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参考人(永田
秀樹君) 本日は、
憲法調査会にお招きいただきまして、ありがとうございます。関西学院大学の永田です。
憲法裁判所型
違憲審査制の意義について
意見陳述をさせていただきます。時間が限られておりますので、早速本論に入ります。レジュメを用意しておりますので、これに沿ってお話しさせていただきます。
初めに、
違憲審査制度は、世界最初の
憲法を
制定した
アメリカに始まり、多くの国々で採用されるようになっています。今や、
違憲審査制度を持っていることは、
民主主義国家、立憲主義国家のあかしとしての
意味を持っているように思われます。戦後、飛躍的に拡大した
違憲審査制、それらは
違憲審査革命とか
憲法裁判権の勝利の行進とか言われていますが、西
ヨーロッパに限らず、圧倒的に多数を占めているのは、
アメリカ型ではなく、集中型の
違憲審査制です。なぜそうなったのかは後で述べますが、ともかく、
憲法裁判所方式の採用によって議会制
民主主義の活性化や人権水準の向上に成功した国が多いように思います。
違憲審査制の
三つのタイプ。かつての
フランスの
憲法院のような政治的
機関による
違憲審査、これは現在の日本での
内閣法制局による
法律の
事前審査とも似ているところがありますが、これを
違憲審査制の
一つのタイプとして分類する方法もないわけではありません。しかし、このような政治
機関による
違憲審査は本来の
違憲審査とは性格が違い過ぎますので、ここでは分類の外に置きます。政府から独立した
裁判所による
違憲審査制ということでいいますと、その中を集中型、非集中型、混成型の
三つに分けることができます。非集中型は分散型と言うこともあります。
資料を見てください。ちょっと大きな表になっております。これは、拡大前のEU諸国を中心として、各国の
憲法裁判制度を表にしたものです。これを見ても分かりますように、
ヨーロッパでは
違憲審査権を特定の
憲法裁判所に集中させる集中型
違憲審査制が多いということが分かります。混成型というのはポルトガルや南米諸国に見られるタイプで、従来、通常
裁判所に
違憲審査権が認められていた国で、通常の
裁判所による
違憲審査権も存続させながら新たに
憲法裁判所を作り、両者に
違憲審査権を与える
制度です。このような競合を認めると非常に複雑な
仕組みになりますが、なぜこのような
制度が成立したかの事情については、資料に付けた私の論文「スペインおよびポルトガルの
憲法裁判」を参考にしてください。
ポルトガルにおいても、新しい
憲法価値の担い手として従来の
裁判所だけでは不十分だと考えられたという限りでは、
憲法裁判所設置の目的は他の国と共通するところがあります。
四つの波。
憲法裁判所による
違憲審査制が
導入されるについては四つの大きな波がありました。一、二の例外を除いて、いずれも時代の大きな転換期において国内で革命などが起こって支配者が交代し、新しい
憲法が
制定されたことが契機になっています。そして、その革命や政治変動の性格は、それまでの君主制や独裁体制が倒されて、
民主主義が宣言され樹立されたということです。その
民主主義体制の樹立と合わせて
憲法裁判所が設置されたということが重要です。
一、オーストリアの
憲法裁判所は、第一次大戦後に君主制が崩壊したことが契機になっています。これによって
国民主権に基づく議院
内閣制ができたのですが、議会少数派の権利を擁護する
機関として
憲法裁判所が構想されました。これは議会の多数決支配を緩和して立憲主義との間に
バランスを取ろうというケルゼンの理論にのっとっています。
二、その次は、第二次大戦後のドイツ、イタリアです。いずれも連合国と戦った枢軸国ですが、ナチズム、ファシズムを経験した後に、人間の尊厳などを
憲法価値とする新しい
民主主義の
憲法を作りました。そこで、新しい
憲法価値の担い手として
憲法裁判所が作られたわけですが、議会制
民主主義との関係では、政治的な決定について法的な
チェックを加えることで多数決
民主主義の欠点を補うことが期待されました。この点はオーストリアと同じです。
