○辻
委員 統一修習制度を
前提にその法律も提案され成立したんだというふうにおっしゃっているということで伺っておきます。
一点申し上げておきたいのは、結局、この今
審議されている法案に返ったときに、新たな
法曹養成制度全体の中での
司法修習の位置づけを考慮しつつ、そのあり方を検討するというふうに
給費制については言われているんですよ。
はしなくも今明らかになったけれ
ども、
法科大学院が
法曹養成教育の中核だというふうに言われて、しかし
法科大学院はまだ一年目の試行
期間である、だから、二年目ないし三年目がまだ全く試行されていないんだからどうなるかわからない。つまり、新たな
法曹養成制度全体を論議しつつ、その中で
司法修習を位置づけて
給費制の問題を考えるというこの
趣旨からしたときに、まだ時期尚早なんですよ。
法曹養成制度の全体像なんて全く明らかになっていないわけですよね。だから、非常に拙速的な論議の提起のされ方だということを
指摘しておきたいと思いますよ。
法曹養成制度をもっとしっかりと議論しなければいけないというふうに思います。
三千人
制度が正しいのかということについては私は異論を持っているし、また、
司法試験の受験回数を三回に制限するなんて、これはとんでもない悪法、悪
制度であるというふうに思います。やはり、それは就業の機会を奪うものであって、職業選択の自由に反するのではないかというぐらい私は思います。
何で三回に制限する必要があるのか。私も三回以上受けているし、三回に制限されたら
弁護士は受からなかった、そういう痛苦な、みずからを振り返ってみても、やはり回り道をいろいろ人間はするんですよね。回り道をした人の方が味があるかもしれない、絶対そうだと思うんですよ。だから、三回に限るというのは、回り道をしない均質な
法曹をとにかくつくり出せばいいんだという、そういう
法曹養成についての国家の一つの判断ということがあらわれているわけですね。これは、私は間違っている。
先日、憲法調査会で、聖路加の日野原重明名誉院長が公述人に来られて、私は
質疑をさせていただいたんですけれ
ども、これは憲法九条の問題に関連してだったんですが、日野原
先生がおっしゃったのは、要するに、日本で徴兵
制度がないんだから、若者はその徴兵
制度一年か二年にかえて、海外にボランティアに行くとか、
社会のいろいろなところに出かけていかなきゃいけないというのをやはり義務的にすべきなんだ。自分は医者でずっと長年やってきたけれ
ども、二十二や二十三のお医者さんが本当に患者さんの気持ちをわかって、会話が成立するような成熟した大人として成長しているかといったら、疑問だ。まだまだそんな若造が、本当に生死の境を、不安を持っておられる患者さんに対して、医者としてちゃんと物を言えるか、会話が成立するのか、その人の気持ちがわかるのか。そういう意味では、まだまだひよっこで、大人ではないんだ。だから、いろいろな
社会経験、ボランティア
制度で、やはりそういうものをくぐり抜けて、それを成長の糧として、その中でさらに経験を積んで初めて一人前の医者になれるんだ。こういうふうに日野原
先生はおっしゃった。
まさにそのとおりだと僕は思いましたし、それは
法曹も同じだと思うんですよね。
質問通告に法匪というような言葉を書かせていただいて、聞きなれない言葉だと思われたかもしれませんけれ
ども、法律の条文をしゃくし定規に当てはめて、それで事足れりという、そういう血も涙もない
法曹が育っていってはならないんですよね。
これから
社会がより多様化していって、価値観も多様化し、いろいろな非常に複雑な矛盾もふえていくだろう。その中で、交通整理をしていくというのが
法曹の役割だし、
検事も単純に訴追意識だけを、また厳罰化を求められればそれだけで
社会が安定するというわけでもないわけですから、バランスのある総合的な、人間として熟した
法曹として、やはりそれぞれの立場で尽くしていくべきだというふうに思うわけであります。
だから、そういうような
法曹を
養成していくに当たって、
法曹教育というのは物すごく重要だし、そのときに集団で
修習をするという、先ほど
山崎局長言われたけれ
ども、前期
修習の役割というのは、スキルを覚える初歩的な段階だということに尽きるのではなくて、もっと重要なのは、やはり同じ
法曹としてかまの飯を食って未来を語り合う、寝食を忘れて語り合う、いろいろ切磋琢磨するということの方がより重要な前期
修習の意味なんですよ。だから、木を見て森を見ない発言なんですよね。
スキルの
修習は二次的、三次的で、またそれぞれもっと機会もあるし、それはやらなければいけないことですけれ
ども、より
前提的には、いかなる
法曹になるのか、そのための、一人ではやはりそれは解決しない、いろいろな意見が世の中にはあって、いろいろな生き方がある、人生があるということを人から学び知っていくという、そういう集団生活の持つ重要さということをやはり本当にちゃんと位置づけてもらいたいなと。それが欠落しているんですよ、今回の一年間の
司法修習制度は。だから、本当に根本的な意味のところで
統一修習制度の根幹を欠落させている、そういう
制度設計になっているというふうに思わざるを得ない。
だから、その点は絶対改善すべきだ。今国会のこの法案で改善という話にならないというふうに思いますけれ
ども、今国会は
給費制の問題ではありますが、やはり
法曹養成制度をもう一回見直して、しっかりとした議論をしていく必要があるというふうに改めて申し上げておきたいというふうに思います。
それで、今の点とも関連するんですが、選択型の実務
修習というのは、個人の主体的な選択と設計によってというふうに書かれていますが、先ほどの日野原
先生の言をまつまでもなく、
法科大学院を出て
司法試験に受かって八カ月の分野別実務
修習が終わった、ある意味ではまだ大人として成熟していない
修習生が主体的にやるなんていうことは、別にその人たちの人格をおとしめる意味ではなくて、やはり難しいというふうに思うんですね。
そうなると、今人気のある渉外事務所だとか企業
法務だとか、おのずとそういう方に流れてしまうということがあるわけですよ。だから、バランスのある
修習制度をやはり国の側でちゃんと
制度設計すべきだ。そういう意味では、主体的なということでお任せにするという分野別実務
修習はやはり再検討されるべきだというふうに思いますけれ
ども、この点はいかがですか。