世紀中華帝国時代であります。  ちょっと話はずれますが、七月ぐらいの日本経済新聞にちょうど中国特集がありまして、そこの記事でOECDのある推察、推計によりますと、一八二〇年の中国世界に占めるGDPですね、は推計です、もちろん今の段階で正確に知ることはできませんから、推計三〇%前後、世界に占めるですね。現在、米国が大体そうですね、三〇%前後という、正確な数字はちょっと私ここにはないんですけれども。  二〇二〇年にさっきまあまあのレベルでということが中国の戦略だというお話をしましたけれども、そうなってくると、要するに百年のこの時代というのは中国にとっては極めて不本意であった時代、恐らく大きくなる中国というのは、やっぱりある意味では当然の流れというんでしょうか、なのかもしれないという、非常に長い歴史で考えると。  それで、少し長い歴史をさかのぼって、外の世界に対して中国はどういうパーセプションを持っていたかということで、まず一番最初のこの緑の図で、その時代は大体十九世紀の中ごろ、前半とこれを考えておいてくださって結構です、十九世紀の前半というふうに考えていただいて。アヘン戦争前ですけれども、中華の中心があります。それと同時に、その周辺地域があります。これは間接的に支配しているわけですけれども、これは中華帝国内部メンバーですね。それに対して、今度は朝貢国というのがあります。朝貢国というのは、例えば今のベトナムなんというのがそうですね。それから朝鮮半島もそうです。琉球、今、日本の沖縄も、一時期琉球王国として中国朝貢国でありましたと同時に、薩摩藩に対して朝貢するという、この二重安全保障琉球王国はやっていたわけですね。こういう周辺に朝貢国のベルトを持っているという、こういう感じです。  この矢印というのは、特に文化的にこれは対外拡張型ですね。文化的に非常にその影響力を外に広げるという、これが十九世紀前半中国、非常にこれは大ざっぱに言って。  それから次が、これが毛沢東時代つまり大体一九六〇年代というふうに考えて、ほぼ百年後ですね。これは、中国というのがありまして、それと例えばチベットとか新疆とかという辺境地域があります。もちろん、これは中華人民共和国の一部であります。でも、まだその統合は、かなりのところ非常に均質的にはまだ及んでいないというあれですね。これは周辺ですね。これは周辺の独立国、例えばインドもそうですし、ここに恐らく日本が入ります。中国大陸国家ですので、私の考え方によると、海の国家とやっぱり基本的に違った考え方をどうも頭の中ではあるんではないか。つまり、国境というもの、陸上国境を接したその周辺国との関係をどのように維持するか。  この当時の外部世界との関係ということで言うと、矢印は内側に向かっていますが、これは外部世界の圧力が非常に中国に掛かっているという、そういう状況ですね。もちろん、ここは米ソというあれが、アメリカ、ソ連、あるいは国際的なレジームといったようなもの、外部世界中国を非常に拘束している、あるいは中国を非常にある意味では封じ込めているという、そういう状況ですね。矢印は内向きになっている。  今度は二〇〇〇年代、今の時代です。今の時代を描き出すのは非常に難しいですが、一応私が、そのPRCピープルズ・リパブリック・オブ・チャイナが一応中心にあるとして、これはネイバーですね、つまり国境をほぼ接する国々であります。  元々、中国は国境を接するネイバーと、あとはグローバルという関係で、このリージョナルという関係がほとんどなかったんですね。なかったんです。それで、恐らくは、中国は基本的な外交をやる場合に、二十世紀の末ぐらいの中国というのは基本的には国際レジーム、例えば国連といったようなものとお付き合いする、あるいはアメリカというグローバル大国とお付き合いすると同時に、今度は別に周辺国とお付き合いしますと。例えばロシアと、例えば日本と、例えばインドとですね。これはあくまでもネイバーであった。  このリージョナルという、ここが出てくるのが二十世紀のごく末、千九百恐らく九七年ぐらいから中国アジアというこの地域で物事を考えていく、あるいは中国のこれからの動き方を考えるというふうに変わってきたということですね。もちろん、中国は今や建前の上で、あるいは制度的には、世界ルールに、人権ルールも含めて、経済ルールも含めて世界ルールに従う、あるいは溶け込むという、そういう状況であります。  これが非常に大きく分けて十九世紀前半と二十世紀後半、そして二十一世紀中国世界観というところです。  その次で、リージョナルな部分でこれを考えますと、ピープルズ・リパブリック・オブ・チャイナがあって、それで中国について言いますと、やはり周辺に非常にサブリージョナルな言わばメカニズムといったようなものとの関係を構築することに非常に努力してきました。この上海6というのは、これは一九九七年ぐらいから動き出して、実際、正式には二十一世紀に入ってからですが、ロシア、それから中央アジアの国々を含むですね、中央アジア四か国とロシア、そして中国を含む言わば地域機構です。上海オーガナイゼーションと言っていますか、上海協力機構というふうに正式には呼んでいると思います。上海6。  この機能は、一つは、もちろん中国の西北の安定、安全保障をここで確保するという、そういう機能ですね。  それから二つ目が、テロリズムに対して共闘を組む。テロリズムというのは、つまりイスラム原理主義テロリズムというのは、中国西部地域にとってはある意味では非常に危険で、原理主義的なものは、拡大する火種というのはあるわけですね。ですから、中央アジアとその点で共闘をする。  それから、第三のこの上海6の機能というのは、恐らくは石油エネルギーですね。エネルギー安全保障で特にロシア、そしてカザフスタンの天然ガス、石油、そしてそのパイプラインといったようなものをここでやる。中国はもちろん中東依存エネルギーについては非常に多いんですが、それは極めて危険だというふうに思っています。それで、中国自身が非常にエネルギー事情悪いですから、ここの中央アジアエネルギー開発についてはイニシアチブを取りながらここの開発を共同で進めていくという、そのための機構ですね。  それから、この南アジアについては、南アジアそれ自体で地域機構ができておりますが、それとの関係中国はいまだ持っておりません。南アジアについて言うと、インドパキスタンなんですが、インドパキスタンが非常にある意味で仲が悪いですよね。それで、中国はその仲の悪いところを使ってそのバランス・オブ・パワーで対南アジア外交をこれまで展開してきました。  最近のやり方は、パキスタンに対する過度な傾斜というのをやめるということで、中印間の関係をできたら好転させる、中印でなくて印パですね。そして、インドとの関係を、特に経済と安全保障の面で強化するということで、最近この中印関係が動きつつあります。  いずれにしても、この南アジア協力機構中国が何らかの形で制度上の関係を持つということは、将来、大いに考えられることですね。  今度は東の方です。ASEANなんですが、これは皆様よく御承知のとおり、ASEAN友好協力条約中国が加盟いたしました。それにあおられて日本がこれに加盟するということになったわけですが、二十一世紀に入りまして、中国ASEAN接近が極めて急なるものがあります。それで、特にASEANプラス3、ASEAN日中韓及びASEANプラス1、つまりASEANプラス中国という枠組みでこの東アジアの一種の安全保障とあれを考えるということですね。  問題は、ここで、日本それから台湾が、ここが非常に不安定要素として残ります。それから朝鮮半島が残っております。  ここで申し上げたいことは二つありますが、一つは、中国にとっての東アジアというのは、中国地域外交にとってはワン・オブ・ゼムだということですね。幾つかのうちの一つでありますよと。で、日本にとっての東アジア外交というのはワン・オブ・ゼムではないんですね。やっぱり決定的に大事だという。そういう意味で、その東アジアについてとってみると日中間の非対称性というのがあるという、これは現実問題としてそうだということですね。  それからもう一つ申し上げたいのが、東北アジアでまだこの安全なメカニズムというのが中国はまだ見付けていないということです。これが、朝鮮半島における六者協議、これが一つの東北アジアにおける緩い安全保障メカニズムになっていくことを多分中国は期待していると思いますが、これは非常に難しいところですね。まだ状況は分かりません。  で、もう余り時間がありませんので、これは比較的省略いたしまして、ここの部分ですね。先ほどちょっとお話ししました、これ二〇〇三年までのデータが拾われていますが、この赤いのが、赤い線が中国ですね、それから米国が黄色い棒ですが、今現在日本の輸出入相手国で四分の一の輸出物資はアメリカに行っていると、それで、これ八分の一が中国に行っている。問題は、これが、この線がどういうふうにこれから数年でなるかどうかということです。  それから、次が輸入相手国ですけれども、これは、この輸入相手も輸出相手もそうですが、日本アジアが圧倒的に多いです。ほぼ四割から五割は全体のあれをアジアが占めておりますけれども、そういう意味で日本にとってのアジアというのは極めて大事なんですが、ここの輸入相手でいいますと、先ほどちょっとお話ししましたように、現在、中国が、ピンクですね、二割、つまり五分の一が中国から輸入していますよと。アメリカが一五・四%。ここの二〇〇一年の段階で中国アメリカを追い抜いたということになります。  問題は、次は日中関係にかかわることですが、このグラフは、総理府、あるいは今現在の内閣府が毎年十月にやっております要するに外交に関する世論調査、これをまとめたものです。これで非常に顕著なのが、一九八八年の段階で中国に対する親しみを持つ、あるいは対中関係を良好と思うというのが七割いたのに対して、これが天安門事件で急激に減る、これが九〇年の数字ですね。九六年になりますと更に減ります。九七年の数字なんですが、これはなぜかというと、二つ理由があると思います。  一つは、中国の台湾の総統選挙に対する演習ですね、ミサイル演習、これが日本の対中世論を非常に悪化させた。それから第二は、これ以降、中国経済成長が物すごく続きます。こんなに経済がいいのになぜ対中ODAが必要かというような議論がどんどん出てくるほど、中国の経済的大きさというのがもう歴然としてきたという中で現在に至ります。  現在、二〇〇四年のまだデータは出てきてないですけれども、先日見た限りでは、基本的には大体五割の人が中国に親しみを持ち、かつ五割の人が対中関係を良好と思うというふうに思っているようです。私自身はそれは極めて健全ではないかというふうに思っています。異常ではないし、まあ大体それぐらいの感じであれば日中関係は、たとえ総理レベルでいろいろあったとしても、日中関係は基本的には安定しているというふうに私は思います。  それで、日中関係の推移のところで申し上げますのは、ここで要するに、八〇年代までの援助する国、される国という構造が、九〇年代末から非常に変わったということですね。少なくとも認識のレベルで変わった。これは日本においてとりわけそうだということですね。  それと同時に、やはり中国の社会が非常に開放的になったために、中国の対日世論というのが非常に赤裸々に出てくるという。つまり、その意味では、七二年の国交正常化ははっきり言って毛沢東氏と周恩来氏二人で決めたことなんですよ。自分たちの目の黒いうちにやろうというので決めたことです。国民は関知しない。それから三十年たちまして、非常にいろんな事情で中国社会は緩みました。コントロールも緩みましたし、人々はいろんなことを言うようになりました。そこで、様々な対中認識が裸の形で出てくるという、そういう時代。この時代では非常に、あれです、新しい時代ですね。  それで、中国安全保障観ということでお話しするのが、四つのポイントなんですが、これは特に九〇年代末から顕著な状況です。  一つは、新しい安全保障観というものを提起しました。これはどういうことかというと、非常に単純に言うと、軍事同盟条約に依拠した安全保障というのはこれは古いんだと、これで国の安全保障というのを全面的に維持することはできないという、そういう考え方ですね。つまり、信頼醸成とか多国間安保のメカニズム、こういうものに依拠しなければ駄目だと。それで、ASEANに接近する、あるいはARFに接近する理由というのは、この新安全保障観にあります。  それから、地域外交の出発というのは、先ほどお話ししました。  それから、第三番目に特に申し上げておかなくては多分ならないのが、この領海、先日、つい一週間ぐらい前ですか、十一月十日にありました、要するに原子力潜水艦の領海侵犯問題というのがありました。これは一応、中国側の遺憾表明で一応幕が下りましたけれども、このときに、要するに領海の問題ということで、これ一応おさらいだけしておきますと、九二年の段階で領海及び接続水域法というのを中国が決めました。ここには、台湾、釣漁島、尖閣列島ですね、を含む諸島、澎湖諸島、東沙諸島、南沙諸島、中沙諸島及びその他の中華人民共和国に属するすべての島嶼、これは領海に入るということですね。それで、ところが、一九五八年の領海声明は台湾の附属諸島ということだけでありまして、あれが、具体的な島の明示はなかったという、そういう状況です。  それからもう一つ、軍事で注目すべきなのが国防法という法律が九七年に採択されましたけれども、これは今回初めて、建国後始めて中国、中華人民共和国の武装力は中国共産党の領導を受けるというふうに、党の軍隊であるということをはっきり公言いたしました。実際上こうだったんですが、国の法律上こうなっていなかった。これを九七年になぜ国の法律でこうしたかということですね。一つ推測できるのは、軍隊が要するに政府の言うことを聞かなくなる可能性があるという、それをやっぱり恐れたという、多分そういうことかなという、まあこれはよく分かりません。  最後ですが、日中関係のイシューということで、イシューはたくさんあるんですが、とりわけ最近いろいろ、まあ余り喜ばしくないことというのが幾つか出てまいりました。  まず、歴史問題であります。  歴史問題というのは、日本側からすれば、一九九五年に村山総理が議会で反省し謝罪するということで、一応、戦後五十年でこれ済んだということに一応なっていますね。それから、法律的には七二年の賠償請求放棄によって終わっているというのが一応基本的な考え方なんですが、そういう、日本の国民も一応多くの人はそう考えていますね。中国政府は一応そう考えてもいるわけですね。ところが、中国国民が、なかなかそうは言っても、そうではないよというあれが非常に強いわけです。で、結局、そういうことでありまして、その辺りのずれの問題というのが非常に今後深刻になる可能性があるということですね。  それから、経済摩擦というのは恐らくこれからどんどん出てくると思います。とりわけ中国の経済進出が激しくなると、恐らくこれはもう、やりようは国際枠組みで処理する以外にないという。  それから、領土領海問題、資源開発問題、これで最近大陸棚をめぐっていろいろありますが、これもやはり多国間レジームで処理する以外にない。二国間での処理というのは恐らく非常に難しい。この場合に、ASEANのケースというのをやっぱり勉強しておく必要があるのかもしれません。  ASEANは一九六七年ですか、に成立しますけれども、非常に当時は物すごく猜疑感の塊だったんですね、五か国ともに。領土紛争を抱えていました。全部棚上げにしたわけですね。それで、とにかく首脳が会おうじゃないかと、会っているうちに何とか意思も疎通して、何とか友達意識みたいなのもできるだろうというので、まあ三十年続けていっているうちに何とか制度的にも非常にある意味で成熟して、非常に無力ではありますけれども、ある意味で五か国あるいは十か国間のそれなりの信頼醸成というのはできている。そういう経験というのをやっぱり学ぶ必要がある。と同時に、やはり日本中国側に対して、あるいは中国日本側に対して、やはりできるだけ国際的準則に基づいた透明性と公開性、これをできるだけ追求するということだと思います。  問題の第四は、周辺事態なんですが、北朝鮮、台湾、米国、この三つの問題というのが日中関係にもろに波及いたします。これは、それをどういうふうに波及させないか、あるいはこれを軍事紛争にさせないかというのは、多分、関係国のリーダーたちの最大の責任だと思います。  中国とどう向き合うのかという場合に、やはり一つは、国民外交というのがやっぱりかなり必要になるというふうに思います。それで、一つ考えておりますのは、アジアの戦後の国際関係史というのを一緒にちょっと書いてみようかなという感じを最近はあれしています。それが一つと。  それから、アジアが、日本はこれまで数十年間、少なくとも二、三十年間、唯一の大国でした。だけれども、そうではないんだと、もう。あれですね、近く。それで、やっぱり日本アジアの中でどういうふうな状態でいれば日本は安定していられるのかということをやっぱりちょっと発想を転換しないと、いつまでもその日本が唯一の大国であった時代というのは続かない、ここら辺で政治家あるいは国民あるいはリーダーたちの認識の転換というのが必要かと思います。  それと、一方、非常に機能的な東アジアコミュニティーを一つ一つ構築していくという努力が必要かと思います。  ちょっと過ぎましたでしょうか。  どうもありがとうございました。
  10. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございました。  次に、莫参考人から御意見をお述べいただきます。莫参考人
  11. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) こんにちは。莫と申します。  じゃ、座らせていただきます。話させてください。  実は私、来年で来日して二十年になります。日本語を勉強してから今年で三十年ということですが、自分ではそれから結構努力していろいろ日本語を勉強したはずですが、一応間違いだらけでも一応しゃべれるように、書けるようになってはいるんですけれども、しかし日本人の本音と建前を言い分けるような神業はいまだにまだ習得できていないから、もう今日は無理やり本音と建前を言い分けてやるよりも、むしろせっかくの場ですから、もう実際私が感じた問題点を率直に言わせていただこうかなと思いますが、幸い毛里先生が中国日本のデータ的なことを全部語ってくださったので、私は触れずに済むわけですね。単刀直入で本件に入ります。  まず、今日皆さんに配った私の発言要旨のところに、最初事務局の方から、莫さん、一番目の日中問題の誤診現象の「誤診」は書き間違えているじゃないかなと指摘されまして、書き間違えていません。これは誤診という現象を取り上げたいと思いますが、御存じのように、今、日中間はいろいろ問題が起きているわけですが、これは例えば病気だとすれば、正しく診断して、どういう症状なのか、病根がどこにあるのか、それはオペをした方がいいのか、薬を与えた方がいいのか、あるいはレーザー照射で治療していた方がいいのか、まず病根は、問題はどこにあるのか判明しなければならないんですね。  実際、正直言いますと、今日、毛里先生の前で毛里先生にお世辞を言ってもしようがないんですが、毛里先生のような優秀な中国問題の専門家は、日本では、私から見れば、失礼ですけれどもやはり割と少ないと思いますね。むしろ誤診だらけの、医学大学にもう一度戻って再研修してもらいたい中国問題研究者が一杯いると思います。  典型的な例で言えば、九五年、日本研究者中国問題の研究者の多くが喬石が中国の後継者になると、江沢民政権が長くないと、もうみんな言っているわけですね。そのときも、私が幾らメディアの取材に対して違うよと言っても、どこも取り上げてくれなかったんですよ。なぜなのか。アメリカの国防総省がこういう研究を出しているわけですから、もうみんなそれを踏襲して発言しているわけですね。  もう一つ、例えば九六年、中国で「ノーと言える中国」という本が出版されたんですが、これを私、日本に紹介して出版しましたんですが、この本が出版される前に、もうみんな中国日本のいわゆる著名な中国問題の研究者も、この本は、三か月、五月に出た本で三月の事件を取り上げているのを見ると、こんな速いスピードで中国で本が出版できるはずはない、絶対江沢民の意思で、党の力でこれ出版されたものだと、もうみんな決め込んでいるわけですね。その著者の中に、三人はフリーライターの人ですから、中国の人にはそのフリーライターの職務がない、絶対中国の情報機関の人間がもう偽ってこういうふうに書いているんだと。今の時代で、もう電話でも直接掛けられるんですから、なぜ確かめないのか。  私、直接この著者たちと会ったんですが、当時中国では、まだ北京に居住する場合、地方の人間がそこに行って居住する場合、居住許可証を申請してもらわなければならないんですが、その中の三人は、もうこういう許可証をもらえてない身分で、地下室の一部屋を、安い部屋を借りて住んでいた人ですが、これをいわゆる日本の一部の政治家も含めて、中国の問題専門家が言う特権階級ですよ、こういうなぜ実態と大きく離れた結論を出しているのか。そうすると判断することができないわけですね。  今回の中国人の対日感情も、もう皆さんも御存じのように、もう物すごく悪くなっているんですね。これはいわゆる、今度日本では中国の愛国教育、つまり反日教育の結果だと言っていますね。だから、私、これもまた誤診だと思います。  中国の反日教育が一番受けたのは、正直に言いますと、私の世代で最後です。  私が大学に入ったときは、日本の本を読んではいけないんです。日本新聞は、唯一読むのを認められたのは日本中国という日中友好協会が出している新聞で、私の読んだ日本の小説などは、日本人の先生からひそかに貸してもらって、みんなの前では読んではいけないから、夜、みんなが寝静まった夜、大学、全寮制ですから、大学のトイレに入って、トイレの照明が非常に暗いですから、机の上にいすを乗っ掛けて、そのいすに座ってもう読んでいたわけですよ。もう下の、夜中にやはりトイレに来る人がいるから、莫さん何をしているのかと言うと、あっ、もう急いで読まなければならないものがあるんだと言って。うちの宿舎の人間が六人いるんですが、もう一週間したらみんなそれを交代で読んで、そしてまたひそかに本を先生に返して新しい本を借りてきて、またこういうふうにやるんですよ。  あのころの中国の人民日報とかそういう新聞などを見ると、日本を褒めるものはほとんどなかったんです。成田空港ではまた闘争が始まった、もういかにも日本は革命寸前のような報道ばかりだったので。  しかし、八〇年代以降は、まあつい最近まで、中国新聞には日本のマイナス面を取り上げる記事もいろいろあるんですが、少なくとも八〇年代以降は日本を正面的に、いわゆる評価的に、プラス的に取り上げるものはほとんどなので、なぜ反日環境がそんな悪くなったのか。  実際、反日に走っている人たちの年齢を見ると、ほとんど二十歳前後から三十歳の前半までですよ。こういう人たちをよくよく見ると、一つ非常に面白い現象があるんです。例えば二十歳前半の人だと、二十年前はちょうど中国改革開放が始まった時期で、もう彼らは、言い換えれば当時のいわゆる反日教育、私たちのような徹底した反日教育を受けていなかったわけですね。絵をかくと、もう日本のアニメ風の絵をかくんですね。今の中国の教育関係者を嘆かせているわけですが、もう全部アニメ風になっている、大変だと嘆いているんですが。Jポップも物すごくよく知っている。うちの娘が上海に帰るときですが、もう親戚の子供たちから全部細かい注文が来るんですよ、浜崎あゆの何々の歌が欲しいとか。しかし、こういう人たちが、高校までもう物すごい親日だったこういう人たちが、いったん大学に入ろうとした時点でもうだんだん反日になっていってしまうんです。なぜなのかと。  実は、ここに一つ非常に重要な要素があるんですが、一九九五年、これは中国のインターネット元年です。今、中国のインターネットの使用者が八千万人、一人例えば使う人が三人影響を受けるとすれば、もう既に二億四千万人がインターネットの情報の共有者になっているわけですね。しかも、中国の大学進学率が非常に厳しいもので、狭きドアだったので、だから、親たちがコンピューターを買い与えても、大学試験が終わるまで自由にインターネットを、アクセスを認めないんです、ほとんどの親たちが。そして、高校が終わって七月に試験が、毎年の七月に試験が終わってですが、もう解禁するんですよ。そのときの子供たちが、もう毎日インターネット浸りになっているのですが、そこから、中国新聞でふだん受けていた教育と全く、もう一つ世界が広がったんです。そこはもうかなり激しい意見を述べています。  これは、特に今、トウ小平が八〇年代の当初、日本の皆さんにこういうふうに話しましたのですが、当時中国GDPが、一人当たりのGDPが二百五十ドルでした。四倍にしたいと。一人当たりのGDPが一千ドルになったら、これは中国はまあまあ豊かな社会になるだろうと。もう実際はそれは、中国は去年でGDP一千ドルになりました。トウ小平の目指したいわゆる近代化の第一段階が実現したはずですが、しかし中国のどこを見ても祝う雰囲気が何もなかったんです。むしろ、二、三年前からしきりに千ドル、GDP千ドル問題を語り始めたんです。なぜかといいますと、これまでの発展途上国の発展、経験則を見ると、GDPがいったん千ドル辺りになったら、次のステップの四千ドルまでの間は一番社会が揺れ動く時代になるので、所得格差の不平等が出てくる。人々が、一応食べる問題とか住む問題が解決すると、もうどんどん要求を求める、権利を求めるようになる。  今、最近の中国人の発言は、それをよくよく見ると、別に日本に対して厳しいことを言っているだけではなくて、中国の官僚に対しても、中国国内の経済政策に対しても、社会問題に対しても、ひいては非常にソフトな問題に対しても、もう物すごく厳しく言っているんですよ。  アテネ・オリンピックの閉会式のとき、もうアテネの市長の女性の人がそれは物すごく上手に雰囲気を盛り上げたんですが、北京の王岐山市長が次回の主催地市の代表として旗を受け取ったんですね。もうその姿が中国のブラウン管に、テレビのブラウン管に映し出された後、猛烈な批判が来たんですよ。何を批判したのか。固かったと、やっぱり中国共産党の官僚だからそういう国際舞台にはもう合わないんだと、そういう問題までも批判し始めたんですよ。  だから、私から見れば、今の反日感情の問題は、正直それ、皆さんにとっては耳の痛い話かもしれませんが、私から見れば、中国は正常に戻りました。国民が物を言うようになったんですよ。  実は、九六年、今から八年前ですね、「ノーと言える中国」を出版したときに、私、既にこの問題を指摘しました。ここに、皆さんに出した資料の中にも書いてあるように、中国はワンチャンネルの時代から多チャンネルの時代になっていくですよと。その中国との新しい付き合い方を覚えないと、今までもう中国共産党だけを見て、人民日報、中国官僚の発言を見て、ああ、じゃこれで中国の声だと、中国の意思表示だと表明しているのを見て、これだと理解すれば、もう大間違いがします。  一番典型的な例は新幹線導入の問題ですね。去年の三月、中国の全人代が始まる前に、一月に発売された日本の月刊誌に、もう日本のメディアが当時全部中国の人事の問題を取り上げているのですが、私がそのとき取り上げたのは新幹線の問題ですね。日本は早く中国国民に働き掛けないと新幹線は取れませんよと警告を出しました。それはもう見事に、その三か月後、五月になるとそれがばあっと中国国民が拒絶反応を見せたんですね。わずか二週間で署名がもう八万人になったんですよ。その後、もう毎日一万人ずつそれが増えているんですが、中国政府が、やっぱり十万人、二けたになるとそれは困るということで、慌ててそのウエブサイトに圧力を掛けてその署名をもう途中中止させたわけですね。それでもやはり、結局、中国政府は新幹線の導入を、本来は上海北京の間の高速道路が二〇〇八年の北京オリンピックに合わせるように開工したいんですが、結局延期してしまったんですが、今どうなるのかまだ分からないんですね。  そういうような意味を、ことも考え、私はやはり主張したいのは、日本のこれまでの中国との付き合い方あるいは外交のやり方、先ほど毛里先生もおっしゃったように、国民外交中国との国民外交が必要だと。私、全くそのとおりで、中国の官僚だけを見るのではなく、中国国民に向けて日本がどんどん働き掛けないと、もうかなりこれから厳しくなると思います。  日中関係の行方は、私はそんなに楽観的に見ていないんです。多分、これから二十年間は日中関係はもうますます悪くなっていく一方で、だから、そうすると最悪のことは、じゃ日中間戦争していいのか、もちろんそれはいけないですから平和共存でやらなければならないと。じゃ、平和共存のために何をやればいいのかという問題がありますね。  今、みんな政冷経熱という言葉、唐家センさんの言葉を日本のメディアが盛んに使っているんですが、私は下手をすると、これからは政冷経冷の時代になる可能性もある。だから、そうすると、今の、先ほども毛里先生も取り上げたいろいろのデータを見ると、中国との経済の交流は物すごくウエートが高まってきて、なぜ政冷経冷になるのかと皆さんが疑問に思うかもしれませんが、全体のボリュームから見れば日本中国経済が物すごく順調に進んでいます。しかし、個別分野で見ると、日本経済の、あるいは日本企業、日本製品の存在感がむしろどんどん下がっています。  例えば、今、中国で一番売れている商品は何なのかといいますと、携帯電話、パソコン、車、分譲住宅、そして分譲住宅関連の内装関連のものなど、一番売れているものですね。  じゃ、携帯電話は今年の五月、保有台数が三億台。しかし、日系企業全部合わせていても六%未満。モトローラ一社で最盛期に八〇%のシェアを握っていました。もう今でもモトローラは一四、五%ぐらい握っていまして、一、二のシェアを争っているんですね。一社ですよ。  パソコンを見てみましょう。二〇〇二年、中国は初めてパソコンは年間販売台数一千万台を超えました。千十一万台でした。しかし、日本のNEC、富士通、パソコンの大手でしょう、中国での年間販売台数がそれぞれ一万台、〇・一%のシェアしかない。存在感がまるっきりない。  車を見てみましょう。一番シェアを取れているのがフォルクスワーゲン、二番目はGM、アメリカの会社ですね。日本の会社がようやく入って、トヨタが二年前に進出して、車の名前に中国語で横暴という名前を付けました。出した広告が、日本語に直訳しますと、おれは横暴だ、このおれをおまえは尊敬せずにはいられないというようなコピーで広告を出してしまう。  それで、北京で、あのアジア・サッカー試合で皆さんも見られたように激しい日本チームに対するブーイングがありましたですね。その現場で叫ばれた言葉の一つには、おれたちも一回横暴しようという言葉です。もう明らかにトヨタの広告に対する反感が、こういう政治の面、問題で出てきたわけですよ。まあ、もちろんトヨタがやはり日本の一流の会社で自分のやり間違えたことを気付いてから、一か月前にこの横暴という車の名前をやめました。こういうのは日本国内で絶対してはいけないと理解しているはずの問題で、中国では堂々とやってしまったわけです。  だから、そこら辺はじゃ何を言おうとしているのかと。実は今の日中間の交流が、昔のような毛沢東、周恩来対田中角栄とか大平首相とか、そういう時代がもう終わりました。経済がその主役になっているんです。しかし、経済、企業、日本の商品は、自分たちが主役だという意識が全くない。それでこういういろいろ過ちを、試行錯誤を起こしているわけですね。だから、その意味では私は、日中間の外交問題とか国同士の付き合いの問題が、政治だけではなくて文化も経済もいろいろ絡んだ問題です。日本のソフトパワーは、実はここ十数年は中国でのそのソフトパワーの存在感どんどん下がっています。  二〇〇〇年に北京北京市政府が催した大規模なイベントがある。その北京市政府から働き掛けを受けて日本の著名人を招待したいと。そうすると、じゃ北京市側にどういう人に来てほしいのか名簿を下さい、それで私が誘いますからと。そして、もう送られてきた名簿が栗原小巻さんと中野良子さんです。もう今はっきり言いますと、これは記録に残りますからはっきり言えないですが、一応私、中野良子さんを連れて行きました。それで、二年後また同じ依頼が来て、また中野良子さんを指定したんですよ。そのところ、私、さすがにもう少し今の日本代表するような人物を選んでくださいと文句を付けました。そうすると出てこない。  八〇年代、中国人が日本人を語ると、日本代表するような人物が、おしん、高倉健、そして中野良子さんとか、そういうような人ですね。じゃ、今中国人に語ってもらうと、小泉首相と、そして東条英機になっちゃう。そうすると、後この九〇年代になってから中国でヒットした日本の映画がない。ずっと私はもう言い続けているんですが、日本の歌舞伎を日本は一生懸命中国に出して公演する、それは文化交流だと思っているんですが。実際、中国で公演するとき、中国側がもう大学の、日本語を勉強している学生とか、日本と付き合いのところにもう強制的に切符を渡して、出勤、学校のいわゆる授業への出席とみなされて、いろいろみんな出ていくんですが、会場に入るとドアが後ろからかぎを掛けてしまって、途中逃げられないようにするんです。そうすると、しばらくして、もうトイレの窓から人がはい出てくるんですよ。  私は、当時言うのは、なぜ例えば日本の宝塚などを中国に出さないのか。もっと人々にアピールできるようなものをなぜ出さないのかと。ようやく宝塚が中国で公演されることになったんですが、私、物すごい喜んだんですが、北京で張り出されたポスターを見ると、がっくりしてしまいました。はんてんを着込んだ宝塚ですよ。あの華やかさが全然出てこないんですね。そういうところが私はやはり日本側ももう少し工夫しないと。  昔、例えば中国国民にとっては、製品でいえば中国国産の商品か日本の商品という選択肢しかなかったんです、九〇年代の前半ころまでですね。今は、中国国内の製品か外国の製品、日本はその中の一つ。元々その中で存在感も薄くなっているのに、更に日本企業の不努力もあって、漢字の、中国に投入した日本の携帯電話は漢字入力ができないんです。オランダ語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、もちろん英語も含めてヨーロッパの国の言葉が十三か国語も対応できているのに、中国語入力ソフトを入れないままこういう携帯電話を中国で販売しているんです。  じゃ、中国語入力ソフトが非常にお金を掛けて開発しなければならないのかというと、全然違うんです。一九九五年、中国のインターネット元年にもう既にただでダウンロードできるような物すごくポピュラーなソフトです。日本製品だから、一流メーカーのものだから売れると思ってもう販売しているわけですね。中国で一番最初に漢字入力のできる携帯電話、発売したのはモトローラなんですよ。どう考えてもそれは私には納得できない。モトローラと日本の企業と比べると、どっちの方が漢字文化に近いなのか。言うまでも日本の企業でしょう。それなのに、モトローラが二年も先に漢字入力のできる携帯電話を発売しているのに、日本は頑として中国でローマ字を普及させようとしているわけです。  そういうようなこともいろいろあって、特に今、二十代、三十代前半の人たちは日本に対する敬意を持っていないんですよ。私たちの世代で、いろいろ反日教育は受けたんですが、日本に対して一種の畏怖に近いような敬意を持っていたんです。戦後、廃墟からもう世界二番目の経済大国を築いてきたと、そういうふうに日本を認識しているわけですね。  だから、もう日本にも、私、日本に来てから作品などを発表し始めたのではなくて、中国でもうずっとそれをやっていたわけで、威張って言うと、今の大使館の政治担当の参事官や大阪の総領事なども私の教え子くらいですから。日本のことはもちろん日本に来る前既に分かっていて、いろいろ論文も書いていまして、もう日本には、東京には歌舞伎町というところもありますし、日本の警察官もよくやってはいけないことをやるし、日本政治家の中にももらってはいけないものをもらったりしているんだと、そういうことを分かっているんですが、紹介しません。  当時私が紹介していたのは、もう後でいろいろ学生に批判されたんですが、もう莫先生はいつも日本を評価するものばかり私たちに教えていたんですが、日本に行ったらちょっと違うじゃないかと。日本にはこういう問題もいろいろあると指摘されて、私から見れば、中国日本の問題というのをいろいろ教えてこれは何のためになるのか。中国の共産党の幹部が安心させるだけで、ほら、日本にもこんな問題があるよと自分たちの行動を正当化するばかりに利用されるおそれがある。だから、逆にむしろ日本のいろいろいいところを、市場経済はどうやっているのか、企業家の競争はどうやっているのか。政治家はもう確かに賄賂をもらっているんですが、その賄賂の金額と給料の比例と、中国の官僚のもらっているお金との比例と比べると、どっちの方がひどいなのか。ですから、いろいろ日本について敬意を持っているから、日本の問題に対してある意味では冷静に見ることができた。  今の若い人たちが、もう特に都会部の人たちが、今パソコンなどを使える人たちが、中国で恵まれている家庭の人たちですから、子供時代からもう日本に対する敬意がないんです。そうすると、問題があるとこれはもうストレートに問題として見るので、そこが非常に厳しいことですね。  もう一つの点、日中間は物すごく後ろ向きの話題が多いです。まあ歴史の問題もそうですが、いろいろ問題があるんですが、もうネギまで問題になっているぐらいでですね、もっと前向きの未来型の話題を出すべきです。  未来型の話題はどういうのがあるのかといいますと、一番簡単に言うと、EUに対するAUというのが、アジア連合をやがて作ろうじゃないかと。これは多分、例えば三十年掛けて、五十年掛けて作るかもしれませんが、今からこういう話題にも私たちは向かって一緒に考えるべきじゃないかと。ユーロに対するもう将来の、今、中国で物すごく語られているのは、亜元、アジアの亜に中国の元ですね、つまりアジアンドルという、アジアの共通通貨の問題がもう物すごい今みんな語り始めているので、将来、皆さんは今、日本国内では目先のいわゆる対応しか見ていないから、中国の人民元を切上げしろといろいろ圧力を掛けているんですが、人民元が切上げしたら中国人の自信がその分増えると思います。もっとアジアンドルに対する要望が出てくるので。  そういう日本には、日本にはそういう将来のアジアに対してビジョンを持っているのか。これを、ビジョンを持たないと、二十年間で中国はまだ一人当たりGDP千ドルくらいの国ですから、もうここまで強気に出てくるので、四千ドルになったらもう、もし今の価格のままでいえば、中国の平均物価が日本の五分の一か六分の一ですね。だから、つまり、その一人当たりGDPを掛ける五倍、掛ける六倍で見るべきですね、購買力平価で見ると。だから、そうすると、四千ドルになると、もう二万あるいは二万五千ドルぐらいに見なければなりません。  実際、中国の長江デルタが今もう既に四千ドルになっているのですね。だから、なぜ、例えば今、反日問題などが長江デルタに限っては余り起きていない、それはなぜなのかというと、実際はその経済のレベルと非常にいろいろ関連があるんです。四千ドル、五千ドルくらいに来ると、もう安定した社会を求めたいわけですよ。だから、低いところは逆に富分配時の公平性とかいろいろ求めてもういろいろ問題が出るから、例えば重慶で一番問題が起きて、最初、アジア・サッカーの問題も最初重慶で起きているんですね。中国の四つの直轄市の中で重慶は一番GDPが低いところです。四川省から独立されたとき、もう四川省の貧しい県もいろいろ抱き合わせたから大きい。だから、そういうところが非常に厳しい。  もう日本に対してだけではなくて、中国国内、中国政府に対してもやはり厳しい行動を起こすんですよ。だから、つい最近、ダム建設をめぐって暴動を起こしたでしょう。結局、胡錦濤さんと温家宝さんが指示を出して、住民が納得するまでダム建設を凍結すると、そういう指示出したわけですが。ですから、私から見れば、歴史的な問題など後ろ向きな問題のハードルも越えなければならないんですが、もっと大事なのは未来型の話題、そして日本のソフトパワーの向上を一緒にもう考えるべきじゃないかと思います。  時間になりましたので、この辺で終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
  12. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございました。  これより質疑を行います。  本日は、あらかじめ質疑者を定めず、質疑応答を行います。  質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  できるだけ多くの委員の方々が質疑を行うことができますよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いいたします。  また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  なお、理事会協議の結果ではございますが、まず大会派順に各会派一人一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  最初に、世耕弘成君
  13. 世耕弘成