ドイツにおいては非常に大きな役割を果たすようになっており、重要な
法律で与
野党で激しい論争があったものは、成立後ほとんど
憲法裁判所の
審査を受けます。そのため、国家の政治的意思は議会での多数決だけでは決まらず、第二ラウンドたる
憲法裁判を経て初めて決着するということになっています。この点については私が論文の中で紹介しているイプゼンの理論を参考にしていただきたいと思います。
三、その次は、ギリシャ、スペイン、ポルトガル等が続きますが、これは、これらの国が第二次大戦後もナチズムの影響を受けたフランコ政権のような独裁政権が長く続き、七〇年代の後半になってからやっと民主勢力が独裁政権を倒して民主化に成功したという事情があります。その場合の新しい
民主主義のルールと
人権保障の確保のために、ドイツやイタリアの成功例に倣って
憲法裁判所を
導入したものです。
韓国も、長い独裁や軍事政権の後に民主的な
憲法が
制定されることによって
憲法裁判所の設置が実現しました。そういう点ではスペインなどと同様です。初期には
裁判官の自覚もあって、すなわち、従来の
最高裁判所とは違うという自覚もあって、古い体質からの脱皮と
民主主義の定着において貢献したと、多くの文献が
憲法裁判所の活動を肯定的に評価しています。
第四の波は冷戦後です。旧社会主義国が
民主主義革命を遂行し、近代立憲主義に基づく
憲法を
制定しますが、その中で西側で成功を収めていると考えられた
憲法裁判所による
違憲審査の
制度の
導入に多くの国が踏み切るわけです。旧ソ連邦から分かれた国などたくさんの国がありますが、私はこの地域の研究はまだやっておりませんので表には取り上げておりませんが、大体同じような
制度です。
憲法裁判官の
任命は、議会が選任するか、
大統領の推薦に基づいて議会が選任するというパターンが多いようです。
南アフリカは、御存じのように、アパルトヘイトによる白人の支配が終わった後に新
憲法が
制定され、それに伴って
憲法裁判所制度が
導入されました。その
意味では、同じく革命的な変化が
憲法裁判所の設立を促したということが言えると思います。
各国が
憲法裁判所型を採用した
理由、以上四つの波があったことと、それぞれの事情を簡単に見てきましたが、各国が
憲法裁判所型を採用した
理由をまとめますと、
一つは新
憲法価値を積極的に実現してくれる
機関としての期待がありました。不安定な政治状況の中で古い体制へ後戻りさせない保障として、
憲法裁判所による
違憲審査制度を位置付けたということです。
ドイツの場合は、ナチズムへの恐怖から、これが極端な形で現れて政党の解散禁止まで
制度化してしまいました。
憲法裁判所に
憲法保障
機能を担わせることは、
民主主義の運営を議会任せ、政府任せにしないという立憲主義に基づくものです。第二の波のドイツのところで述べましたように、強力な
違憲審査権は議会と
裁判所との間に緊張関係やあつれきを生じさせることになりますが、それが議会制
民主主義にとっても有意義であると考えられたからこそ、従来の水準を大きく上回る強力な
司法権が作り出されたのです。
なお、
フランスの
憲法院が
憲法裁判所としての位置付けを与えられるようになったのは一九七〇年代からです。
憲法院が人権問題について
法律を
チェックするようになったことと、議会の少数派の
議員、すなわち
野党勢力に提訴権が認められるようになったことで、事前の
規範統制が政府に対する対抗的な
意味を持つようになり、これによって、単なる
大統領の諮問
機関、体制擁護のための
機関ではなくて、
憲法裁判所としての評価を与えられるようになったためです。
二つ目の
理由は、意外と知られていないのですが、君主制時代、独裁時代の旧
裁判所、旧
司法権に対する不信があります。
ドイツの場合でいえば、ワイマール時代の官僚的
司法は
国民から疎遠であった。政治的に中立を装いながら、その実、権力に迎合し、ヒトラーが政権を取ると、それに全面的に協力するような恣意的な
司法を行ったという評価が基本法
制定会議の中で優勢を占め、それが
最高裁判所やその他の
裁判所ではなく
憲法裁判所に
違憲審査権を与えることになったのです。これはイタリアでも同じで、戦後しばらくは暫定的に
最高裁判所に
