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参考人(
伊藤和子君)
弁護士の
伊藤です。
本日は、
お話をする
機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
私は、
市民の
裁判員制度つくろう会という
市民団体の運営
委員としてこの二年間活動してきました。多くの
市民の方々と一緒に公聴会やシンポジウム、模擬
裁判、アンケート調査などを行って、
裁判員制度をより良い
市民参加
制度として
実現するために様々な提言を行ってまいりました。
司法は、個別的な
権利救済を通じて私たちの
社会を前進させる貴重な
役割を果たしてきたと思っております。しかし、やはり一握りの
専門家である
職業裁判官の
判断は、時として
国民の良識や
期待と懸け離れた
結論になることもあります。私は、普通の
生活者である
市民の感覚や良識を
司法判断に反映させていくという点で、この
制度を
導入する
意義は非常に大きいと思っております。また、
市民が
司法に参加し、そして
社会の重要な決定に関与する、そういう中で法や
正義を形成する主体となっていくことは、二十一世紀のこの国の民主主義にとって非常に価値あることだというふうに考えております。
この
裁判員制度が十分に機能するために、第一に、性別、年齢、職業など、あらゆる層の多様な
市民がひとしく参加しやすい
制度であること。そして第二に、
市民が飾り物ではなく、主体的、実質的に参加できる
制度であることが何よりも必要であるというふうに考えます。そのために、これから
裁判員となる
市民の視点に立ってこの
制度を考えていくことが大事だと思います。
この点から、
幾つか
法案に関する指摘をさせていただきたいというふうに思います。
まず、参加しやすい
制度を作るという点です。
仕事を持つ
市民が
裁判員候補者となったとき、その間の休暇
制度はどのような取扱いなのかについて、
法案では不利益取扱いを禁止すると記載するのみで、ほかに特段の法的措置を定めておりません。
仕事を持つ
市民が不安なく休暇を取って
裁判員となれるように、まず
裁判員休業
制度を立法化することが重要だというふうに考えます。
次に、
裁判員候補者として呼び出された時期にどうしても都合が悪い場合、出頭する期日を延期できるよう、延期
制度の
導入を提案します。
例えば、一か月後には日程が調整できないという多忙な人でも、三か月後、六か月後なら可能な方もいらっしゃると思います。
社会の様々なステージで活動する多様な
人々の参加を保障するため、延期
制度を是非創設していただきたいと思います。
さらに、私は、
司法分野における男女共同参画の視点から、
合議体の男女比が半々となることが大事ではないかというふうに考えております。そのような構成を可能にするためにも、育児や介護で日ごろ忙しい女性が
裁判員として
司法に参加する道が閉ざされることがないように、支援のシステムを作ることが必要だと思います。
欧米の研究では、女性の
陪審員候補者の辞退
理由として、育児、介護が突出して多いということが指摘されております。こうした中、
アメリカでは、少なくとも十の州で
裁判所に託児所を設置したり、保育費用の補償など、育児サービスを行っております。
裁判員制度の
導入に当たっても、
裁判所周辺に託児所、宅老所を設置したり、一時保育、デイサービスの援助などをするなど、援助
制度を是非
実現していただきたいというふうに思います。
次に、日当に関してです。
法案では具体的な金額は定められておりませんが、
裁判員は、人を裁くという非常に重大な
仕事をする以上、職務にふさわしい適正な日当が必要だと思います。私としては、調停
委員の日当より高額であるということは最低限必要ではないかというふうに考えております。
第二に、
法律を見て非常に残念なのは、
裁判員に対する罰則が目立つことであります。
出頭義務違反に対する十万円の過料、守秘義務違反に対する懲役や罰金刑は、ただでさえハードルの高い
