○鈴木寛君 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
午前中は
有馬先生、そして西岡
先生に本当に良識の府参議院にふさわしい御議論をしていただいて、そしてそれを我々勉強させていただきまして、本当にありがとうございました。
私も午前中の両
先生の御
意見、御主張に深く賛同を覚えるわけでありますし、そして私の今までいろいろなことをやってきた立場からも、両
先生の御経歴に比べますと私はまだまだ何もしてきていないわけでありますけれども、しかし私は九五年からこのアカデミズムの端くれで今仕事をさせていただいております。実は、この週末からも
大学の新入生、一年生にゼミをまた始めるわけでありまして、
大学受験を終えて、そして入学式が今行われているところでありますが、正にこの四月から学問の府に入ってくる若者たちにこの金曜日からまたその前に立つわけでありますけれども、そうした立場から、今日行われてきております学問の在り方、学術の在り方、あるいはその在り方に大変大きな影響を与える
学術会議あるいは学士院も含めたこの国の学問の権威というものをどういうふうにこれから我々国会としても作っていくかという議論を聞かしていただいたわけであります。
今日その意を更に強くしたわけでありますが、私は昔から、以前からこの
学術会議あるいは学士院も含めたこの学問の権威というものは、二十一世紀、知の時代あるいは知性国家ということが、
学術会議が平成十一年にお出しになっておられる自己改革についての声明の中でも知性国家という言葉が出ているわけですね。知性国家というものを作っていく上で本当にこの知の在り方というのは社会の在り方そのものを規定するんだろうというふうに思っております。
私の認識をまず結論から申し上げますと、この
日本学術会議、あるいはさらには午前中来提言をされている独立の、しかも権威のあるこうした学識の見解というものを表明をしていく組織といいますか
機関、これは私は、
日本国憲法で定める裁判所に匹敵する機能というものを、知性国家の社会統治、社会創造においてそれぐらいの
役割を担うべき存在だというふうに思っておりました。
先ほど前文が付いている
法律だということについての西岡
先生の御議論もありましたが、正に
学術会議法を作った当初の意気込みというのも、やはり前文が付く
法律というのはそうそうございませんから、正に戦後復興の中で科学というものが新しい社会を作っていく上で極めて重要な存在なんであるということの当時の立法制定者の意思の表明がこの前文に表れていると思いますし、そういう観点からしたときに、今回の
学術会議法の
改正案を見させていただきました。
もちろん、現場の皆様方は大変に御苦労をされて、様々な諸課題についての調整を行われこの
法律が出てきているということについては、私も十分にその御苦労、御
努力については理解をしておりますし、また敬意を表したいと思いますけれども、今私が申し上げた、あるいは午前中に
有馬、西岡両
先生から御議論をされた、この歴史的、哲学的、思想的
学術会議法審議の
意味合いといいますか、あるいは学問のこの中立的で権威を持った
機関を我々がもう一回二十一世紀のこの初頭に当たって作り直していくんだ、あるいは更に言うと進化させていくんだと。
そういう
意味では、総務
大臣から
内閣府に所掌が変わったということは半歩前進ということで評価はしたいと思いますが、本来これは、例えば国会に所属する
機関であっていいと思いますし、さらには憲法上、私は参議院の憲法
調査会の幹事もさせていただいておりますけれども、憲法上位置付けられてしかるべきぐらいの議論があって私はいいのではないかなというふうに思っております。
そういう
意味で、最初の
質問に入りたいと思いますが、結局やはり多数決でもって決せられない話というのは一杯あるわけでありまして、かつ重要な話というのは一杯あるわけでありまして、特に知の時代、知性国家ということになりますと、真理というものが極めて重要な
意味を持つ、より重要な
意味を持つ。真理というのは必ずしも多数によって支持されるわけでないのが真理の特質、特性でありまして、そのことについて裁判所は正に法の支配を貫徹する観点から、
法律上のあるいは法の支配における真理とは何であるかということを確定をさせる。その
意味において、科学というものがこの社会の統治において欠かすことのできない今日、何が科学的真理であるかということをやはりその権威ある
機関が判断あるいは見解をきちっと示していくということがやはり重要なんだということだと思います。
午前中の議論を聞いていてやや違和感がありましたのは、提言というお言葉をお使いになる、これは私ちょっと違和感がございます。もちろん、いろんな提言はしていただきたいと思います。しかし、提言で済む話なのかと、とどまる話なのかと。
審議会というのがあります、
政府の審議会。これは正に諮問に対してそして
政策提言をする、そして提言を採択をして
政策につなげるかどうか、これは最終的に
政府機関が判断をするわけでありますが、
学術会議というのは
政策提言
機関にとどまっていただきたくないというのが私の主張でございます。正に先ほど申し上げましたように、知性国家によって欠かすことができない科学的なその真理というものに対して権威を持って判断をしていく、あるいはきちっと社会にその科学的な真理というものを伝えていく、表明をしていく、ジャッジをしていくという私は機能という観点からしたときに、提言を超えたお仕事というものをやっぱりしていただかなければいけないというふうに思っております。
その観点から、私は、この五十年間の
学術会議のお仕事を、もちろん大変なボリュームでありますから全部はフォローすることはできませんが、かなりいろいろな
勧告でありますとか声明でありますとか報告を見させていただきました。大変なことに気が付きまして、それは何かといいますと、
学術会議法の五条は、
学術会議の主たる仕事として
勧告ということがきちっと明記をされております。
学術会議の本来業務であるこの
勧告が、第一期から大体第十一期ぐらいまでは極めて熱心に出されております。例えば第五期、
昭和三十五年から
昭和三十八年が第五期でありますが、四十七件の
勧告が出されている。その後も、二十九件とか二十七件とか、第十一期まではあるいは毎年十本以上の、あるいは時としては二、三十本出ている。それが、平成になってから毎年一本か二本なんですね。十八期、十九期に至っては
勧告ゼロと。
果たして、この第五条で定める正に一番重要な
勧告、それが十八期以降ほとんどその活動がなされていないということは私は大変残念な事態だというふうに思いますが、その理由、あるいはそのことについてどういう認識を持っておられるのか、お答えを賜りたいと思います。