○中島章夫君 その点は是非いい、
中教審もこの大事なことを検討を始めたわけですから、いい機会ですから、是非真剣な御
議論をしていただければ有り難いと思います。
御
承知かと思いますが、
アメリカの場合には各
学区ごとにいわゆるプロパティータックスという、つまり
教育の
運営費の一番根幹になりますのはいわゆる資産税であります。その
地域にあります、まあ土地はあんまりですが、建物、それの
評価額に従って
一定割合が必ず
目的税として
教育に使われるということになりますから、
子供がおりましてもいなくても住民全体がその
地域の
教育を支えているという、そういう因果
関係がありますので、そういう一番高い教員というものをその
地域で
運営していくんですから、無駄は一切しないということは本当に徹底をしているわけであります。
この因果
関係をそのまま作れというわけにもいかないんですが、本来、
地方教育委員会制度というのは、もう先ほど来しつこく言っておりますのは、
アメリカからこうやって入ってきた、そういう形からいいますと、どうも抜けたところがあるように思うというのはその辺が一番でありまして、やっぱり一部
事務組合であっても、
教育委員会が少し合併をしながらある種の
事務能力、規模になっていってそういう能力が付いてきましたら、今申しましたようなものは、やはり
地方教育委員会がそういう
責任と計画を持ってその配分、配置をしていくということが本当は望ましいんではないかなという気が非常に強くいたします。
それから、もう
一つ触れてみたいのは大規模集中施設であります。
昔、プールが各
学校に配置されましたときに、これが更に温水プールだとか、だんだんぜいたくになってまいりました。これは、プールなどというのはもう校舎の、非常にもったいない、運動場を全部埋め立てて、補助金が出るから造って、夏の間一か月ちょっとしか使わないというような、そういう無駄がかなり起こったことがあります。
昨今ではそういうことは少なくなっているのかもしれませんが、実は
アメリカの中学、このフェアファックスカウンティーという先ほど来例に取りました
学校、
地域では、人口約百万ぐらいでありますが、高等
学校が二十四校あります。中
学校も二十四校あるんです。私、最近気になるものですから、
アメリカの各
地域、ごく最近サンディエゴへ行ってまいりましたが、見てみますと、大体同じ数です、高校と中
学校。
日本ではちょっと
考えられないことじゃないでしょうか。
いや、これはそっちの方がいいというのではないんです。これに理由があるんです。というのは、
一つは、非常に多様な、
教育課程を多様にしていかにゃいかぬという必然性は中
学校にでもある。それは、専門性の高い人を配置するには各
学校に置くわけにいかない。そうすると、かなり広域のところからこれはバスとか交通の問題が起こってきますですよ、生徒の。しかし、そこにそういう人たちを置いて、何校か分の生徒がその
先生の御
指導を受けられやすくしている。これは大規模集中施設についても同じであります。つまり、お金を大事に使いながらいいものを作ったら、それはできるだけ多くの人たちに一緒に使っていこうという、そういうことで。
これ、大規模校というのは当然に問題が起こります。
先生と
子供、生徒同士等々、人間的なインティマシーというものがなくなってまいります。そういうことのためにこういう
学校では、特に中
学校ではスクール・ウィズイン・スクールというものを作って、小さな、二、三百人、三百人ないし四百人のスクールごとに、
指導というのは、そういう小さなスクールごとの校長、教頭及び根幹の教員のグループによってなされていると。しかし、そういう集中施設でありますとか、あるいは専門性の高い
先生の御
指導とかというものは、そういう
一つの大きなキャンパスの中で活用できるように
考えているので。これは、
地方教育委員会が、正にその税の使い方ということとともに政策が生きているからだと、私はそう見ておるんであります。
我が国はそういう
意味で、義務
教育国庫負担
制度があるというのは物すごく強い。これはもう絶対緩めてほしくないし、強くしてほしい、これはそう思っておりますが、こういう各
地方で大事にしていくという、そういう
地方教育委員会の本当の
役割というのが抜け落ちたままこの
教育委員会制度が論じられるのを私は大変寂しい思いがするのであります。
それからもう
一つ、これは、先ほど来言いました、このごろ
我が国は特に
地域の人口移動というのが、
社会変動が非常に強うございます。しょっちゅう起こって、これ、東京都内でも空き教室というのはしょっちゅう今起こってくる。こういうことを早めに察知しながらそういうことへの対応を決めていくというのは、一々それを国へ陳情しないと何も動かないなどというのはおかしい。そのことのために財源をできるだけ
地方へということを
考えるわけでありましょうけれ
ども、その際には、
責任性の伴った
教育政策能力と一番根幹の
教育の基になるものは大事にみんなで使うということが私は必要だと思います。
〔理事亀井郁夫君退席、
委員長着席〕
そして、こういう政策の中には、後ほ
どもうちょっと申し上げたい
教育課程の問題につきましても、実は各
地方教育委員会、チャータースクールのところでもそうですが、先ほどちょっと御紹介をしました
教育長がコメントとして、私はチャータースクールというのは余り実は、それはその場所のその人の
評価ですから余り気にしないでください。大体、安い教員を、そして組合にも入っていない教員を連れていって安い給与でやると、こういう
評価をして。この中に、組合にも入っていないという言い方をする。つまり、できるだけ短い期間にある
効果を出そうということになりますと、いろんなしがらみのない、そういう
先生というものを安い給与でできるだけ集めてできるだけ働かせてと、そういう環境になるんだということをたまたま言っておりました。