憲法訴訟を扱わせたのですが、消極的過ぎるということで、結局、
憲法裁判所が設置されることになったのです。私は、
憲法裁判所の設置を考える上で、キャリア
裁判官に対する不信というのはかなり重要な要素だと思っております。
三つ目の
理由は、
違憲審査権の
政治性の認識です。
憲法は、政治権力を規制しようとするところに他の法にない大きな特徴があります。したがって、
憲法裁判は多かれ少なかれ政治的な性格を帯びてきます。これは
人権保障にかかわるものでも同じです。例えば、外国人の人権をどこまで認めるかというのはしばしば大きな政治問題になります。それを
政治性があるから
裁判所の仕事ではないと言っていたのでは
憲法の番人は務まりません。
昔、ドイツのシュミットは、
違憲審査権の行使は政治的決定であるから、そもそも非民主的である
裁判官に与えてはならないと言いました。確かに、この問題はすべての
違憲審査制度に共通する難問であると思われますが、ドイツなどは、この問題について、
憲法裁判官には他の
裁判官とは異なる資質を要求し、また
法律家としての専門性だけでなく民主的正当性を求めました。すなわち、
違憲審査権という国家
機能にふさわしい
機関の選任方法として議会が重視されることになったのです。
もう一度言いますと、
機能の
政治性を自覚した上で、もちろん
憲法裁判が厳密な法解釈と適用によるものであることは当然の前提ですが、
裁判官の選任方法が工夫されたのです。
日本の
違憲審査制が
機能していない
理由。
日本の
違憲審査制が十分
機能していない、とりわけ、
最高裁判所が
憲法の番人としての役割を果たしていないことは学会の常識になっています。
一つの
理由として、上告審として通常の民刑事
事件の処理に忙殺されて
憲法訴訟に集中的に取り組むことができないということが挙げられています。
しかし、私は、
制度的にそういう面がないとは言いませんが、基本的には、
日本国憲法の価値を擁護し社会的に浸透させようという
裁判官の意欲と資質に一番の問題があると考えています。
統治行為論や部分社会論、さらには
立法裁量論など、
消極主義的手法によって
憲法判断を回避しようとする姿勢が濃厚です。単なる
国会に対する謙譲というよりは、政治部門の決定にはそのまま従うという自らの
存在意義を疑わせるような
判決もあります。
一、
制度的原因。なぜ意欲と資質が欠如しているのか、
制度的原因としては二つのことが考えられます。
一つは、
裁判官の養成・登用
システムです。従来型の純粋
司法、民刑事
事件の処理を本来の使命として養成されてきた日本のキャリア
裁判官にとっては、時に政治的な問題が絡んでくる
違憲審査権が重荷になっているということがあると思われます。
最高裁については、キャリア
裁判官だけでなく広く人材を確保するようになっていますが、現状では、中心部分はやはりキャリア
裁判官が占めているので、
違憲審査制が負担になっているというのは
最高裁においてもそう変わりません。
人材の登用に際して一番重要なのが、だれが実質的な選任権を持つかということです。これが
制度的原因の
二つ目にかかわる問題ですが、
最高裁判所も含めて、
内閣による
任命という
システムは、どうしても人事が与党サイドになることは避けられません。ドイツ等では議会が選任し、しかも三分の二以上とかいった特別多数決の
仕組みが取られていますので、実際には候補者推薦について与
野党の間で
バランスが取られるようになっています。
ドイツでは、現在の
仕組みを作るのについて、政府
裁判所か議会
裁判所かということが言われたことがあります。幾ら
司法権の独立とはいえ、人事の面ではこの二つの政治部門が重要な
権限を握るわけです。それで、政府によって一方的な人事が行われないようにするために議会
裁判所型が選択されたわけです。
アメリカでも上院の承認が必要となっています。
政治的、社会的原因。
もちろん、政府・与党が一方的な
人事権を持った政府
裁判所であったとしても、適度に政権交代が行われるならば議会
裁判所と似たような結果をもたらすと思われます。しかし、確実な話ではありません。日本の場合、戦後、基本的なところでは政権交代が行われていないわけですから、人事の停滞が起きることにもなります。これが
