○佐藤道夫君 この問題が起きた、大体
総理、歴代
総理大臣のときに公式参拝をすると、そうすると、待ってましたとばかり新聞あるいは左翼
関係の
人たちが騒ぎ立てると、それに対してああだこうだと弁明する、そのこと自身が全く無益な議論だと思うんですよ。要するに、淡々としてお参りに行けばいいというだけのことなんで。そのお参りに行く
大臣、
総理大臣の身内だって戦死をして魂が祭られているかもしれないんですね。そんなことを一々靖国神社の、陣頭に立って私のせがれもここで亡くなっているんですなんて言う必要もないわけで、まあ村の村長さんならばやむを得ないかもしれませんけれ
どもね。
しかし、いずれにしろ、もはやそういう時代ではないと。公式参拝、それならば村長さんが村の鎮守様に行くのも公式参拝かということにもなりかねませんしね。宗教というのをそういうふうにたなごごろの上で右、左に転がすと、そして議論をすると、そんな安っぽいのは神様じゃないわけですからね。本当に神に対する自分の気持ちをあらわにするというならば、だれにも知れないようにそっと行ってそっとお参りをして、そして、神様お願いします、
日本という国をよろしくしてくださいと、良く、よしなにしてくださいと言ってお祈りしてくる、それで必要かつ十分だし、それ以上の参拝のしようなんかないと私は思っております。
私自身はまず神社の参拝は行ったことがないんですよ、実は。気持ちでお祈りしておればいいんだろうと、こう思っていますからね。おさい銭ももったいないなと、こう思っておるぐらいでありますから、議論の対象にはならないかもしれませんけれ
ども。そういう淡々とした考えがあってもいいんだろうと。もはやそういう時代になりつつあるということをひとつ政治家の、私も政治家ですけど、
方々も意識すべきではないのかと、そういう時代が来つつあるということを御理解していただければと
思います。
ただ、あの
中国が、また決まり決まったように公式参拝だと、こう言いますと反応を示して、何だと。この前、北京でサッカー大会があったときに、
中国の若者がワッショイワッショイ騒ぎ立てておりましたね。あのときだって、あの根底には靖国問題があると
日本のさる識者がそういう分類をしておりまして、そのとおりだと
思いますよ。我々の先輩
たちを虐殺したその
人たちを祭っているお寺に
日本の
総理大臣が参拝に行っている。これをおまえらは見逃しているのかというふうなことを
中国の指導者
たちは言うわけでしょう、若者
たちに。ですから、若者はそれを盾として
日本は何だと、けしからぬということにもなりかねないわけなんで。
どうかひとつ余計な騒ぎ立ての原因を作らないように。残念ながら
総理大臣はどこかに行っておられるらしいんで、
総理大臣、閣議の席などでもそういう問題を提起して、議論をしていただければと、こういう気がしますし、
中国政府の、
中国に行かれて、
外務大臣その他が
中国の要人と会って、必ずこの公式参拝の諸君はこの問題で何か釈明してくるんだと。どういう弁明してくるんだか分かりませんけれ
ども、何かいろいろ言ってくるんだと。
中国の
人たちは、遺憾ながら信仰の自由ということを知らないもんですから、いつにたってもああいう騒ぎになるわけですけど。その基本から、
日本とあなた方の国とはこの宗教に対する考え方が根底から違っておりますので、どうかその辺は我が
日本人の考えというのも御理解いただければ有り難いということで、その線に沿って
中国のしかるべき人と議論をするということも大切なことなのではないかと、こういう気がしております。
その次に、これも最近大きな話題になった。あのアラファト議長が遺憾ながら亡くなられましたね、アラファト議長がね。パレスチナの
人たちが表に飛び出して、本当にみんな肩を組んで、いやあ、嘆き悲しんでいるということがテレビで映し出されておりました。まあ、彼らの立場に立てばそれも当然なことだろうと
思います。
私、この前の
委員会で、アラファト議長がノーベル平和賞を受領したということを申し上げました。遺憾ながら相手のイスラエルの首相が暗殺されてしまったものですから、ノーベル賞受賞の効果は全く発揮されないままに十年余りが過ぎてしまったと。残念なことであったと
思います。
しかし、あの問題を受け止めまして、平和国家
日本が今世界の平和に尽くす。これは中東の、中近東の平和をどうやって確立するかと。改めて申し上げることもないと思うんですけど、あそこは昔からキリスト教とイスラム教がもう死に物狂いのけんかをしている、血を流して争っている。その先頭に立っているのが宗教家なんですよね。なんじの敵を愛せよとか、右のほおを打たれたら左のほお出せと。こういう宗教家がけんかの先頭に立って、これはしかも相手を皆殺しにしてしまうわけですから。
日本の暴力団、山口組とか、おまえらもあそこのイスラムやなんかと同じではないかと言ったら、山口組怒りますよ、あんなひどいことは我々やっていないと。それはそうだと
思いますよ。それをやっているのが宗教家なんですよね。
そして、最近、最近というか、太平洋戦争終了後はこれにユダヤが加わってきたんです、ユダヤ教がね。そして、ユダヤとイスラム、キリスト教は今ちょっとわきにどいているみたいな感じがしますけ
ども、その宗教戦争をこの二十一世紀になってもまだやり続けておるんですね。一体何なんだろうかと。
さっきも言いましたけれ
ども、なんじの敵を愛する、それが宗教家の、右のほおを打たれたら左のほお出すのが宗教家。それが先頭に立ってあいつを殺せ、こいつを殺せということを指揮していると。それにみんながはあはあと言って従っていって、これいつまで行ったって世界に平和なんか来ないと思う。
そういう場合に乗り出していくのが我が平和
日本ではないのかと私は思っているわけで、
日本人というのは、極端な言い方ですけれ
ども、本当の
意味での宗教家なんかいません。宗教のために命を投げ出すなんという宗教家はまず
日本には歴史始まって以来いないと思う、建前としてちょっとそういうことを言ったり、お墓にお参りに行ったりしているだけでありましてね。だから、宗教のために人を殺すなんという
日本人はまずいないと
思いますけれ
どもね。
まあ、それはそれとして、平和
日本としてこの問題を、本当に宗教家を、君
たち、ちょっとあなた方引っ込んでいなさいと。そして、ノーベル平和
委員会が平和賞を発行したように、ああいう原点に立ってこの地域に平和をもたらすためにどうすればいいかということを
日本の、この平和の国
日本のお役人や
外交官やあるいは政治家さん
たちがイスラエルあるいはアラブ諸国を訪問してそういう議論をしてくると、それが手掛かりになるのではないかと、こういう感じも持っているわけでありまして、
防衛庁長官は中東問題の格別に考え、お考えを持って取り組んでおられると、今までこういう問題にも遭遇したことだと
思います。幾ら我々がいったってどうにもならぬよ、もう最後の一人まで皆殺し合いをさせろと、まさかそんなことは考えていないと
思いますんで、ひとつ政治家として、中東問題の権威者としてこの問題についてどうすればいいのかということを話していただければと
思います。