○大仁田厚君 どうもありがとうございます。
たまたまこれを教授が僕らに質問するわけです。それで、唯一、唯一面白い答えをしたのが中国人の留学生だったんです。ほとんどの
大学生は訳の分からぬことを言っていました。いや、近いことは言っていますよ、近いことは言っていたんですけれ
ども、僕、それが、その中国人が言うには、自分の国を愛し、そして相手の国の人に対して自己主張をちゃんとできる、そしてま
たちゃんと相手の意見を受け入れられる、そういったものが真の国際人じゃないだろうかということを言われたときに、ああと。単純な答えなんですけれ
ども、意外と、意外と人間が見逃しているところがたくさんあるんですよね。
僕は別に
大学に文句を付けるわけじゃないですけれ
ども、
大臣、
単位を取るだけが
大学でしょうか、本当に。いや、僕も
単位を追っている自分もいます、確かに、
単位をもらわなければ卒業できませんから。だけれ
ども、本当に
学校へ行くのって何だろうかなと、僕、常日ごろ
考えることなんです。
本当に、多分こちら側の聞いている方は大仁田は何を質問しているんだろうと、こう思われるかもしれないですけれ
ども、僕は本当に自分の中でやっぱり悩み苦しむことがたくさんあるんです。だって、だって僕は人生ってそうだと思いますもの。悩む方が多いわけですから。うれしいときなんて一瞬ですから。だけれ
ども、僕、悩めるのもこれ人間の才能だと思うんですよ。物事に悩める、いろんなことというのは才能だと思うんです、僕は。そこから答えを見いだしていって人生を構築するんだと思うんですけれ
ども。
僕の話をちょっと、ちょっと三十分ぐらい聞いてもらいたいんですけれ
ども、たまたま、たまたま高校の講演に行ったんですよ。ちょうど六年前です。六年前、高校の講演に行ったんです。もう中庭で講演するものですからね、うるさいんですよ。あのころガングロがはやっていまして、ガングロはいたし、いろんなやつがいた。ただ、五人ぐらいの
生徒が黙っておれの話を聞いているんですよね。ああ、こいつらに話そうと。じゃ、その子
たちに一生懸命こうやってこう語るわけですよ。僕はプロレスをやっていてね、どうたらこうたらと語るわけです。そうしたら、まじめにずっと聞いてくれているんです。それで、最後にその子
たちが僕のところへやってきて、大仁田さんと言うんです。高校行ってないんですかと言うから、ああ、僕高校行ってないんだよと。そうしたら、その子
たちに言われたことだけじゃなくて、自分の中でリピートする自分がいるんですね。過去にリピートする自分がいるんです。おれは十五歳のときに何をやったかと。
中学卒業したときに
考えたんですよね。自分の人生を
考えたんです。たまたまうちは親が離婚していたものですから、うちのおやじは人生の中でろくなもの、余りろくなものではないものですから、ろくなものというのはちょっと不適切だと思うんですけれ
ども、人生の中ではちゃめちゃに生きた人なものですから、
お母さんが三度目だったんですね。三度目の
お母さんに僕は高校の授業料をくれとは言えなかったんですよね、自分の中で。そのちょうど中学生という、十五歳のころというのは、自分の中で人生との格闘の時期だったんですね。ちょうど多感な時期だったんです、自分の中で、人生の中で。
小学校二年のときにおふくろとおやじが離婚したときに初めて、初めて自分自身を
考えるようになった、ああ、自分の人生は自分で
考えていこうと。決してうちは、申し訳ないんですが、呉服屋の息子ですから、決して
家庭が裕福じゃなかったわけじゃありません。お金をちょうだいと言えばもらえた状況だったんです。だけれ
ども、そこに僕がおやじに対する反発心が目覚めたんです。ああ、自分の人生は自分で
考えようと。自分で生きてみようと。で、中学一年のときから新聞配達をするわけですね。だから、それは親に対して、親に対しての反発心なのかな、反発心と言われたら反発心なんですけれ
ども。
じゃ、
子供たちを自分
たちの中で確かに真っすぐな道に進めるのは必要ですよ。だけれ
ども、自分が自分で生きようとする活力をみなぎらさせるのも、これも必要なことだと僕は思うんですよ。