違憲審査制が
機能しない政治的要因ということになります。
いずれにしても、与党と
野党がある程度入れ替わらないと積極主義への転換は難しいと思います。
社会的原因ということで特に申し述べることはありませんが、
国民の間での
裁判官像のイメージの変化も求められていると思います。
裁判官は単に
法律を機械的に適用する
法律ロボットではない、
民主主義社会の中で多様な価値観を持った人々が
裁判官でもあるという、そういう
意味で市民的
裁判官像というものが形成される必要があるように思います。これは、
裁判官から市民への歩み寄りも大切になってくるわけで、
裁判員
制度などが根付いていくことで変わっていくのではないかと期待しています。
日本の
違憲審査制度についての改革。
先ほど述べましたように、私は、
最高裁判所の選任に議会が関与しない方式になっているというのは大きな問題があると思いますが、これを改善するためには
憲法改正が必要になります。
現行憲法の枠内でこれを改善しようと思えば、第一回目の
最高裁判所裁判官の
任命のときのように諮問委員会を作って、その際、必ずしも法曹界の代表に限る必要はないと思いますが、人選に当たって幅広く各界の
意見を反映できるようにし、そこでの諮問を
内閣が尊重するようにするという方式も考えられます。
また、候補者の資格ですが、
法律家以外の出身者からも人材を求めることができる現在の
裁判所法の考えはこれでよろしいかと思いますが、実際の運用には問題があると思います。
ヨーロッパの例を見ますと、
違憲審査権を与えられている
憲法裁判所は教授
裁判所とも言われることが多いように、
憲法の専門家が相当の割合を占めています。ドイツなどは十六人中の九人が教授出身者です。日本においては教授のポストは長年
一つだけで、しかもそれが必ずしも狭い
意味での
憲法学の専門家ではないというような状況が続いております。
また、しばしば
内閣法制局長官が
最高裁裁判官に就任していますが、
内閣の統一見解が
裁判所に持ち込まれるというのはどうなんでしょうか。これは後で述べることとも関係しますが、政治部門たる
内閣の統一見解を覆すことも
裁判所には求められていることを考えますと、このような運用には疑問を感じます。
女性のポストも現在のところまだ
一つしかありませんが、改善すべき課題だと思います。ドイツは十六人中五人が女性
裁判官です。
ともかく、
最高裁判所あるいは
裁判所全体の
裁判官が
憲法問題についての知識と
判断能力を高める必要があります。
憲法裁判所の新設について。
さて、
憲法裁判所の設置ですが、私は、
憲法を改正することなく
憲法裁判所を設置することはできないと考えております。現在、学会では
日本国憲法の
司法権概念について
事件性の要件は要らないという有力な学説があり、私もこれを支持しますが、そのことから直ちに
憲法裁判所の設置が可能だということにはなりません。
憲法制定者が
憲法裁判所も射程に入れていたならば、
憲法制定時点でどちらのタイプにするかをめぐって、ドイツのような
憲法裁判所か
最高裁判所かという厳しい議論が行われなければならないはずですし、ドイツのようにそのことが明文で
規定されなければならないと思うからです。
読売新聞社や各政党の
憲法改正案の中に
憲法裁判所を新設する案がかなりあります。これがどういう趣旨で出されているのか、提案者でないのでよく分かりませんが、これまで述べてきたような
ヨーロッパの
憲法裁判所をモデルとしているのであれば、立憲主義の拡充強化がその目的ということになるでしょう。しかしながら、改憲案の中には、立憲主義の拡充強化の方向ではなく、立憲主義の後退を内容としているものが見られます。
ここで私が立憲主義と言っているのは、
憲法によって国家権力を制限し、それによって
国民の自由を確保するということを
意味しますが、その
憲法の
存在意義を否定し、
憲法の
意味転換を図るような提案も行われているようです。例えば、国家権力の制限ではなく、
国民の行為規範や道徳規範としての
意味を
憲法に与えようとしているものがあります。
国民に対する行為規範であるような法は普通の
法律の中に昔から幾らでも
存在するわけですが、それを