    世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。  毛里先生、莫先生、非常に有意義なお話をどうもありがとうございました。  私の問題意識としては、やはり日中というこれだけのパワーを持った国が物理的にこれだけ近い距離で二つ存在するというのは、これは恐らく世界歴史の中では初めての事態ではないかなというふうに思います。しかも、その周辺には北朝鮮、台湾を始めとするいろんな不安定要因がたくさんあります。しかも、アメリカの介入というこれまたもう一つの不安定要因もあります。そういう中で、これだけ近い距離でこれだけ不安定要因を抱えているだけに、この両国にやはりコミュニケーションの太いパイプがあって、極めて短い時間の間にいろんな話ができる体制が整ってなければならないと思うんですけれども、先ほど両先生からもお話がありましたが、今このパイプが大変細くなっているというふうに思っています。以前は政治家のトップレベルで話を付ければそれで済んだというところがあったのかもしれませんけれども、まず、そもそも、莫先生が御指摘があったように、今、中国の官僚と話をしても、それで中国全体と話をしたことにならないという事態になっているわけです。  そういう中で、今、国民への働き掛けという御提案がありましたけれども、具体的にどういうルートでどういう形で働き掛けをしていけばいいのか、これを両先生からお伺いしたいと思いますし、もう一つ、とはいっても、そういう中でもまだ政治のトップレベルのパイプも異常に細い、信頼関係のあるホットラインができていないと思っていますが、これをどういうふうに今評価をされているかということをお伺いをしたいと思います。  次に、いわゆる反日教育のお話がございました。今の莫先生のお話はいろいろ参考になりましたが、とはいいつつも、我々非常に今中国で反日ムードが盛り上がっていることに関して戸惑っています。  その中の原因として、今、莫先生のお話はありましたけれども、一方で、例えば抗日の博物館なんかが随分拡充をされているという話、これは江沢民時代に随分拡充されましたし、また最近、胡錦濤さんの時代になっても少し中身がまた増えたりとか、そういう話も出ているわけでございます。あるいは、中国の教科書で、特に日本の戦前の非常にひどかった行為についてはたくさん取り上げられているわけですけれども、戦後の例えば日中の協力関係、特にODAに関して余り取り上げられていないんじゃないかという疑念とか、あるいは今インターネットが非常に主流になって、インターネットで反日の世論というのがどんどん出ていくんだというお話でしたけれども、中国におけるインターネットの状況、私も詳しくは分かりませんけれども、今、莫先生から、例えば新幹線の話でウエブサイトに圧力を掛けてという話がありましたけれども、実は中国はインターネット、ある程度インターネットにおける世論はコントロールできる力があるのかもしれないのに、反日の世論だけはインターネットでそのまま自由に流しているんじゃないかという疑念ですね。これは事実かどうか分かりません。そういう感覚を持っているものですから、その辺について実際のところどうなんだろうかということもお伺いしたいと思います。  また、靖国問題について、これはこの間、日中首脳会談でもいろいろと話があったわけですけれども、この靖国問題について、例えば我々が譲歩をしてそれですべて決着が付くんだろうかという疑念を持っております。小泉さんが参拝をやめた、あるいはA級戦犯の分祀を行った、それでこの問題に最終的に決着が付くんだろうか。我々の不安は、この靖国問題というのはあくまでも中国にとっては外交カードにしかすぎなくて、この問題で譲歩をしたらまた次の問題が出てくるんではないかという大変な不安を持っておりまして、これについて莫先生としてどうお考えになっているかということをお伺いをしたいと思います。  最後に両先生にお伺いしたいのは、私はやはり日中友好関係を、もうこれは何としてでも築いていかなきゃいけない。そのためにやはり歴史認識というのを乗り越えていかなければならないと思っていますが、この歴史認識を乗り越えるために具体的にどういう手段があるだろうか。共同で研究会を作るというような話も出ていますけれども、具体的にどういう手段があるだろうか、お二人の先生から御提言があったらいただきたいと思います。  以上でございます。
  14. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 一つの問題は、国民への働き掛けの具体的な在り方というんでしょうか、それが一つだったと思いますが、何というんでしょうか、これは例えばヨン様現象などというああいう状況が示すように、政治でできることと、一般的に社会が、何というんでしょうね、寛容になっているというか、あるいは魅力的になっているというか、そういうことのやっぱり両方だと思うんですね。とりわけ国民への働き掛けというのは、ある意味で一朝一夕にはいかない問題があります。やっぱり、例えばソフトパワーという、ジョセフ・ナイが言うのをもう一回翻訳するとすれば、ソフトパワーというのが一種の魅力的な文化力というんでしょうか、こういうものであるとすれば、やっぱりそれを少し日本の、何というんでしょうね、これから文化建設というんでしょうか、これにやっぱり相当お金を掛ける必要があるいはあるのかもしれないという気がいたします。  それで、ちょっと迂遠な手かもしれませんけれども、やはり社会の活力がやっぱり国際社会でそれは活力として受け入れられる、多分八〇年代のものを莫さんが非常に日本に対する一種の畏怖とか敬意とかという形で受け取った、これは経済の活性化とかあるいは何か新しいものを作ろうとする、ですからそれはパワー全体の表れなのであって、なかなかやっぱり難しいかなという気がいたしますが、一朝一夕に。やっぱり文化全体に対する我々の本当の資源というのは一体何なんだろうということをやっぱりみんなが考えるということなんでしょうか。  それから、もう一つは、あと反日教育の問題なんですが、インターネットに対するコントロールは確かに中国で行われているのは事実です。それで、ぱっと消えちゃいますから、都合の悪いものは。コントロールはかなり利いて、それを要するにみんな知りながらいろんなことを多分やっているんだと思うんです。  ただし、やはり非常に過度なナショナリスティックな対日要求というのは現中国政権にとっては決して好ましくない。やはり私は、日本との、対日国交正常化した中国共産党の政策決定そのものに対するやっぱり国民の間での不信感というのが多分あるんだろうと思うんですね。ですから、要するに今の現政権の正統性というのは、日本のように選挙が毎回ちゃんとあるわけじゃないですから、非常にやっぱり正統性については非常にセンシティブな問題になるわけですね。一つは、やっぱりナショナリズムというところに一つは気にし、あれしますし、もう一つは台湾ですね、台湾を回復するということが正統性だと。それからもう一つは、ああいう対日関係を良くし、あるいは国際関係を良くしながら経済発展をやっているという、そういう政策そのもの。ですから、それに対する非常な抵抗ということになるとすればやはりもろ刃の剣なわけで、やはりそんなに反日を刺激するような形での世論操作というのは、少なくとも九〇年代以降は決して行えないと。かつて私はこれはカードだったと思います、反日の問題というのは。歴史カードというのは明らかに中国は使ったと思います。それが、やっぱりこれは危ないというようなことで現在動いているんだと思います。  それからもう一つは、最後の問題で、歴史認識についてそれをどう、歴史のいろいろなものというのを乗り越えるかということ。  これはもういろんな人がいろんなアイデアを出す以外にないと思うんですが、私が今考えているのは、先ほどちょっと言いました、もう戦争中の共通の歴史を作ることはほとんどできないと私は思います、実際には。努力はすべきですけれども、これは例えばどの事件、天安門事件で三百人死んだのか千人死んだのか五十人だったのかということは、もう永遠に決着が付かないわけですね。特に、天安門事件ならまだそうですけれども、戦争というああいうレベルなら、何万人死んだかというようなことについての客観的なあれが共同でできるということについて私は余り期待は持っていませんけれども、ただし、戦後のそのアジア国際関係などをどう考えるか。例えば、朝鮮戦争について中国はどうだったんだろうというようなことを、やっぱり歴史になってきていますから、少し共同にお互い考えられると思うんですね。  やっぱり、先に結論があるわけじゃないものについてともに考えるということをやることと、それからあとは人材養成をやはり共同で行うということが大事かなという。  今は大学間の交流とかいろいろ研究者の往来とかたくさんありますけれども、一つ今いろいろなところで提案しているのは、アジアアジア大学という、日本の亜細亜大学とは違うんですが、これを言わばノンガバメンタルな形で、特に日中韓共同してノンガバメンタルなセクターでアジア大学というのを作り上げると。それぞれどこに本部を置くかというのは、そこら辺がまたイニシアチブの争いで覇権争いになりますけれども、全部三か所に本部を置いてやると。それで、大学生の交流なり、あるいは社会人でもいいですけれども、それの一時期交流、教育などをそこがやる。これは一種のシンボリックなものですけれども、何か共通して作り上げないともう駄目だというふうに思いますね、というふうに今は考えています。
  15. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) 私はもっと具体的な話をしますから、国民交流はどうすればいいのか。  まず私、トウ小平の言葉をかりたいと思いますが、トウ小平はかつて、中国の子供たちにコンピューターを勉強させたいと。大人から学んでもそれはもう始まらないから、もう子供から勉強させた方がいいよと。  それでスタートして、私はやはり日中間の交流の問題では、病院で注射を受けて明日もう元気になるというような効果ばっかりねらうと、それはもう小手先の対応になるので、日本人に対しての、私から見れば、私が一番感心している、私だけではなくてほとんどの中国人が感心しているのは、日本の戦後の植林ですよ。はげ山に木を植えて、五十年たったらもう日本全国、車でどこに行ってもうっそうたるあの林が続いている、森が続いているわけですね。  だから、人材も同じです。国民交流をして来年からもう日中友好万々歳になるような、そんなことをねらったら、もう次の年はまた冬になりますよと。  一番いいのは、私、やはり小中学校、高校生の、そういう子供たちを、一番日本文化に親しんでいる時期にもう日本に見学、旅行に来てもらおうと。日本の、日本人の家にホームステイして、体験して、そうすると、私たちの知っている日本はこういう日本ですよと、そういう印象を持ってもらうということが、これが一番効果的だと思いますよ。  実際、私、自分の体験も同じですが、八一年に初めて外務省の招待で日本に来てから、もう、戻ってから私が書いた日本についての報道記事とかエッセイなどが百以上ありますね。たくさんの人がこれを読んで影響を受けているわけですから、だからそういう意味では、私も本当に根気強くそういう日中間の将来のパイプになるような人を育てなければならない。  もう一つは、もっと短く効果が出てくるような、そういう交流もしなければならないんですが、私が一番いわゆる疑問視しているのは、今の日本中国の人的な交流ですね。例えば研修生などをどんどん受け入れています。大義名分は非常にいいですね。日本の先進的な技術をアジア国々人々に伝えようと。本当そうですか。現場を見てくださいよ。単純労働力として使っているしかないですね。ひどい場合は月二万九千円しかもらっていない場合もあるんですよ。それで、実際、私、取材して暴露してから、もうそういうことをやっている人間は逮捕されました。  一方、アメリカ、フランス、ヨーロッパなどを見ると、中国の次の、幹部でいえば中国の局長クラス、日本でいえば中央官庁の課長クラスの人たちをフランスに呼んで、アメリカへ呼んで養成しているんですよ。都市企画、金融ないしブドウの栽培、ワインの作り方、地域をどう売り出すのかと。  そういう人たちが欧米で勉強して中国に戻って、元々局長クラスですから、その次はもう中国の地方のトップになる。昔、中国の一番の指導者に、中央官庁の大臣などになる条件としては軍歴がチェックされるんですが、今は違うんですよ。今、地方で行政の長をやったことがあるかどうかで見られるんです。胡錦濤さんは貴州省とチベット、温家宝さんも地方で長く鍛えられていったんですね。そういう時代になっています。じゃ、今の中国の幹部を見てください。日本に研修に来ている人たちは全部研修生レベルです。幹部レベルは来ていないんです。  一番日本の国際交流でよくよく語られている成功例は大平学校というんですが、私は大平学校の一期生で、今でも中国日本語教育の現場に行くと、トップがほとんど大平学校の出身、出身者です。みんな大平さんを言うと、もう尊敬の念を抱いて語るんです。しかし、それ以降は、その大平学校の第二期は物すごく細かいものをやっているんですよ、日本の「は」と「が」の区別とか。  当時、八〇年代の当初、日本語の人材を、語学の人材を養成しなければならないから、その大平学校の意義があったわけです。今はもっと中国経済に必要な、もう中堅人材を養成すべきなのに日本は力を入れていない。もう、結局ハーバード大学で出てきた人たちが、フランス、ヨーロッパで出てきた人たちが、今、中国に戻って地方の行政のトップになって、そうすると、彼らのパイプが自然にアメリカのパイプ、ヨーロッパのパイプになっているんです。だからそういう問題が、私はやはり日本は早く注意しないと大きな問題です。  ODAの問題ですが、私、はっきり言いますと、日本のODA援助に対して感謝しろという声は全く逆効果を巻き起こしています。日本中国にどれぐらいODAを出していたのか、三兆円以上出していることは事実ですが、じゃ日本インドネシアにどれぐらい出しています、フィリピンにどれぐらい出しています。返済してもらっていますか。中国はきちんと返済していますよ。利息を付けてですよ。  だから、そんなことを、親日の私も納得できないから、まして一般の中国国民に話すと、ならば貸さなくていいよと。ODAは、いつか中国は卒業すると思います。私は、もっとハッピーエンドの卒業の仕方を皆さん考えるべきですよ。けんかでODAを止めるようなことならば、むしろ最初から出さない方がいい。今、年間出しているODAと中国の浙江省が中国国内で投資している金額と比べてくださいよ。大した金額じゃなくなってしまうんですから。何が偉そうに考えているのかと。中国国民の現場の率直な声ですよ。だから、いろいろ私からやっぱり説明しているんですが、例えば貴州省の農村で、もう非常に貧しい人たちの生活とか衛生環境など日本のODAが投入されて改善されていますよと。  もう一つは、日本は上手に自分をアピールすることがこれは下手です。やると押し付けてきてですね。私がやってほしいのは、嫌みなくさりげなく、もうその貢献をアピールするんです。例えばアメリカの企業、ヨーロッパの企業など中国で何をやっているのかというと、例えばヒューレット・パッカードが中国のあるプロジェクトにお金を出しています。そのプロジェクトは何のプロジェクトなのか。エベレスト峰に今登る人が多くなって、ごみをいろいろ捨てているわけです。そのごみを収集して山をクリーンにするいろんなボランティアチームにその企業がお金を出してやっています。それは中国の山で外国企業がお金を出して、そういう市民活動、企業、市民活動をしているわけです。なぜ日本の企業はそんなことをやらないのか。こういう路線を上手にアピールする、嫌みなくさりげなくアピールする方法が、日本の方が私から見れば下手なんですよ。  中国に進出している日本企業は、ある意味では労働契約を守る面でも労働組合を作る面でも一番遵法意識が高い。身障者を雇っている日本企業も多くある。もうみんな日本人の美徳は陰徳で、そんなことを言うと恥ずかしいと。もう日本との付き合いの長い私には分かるんですが、世界の舞台では陰徳だけではいけない。そこでは、もう感謝しろ感謝しろと言うと、もう正に逆効果ばかりあおっているので、もう逆の言い方がありますよ。例えば重慶に今モノレールができた。日本のODAを出しているわけですから、だから上手に、例えばODAのいわゆる最初の利用者たちに何か日本を思わせるようなプレゼントを、記念乗車プレゼントなどを出すとか、そういう方法がないのかと思いますよ。  ただ感謝しろと言うとなると、ならば出さなくていいよと、今、毛里先生が先ほど出した絵のように、外資がこれだけ入っている、外国資本がこれだけ入っているからもういいよということになっちゃうわけですね。  以上です。
  16. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございました。  それでは、続いて直嶋正行君。
  17. 直嶋正行

