○土井
委員 きょうは、
国民投票制度についての
討議をするということに相なっておりますが、一言、
住民投票について申し上げた後、この
国民投票のありようから、九十六条の
憲法改正手続の中での
主権者国民が直接
投票をする、その問題についても触れていきたいと思っております。
まず、近代
国家は、一般的に議会を通じて
国民の総意を
具体化するという
システムをとっております。いわゆる
代議制です。したがって、この
代議制という
システムの中では
間接民主制という形で事が行われますから、時に、
住民であったり
国民であったりする立場からすると、どうも私
たちの
意思が議会には十分に反映され得ていないというふうに思われるときに、どういう措置を講ずることができるかというのが常に問題視されてまいりました。そのために、直接
参加という形はほかにもあるでしょうけれども、直接
民主制ということで考えられるのが
住民投票という問題でございます。
直接
民主制に反対する方々がやはりあります。それはやはり、
間接民主制というのは初めからそういうことは覚悟の上で考えられているわけですから、改めて
住民の
意思を
具体化することのための方策をとるということは間違ったやり方だというふうに反対をされる方が言われるのは、いわゆる直接
民主制というのは
間接民主制と全く相入れないものであるというふうな立論をされる方があるわけです。
一方では、直接
民主制を強く主張する方々、最近その傾向がいろいろな形でだんだん強まっていっているというふうに申し上げてもいいんですけれども、その方々の中にも、少数ながら、これは
間接民主制に取ってかわるものであるという、この中身について、直接
民主制に対して過大に重点を置かれているという方々があります。
しかし、私は、この直接
民主制に反対する方も、直接
民主制を強く主張される方も、二律背反の存在ということを
前提に置いて考えられている嫌いがあるわけで、本来二律背反の存在ではない、互いにやはり補完し合えるものだというふうに実は考えているんです。しかし、そのためには、
一つ、私は、
日本の現状を見て特に注意をしておかなきゃならないポイントがあるだろうと思うんですね。その一点をきょうは申し上げたいと思っております。
少なくともまず、
住民投票の中では、先ほど
山口委員もここで取り上げて言われたんですけれども、かの九六年、新潟県の巻町での
住民投票というのも随分これ、原発の計画が公表されましてから時間が
たちました。二十五年間というもの、巻町ではこの問題をめぐって賛否両論渦巻き、反対の
意見がどんどん強くなり、その中で、
住民投票にこれは付すべきであるという声が強くなっていったということが総じて言えるわけですが、この巻町の原発の計画が公表されてから二十五年間、したがってその間は時間があった、
議論をする時間があった、勉強する時間があった。
住民の側も賛否の
意見の中身に対してはやはり経験の中からそれを
具体化していったということだと思うんですが、その
住民投票に対して反対論というのが一方でその二十五年の間に随分渦巻いておりました。
その中で、わけても、これは当時も大変問題視されたんですけれども、資源エネルギー庁のある幹部が、こういう
住民投票というのが認められるのならば、原子力や基地問題だけでなくて、例えば
地方税の是非まで
住民の
意思を問い始めたらどうなるのかということをしきりに言われたわけですね。新聞にも大きく載りました。これはしかし、ためにする典型的な
議論だと思います。
条例の
制定、改廃について
住民の直接請求権というのを決めているのは
地方自治法でございまして、その第七十四条を見ますと、その請求できる範囲というのがそこに決められている規定がございます。
地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料並びに手数料の徴収に関するものを除くと、ちゃんとこれは法文があるんですね。
したがって、議会に
制定を請求するというのは、条例の
制定を請求するわけでありまして、その条例もしっかり、この
住民投票が条例に基づいて行われる場合はその条例は
憲法によって
法律の範囲内と決められているわけですから、ここで具体的に、つまり
地方税の是非を
住民投票に問うということはできないと。なぜか。
法律がそれを認めていないとはっきりそれを定めているからということなんですね。
これは、だれしも少し調べてみればすぐわかる話でございまして、言ってみれば、今の
地方税の是非を
住民投票に問うことはできないというのが一般常識だろうと思うんですけれども、こうしたことを、一般人ならともかく、官僚が知らないはずないんです、優秀な官僚が。しかし、知っていて、これは
一つの嫌がらせといいますか、おどしといいますか、そういう
意味で言われているに違いないと私は残念ながら憶測するわけであります。ここで問題になるのは、したがって、その
法律のありようなんです。
法律を
制定するのは、唯一の立法
機関である
国会以外にございません。
したがって、こういうことを考えてまいりますと、
地方自治のありようとか
住民自治のありようということをしっかり、やはり
憲法を生かすという立場で
国会がどれだけ
法律に対して
議員立法という
意味での
責任が持てるかというところが私は問題だと思うんです。
各官庁から出てくる法案を
国会は受けてそれを審議するということは、本来、唯一の立法
機関という
憲法の四十一条の条文からするとその
趣旨に反する、条文を厳密に考えたらその条文に反すると私は思っています。これは持論ですから、常にこの問題は私は取り上げて言うんですけれども、しかし大変この持っている
意味は大きいと思うんですね。
私は、これからも
住民の直接
投票という問題というのがいろいろな
テーマについて出てこようと思います。例えば、今、巻町の場合は原子力発電所の問題でございましたけれども、沖縄であったような米軍基地の問題。さらには、産業廃棄物の処理の施設。それから、開発都市計画をめぐる問題。何といっても昨今大きいのは、市町村の合併についての問題。
だから、これを取り上げて問題にするときに、
法律の範囲内で条例というのは
制定されるという大
前提を考えた場合、そこに
法律がどういう役割を持って今存在しているか、また、どういう
法律が必要かということを考えなければならないのは
国会なんです。
国会の責務だと思うんですね。
憲法の九十六条には、
国民が直接
憲法に対して
国民投票するということが決められているわけですが、その九十六条の場合は、今の
住民投票と違いまして、
主権者であるがゆえに、
憲法に対しては
憲法の
制定権というのを本来は
主権者が持つという由来からこの九十六条の条文はあろうと思うんです。
時間が来てしまいましたから、要点だけ申しますけれども、この場合にも
憲法の九十六条に言う
改正手続のための
国民投票は
前提条件がございます。それは何かというと、その
前提条件の中には、
国民から見て、
国会が
制定する種々の
法律の中に
憲法に違反していることを数を頼んで強行採決をやるということが相次ぐような
状況の中で、どうしてその
国会を
国民は信頼できましょう。
憲法の前文のまず冒頭に掲げられているのは、「
日本国民は、正当に
選挙された
国会における代表者を通じて行動し、」なんです。
代議制のゆえんですね。この前文の冒頭のところからすると、この
国会は正当に
選挙された代表者の
国会ですから、
国会に対しては信頼がなければならないわけで、この九十六条の問題についても、
国民投票ということの前に
国会の三分の二、衆
議院も参
議院も総
議員の三分の二の賛成でもって
発議を
主権者国民に対してするわけで、それに対して賛否を言う
国民の側からすると、その
発議をして自分
たちに提案をする
国会自身に信頼がないというときには条件がないと私は言わなきゃならない問題だと思っているんです。
このことは、後また
討議の時間でいただける
機会がございましたら、申し上げさせていただくことに譲りたいと思います。