憲法で
規定する必要はありません。それらが人権を侵害しないように、
国民の側から言わば下から上に向かって権力を制限するのが近代
憲法の役割であり、それを支えるのが
違憲審査権を与えられた
裁判所の役割であります。
したがって、戦後六十年近くたったこの時点で、
日本国憲法の立憲主義を支えている三原則を更に拡充強化する、そのための
憲法裁判所という提案、従来の
国会や政府では拡充された権利を遵守させることが難しく、
立法の怠慢の結果放置されるおそれがあるので、特別に
憲法裁判所を作るというのであれば分かります。例えば、高等教育の無償化を
憲法二十六条に挿入するとか、ドイツの基本法のように死刑の廃止を明文でうたうとか、外国人に対する平等保護
規定を明文化する、そのための
司法権強化というのであれば分からなくもありません。しかし、そうではなく、逆の方向において、すなわち
国民の国防義務を新設するとか、天皇の元首化を復活するとか、あるいは集団的
自衛権の承認など、
憲法の三原則の後退と併せて主張されるのであれば、
憲法裁判所の
意味がありませんから、そのような
憲法裁判所には私は賛成できません。
既に繰り返し述べましたように、
ヨーロッパの
憲法裁判所は、政治の舞台だけで国家の意思決定を完結させるのではなく、法的な
チェックを行う場所としての
意味を持っています。そして、そこでは政治権力に対しては基本的に対抗するものとして働くことが期待されています。決して強化された政治権力の行使に法的なお墨付きを与えるものとしては考えられていません。議会制における多数者支配を是正するのが基本的な役割です。
もう
一つ重要な問題は、
憲法裁判所を作って
違憲審査権を
憲法裁判所に集中させると、既に従来の
裁判所に
違憲審査権が与えられている場合、これらの
裁判所から
違憲審査権が奪われるという結果になります。ドイツやイタリアでなぜ
憲法裁判所に独占させたのかという
理由は、戦前の官僚的
裁判所は信用できないということがありました。日本は既に六十年近い分散型の
違憲審査権の歴史があります。
下級裁判所には政治的表現の自由領域においての優れた
違憲判決があります。それだけでなく、衆議院の解散に関する
違憲判決や自衛隊に関する
違憲判決さえあります。日本の場合、むしろ下級審の方が積極的だったということが言えます。もちろん数は多くありませんが、これが開花しなかったのは
司法の危機等を通じて上から押さえ込まれたという事情があります。
最高裁の
消極主義と統制がなければもっと発展した可能性もあるわけです。したがって、下級審から
違憲審査権を奪っていいのかということが問題になります。
両立させる方法としてはポルトガル型があるわけですが、その場合でも
憲法裁判所にどのような人材を配置するのかが問われることになると思います。
最後に、
内閣法制局が有
権解釈を行っている現状は問題が多いので有
権解釈権は
憲法裁判所に集中させるべきだ、そのためにも
憲法裁判所が必要だという議論があると伺っております。これについての私の
意見を述べます。
違憲審査制を伴う立憲主義国家において政府あるいは政府の一
機関が最終的な有
権解釈を行っているというのはいびつな姿であって、権力の分立からいっても好ましいことではありません。
最高裁判所の
司法消極主義がこのような現実を生み出したのだと思います。
しかし、だからといって、その問題の解決のためには
内閣法制局の有
権解釈権を奪い取るべきだとかいう主張や
憲法裁判所を設置すべきだという主張は理解できません。
法制局が
法律を事前に
審査し、更に
裁判所が
法律が可決された後に、
制定された後にこれを事後的に
審査を行うというのは法治主義、立憲主義にとって当然のことです。これは
憲法裁判所設置の必要性とは無関係の問題だというふうに思います。
憲法とは
裁判所がこれが
憲法であるというところのものにほかならないといって
裁判所の最終的有
権解釈権を印象付けたのは、チャールズ・エバンズ・ヒューズでした。彼は現在の日本の
違憲審査制のモデルである
アメリカの
最高裁判所の
裁判官、長官を務めたということに注意を促したいと思います。
大変早口で失礼いたしました。
以上で私の
意見陳述を終わります。