市民参加を余計気の重いものにするのではないでしょうか。出頭義務違反に制裁を設けるよりも、だれもが参加しやすいような基盤整備を
実現することが先決だと考えます。
守秘義務違反に関しては、衆議院で若干の修正をしていただきましたが、今でも懲役刑が残っております。その処罰範囲はいまだあいまいなのではないかと思います。
市民にとって萎縮効果がもたらされるということが危惧されます。一生守秘義務を負うということは、
裁判官を
経験した普通の
市民にとって過酷ではないでしょうか。私は、
市民が
裁判員の
経験を
社会に語り、伝え、提言することによってこそ
制度が定着、発展し、より良いものになるというふうに思います。その点から、少なくとも
裁判員の職務を終えた者については、守秘義務違反に懲役、罰金を科すとの点は是非とも削除をしていただきたいというふうに思います。
第三に、
裁判員の構成、それから
評決の方法です。
私は、
市民の主体的参加の趣旨を全うするため、
市民の人数は十名程度、
裁判官は一名で足りると考えていました。今回の
法案では、
裁判官が三名ということで影響力が極めて大きいのではないかと危惧するものです。この点について、今後、改正なども含めて様々な御
議論をいただきたいと思います。
また、充実した評議という観点から、単純
多数決ではなく、全員一致を目指し、そしてやむを得ない場合は特別
多数決制を取るという欧州で採用されている
ルールを採用することを是非求めたいというふうに思います。
次に、
裁判員にとって分かりやすく、納得して
判断できる
裁判を
実現するという点です。
市民の多くは、
自分の良心に恥じない、責任を持った正しい
判断をしたいというふうに思うのではないかと思います。ところが、それは現在の難解で長い
裁判のままでは
実現しないのではないでしょうか。
裁判を分かりやすいものにすることが何よりも大切だと思います。膨大な供述
調書がまず出てくる今の
刑事裁判を改め、直接主義、口頭主義を徹底する、公判に参加した
市民が
法廷のやり取りを集中して聞くだけで
判断ができるようにすることが大切だというふうに思います。
先ほども指摘されましたが、
陪審員に対するのと同じような十分なオリエンテーションを行い、
裁判員の
意義、そして事実
認定の方法、そして
裁判官と
裁判員が評議において対等であることなどを十分にオリエンテーションするということも重要だというふうに思います。
第四に、今後の
裁判員制度の推進体制に
市民の声を十分に反映させることを求めます。
これまでに述べてまいりました
市民にとって参加しやすい
制度、分かりやすい
裁判、これは施行までに必ず
市民の声を十分に反映させて
実現していただきたいというふうに思っております。例えば、評議室や
法廷の構造など、
裁判員となる
市民の声を反映させるべき課題はたくさんあると思います。
私たちは、
市民の
裁判員制度つくろう会として、二年間、
司法制度改革推進本部に様々な要請をしてまいりましたが、残念ながらこちらが要請をするのを聞きおいていただくという形で、十分なコミュニケーションが取れなかったことを残念に思っております。そうした点も踏まえて、今後、推進体制においては、本当に
市民の声が反映できるように
一般公募の
市民をモニターとして組み入れるなど、
市民の
意見を反映した推進体制を確立していただくよう、是非提案したいというふうに思います。
次に、刑訴法改正に関連して、刑事
司法改革に関する点を述べたいと思います。
私は、今回の
制度改革が刑事
司法の抜本的な
改革につながることを願ってやみません。一
弁護士として、私は
幾つかの冤罪
事件にかかわってまいりました。最高裁の新しい判例を作った調布駅前暴行
事件という
事件があります。これは少年の冤罪
事件でしたが、無実の少年が逮捕され、
最初の
裁判で
裁判官に僕はやっていないと訴えましたが、
裁判官は少年の目を一度も見ることもなく、
記録に目を落としたまま、彼を犯人だと
結論付けて、少年院送致を決めました。少年は