    ○直嶋正行君 民主党の直嶋正行です。  お二人の先生、今日は本当にどうもありがとうございました。大変興味のあるお話を聞かせていただきました。  私の方からお二人の先生に幾つか御質問させていただきたいと思うんですが、まず毛里先生にお伺いしたいんですけれども、今日のお話の中にもあったんですが、対日新思考という、中国の一部の人がそういう発想を持っているということで、日本もそれに対応した対中新思考とでもいうんでしょうか、あるいは莫さんからも、何といいますか、アジア全体、AUの話もありましたが、こういう考え方といいますか、そういう発想で中国を含めてこれから付き合い方を考えるべきだと。  私も、個人的に申し上げますと、正にそういう考え方を変えるということが非常に大事だというふうに思うんですが、ただ、これは政治の場ということで考えますと、現実の問題というのは、そういう前向きに考えていこうとするにしても、なかなかやはり厳しいかなと正直に思います。さっき莫さんからも向こう二十年くらい関係は冷えるという話ありましたけれども、そうはしたくないんですけれども、なかなか確かに難しいなという感じがします。  それで、そういう中で、毛里先生にお伺いしたいのは、例えばこれは日本の立場からということになるかもしれませんが、今アジアの国との間でいわゆるEPAというんですか、FTA交渉を進めています。私も経済産業委員会で例えば中川経済産業大臣の答弁なんかお聞きしていますと、やはりややそういう発想入ってき始めているんですね。要するに、日本の国益だけではなくて、むしろウイン・ウインの関係なんだけれども、例えばフィリピンならフィリピンがよりそれによって経済が発展できるようにと。こういう、多少こちらを犠牲にしても全体としていい方向にと、こういう発想というのは私は少しずつ入り始めたと思っているんですが、ただ、正直言うと、中国との間だけはなかなか難しいなと。  例えばこの間の潜水艦の領海侵犯の話とか、あるいは東シナ海での天然ガスの問題とか、現実の問題がなかなか日本政府としても譲り難い、こういう問題を抱えておるだけに難しいと思うんですが、こういう問題に対する対処の仕方といいますか、その点についてお考えあれば、ちょっと毛里先生と莫さん、聞かせていただければというふうに思います。  それからもう一つは、これは私自身も少し感じているんですが、過去の七〇年代、七二年の国交回復以来、八〇年代、毛里先生によると今は第三段階だと、こういうお話なんですが、やはり日本人の多くの人が思っているのは、この七〇年代、八〇年代通じて、どうも日本中国に対して言いたいことを言ってこなかったんじゃないかと。例えば尖閣列島の問題とか、あるいは今の歴史の問題もそうなんですが、こういう問題に対してきちっと、本当に日本政府は日本の立場とか国民の思いというのを中国政府にちゃんと伝えてきたんだろうかと。こういう思いというのが私は今あるんじゃないかと思うんですが、この点について毛里先生にお伺いをしたいというふうに思います。  それから、莫さんにちょっと二つお伺いしたいんですが、今ODAのお話をされました。私自身もODAというのは本当に、確かにおっしゃるようにいわゆる有償、返してもらう部分が圧倒的に多いことは事実なんです。中国の方から見ると、お金を貸して金利をもらって返してもらうというのは、日本は確かにODA、援助のつもりで資金を提供しているんですけれども、中国の方の考え方の中で見ると、それは援助じゃなくてビジネスだと、こういう考え方というのがあるんじゃないかなと思うんですが、そこら辺ちょっと、いわゆる気持ちの部分で少し聞かしていただきたいというふうに思います。  それからもう一つは、私自身もやや誤解していた部分があるんですが、日本人のかなりの人、多くの人は、中国日本というのは文化を共有していると思っています。さっきお話出た、まあ漢字という問題もありますし、日本の文化の多くは中国から伝わってきたものですから。しかし、どうも中国の人から見ると、必ずしもそうじゃないんじゃないかなと。ですから、そこにまあ日本人の国民気質というんですかね、あるいは中国の方の気質との間にかなり、これからいろんな国民レベルのお付き合いをしていく上にしてもそういうギャップがあるんじゃないかなと思うんですが、この点についてちょっと御意見聞かせていただければと思います。  以上です。
  18. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 日本にとっての対中新思考はそのとおりだけれども、具体的には、とりわけ中国の場合にはなかなか難しいというお話だったと思いますが、具体的なイシュー、例えばエネルギー開発、資源開発、あるいは領海侵犯、領海をめぐる問題というのは、やはりこれは二つの国家が接しているというところでは起こって当然なわけですね、ある意味で。しかも、尖閣の場合には、これは要するに未決だということについてはトウ小平も未決だとしているわけですから、ですから、そういう意味では、問題があるのだからして、イシュー、その限りでやっぱり対立するということ、それ自体は私は構わないと思うんですね。別に我慢することもないし。  ただ、問題は、例えば南沙についてベトナムと中国の間で非常に激しい闘いがあるんですね。ただし、これはASEANリージョナルフォーラムのそのもう少しサブなところでの委員会というのが既に始まっていまして、そこの一種のアジェンダになるという、二国間及び多国間のアジェンダに少しずつ入っているということになっていますから、恐らく何らかの形でそういうアジェンダに上げていくと。  それで、その間に、じゃ何か紛争があったときにどうするかという処理の問題がありますよね、起こり得ますから。そうすると、それをまた例えば信頼醸成措置か何かで、これは二国間である突発的なことが生じた場合にどうする、こうするというようなことについての決まりというのをやっぱり作っておく必要が多分あるかと思いますですね。これは中国と違って、中央アジア国々について信頼醸成があれしていまして、両方軍隊を置いていますから、国境の。で、衝突する可能性ありということで、その信頼醸成のための細かい取決めというのを一応しています。  ですから、それはそれとして、そういうアジェンダを組んでやっぱり決めた方がいいんじゃないでしょうか。何が懸案、何が今まだ未決であるかということ、それで、どこが紛争点かというお互いの主張。で、どこがお互いの主張、食い違うかということをやっぱりきちんとやっていく努力というのは、これは中国もすべきだし、日本もすべきだと思います。  それから、八〇年代から九〇年代にかけて日本が我慢してきたというふうにおっしゃったんですが、多分そういうお気持ちを持つ方は多いのかもしれませんですね、日本の中に。  それで、多分中国はそれを全然思っていないですから、なぜその中国が一番嫌な戦争の問題を逆なでするように靖国神社に行くのかという。それで、要するにパーセプションというよりも感覚のギャップというのが多分大きいのかもしれません。やはり、その何というんでしょうか、我慢してきたということの背景には、一種のやっぱり歴史にさかのぼる日中関係、そしてそれに賠償を払っていないことについての心理的な何か後ろめたさというのがあるのかもしれない。ここら辺になってくると非常に深層の問題で、非常に複雑ですけれども、恐らくこれからは、一つ歴史の問題はあるところでやっぱり決着付けないといけないと思います、それは何らかの形で。  それから、あるいは、七二年で解決すべきことをやっぱり怠ったというのは私は非常に中国経験者としては非常に反省していますが、なぜあの時点でもっと言わなかったんだろうかというのを非常に今、今になって反省していますが、それはそれとして。  中国自身も我慢をしていると、気持ちが多分あるんでしょう。日本もそれなりに我慢をしているという気持ちがあると。何かそれが非常にエモーショナルな衝突になるというところがやっぱり日中関係の非常にある種陰湿な、特有な関係というのを残しているように思いますので、できればやっぱりどこかでいったん決着を付けないと、やっぱりそういう感情をめぐる摩擦というのが非常に不幸な事態になるということがあり得ると思います。それをどこで決断できるかどうかという多分問題だと思います。
  19. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) なぜ中国の新思考問題が支持されていないのかというと、実は、馬立誠さんの新思考の論文は、私が日本に一番最初に紹介したもので、まだゲラ段階で、私はちょうどアメリカに出張していたとき、香港の友人から電話が掛かってきて、いわゆる馬立誠さんの書いたもので是非日本のメディアに掲載したいと。それは電話が掛かってきて、その論文の裏には中国の有力な幹部が支持していると、そういう発言もあったんですが、私は取りあえず論文を送ってくれと、それでニューヨークのホテルでそのゲラを見たんですね。読んだ後、私、やはりこれは日本に紹介する必要があると。  ただし、私はその時点からもう馬立誠さんを信用していないんですね。絶対一つの原稿を幾つかのルートを通して出すだろうと読んでいたわけですね。それで、アメリカから日本に来てから、本来は私は最初考えていたのは、中央公論か文芸春秋に掲載してもらおうという、絶対彼が幾つかのところに出すだろうと思って、方向を変えて世界週報に声を掛けて、週刊ですから、早く出してもらえたんですね。案の定、私の連載が終わった時点で、週刊文春と中央公論、両方同じような論文が出てきましたんですね。だから、その時点では私は、もう馬立誠さんは世界で発言する資格はないと、基本的なルールも分かっていないということで批判したんですが。  もう一つ、彼はこの論文、この文章を書いたとき、本当に新思考をよく考えた上で書いたのか。私はやはりちょっと違うじゃないかなと。日本の招待を受けて、ですからそのお礼としてもう軽い気持ちで書いたところが、かといって、馬立誠さんは非常に優れたジャーナリストですから、もうそれなりのやっぱり鋭い眼光を持っていて、だから問題提起がやはり鋭かったですね。  なぜ支持されなかったのかと。もう一つの大きな原因は、彼は日本のことを分かっていない。例えば、彼の会っている日本政治家が、この政治家はどういうバックグラウンドを持っている政治家なのか、もう政治的なカラーはどういう政治家なのかすらも全く分からないままで書いているのですね。だから、少なくとも私のような人間に共鳴を与えるようなパワーが足りなかった。それで、中国の普通の国民に賛成してもらうにはなおさら難しかったので、結局、今、結果から見ると、新思考は中国の一番上の上層部では支持されていなかったんですが、かといって、中国外交では今三つのキーワードがあるんです。大国、周辺、そしてもう一つは第三世界、発展途上国ですね。だから、中国外交官の言葉をかりると、中国外交問題の最も重要な三つの要素の中で日本は二つまでもう占めているわけですね、大国そして周辺でですね。だから、対日外交を重視しなければならないという認識があるんです。  靖国神社に対しては、みんなやっぱり危惧しているのは、国交三十二年間築かれてきた基礎が崩壊するおそれがあるという心配があったからです。だから、その崩壊する言葉のニュアンスは、私、物すごく一種の危機感を読み取れているので、だから本当にじゃこの靖国神社などの問題で日本が配慮すれば中国の方が収まるのかというと、私、多分収まると思いますね、中国にとっても引き下がる道がもうないので。先ほどの領海問題とか天然ガスの問題などについては、もう私は日本語を勉強する前に、ちょうど文革中に黒竜江省に飛ばされて、旧ソ連、ロシア国境のすぐ近くに、ちょうど中ソ軍事衝突が起きたところで、だから私も鉄砲を撃つ訓練なども受けたんですが、そのロシアと今中国国境問題で和解しました。平和裏にその問題が解決したんです。  少なくとも日本との領海問題とかそういう領土の問題などに対して、まだ一戦を交わすような状態になっていないわけですね。だから、私は、やはり互いにその誠意があれば解決できる問題だと。だって、当時の中国とソ連はもう戦争直前に追い込まれていた状態で、特に私は第一線に行って、もう銃を支給されて、弾なども全部支給された時期もあったぐらいで、そういうのを考えると、私、日中間はもう努力すればまだいろいろ打開策が、方法が見付けることができると思います。  あと、やっぱりODAの感謝の問題は、日本の新幹線も世界銀行から融資を受けていて、ODAを受けて造っているわけですが、新幹線路線のどこにODAを感謝する感謝碑を建てていますか。建てていないわけですね。少なくとも中国に行って、この感謝碑を建てていますよ、日本のODAを受けてこれを作りましたとかですね。  だから、その問題は、私、もう本当に日本と違って中国では、日本は例えば一緒に食事に行くと割り勘でやれるような世界ですが、中国はそういう世界じゃないんです。中国人同士は、食事を招待するとき、中国の大学で教えたときですが、一緒に食事に行くと、もう決まって私がお金を払うんです。なぜかというと、こいつは原稿料がたくさん入っているからと。こういうのを中国では一種の当然の価値観の中で、そのとき私払って、みんなに、払った後おれに感謝しろと言ったりしたら、もう最初から招待しない方がいいよ。  だから、それは本当に文化の違いで、私は、これは本当にもう別の方法で、先ほど私申し上げたのは、嫌みなくさりげなく、そういう協力するような方法でいいと思いますよ。  あと、日中間の、漢字の文化がありながらなぜそのギャップが起きているのかですね。  これは実際、一つ私、非常にいいヒントがあると思いますが、中国に進出した日本の企業のやり方を見ると、大体、中国に派遣された幹部が、企業に入社して十年たったぐらいの人ですが、そして、向こうに行くと問題を起こすんです。なぜかといいますと、入社して十年ぐらいの人たちはちょうどバブル経済のときに入社した人たちですよ。黙っていても日本国内で業績が上がっていった時期があった。その後、バブル経済崩壊したらもう業績がどこも悪いですから、おれの責任じゃないよ、もう環境が悪いということです。だから、中国に行ってうまくいかなかったとしても、全部外に原因を求めるんです。  日本の企業の中では、例えばホンダなども、最初やはりこういうクラスの幹部を中国現場に派遣して、余りうまくいかなかったです。それで、五十代以上の幹部を出してたんですよ。五十代以上の幹部はどこがいいのかというと、もう昔、自分で、日本の企業もスタートした土地出ていろいろ苦労して、アフリカも回っていろいろセールスしたり、もうそういういろいろやって、人とのコミュニケーションが上手にできるような人たちでした。そうするとうまくいったですが、今、中国では、ホンダの評価が中国で進出したほかの日本の企業、自動車メーカーよりはるかに高い理由がそこにあるんです。  だから、漢字の文化を、せっかく同じ、近いものを持っていながら、私、やはり先ほどの敬意の問題にあるんですが、中国仕事に行く場合、中国文化に対する敬意を持たないと、それは無理ですよ。  先週の朝日新聞に、私が持っているコラムですが、こういうふうに書いたんですが、日本の企業の、中国に進出した日本の企業の中で社員教育の壁新聞があるんですが、日本語で書いてあるんです。そうすると、私はその幹部に聞くんですが、この会社に日本語が分かる社員はどれぐらいいますかと。千人ぐらいの企業ですと、多分日本語が分かる社員の人は二十名未満ですよ。なぜ中国語で書かないのという問題ですよ。その企業は物すごく反省して、すぐその一週間後、中国語に直したんですが、そういう例が一杯あります。  中国に進出して十年の日本のデパートですが、黒字になって中国の消費者に感謝したいと繁華街のショーウインドーに書いた言葉が、ありがとう、十周年、下に小さく中国語の謝謝を付けているんですよ。なぜ逆な発想ができないのか。謝謝を大きくして、その下にありがとうを付ける。そこの問題ですよ、私。  一方、これから多分中国側にとっても、私、同じことを言いたいと思いますが、日中交流は私やはり一番手っ取り早い効果があるのは、一つ中国の現役の幹部の養成、もう一つは観光客を受け入れること。実際、日本を訪問した観光客に私は何度もチェックしましたですが、日本を訪問するまで、もう日本は大したことはない、経済がもう今、最近はもうぼろぼろになっているとか、そういう考えで来た人が非常に多かったんです。実際日本を訪れてみた後、もう日本に対する評価ががらりと変わりました。中国がどんなに努力していても、今の日本に追い付くには二十年間は掛かると、謙虚に日本に学べというようになるんです。  だから、そういうところを私、一緒に方法を考えるべきじゃないかと思います。  以上です。
  20. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございます。  それでは、加藤修一君。
  21. 加藤修一