それで、たまたま、たまたま、何を
考えたのか、
日本一周歩いてみようと
考えた、旅したらだれかに出会うだろうと。長崎の県庁前からリュックサックと寝袋を担いだ十五歳の少年が歩き出しました。三十日間掛かって神戸の元町の駅にたどり着きました。その当時、車で行ったやつもいれば、バイクで行ったやつもいるでしょう。自転車で行ったやつもいたかもしれないですけれ
ども、歩いたやつはいなかった。
十五歳の少年が二つのことを
考えたんです。
一つは、一つは靴、靴がありますね、靴がね。昔のことって言われますけれ
ども、扇
先生なんかも御存じですけれ
ども、僕の時代もぎりぎりそうだったんですけれ
ども、親から、おい、靴は穴が空くまで履けと言われたはずです。物は大事にしろと言われた
文化があったはずです。今のように、新しいものを消費しろ、安いものがあるからどんどんどんどん替えろという
文化じゃなく、ちゃんと物は大切にしろという
文化があったはずです。親からちゃんと教えられたはずです。
僕はそのまま、
中学校で使っていたそのままのズックで歩いていましたから、一日六十キロから、五十キロから六十キロ歩きますとすぐ穴が空きます。そこで少年は
考えました。靴買ったら金が減る。手持ち資金二万八千円。これ、新聞配達で稼いだ金ですから。靴買ったら金が減るじゃないですか。それで、パッケージに書いてあった、電話番号書いてあった、大阪〇六何たらかんたら。僕そこへ電話したんです。済みません、話の分かる人いますかと言ったら、営業部長さん出てきてくれた。それで、済みません、あの、僕、
日本一周歩いている者なんですけれ
ども、靴提供していただけませんかと言ったら、分かったと言うんですよ。またこの安易なおやじやなと思ったんですけれ
ども、だけど、じゃその人がうそをついたかといったら、うそをつかないんです。ちゃんと大阪へ行ったら、フグをごちそうになって靴も三足くれたんですよ。
そこに何があるかというと、ちゃんと
大人がうそをつかなかった、そしてちゃんと
子供に対して向き合ってくれたという部分があるんです。
大人は
大人であった時代、
子供は
子供であった時代、ちゃんときちんと分別されて、
大人は
大人の世界観を持った時代があったはずです。
大臣、そうじゃありませんか。
子供は
子供の世界、
子供がちょっとジャンプして、跳ねようとしてちょっと
大人びたことをやれば、
大人社会がちゃんと抑え付けた。おい、そうじゃないだろうとちゃんと言えた時代があったはずです。僕らは
子供のころそういうものを
感じました。肌で
感じ、感覚で
感じました。
もう一つのことをやったんですけれ
ども、たまたまこうやって
日本一周歩いていたら、やっぱりほら、人に知らせたいじゃないですか。それで、県庁の所在地の判こもらいに行くわけですよ。あれ、県庁の所在地の判ことか市の判こというのはだれでも押せるんですね、あれね。ああ、これじゃしようがないだろうといったら、そうしたらたまたま、こうやって歩いていたら新聞紙が絡み付いてくるんですね。しようがないから、余り新聞なんて読まなかった男がこうやって暇だから読みながら歩いていたら、囲みの記事のところに、不思議なことですよ、その記事が、サウジアラビアの二人の兄弟がサハラ砂漠を徒歩で旅しているという記事が載っていたんです。あら、外国の人もこうやってやっぱり自分のやっていることをアピールするんだ、ああ、こうやってアピールすれば新聞に載れるんだと、人に知らせることができるんだと。これこそパブリシティー、宣伝ですね。それで、門司のスポーツニッポン新聞社にって書いてあったから、ああ、新聞社何でもいいやと思って新聞社に入っていったんです。守衛さんが、守衛さんが僕に言う、何だと言うから、ああ、済みませんと言って、こうやって
日本一周やってる者なんですけれ
ども取材していただけませんかと言ったら、その守衛さんが、おお、二階の編集部へ行けって入れてくれたんですよ。いや、本当。僕、記事あるんですけれ
ども、今度見せますよ、本当に。自分で売り込み行ったんですよ。
いや、だから
考えてください。中学卒業したばっかりの十五歳の