これ、なぜこんなことを言っているかといいますと、
教育課程の問題とかこういう
教育計画の問題とかというのは、
教育の質の
時代に入ってきましたら、その第一線にいる教員と一緒に
考えるようなそういう計画、それは
市町村でやっぱり最も良くできるんだと思うんですね。そういうことが私はやはり起こっていきませんと、教員というと昔の組合を思い出して反対という話になると、不幸な話であります。誇りにという話が午前中出ておりましたが、そういうやっぱり政策を作っていく能力を
教育委員会に私は、時間が掛かっても、一番大事な
改革の私はポイントはそこではないかと思っております。
あわせて、もう
一つだけ申し上げておきますのは、コンピューターとか、昨今、こういういろんな教材
関係の様々なデバイスが
学校現場に出回っております。これのサプライだとかあるいはメンテナンスというのは、これはイギリスでは各
学校にお金を渡して各
学校がやるということに割り切っているようでありますが、私は、やはり
教育委員会が注文を受けたらそれは効率良くそのサービスをするというのこそ、
教育委員会がその
地域とつながっていく
一つの、やっぱりこれも
教育委員会として備えているべき機能の
一つのポイントだというような気がするのであります。
こういったものを、今申し上げてきましたような、一番大事な宝物であります教員の適正な配置、有効な活用、それから、併せてそれには
教育長の専門性が重ねられなければなりませんが、
教育委員会の
教育委員構成の
多様化ばっかりやっておってもこれは一向に動きません。それから、大規模集中施設というようなお金の掛かるものというものをどういうふうに計画的に配置、
設置、そして活用していくのかということ。そして、こういういろんな
教育サービスというものをいかに有効に効率良くやっていけるかと。
アメリカの
教育委員会へ入って一番真っ先にやっているのは何かというと、言うまでもなく、スクールバスの運用であり、そして
学校給食のサプライとかそういうことを必ずやっております。もう
一つ大事なのが
教育指導であります。カリキュラムを含めた
教育指導が本当に生きております。
若干残った時間につきましてその問題について触れまして、私は先に申し上げておきますが、
地方教育行政の
組織及び
運営に関する
法律、実は私
どもでも、これは基本的に全体を見直さなければいけないということでスタートをさせたところであります。その前にこれが出てきて、国内全体が
地方分権というと今回のこういう問題が何か一番大事。これはもう最終
目標はそうなんです。
学校が生き生きとしていく、
地域の父母とかそれから
地域の人たちと本当に生き生きとつながっている、最終
目標ですからそれはもう当然なんです。それもできていないというのは本当に残念なんですが、本当はその前に、
地方教育行政組織に関する
法律であるならば、今私が申し上げてきたような問題点について少なくとも検討をし、新しい
時代に即した
地方教育行政の
組織及び
運営に関する
法律というものがもう検討されなければならない。それは、財源、税源も含めた
地方移譲ということもやはり
考えながら、しかし、財源の確保は国の
責任ですよ。そこは別にしておいて、しかし、それを
地方が
責任を持ってどう使っていくかという、そういう政策主体として生き返るという、そういうものに私はする必要があると思っております。
そこで、カリキュラムについてでありますが、実は、カリキュラムセンターということを私何度か申し上げました。国の、これは質問の中に今回は入れていないんですが、前回少しお答えをいただいておりますが、国立
教育研究所が三、四年前から国立
教育政策研究所ということに改められまして、その中に
教育課程研究センターというものができました。そこでやっております仕事がまだ私にはぴんときません。
ここでは私は、少なくとも
教育課程の先ほど長期展望ということを申しました。後から学力が問題になってくるというようなことで、やっぱり十年先の話は、やっぱり次の
教育課程の骨格というのはどういう道筋で、今までの問題点はどこにあって、どういう道筋で
教育課程構造というものをどういうふうに変えようかと。
教科の中の構造自身も今もう大きく問題になっているんです。もう
社会科なんて本当に早く見直さないと、これ、
社会に後れていきます。
子供たち、あんな白けた高校の
社会科なんか付いてこない、私はむしろそう思う、極端に言えばそう思っている。先ほど
有馬先生が高校の教科書を緩めてという
お話があり、もう大賛成でありまして、高校の教科書は私はむしろたった
一つ国で決めてそういうような教科書使用義務を課しておくなんという必要はないと思っております、
多様化していくということで。
しかし、その代わり、国のことはちょっと後で申しますが、
都道府県に私は人材と情報が集まっていると思うんです。
地方ごとに、今、私は
地方教育委員会のことを申しました。
学校が本当に生き生きというのは、やっぱりその
地域、今回の
法律も
学校が生き生きということのところに注目をしているわけで、そこは私は大事だと思います。しかし、ある情報を集めて広域的に分析をして、どこに欠陥がありどこにいいものがあるかという分析をしながら、しかもほかの
地域との比較をしながら、場合によっては国を通じて情報を得ながら、よその国との情報を比較をしながらカリキュラム研究をするということはとっても大事なことです。
一つお伺いをしたいと思いますが、現在、この前、まあお答えは分かっているんですが、現在行われている
教育課程のねらいそのものをどういう形で
評価、総括的な
評価、つまり現在行われている
教育課程にはある種のねらいがあるわけですが、それが本当に
教育現場で
成果を収めているかどうかの
評価はどこのだれがやっているんでありましょうか。これは特に今回の質問の中に加えておりませんが、もしお答えいただけるのであればお答えください。