司法に対する信頼を失い、彼が無実を獲得するまでその後八年もの歳月が掛かりました。
また、本日私がパンフレットを配付させていただきましたが、日弁連が支援する冤罪
事件である死刑再審名張
事件というものの弁護人を私は
務めております。この
事件で一審無罪判決を受けた
被告人は、虚偽の鑑定により、高裁で逆転死刑判決を受け、以後四十年以上にもわたって獄中から無実を叫び続け、死刑の恐怖と隣り合わせの
生活を送っています。私は、この現実を片時も忘れることはありません。
現在の
刑事裁判の有罪率は九九%という諸外国から見ますと異常な数字になっております。若手の
弁護士は、この圧倒的な有罪率に深い絶望感を抱いております。無罪を争う刑事
事件を担当していて、疑わしきは
被告人の利益にという
刑事裁判の原則が形骸化しているのではないかと思うことがしばしばあります。裁かれる側の
被告人と裁く側の
裁判官、この立場が本当に非常に遠いということを痛感します。
私は、何度か
アメリカの
陪審裁判を調査、傍聴し、感動したことがあります。それは、
裁判官が
陪審員に、人を裁くことは人の一生を決める大切で崇高な責務であるということ、そして
被告人を有罪とするのには合理的な疑いがなければ無罪としなければなりませんと、無罪推定の原則、
陪審員の崇高な
役割を繰り返し説明し、
陪審員がその責務を深く自覚し、真剣に
被告人の言い分にも耳を傾けている様子を見たときでした。
私は、このような
アメリカの
陪審員制度と同様な
司法制度がこの
裁判員制度導入によって
実現することを望みます。
裁判員制度導入に当たって、疑わしきは
被告人の利益にの原則が再度確認されること、そして国際水準に基づいて
証拠開示と取調べの可視化が速やかに
実現されるよう求めます。日本において取調べの可視化が
実現しておらず、検察官手持ち証拠の開示がほとんどなされていないことは、一九九八年の国連規約人権
委員会の改善勧告からも明らかとなっております。
先ほど、私が手掛けた
二つの
事件を紹介いたしましたが、いずれの当事者も捜査段階で自白をさせられました。もし捜査段階で取調べの過程がビデオ録画されていたならば、彼らの運命は今のようであっただろうかと思います。八年も掛けて
裁判で無実を争ったり、四十年も死刑の恐怖にさらされなければならないことがあっただろうかと思わずにはいられません。衆議院段階で附帯決議として取調べの可視化に関する決議がなされたことは非常にすばらしいと思っております。これを更に一歩進めて、
裁判員法施行までに、是非取調べの可視化、ビデオ録画化を
実現していただきたいと思います。
そして、
証拠開示に関してです。
資料として提出しておりますが、米国イリノイ州では、過去十年間で十三人の死刑囚が冤罪であったことが真犯人の発見やDNA鑑定により明らかになっております。このことを受けて、州が冤罪を再発させないための
委員会を作り、
議論の末、すべての
事前全面
証拠開示、そして捜査段階のすべての可視化、これを
実現するという
結論に至りました。
市民参加の
裁判にあっても、誤った
判断を導かないために、可視化と
証拠開示を徹底することは極めて重要だと考えております。今回の刑訴法
改正案に
証拠開示に関する
規定が新たに盛り込まれたことは前進だと考えております。しかし、検察官手持ち証拠のリストを弁護人にも
裁判員にも開示することが認められておりません。また、まだ
事前全面開示には至っておりません。更に
事前全面開示の方向に向けた努力をお願いしたいというふうに思います。
最後になりますが、
裁判員制度が二十一世紀の
司法にとって画期的な
改革となるということを本当に
期待しております。真の
市民参加を
実現する
改革として
社会に定着していくことは非常に重要です。この
制度が
市民の支持を得ずに定着しなかったり、形骸化した
制度として失敗することがないように、そして
被告人の防御権の観点から、将来に禍根を残すこととならないよう、国会での十分な
審議と施行までの十分な御努力を望みたいと思います。
ありがとうございました。