子供ですよ。そうでしょう。それでたまたま取材してくれて、僕はアドベンチャー少年って載ったわけですよ。だからこそこうやって言えるわけですよ、やりましたよって。じゃ、裏付け出せと言われたら、年金未納の問題でもそうですけれ
ども、裏付け出せと言ったら、こうやって新聞を出せばいいわけです。こうやって、やりました、
大臣と、うそじゃありません、僕はと、こう示すことできるわけです。それが自信じゃないですか。
だって、自信って何だろうかなと、僕。ほら、自信を持てとか
子供に言うじゃないですか。自信を持てとか言うじゃないですか。おまえ、親がですよ、おまえ、自信を持ってやれよと言う。自信になるんですか、あれ、やっぱり。自信って何だという。やっぱり親が何で
子供に言えるかというと、裏付けがあるからですよ。自分がやってきた、たどった道が真実であったらちゃんと自信を持って
子供に言えるわけじゃないですか。おれ、そうだと思うんです。
何で高校の話からこっちにずれちゃったのかな、よく分かんないんですけれ
ども。薬学
教育関係のことについてはちゃんと後でお話ししますから、まだまだ時間がありますんで。
その子
たちが僕に問い掛けたことが、体の、心の中に響くわけですよ。高校へ行っていないんだ、高校へ行っていないんだ。そうしたら、自分の中にたまっていたコンプレックスがぽんと、がっとよみがえってきたんですよ。僕はそのままで、馳政務次官もそうですけれ
ども、プロレスラーという職業に就き、自分の肉体を信じたり、全く、何というんですかね、学歴とは全く違った世界にいたわけです。だから自分を信じているんです。自分の肉体とか精神的なものとかを信じた世界にいたから、学歴というものに余りこだわらなかった。ただ、その少年の一言が僕の何か眠っていた学歴に対するコンプレックスに対して火を付けたんですね。そうしたら、自分の中でもう一回高校へ行ってみようかという気になったんです。四十一歳だった。正式に言うと四十歳ですけれ
ども、まあ三十九歳と何ぼですけれ
ども、余りその辺は定かではないんですけれ
ども、三十九歳だったと思います。
教室の中へ入ったら、
大臣、大変ですよ。ぱっと見たら、それ、ほら、ガラス。不思議ですね、高校。教室って絶対そうでしょう。皆さん見逃すかもしれませんけれ
ども、ドアがあったら絶対ガラスで見えるじゃないですか、こうやって。あれ、やっぱり状況が見えるような作りになっているんですね。ぱっとのぞいたら、十七歳、十八歳ですよ。参った、おれは人生間違ったかなと思いましたよ。だって、十七歳、十八歳の中に四十近い男が飛び込んでいかなきゃいけない。そして、ぱっと座った瞬間ですよ、一時限目が数学の時間ですよ。二十六年ぶりに微分積分やられたって分からないですよ。分かんないですよ。おれ、何だろうかな、これはと思いましたもの、本当に、二十六年ぶりに。いや、本当に。
現場から離れていると。
僕、なぜ
教育を今ばっと語っているかというと、僕は身近にいるからですよ。
学校という
教育現場にいるからこういった話をしているんですけれ
ども、たまたま。分からないんですよ。分からないときにだれが助けてくれたかと。
最近の若い者は、もう何千年前のエジプトのピラミッドの中に最近の若い者はなっとらぬという言葉があったそうです。歴史はずっと繰り返されているんですよ、意外と。最近の若い者はどうしようもないなとよくおじさん
たちが言いますけれ
ども、だけれ
ども、そのおじさん
たちだって若いときは言われたはずです、多分。
おれ思うんですけれ
ども、だれが助けてくれたかというと、その若い人
たちですよ。十七歳、十八歳の人
たちが僕に友達になってくれて僕は多分高校を卒業できたんだと思います。その子
たちがその微分積分を教えてくれなければ、僕は多分頭の中に入らなかったと思います。友達のすごさというのは僕はそのときかいま見ました。ああ、人間って独りじゃないなと。人間って、いかにも自分の人生を独りだけで生きているふうに思われますけれ
ども、僕はやっぱり独りじゃないと思います。もうすごく
感じます。
僕は、
教育って何だろうかなと。何かといえば、何かといえば、