    ○加藤修一君 公明党の加藤修一でございます。  今日は、お二人の参考人、大変ありがとうございます。有益な様々な点についてお伺いできて、有り難いでございます。  それで、私は毛里先生にお尋ねをしたいわけなんですけれども、ちょっと時間の関係がございますので、ちょっと申し訳ございません、わざわざ出てきていただいて聞かないのも非常に失礼な話なんですけれども。  毛里先生が、「「二十一世紀アジアを考える日中フォーラム」をめぐって」という論文の中で、非常に私は様々な点で啓発されたわけでありますけれども、例えばこれがございました。ライバルかパートナーかという選択を我々が任意にできる時代でなくなっていると、こういう部分がありまして、なるほどなというふうに思っているわけなんですけれども、先ほど来、スキームとかパラダイム、あるいはレジームの形成ということが話になっている部分もございますが、私は、そういう形成において構成するアクターの問題であります。特に、中国における市民の力、その市民社会化の状況について、これは非常に、レジームを構成する場合には非常に大事なことでないかなと、そんなふうに思っているものですから、この辺について焦点を絞って話をさせていただきたいと思います。  冷戦構造下においては、紛争の問題とか対立の問題について解決をするのが最優先であるというふうに考えられていたわけでありまして、したがって紛争や対立の問題の解決については戦争をいかに回避するかと、そのためにどのように相手方と少なくとも均衡を維持しようとしているかと、その均衡維持のために多様な力を投入されてきたと。そこには仮想敵国である相手側と協力し合うということがそもそも生じようがなかったと思いますけれども、しかし、その東西冷戦の終えんによって軍事的な安全保障の問題が人類の生存にとって最大の危機ではなくなったと、そういった現在でありますけれども、新しく人類の危機と言うべき大きな問題が正面から突き付けられていると。それは、言うまでもなく、一国にとどまるものではない。ローマ・クラブの創始者、アウレリオ・ペッチェイ博士が述べたように、国際的な問題に取り組まなければ国内の問題も解決できないと、そういう時代でないかなと思います。  ですから、人々が自国のことだけではなくて、また自分たちのグループのことだけでなくなってきている。非常に甘い見方かもしれませんが、大要は、ライバルとして対峙することではなく、パートナーであることが将来にわたってより良き関係性を築き上げること、それに至るには多事多難かもしれませんが、それをまず第一に目指すことであると、非常に単純な見方でありますけれども、考えております。  国を航海する船舶と見立てて、過去といってももちろん自由の海にいたわけではありませんが、しかし今は少なくとも共通の海に浮かんでいると。そして、その制約は非常に大きくて危険な海峡を航海するようなもので、行く先でふさがる様々な課題が漂流しているようなものであるというふうに考えざるを得ないわけでありますけれども、その危機の海を安全に航海するためには、先生がおっしゃっているように、危機の予防と危機の管理が必要になっていると。  私はそこで、二〇〇二年のヨハネスブルク・サミットの関係を思い浮かべるわけでありますけれども、そのときにはこういうことが議論されたように思います。一つ戦略の共有である、二つには責任の共有、三つには経験、情報の共有という、この三つの共有というのを考えなければいけない。ですから、いかにシェアするかというのが極めて重要であると。  それは、その従来の紛争や対立の問題から遠く離れて、私は単純にしてかつ極めて楽観的に考えて、一足飛びに言ってしまいますと協力の問題に集約されるんではないかなと、そんなふうに考えております。この協力を除いて新しい秩序形成の道があるだろうかというふうに思うのは私だけじゃないと思いますけれども、そこでこの新しい秩序形成として東アジアコミュニティーや、いわゆる危機予防のレジームを考えざるを得ないわけでありますけれども、その中で、先ほど申し上げましたように、アクターをどう考えるかという話だと思います。  アクターを主権国家だけに限定しないことが重要だと私自身は考えておりまして、そしてその構成するアクターの期待感が次第にやはり凝縮していく一定方向へといかにまとめ上げていくかと。先生はたしか論文の中で、生活の安全とか環境の関係、医療、災害、災害はあったかどうか分かりませんが、そういう的へどういうふうにもたらせるようにするかということが非常に大事でないかなと、そう思っております。  その流れ自体をいかなるメカニズムで考えていくか、例えば期待感を持続させ続けるメカニズムができるかどうか、当然多くの要因がかかわっていると思いますが、私は、先ほど述べましたように、一つには構成するアクターが大事であると。主権国家に限定しないで、新しく、いわゆる市民社会化の力、簡単に言いますと市民の役割をいかに注視するかということだと考えておりまして、これはヨーロッパにおきます冷戦構造を最終的に終息させたのは市民社会の力であると、そういうふうに言う専門家も決して少なくはないと思いますし、またEUにおきます環境保全への強い動き、それは市民社会の力に支えられていると、これは一般的な認識の仕方だと思います。  東アジアにおいても、必ずしも十分な力があるとは言えないわけですけれども、ただ経済協力とか環境協力、そういった面に有効な力を発揮しているNGOあるいは民間団体組織が存在していることは確かでありますし、そういった意味では、東アジア各国間においてこの市民主体のネットワークの連携がいかに強靱にしていくかということは大事である。  そういった意味では、多くの多様なファクター、アクターですね、アクターから成る多元的な秩序体ですか、これは国家も入るし、NGOも入るし、市民も入るし、あるいは企業というそういったものも入れてやっていく可能性も考えられはしないかと、こんなふうに思っております。  そこで、この市民社会の力ということなんですけれども、中国がいかにそれを考えて、どう動かすかということが極めて重要な点でないかなと思っております。そこで質問なんですけれども、これは必ずしも民主化されていない中国がどう動くか、どう対応するかというのは重要で、私自身の関心事でもあるわけですけれども、まず第一点は、現代中国においてレジームのアクターになり得る市民社会化の力が存在しているのかどうなのか、そういう兆しとか芽が吹き始めているのかどうなのか。二点目は、市民社会化が可能かと。可能であれば、いかにして種々のレジームに対して効果的につなげることができるかどうかと。三点目は、その影響ですよね。もしできたとして、その影響、これが現中国政治体制に影響を与えて、いかなる変容が中国政治体制含めてもたらされるかと。  そういうことなんですけれども、いささか抽象的な質問で申し訳ございませんが、以上三点についてそれぞれ、時間がございませんので手短にいただければと、そんなふうに思っていますが、よろしくお願いいたします。
  22. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) やはり民主化されていない中国とどう付き合うのかという問題ですが、私は逆に、だから今付き合わないと駄目ですが、民主化されたら多分もっといろいろ要求が出てくる。いろいろ議論が出てくるのですが、それまでにつないだ、やっぱりパイプをいろいろ作っておくべきですが、市民同士のそういうパイプも必要ですが、多分議員の皆さんも中国とそれぞれ自分なりのパイプを是非作っていただいた方がいいと思いますが。もう私の提案ですけれども、山東昭子先生がいらっしゃいますね。例えば山東先生に中国の山東省と密接に交流していただければ、きれいな方で、そして名前もそういう山東省という名前で、山東省に行くと絶対に罵倒されるおそれがないと思いますね。こういうようなところで、築いていけばいいじゃないかと思いますが。  もう一つは、例えば今の中国のいわゆる市民活動をしている人たちが、例えば反日運動などを専ら先頭に立ってやっている人たちを見ると、童増さんという方がいるんですが、これまでですと、日本の要人が中国を訪問するとき、中国の公安の方が礼儀正しく彼を旅行に連れていくわけですよ。よそに連れていくわけですよ。もう彼が北京にいると怖いからというようなことですが。しかし、今はやれなく、こういうことができなくなってしまいました。こういうふうにやろうとしたら、国民から反発が出てくるわけですが。  今実際、中国の例えば対日関連の批判をもう一番陣頭に立ってやっている人たちを見ると、ほとんどが日本留学の経験を持っている人たちで、昔日本歴史問題に全然関心を持っていなかった人間が、実は日本である意味では反日教育を受けたわけです。だって、日本のメディアを見ると、専ら反中ばかりをやっているメディアもいますし、もう物すごい激しい言論を展開しているネットメディアもありますし、そうすると、彼らがこれを見て、なぜ私たちは意見を発表してはいけないのか、なぜ発表する人がいないのかと。それで、日本の学業を中止して、あるいは日本の学業を終えてから中国に戻って市民運動を始めた人が何人もいます。今それぞれその分野のリーダーになっています。慰安婦問題をやっている人、細菌戦の賠償の問題をやっている人。あと、靖国神社にペンキで塗りまくったあの馮さんも、本来は彼に日本に滞在ビザをもう出しているのに、これを途中、呼び出して、取り消して中国に送り返したんですが、その当時、私も日本の法務省の関係者に指摘しましたら、皆さんこんなことをやると逆に反日の種をまいてしまったと。案の定、彼が中国に戻ったら、今度領土問題の一番先頭に立ってやっているわけですよ。  だから、対日新思考を呼び掛ける人をどんどん日本に招待する必要もあるんですが、私は、あえて対日批判をやって、そういう言論などを繰り返している人たちにも、日本に呼んできて意見を交換する場を持つ必要があると思います。  これは、日本の方がやっぱり議論するのが怖いので、こういう、この人がもう日本に対して厳しいことを言っているからもう呼ばない方がいいよと、そういうふうになっていますが、中国のことわざの中にはけんかして友達になるという言葉があるんですが、実際、中国アメリカ大使館などがどう対応しているのかを見ると非常に面白い。「ノーと言える中国」が出版された直後、アメリカ大使館は、その中でも日本を批判するよりもアメリカを厳しく批判しているわけですね。大使館の人はもう早速彼らと一緒に食事して意見を聴いてやるわけですよ。じゃ、日本の大使館は、もうやつらは反日派で付き合いはしない。その付き合いを通していろいろ理解を深めることができるんですよ。その後、私がうちの事務所の費用で著者たちを日本に呼んできて、実際日本各地を回ってきて、戻った後は、その後は反日関連の問題は、ものは書いてないんですよ。多様化した日本を見てもらったわけですから。  だから、そういうのは私はやはり日本側の努力も必要だと思います。先ほどの先生の方の発言は、私も無論賛成です。もういろいろのファクターを持たなければならないです。その中には、皆さんもそれは一つのファクターです。  以上です。
  23. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) はい、ありがとうございました。  毛里参考人、お願いします。
  24. 毛里和子

