○中島章夫君 先ほど
大臣から萩市と姉妹都市ということで鎌倉市を見習ってとおっしゃっていただきまして、これは大変、今、私、これから見習っていただいては困ることをちょっと幾つか申し上げようと思っておるんでありますが、むしろ、鎌倉の方が萩市のような品格のある町と一緒に姉妹都市をというのは大変誇りに思っているところでございます。
〔
委員長退席、
理事亀井郁夫君着席〕
さて、実は、今の問題につきまして、鎌倉の
世界遺産登録が進みませんでしたことにつきまして私なりに問題視しておりますのは、一つは中心テーマがはっきりしなかったということであったと思います。
最初は鎌倉の社寺ということでありました。これは奈良、京都よりは五、六百年
歴史、
時代が下っております。私は、後ほど申しますが、
時代的に下っておりましても
歴史的な
意味の度合いというのは極めて高いということを申し上げたいと思っているんですが、いずれにしても、建物ということに関しましては戦によりましてほとんど焼け落ちまして、江戸の建物というものが多いということも
考えますとなかなか難しい。
その後、中世城塞都市という
概念を持ち出しました。これは
文化庁にどういうふうに通っているかどうかは別にいたしましても、七つの切り通しがあり、切り岸とかあるいは掘り割りとかというような、もう格別の城郭が造られております。これもヨーロッパにもある話でございまして、なかなか、
世界遺産ということとはなかなか多くの人
たちの
理解を得るには難しい。
むしろ、正にこれから申し上げる、鎌倉に新しい
文化がここから始まったと。先ほど武家の終えんのとおっしゃっていただきましたけれ
ども、正に武家の
社会がここから始まるということでありまして、それまで大陸
文化を中心とした中世の
文化から、しかも西の
文化から、東西、東の庶民、それから農民、武士、こういった人
たち、庶民といったものが加わって、東西が大きな
歴史の輪の中に入っていったという
意味で極めて大きいことでありますし、しかも鎌倉新仏教ということが次々と興ってまいりまして、その後の
我が国の
社会に大きな、今日の我々の
生活様式、
考え方にまで影響を及ぼしていると。
こういったことを含めまして、古都、武士の古都鎌倉という、その中に栄えた
文化とその
価値というものに焦点を当てる必要があるんじゃないかと、市民運動でもその辺を盛んに議論をいたしまして、実は今週の日曜日でございますが、十六日、
地元の神奈川新聞の一面にこのことが取り上げられたのでありますが、そういう中心テーマというものを、これから鎌倉市が
世界遺産登録を進めていくときの中心
概念をもう一回改めてみんなで
考え直そうということで、鶴見大学の大三輪教授、あるいは東大の五味教授等々にも、専門家にも加わりをいただいた市の
文化財専門
委員会におきまして
概念が生まれまして、そのことが一面に大きく取り上げられておりました。これは県民一体の大きな希望を示す一面であろうと、こう
考えておるのでありますが、私は問題点として、そのバッファーゾーンもございますが、一番大きかったのは、事務局体制の不十分さということが
文化庁からも
指摘をされております。
それは、埋蔵
文化財をきちんと整えてそれに
対応していくという、ある
意味で古いタイプの体制には相当程度こたえてきたわけですが、これに対しても市長がその
重要性を認識するところとなりまして、その新聞記事になりましたのは、正に市長に直轄のそういう
文化財推進部
局長を置き、そして新しい、その下に数名以上の体制を整え、そして
教育委員会の
文化財課との
連携、それから県との
連携まで整えてきたと、こういう体制を作ったと、こういうことであります。
そういうことから申しますと、この経験から申しまして、市にそういう新しい
文化財の
保護、そして市民への呼び掛け、そして市民活動を吸い上げていくという、我々、実はその市民活動として
世界遺産登録を進める市民の会というのを、平成十一年から今日までもう十一回にわたって円覚寺の方丈その他を年に二回借りまして、永井路子さんから、それから今は亡くなられましたけれ
ども石井進さん、五味さん、それから西村さんと、もうあらゆる、
考えられる中世鎌倉に関する研究者等々をお呼びをしたその講習会、市民講習会を持ち、というような市民としての活動は盛り上げてきたんでありますが、なかなかそれを焦点化してつなぐというところがどうしてもできてこない。
そこで、今回の、たまたま、こういう
文化財保護法の改正の問題にたまたま逢着をしたものでありますから、
最初に申し上げましたような問題意識で、是非、市の体制というものを充実をさせるということについて、税制上あるいは地方財政上、そして、先ほ
どもおっしゃいましたいろんなトレーニングのいろんな機会を設けるということも結構でありますが、こういった今回のような新しい
保存の体制を作るときにいろんな
市町村と交渉ができていくと思いますので、そういうときに、そのモデル的な
市町村というものを開発をし広げていただくような、いろんなそういう様々な
努力を更に続けていただきたいと、こういう気持ちを持っているわけでありますが、改めてその辺についてお
考えがあったらお聞かせください。