教育が悪いと言われますよ。だけれ
ども、やっぱり僕は、僕はすごく
感じたんですけれ
ども、ちょうどインドに、ちょうどほら、ゆとり
教育だ、詰め込み
教育だともめたときに、インドにたまたま僕はNHKの仕事で
学校教育を見に行ったんですけれ
ども、
子供たちが一日平均十四時間から十五時間勉強する。それも、カースト
制度がありますけれ
ども、あのインドもどんどん変わってきて、一番下層階級に
教育を与えようということで、下層階級を全村や町から集めて寄宿舎に入れて、十四時間から十五時間、一日、勉強させるんです。その子
たちは昼休みも使って本を読んでいます。僕ははっきり言ってそんな勤勉な方じゃないですから、その子
たちに質問しました。何でそこまで勉強するんだと言ったら、その子
たちの答えが国のためだと。おまえ、うそだろう、本当のこと言えよって、だれのためなんだよと言ったら、家族のためだって言う。
だけれ
ども、僕はその子
たちの目の中に、ちゃんと勉強して
知識を身に付けて、ITT、工科
大学などとちゃんと目標を持ち、ちゃんと身に付ければ何かができるんだということを、
子供たちの中の認識の頭の中で、ああ、ある程度の地位に就けるんだと、これをやれば、これをやれば下層階級であっても、自分
たちでこうやって勉強すればこの階級まで行けるんだ、収入を得られるんだということをその
子供たちが実感の中で、何か体感の中でか、その感性の中でだと思います、感性の中で社会をちゃんと
感じ取っているようなちょっと気がしたんです。
日本というのは、僕ははっきり言って、コンビニが二十四時間開き、そうじゃないですか、買いたいものがあれば買える、不景気だと言いながら、ねえ。
はい、そろそろ本題に入らせていただきます。いやいや、もうすぐ入りますから。いや、本当です。
僕は、
教育というのは不思議なことに、豊かさの中から生まれるかといったら、そうではないと思います。僕みたいな男が言うわけじゃないですけれ
ども、いろんな人がいると思います。確かに、エリート
教育というのも僕は否定しません。否定はしません。ただ、ただ、ただ、僕は
子供たちに願うのは、自分を信じること、そして人間一人のパワーが何かができるんだよということを反映させていこうかなと思っています。
それから、後で言いますけれ
ども、是非僕は文科省にはお願いしたいのは、自分を好きになってもらいたいんです。
子供たちに自分を好きになってもらいたい。そして、その好きな自分の人生を僕は有
意義に
考えてもらいたい。そういった
教育の
現場を作ることの方が僕は重要じゃないかなと思います。
そして、何が必要か。この国は、僕は今こそ人づくりだと思います。人づくりなくして国づくりなし。
教育というものは、僕は答えは多分出ないと思いますけれ
ども、やっぱり人をつくってこそ僕は
教育だと思っております。それこそ僕は最大の国益になり、また今の新しい、新しい
日本を作り上げる土台になると思うんですが。
それでは、そろそろ時間ですので本題に入らせていただきます。
大野先生に引き続き、
学校教育法等の一部を改正する
法律案について御質問させていただきます。
まずは、薬学
教育関係について御質問させていただきます。
最近の医療技術の進歩には目をみはるものがあります。病気に苦しむ多くの
方々がその恩恵を受けているわけですが、その分、医療の
現場は高度化し複雑化していることも事実です。誤った薬の投与により、医療事故も多発しています。ここ数年の医療事故に関する新聞記事を調べてみただけでも、これだけの量の、これだけ検索されました。
薬剤師が薬の名前を間違えるケースだけではなく、医師や看護師の投薬ミスも数多くありますが、薬を
管理する薬剤師の
責任が重大であることは僕は間違いないと思います。このような
現状から
考えても、薬剤師の
資質アップにより安全な医療を提供していくことが今後の
課題だと思えるのです。
そこで、
河村大臣にお伺いします。
このたびの薬学
教育修業年限度延長によって具体的に何が変わるのか、そしてまた何を目指すのか、お聞かせください。よろしくお願いします。