    参考人毛里和子君) ちょっと三つのことを申し上げたいんですが、一つは、中国が民主主義という点からいえば、多元社会ではない非常に一元的な社会だということで、実はそれによって周辺が割に得ているメリットというのがあるんですね、これが。民主化され、民主化というのは自由化というふうに言った方がいいと思いますが、自由化された中国というのはこれはなかなか難しいまたまたお付き合いの相手になると思うんですが、やはり中央権力が一つコントロールが利いているという状態というのは日本にとってそれほど悪い状態ではないという、これが一つ民主主義の原理とは別にありますね。  それが一つと、それからもう一つは、中国の市民社会は現在どうか、そしてそれが将来の政治変容に影響をどう与えるか、これはとても難しい問題なんですが、現在市民社会についての研究というのはようやく中国でも始まっております。それに類した集団が何とか生まれつつあるんですが、私の非常に率直な印象からいいますと、我々が考える市民社会を今の中国及び近い将来の中国に期待はすることは無理、やっぱり異質だというふうに思います。やはり中国が本来の意味での市民社会として成熟した市民社会関係にいくには、やっぱりかなりまだ時間とその紛争のプロセスがなければ多分そういう時代には入らないというふうに私は思っています。  それから、第三番目に、市民団体が国際的ないろいろな意味でのレジームなりそういうもののアクターになれるかどうか、あるいはどれほど望ましいかという問題なんですが、一般的には私、例えばノンガバメンタルな関係、国際的な関係を作り上げることによってそのガバメンタルな関係を補強するという意味では、例えば2、トラック2・5とかトラック2とかトラック3とかというやり方がありますから、それ自体は非常にいいと思います。それで、ただ、やはり今の中国がそれに対応できるだろうかというと、やっぱり日本社会との相当な乖離がありますから非常に難しいというふうに思います。  ただ、一つだけ、もしノンガバメンタルなもので国際東アジアにおけるレジームを幾つか作るということを考えたいという場合に、地方というのをちょっと入れると、何というんでしょうか、やっぱり国家関係だけではない、また別のベクトルが出てくる可能性がありますよね。例えば日本海というようなところで、その中国の東北地方と日本の北陸と北海道、あるいはそこら辺とがもう少し東アジアコミュニティーの一翼としてどこかに入っていくというような地方間の接触というのは、私は今の中国でもできますから割にいいと思います。  それから最後に、そのノンガバメンタルなもののアクターとしての役割で一番問題は台湾なんですね。台湾問題をどこで処理するかということなんですが、今の国際的な枠組みでいうと、ガバメンタルなものしか駄目だということは、主権国家同士じゃないと駄目だと、主権国家のあるところの関係というのは台湾は入れちゃならないというのは中国は非常にきつく言いますでしょうね。そうすると、例えばASEANリージョナルフォーラムもこれは主権国家だと、それで国連にかかわることはみんな主権国家だということになってくると、肝心な紛争の当事者である台湾が入れないんですね。だから、台湾を、この地域の安定とか紛争の処理とかというところで台湾をアクターとしてどこに入れるかという、絶対に入れないといけないと思うんですが、これはとても工夫の要るところだと思います。  これはでも何か見付けることはできると思うので、主権国家だけでこの地域レジームができるというふうには考えられませんね、特に台湾。ですから、それはやっぱり知恵の絞り合いだろうと思います。
  25. 大門実紀史

    大門実紀史君 両参考人、御苦労さまでございます。  私の方は二つの点に絞って伺いたいと思います。  一つは、中国社会の所得格差、貧富の差の拡大の問題です。  この夏、参議院でODA調査団、代表団行きまして、私も参加してまいりました。先ほどお話あった貴州省にも行ってまいりましたけれども、代表団は別に感謝しろとか感謝してほしいというつもりで行った者はございませんで、むしろ、各村で感謝の会といいますか、そういうものが余りにも開かれるので、もう辟易するといいますか、感謝されに来たんじゃないと、本当にODAが必要なのかどうかを、効果的なのかどうか、それを見に来たんだということで、むしろ余り感謝、感謝と言うのをやめてほしいというぐらい言ってきたのがこの代表団でございました。  その代表団で一つ共通の認識になったのが、その中国の所得格差、貧富の差の拡大の問題でして、もう御存じのとおり、農村と都市、都市の中でも貧富の差が物すごい広がっております。沿海部と、沿海部の都市部農村とを比べると、もう所得で四十倍とか五十倍の差があるというふうな、もう日本では考えられない貧富の差が広がっていると。  そこで思ったのは、その貧富の差がなぜ広がっているかというと、先富論、先富政策で、とにかく、もうける人はもうけろというのをざあっととにかくやってきたと。当然、格差は広がりますね。そうすると、その中国が今抱えている貧困の問題というのは、本来であれば国の責任として、所得の再分配なり手を打って格差を縮めるのが国の政策なのに、それよりもまず先富政策で、もうける人はもうけろと、金持ちになる人はなれと、その中で生まれた貧困の問題に日本がODAで手当てすると。何かしっくりこないなというのが代表団の認識でございました。ですから、本来国が果たすべき役割をまず果たしてもらわなければいけないんではないかという意識が強かったわけですね。  その点で、関係者、現地の中国関係者とお話ししますと、正にその点が今中国の政府も問われているし、頑張らなければいけないというお話もされましたけれども、このまま貧富の差が拡大すると、中国の政府もかなり問われる事態になるし、あるいは、そうしたら逆にもう所得の再分配をやろうということで、税金で累進制を、がばっと累進で取るとか、あるいは農村部社会保障制度を作るために税金回すということをやると、今一生懸命もうけて大金持ちになっている人たちから反発が来ると。これ両面が、今は中国、正に政府が突き付けられているし、それをどこか乗り越えなきゃいけない時期が間もなく来るんではないかと思いますが、その点、両参考人の認識、御意見をお伺いできればと思います。  もう一点は、これは毛里参考人だけで結構でございます、時間の関係で。  東アジアコミュニティーをどう作るかという点で、当然、東アジアコミュニティーといいますと、日本中国抜きに考えられないと、むしろ日本中国がイニシアチブを取って作るべきものであろうというふうに私思いますけれども、それが当面いろいろなことがあって難しいと。  北京大学の林教授の論文も読ませてもらいましたけれども、難しさには二つありまして、一つは日中の、さっき、今日も取り上げられている歴史問題と、もう一つは、日本アメリカの非常に強いといいますか、我が党なんかは従属的だと言っていますけれども、そういう日米同盟ですね、これが余りにも強過ぎて、この二つが一つのネックになって、なかなか、日本中国東アジアコミュニティーを作る上でのイニシアチブを取る連携がなかなか果たせないではないかというふうな意見があります。  私もその辺、認識は一致するんですけれども、例えば歴史的要因、歴史問題は、毛里参考人言われているとおり、今はもう経済のもたれ合い状態ですから、それに国民外交とかいろんな面が加わっていけば何か解消していけるのかなというのが一つありますが、その日米同盟との関係ですね、この点では、日本中国米国と、アメリカと、この三つ関係がどういうふうになっていくのか、日米同盟だけの問題ではないと、中国がどう考えるのかというのがあると思います。  その点で、細かく分けて三つお伺いしたいんですけれども、日本自身中国アメリカとのこのバランスをどうシフトしていくべきなのかということ。二つ目は、中国自身アメリカ日本とのバランスをどう考えているのだろうかと、中国自身が。三つ目には、アメリカ自身中国との関係をこれからどうしようとしているのかと。  この辺の三つの動きが絡み合ってどうなっていくかということがあると思うんですけれども、その点、以上、細かく分けて三点、毛里参考人に伺いたいと思います。
  26. 毛里和子

    参考人毛里和子君) いずれもなかなかお答えすると時間が掛かる難しい問題だと、肝心な問題だと思いますが、まず一つの所得格差の問題ですね。これについて、それで中国の中央政府の政策が不適切だからということによって生じる欠如を日本のODAが埋めることはいかがなものかという、これに対する疑義、これは当然なことであると思います。  中国の現在の状況というのは、恐らく、格差は階層間格差、それから地域間格差、それから農村、都市間の格差、これで、これ拡大する以外に道はないと思いますね。これは止めようがない。財政の再移転、税制というような問題が今問題になっていますけれども、これがどうしてもうまくいかない。  振り返ってみますと、十九世紀から二十世紀にかけて、中国は税金ということで租税制度で成功したことがないんですね。これは、日本国家が明治維新以来成功したところは、税金をどうやってうまく取れるか、これはすごく成功したと思うんです。私はしょっちゅう税務署とけんかしていますが、勝ったためしはない。やっぱり税務署に絶対勝たれてしまうという。この中国の一番の泣きどころは、やはりきちんとしたガバナビリティーと制度と、そのものによってきちんとした税を通じたその財の再配置というのがこれまでもできなかったし、今後もなかなか難しいと。恐らく、これは私は、ODAを出すよりも最も中国にとって有利なのは、恐らく、その税と行政をどうやって近代化するかというのをきちんとやっぱり中国が学ぶか学ばないかということだと思いますね。これに日本はすごく多くの知識なり経験なりを提供できると思います。これは、中国は余り日本に学びたくないという別のプライドがありますけれども、でも、決してそれは、最近の中国はそれでも、やっぱりそうじゃない、いけないんだというふうに思い出してきていますから、やはりここで日本歴史、明治以来の歴史のプラス面というのを非常に提供できると思います。  それで、格差の問題というのは、どの程度、公正ということと効率ということをどの程度バランスさせるかということですが、これが恐らく今後の中国にとって非常に難しいバランスの取り方になると思います。なかなか効率一辺倒から公正に合わせて、公正、ジャスティスというようなところまで考える、あるいはフェアネスというようなところまで考えるには中国はなかなかできない。恐らく、将来にはまたまた農民暴動が起こるかもしれない。私は、そういうシナリオは決して非現実的ではないというふうに思っています。それが一つですね。  それから、EAC、つまりイースト・エーシアン・コミュニティーと、それから日中米という三国の問題で、ごく、これ細かくやっておりますと大変ですので、非常に簡単に結論だけ申しますと、その日中間、日中がEACのやはりイニシアチブを取らなければならない。もしそれでなければ、日中がいなければEACは機能しない。これはもうどなたもが考えることですね。  その場合の阻害物としてあるのは歴史の問題と日米関係だということを、二つあるというふうにおっしゃいましたけれども、今のところ、今のところは日米関係はそれほどの阻害物にはなっていないんですね、今のところ。ただし、将来なり得るということがあります。瓶のふた論というのは、中国もこれはあれしていますので、日米同盟が瓶のふたとして日本のその軍事的な膨張を抑止する有力なメカニズムだということでは考えていますので、今のところはあれだと。  問題は、台湾に紛争が起こったときというところですね。台湾にもし何か起これば、あるいは台湾海峡でですね、これは日本が動かざるを得ない、あるいは日米同盟が機能せざるを得なくなったときにどうなるかという、これはもう、当然非常に面倒くさい問題が起こってまいります。中国は、台湾における紛争というのを私は非常に恐れていると思いますですね。それで、これは日米関係に直接波及し、日本を日米同盟下の軍事大国にそれはしてしまうからでありますから、これは一に台湾、中台関係次第だというふうに思います。  それから、アメリカ中国関係というのは、私は結局、ある種、やっぱり一種の、括弧付き大国と本当の大国ですが、一種のやっぱり大人の関係というのがあるように思いますね、大国同士の大人の関係というのが。その点では結構バランスができていて、中国アメリカのある点は信じるけれどもある点は信じない。で、台湾についてアメリカは、台湾問題というのは戦略的には中国を支持するけれども、ああ、戦術的には支持するけれども戦略的には支持しないとか、非常にさめた見方をしていますし、アメリカ中国については同じで、一種の大人の関係というのがあるかなというふうに思います。  問題は、日中というのが、アメリカ要素を除いても、除いてもですね、除いても、やっぱり非常に歴史の問題だけではなくてライバル意識、その非対称性ですね、それから非常な相似性というようなところで、なかなかこの関係が御しにくいという。中国にとっても、多分恐らくアメリカを扱うよりも日本を扱う方が難しい、日本にとっても、やっぱり世界のどの国よりも、中国とのお付き合いというのは非常にやりにくいという。ですから、ここでやっぱり歴史にきちんとけりを付けて、やっぱり日本アジアでどう生きるかということをゼロからもう一回考え直した上で、大きくなる中国とお付き合いをした方がいいんではないかというのが私の考えです。
  27. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) 貧富の差の問題に対しては、私は、二通り見るべきですが、一つは今、これは非常に問題になっているので、解決しなければならないと。  もう一つは、そもそも中華民族という物差しで見ると、格差を是と思っている民族で、だから日本のように、例えば、今、正直に言いますと、うち、例えばメードさんを雇おうとしていたら、多分私は今のマンションにはもう住めなくなってしまうんですね、もう外国人のくせにメードさんを雇っているとか。だから、日本の大手企業、よほど大手企業の社長でないと、多分なかなかそれはできないわけですね。そうすると、大手企業の社長もメードさんを雇っていないとなると、下の下請などはもうそれはできないわけですね。しかし、中国ではそれは関係ないんです。中国の我が家では、あの大家族の中で一番稼いでいる私の方が家政婦を使っていない。だから、これはいわゆる元々一種の産業構造的な要素もあるので、だからアメリカ社会に多分中国はなると思います。アメリカのいわゆる大金持ちと割と貧しい階級の人々の収入とを比べると、それはもう四十倍、五十倍の差じゃないですよ。かといって、やはり中国は放棄、この問題を放棄してはいけない。だから、先ほどODAの使い方は、私は全く皆さんの意見に賛成するんです。  今、日本のやり方は、ああ、中国の方がこういう貧しい人が飢えていますから、じゃ魚を、釣れてきた魚を提供しますと。私、そうではなくて、魚の釣る方法を教えるべきだと。だから、そこ、それはいわゆる中国が今直面している問題としては、富の再分配システムの構築の問題。先ほど毛里先生がおっしゃったように、あの税金の問題。もうあと、貧しい地域を、やっぱり日本で成功した一村一品運動とか、観光で町を活性化するところとか、そういうふうな日本のソフトパワーにもつながるようなところでODAを使ったらいいじゃないかと。むしろ人材養成する方に使うべきだと。  だから、こういうふうに考えているんですが、先ほど毛里先生が指摘したように、中国人は余りいわゆる日本に学びたくないと。これは今の中国には私は合っている話で、日本には学びたくないと。しかし、九〇年代の前半までは、中国、特に八〇年代は、中国で一番叫ばれていた言葉が、今日の日本は明日の中国つまり中国の青写真を描くとき日本をモデルにして描いていたわけです。その後気付いたのが、なぜ日本モデルを放棄したのかといいますと、中国のいわゆる教育レベル、国民の教育レベルは日本に行かない、所得格差が大きいということで、なかなか。それで、その後はシンガポールモデルを求め始めています。まあ後、やはりシンガポールモデルもやはり無理だと。シンガポールはやはり国が小さいですからそれは統括しやすい、だけど中国はそこまではできないと。  だから、その後打ち出したのは、中国の特色を持つ自分の道ということになっているのですが、格差の問題は、私はもう非もあるんですが是もあると思いますね。格差があるから中国経済の、経済発展のパワーにつながっているところもあるんです。  日本は、例えて言えば、日本は琵琶湖のような非常に均質化した社会ですが、琵琶湖の水を使ってそれで発電できますか。できないんですね。中国は揚子江のように格差の非常に、落差の非常に大きな社会ですから、そこですら発電できます。かといって、やはり中国にも琵琶湖のような湖はたくさんあった方がいいと思いますから、そこまでのいわゆる方法はどうすればいいのか。この日本側はいろいろ経験を持っているから、是非中国にいろいろ教えてあげてください。  以上です。
  28. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございました。  それでは、以上で各会派一人一巡いたしましたので、これより自由に質疑を行っていただきます。  お時間も迫ってまいりましたので、御案内のようにたくさん質疑者がおられますが、参考人の方のお時間のこともありますので、質問も簡潔に、そしてまた参考人からの御意見表明もできるだけ時間をということでよろしくお願いを申し上げます。  それでは、水落敏栄君。
  29. 水落敏栄

    ○水落敏栄君 自由民主党の水落でございます。  まだ議員になり立てでほやほやでございますから、質問の内容もいかがと思いますけれども、今日はこうして初めてこの会議、委員会に参加をさせていただけて、大変いいお話を聞かせていただきました。両先生には大変感謝をしております。  日本中国、正に隣国でございまして、長い歴史の問題があるわけでございますけれども、経済的にも、昨年は対中貿易が千三百億ドル超しているということで、大変、最大の貿易国でもあるわけでありますが、そうした中で一番ネックになっているのは、やはり先ほど世耕先生のお話しの歴史問題ではないかなと思っております。  その代表的な問題が靖国神社の首相の参拝でございますけれども、これはもう戦没者追悼という我が国の内政の問題でございまして、外国からとやかく言われる筋合いのものではない、私はこう思っておりますけれども。どうして中国が常にこの問題を外交カードとして出してくるのか、大変遺憾に思ったり残念に思っているわけでありますけれども、こうしたことは、中国国民に対する中国政府のいわゆる配慮といいますかパフォーマンスといいますか、そうした背景があるんではないかなと私は思っているわけであります。それは、中国は小学生のころから抗日教育しておりますから、歴史認識、特に靖国神社問題等で我が国に物を言わないと中国国民が納得しない、そうしたことだと私は思っているんです。  毛里先生、先ほど御講演の中で、一九九五年、戦後五十年の年にいわゆる村山談話を発表して謝罪したのが、もうこれが決着をした、こう言っていますけれども国民は納得をしていないと、こう話してございました。私は、そうしたことは、盧溝橋にある抗日記念館あるいは南京にあるいわゆる虐殺記念館、こうしたところにもう小学生を課外授業でどんどんどんどん連れていっている、こうしたことがやはり根強く背景としてあるのではないかなと、こう思っておりますが。  そうしたことで、今後ともこの抗日教育は続けていくのかどうか、私は懸念しておりますけれども、その辺、先生のお考えをお聞かせいただきたいなと、こう思っております。
  30. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 靖国神社に参拝するかどうかは内政問題であるということについては、現在の国際社会においては、内政問題と外交問題、対外問題というのは非常に絡み合っており、それぞれの国の内政問題が外の国からするといろいろ問題になるというのは往々にして見られるケースであります。特に、日本の対外行為が、やったことに対する一つの首相の国事行為であるということについて、その関係、かつて歴史的にかかわったところから異議が申し立てられるというのは、私は、ある意味ではこれは内政問題で突っぱねられることでは多分ないだろうというふうに思います。  それからもう一つは、中国国民へのパフォーマンスであるという御指摘は確かそのとおりだと思います。それぞれの国の政府がそれぞれの国民に責任を負う、そしてその世論を気にしている。特にアメリカにおいてはブッシュ政権が、一種のイラクに対する強硬姿勢を、国民の一部というんでしょうか、あるいはある種の強い国民のナショナリズムを反映しながらやっているというところを考えますと、それも当然あり得ることですね。  最後に一つだけ申し上げたいのは、一九九五年ですべては終わったというふうに例えば中国がそれを認めたにしても、実は歴史は終わっていないのだというのは、例えば独仏についても、ドイツの第二次大戦についてのいろいろな行為、その後の行為を見ていても言えることですね。  例えば、ドイツとフランスの間あるいはドイツとポーランドの間には、EUを含めて非常に現在平和的な関係があります。だけれども、ドイツは依然としてポーランドに対して謝罪を繰り返すということをやっておりますし、また、ドイツの責任者がナチスのやったあるシンボリックなところに対して、それに遺憾の意を込めてそこを訪れて、ドイツの戦争の誤りというものをその国の国民に対して謝罪するというような行為は今日も行っているわけですね。  ですから、やはりそれは、何というんでしょう、歴史、あれだけ惨禍を国民的に巻き起こした第二次大戦の処理の問題というのは、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても、やっぱり一片の言葉とか一片の条約とかでは処理できないというふうなところはどの場合でもそうなのでありますから、それに対してどう対応するかということは後世に残された我々が絶えず考えなければいけない。つまり一種の侵略行為というのはそれだけ第二代、第三代、第四代の人にまで災いを残す、我々はそれを背負うという、そういうことであるのではないかというふうに私は思っています。
  31. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) ありがとうございました。  莫参考人、お願いします。
  32. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) 私の自分の経験からいいますと、私、日本語を選んだのは七四年ですね。大学に入って、うちのおふくろが物すごい喜んで、みんなに、うちのせがれが農村から戻ってきて大学に入りましたよと。  しばらくして、私、妙なことに気付きまして、うちのおふくろが一度も私の専攻に触れたことがないんですね、日本語を選んだ私の専攻ですね。まずいなあと思って、やがてうちのおふくろがやはり言い出して、外国語を勉強したいならば、それは分かるんですが、その当時、私、詩を書いていたんですね、詩集なども出していたし、おふくろはてっきり中国文学の道を歩むだろうと思って、よりにもよって道草を食ってしまって、いろんな、私、ある日私に詰問したのは、最初、開口一番、なぜ日本語を選ぶの、外国語を勉強したいなら英語を選んでもいいのにですね。  それは、うちのおふくろから見れば、日本軍が入ってきたとき、レイプされないように、もう顔に色、泥などを塗って逃げたりして、うちのおやじが米を背負っているだけで日本軍に見られて殴られてひざまずかせたというような経験があるから、だからもう日本語の勉強に反対していたんです。  私から見れば、それはもうとっくに歴史上の問題、もう過ぎ去ったことですよ、今更こんなことを言うと困りますよと、母に反発してもう日本語は勉強していないですね。その母が、数年の私の日本語勉強期間中に日本の方がうちに遊びに来たりしているのを見ていると、うちの弟が大学に行くときおふくろが進んで言うのは、おまえもお兄さんと同じように日本語を勉強すればいいと提案したんですね。  だから、こういう歴史の傷跡が残っているところに、この傷跡を忘れろというのはなかなか難しいことです。忘れろというのではなくて、結局、うちの家に遊びに来た日本人を見てうちのおふくろが、ああもうみんな優しい人で、礼儀正しい人で、それでだんだんだんだん対日感情が変わってきたわけですね。  同じように、あの靖国神社の参拝問題はいつ中国から厳しく文句を言い始めたのかと。実は私、これだけ日本に暮らしてきて、靖国参拝問題についての発言はもう一度、二度しかないんですね。非常にトーンを抑えた発言でですね。  じゃ、今日は言わせてもらいますよ。いつから言うのか。A級戦犯が合祀されてからそれは言い始めているんですね。じゃ、A級戦犯が合祀されてから天皇陛下も靖国神社に行かないようになったわけですね。小泉さんがなぜ今靖国神社参拝にこれだけこだわっているのか。首相になるまで参拝したことがありますか。信念ならば、じゃ、首相になった途端に信念が変わったのか。だから、そういうのがいろいろ説得できるようなものがないんですよ。  もう中国の、ただB級戦犯とかC級戦犯の、中国で実際、当時中国の刑務所に入った人が一杯いましたね。その、終戦後ほとんど早い時点で全部日本に帰しましたよ。一人も追及、戦争責任を追及したことがないんですよ。  こういうのが、事実があるので、皆さんがもうだれもその戦争、戦争の責任をだれにも負わせないならば、そうすると日本という国が全部背負うしかないんですよ。中国外交官の、名前は言えないんですけれども、かなり上の方が言うんですね。私たちから見れば、ある意味ではA級戦犯に限定して責任を追及することで、もう日本国民の全体に免罪符を与えることで、でないと、中国国民が納得できなくなる。何のための戦争が起きたのか、あと、だれも責任を負わないのか。そういう問題がありますよ。  以上です。
  33. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) はい。ありがとうございました。  それでは、前田武志君。──あっ、よろしいんですか。はい。藤末健三君。
  34. 藤末健三

    ○藤末健三君 時間が来ましたので、一つだけ御質問申し上げたいと思います。  私、この一月まで大学の先生していまして、しょっちゅう、経営学を教えていましたんで中国しょっちゅう行ってたんですよ。それで思いましたのは、大学の先生とお酒飲んでいると最後に出るのが歴史問題なんですよね。これがなくならない限りはちょっと日中関係なかなかうまくいかない、個人ベースでも。  それで、先ほど難しいというお話があったんですが、一つ思っているのは、国際機関なんかの第三者機関に事実関係をもう決めてもらうということはできないかなということを思っておりますが、いかがでございますか。簡単にお願いします。
  35. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) そうですね。それは支持しますね。
  36. 藤末健三

    ○藤末健三君 毛里先生、いかがでございますか。
  37. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 事実関係って、何の事実関係でしょう。
  38. 藤末健三

    ○藤末健三君 歴史問題の。日本が何をしたかとかですね。そういう話です。
  39. 毛里和子

    参考人毛里和子君) でも、そういう第三者機関があるでしょうか。
  40. 藤末健三

    ○藤末健三君 例えば、国際司法裁判所なんかいかがですか。
  41. 毛里和子

    参考人毛里和子君) いや、最低、日本の戦争の……
  42. 藤末健三

    ○藤末健三君 一応、ドイツとフランスのときは少しは……
  43. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 個々の御発言は御遠慮ください。
  44. 藤末健三

    ○藤末健三君 あっ、済みません。
  45. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 御質問をしっかりなさってくださいませ。質問、終わりましたか。
  46. 藤末健三

    ○藤末健三君 いや、よろしいです……
  47. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 質問、終わりました。
  48. 藤末健三

    ○藤末健三君 じゃ、追加的に。  それで、先ほどのちょっと補足をしますと、やっぱり国際司法裁判所みたいなところである程度の活動をしている事例がちょっとあるんですよ。ですから、その機能を使えないかなというのが一つと、それともう一つお聞きしたいのが、私はやっぱり中国に行ってソフトパワーが、これは莫先生にお聞きしたいんですけれども、ソフトパワー日本のソフトパワーが落ちているというお話を伺いましたけれども、やはり北京上海などに行くと、日本の漫画とかアニメ、あと不法コピーだと思うんですけれどもゲーム、もう一杯あふれているというわけですよ。そういう中で私が学生とかとお話ししていると、反日感情を余り感じないんですよね。ですから、本当に若い人が反日感情を持っているとおっしゃっていますけれども、若い人でも一部じゃないかなというふうに私は感じているんですが、その点いかがですか。これは莫先生にお聞きしたいと思いますが。
  49. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 莫参考人ですか。
  50. 藤末健三

    ○藤末健三君 はい。
  51. 莫邦富

    参考人(莫邦富君) 残念ながら一部じゃないんです。先ほど私申し上げた、いったん大学に入ってインターネットを使うとなると、もう相当やはりみんな変わってきました。それは、大学の今日本語専攻を希望した人たちを見ても、もう残念ながらそれは見えてきたんですよ。九〇年代の前半ころまで非常に優れた学生が第一希望として日本語を選ぶ人がまだたくさんいました。今は中国の大学の日本語学科に行くと、学生になぜ日本語を選んだのかと聞くと、いや、おれはばかだったから英語はまじめに勉強しなかったので、点数が足りなかったので日本語科に回されてきたと、そういうのがなってきたのですね。だから、そこは私はやはり日本のソフトパワー、魅力というのが落ちている一つの現象でもあると思います。
  52. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) はい。ありがとうございました。  毛里参考人、何か。
  53. 毛里和子

    参考人毛里和子君) それじゃ、国際機関の云々についての御質問ですが、私は現在までのところ、日中間で歴史が議論されてきて紛争になっているという、この問題についてはやっぱり二国間で処理すべきだと思います。それで、例えば個人賠償とか様々ないろんな問題がたくさんありますね、それにまつわる。その問題について幾つかのことを国際機関に委託する、第三者に委託するということはできますけれども、今の靖国を含めた日中間でしばしば議論されるあれについては日中間できちんと決着を付けるべきだと思います。
  54. 松田岩夫

    会長松田岩夫君) 予定の時刻が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。  一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な調査を行うことができました。  お二方のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。本当にありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四分散会