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参考人(
若月秀夫君) ただいま御紹介をいただきました
東京品川区の
教育長の
若月でございます。今日は、本
委員会にお招きをいただきまして
意見を申し述べさせていただく、そうした
機会をいただきましたことをまずもって御礼を申し上げたいと思います。
もとより、私の場合には
区市町村の
教育委員会の
人間でございます。したがいまして、非常にある
意味では実務的な事細かい
お話になろうかと思いますが、その点ひとつお含みをいただき御理解をいただければ大変幸いでございます。
大きく四点について
お話をさせていただきます。
まず一点目の、
義務教育費の今
話題になっております
国庫負担制度についてでございます。
これにつきましては、
現場を一番身近で預かる
教育委員会の
人間として、またかつて
現場で
子供たちの前で教職に就いていた
人間として言わずもがなの
制度でございまして、なぜこれが今こんなに
話題になるのかというのがむしろ
現場教員の、あるいは身近な
区市町村教育委員会の偽らざる実感でもございます。
もういろいろな方がいろいろなお
立場から、この今の
義務教育経費の
国庫負担制度につきましては、その
役割、そして国の
責務と、それからそれまでに果たしてきた
一定の
成果、こうしたものを十分認識しているわけでございますし、またこれを今後
堅持をしていくといったようなことは、これはもう広くコンセンサスの取れていたことであるということも考えていたところでございます。これはいろんな方の御
意見を聞くまでもなく、またいろいろな
歴史を調べてみましても、現在の時点においてこの
制度は何があってもやはり
堅持をしていくべきだという結論に至っているわけでございます。
これはもうよく持ち出されることでありますけれども、
憲法二十六条であるとか
教育基本法の定めでといったような様々な御
指摘がございます。正にそれはもうそのとおりでありますが、どうもこの
負担金制度の
見直しといったようなことが先行し過ぎていて、やや
教育論的なものが後退をしてきているのではないか。もちろん、
聖域なき
構造改革というその趣旨はよく分かるわけでありますが、それは、様々な無駄であるとか
問題点のあったものを、そうしたものを
聖域なき
分野として
見直していこうということでございます。そうした観点から見たときに、なぜこの
義務教育費の
国庫負担制度が
一つの
対象になってきたのか、
国家の
義務教育に対する
責務というものを国全体としてどういうふうにとらえているのか、こんなことは
現実に
学校で働いている
教職員の偽らざる心情であるということはまずお伝えをしておかなければならないと思います。
それから二点目でありますが、今回の
負担対象の一部
見直しの点でございます。これにつきましても、
税源移譲予定特例交付金という形で
財源に穴が空かなくなってきた、そうした
意味では
一定の
評価のできるものではあろうと、かように思っているわけであります。
ただ、この
退職手当あるいは
児童手当ですか、こうしたものは
一般財源化して自由になるでしょうと、こう言われましても、言ってみればこれはかなり
義務的経費に近い性格のものでございまして、これをこちらの方に
一般財源としていただいたところで一体どれほどの
自由度が高まるのかなという疑問は持たざるを得ません。
また、今回のこの附則の第二条を拝見いたしますと、なかなか理解しにくい第二条は表記がされております。くれぐれもこのことが
義務教育費国庫負担制度の
一般財源化への布石にならないよう、強く要望をするものでございます。
したがいまして、今現在この
税源移譲のところのこの
予定特例交付金、これは国に
配分権のあるものでございます。やはりこれを解決するためには基本的に、今盛んに
話題になっておりますが、本格的な
税源移譲という
議論をやはりしていくべきであろうと、かように考えているところでもございます。
三点目であります。
総額裁量制がこのたび提言をされたわけであります。この
総額裁量制につきまして、これは
三位一体の
構造改革の中で、国それから
地方の
役割分担であるとか、あるいはそれに係る
費用負担の
見直しといったような中から、
文部科学省が、この
国庫負担制度は
堅持をしつつ、その中で少しでも
自由度が高まるような
負担金ということで、この
総額裁量制といったようなものを御提案していただいたわけでございます。
これにつきましても、その
前提をしっかりと担保する、そういった
意味で大変に
評価のできるものでありますが、ここで、どう申し上げたらいいんでしょうね、
地方教育委員会の
立場から言わせていただきますと、よくこういう
財源を
一般財源化すれば
自由度が増すではないかというような
議論があるわけであります。しかし、この
自由度ということに
余り地教委の場合はリアリティーを感じないわけであります。
それはどういうことか。少し
教育論で
お話をさせていただきますと、今盛んに
学校教育の
体質改善であるとか、特に
教員の
資質の
向上といったようなことが強く言われております。これは長年の我が国における大きな課題でもあります。それを考えたときに、例えば
区市町村教育委員会は今何に一番苦闘をしているか、取りも直さず
教員の
資質向上でありますが、これは
給与負担者が
任命権者でもあるという
制度がございます。
東京の場合には
市町村立学校職員給与負担法といったようなものに基づいて
国庫の半分を
東京都が
負担をしているわけであります。
したがいまして、
任命権は
東京都の
教育委員会が持っております。問題はここであります。この
東京都の
教育委員会が
任命権を持っているということは、もちろん何よりもやはり
財源の
確保というのは大
前提で必要ですけれども、しかし
教員の
資質改革あるいは
学校の
体質改善がなかなか進まないというのは、正にこの
任命権の所在に懸かっているわけです。
簡単に言いますと、
品川区の場合、様々な今
教育改革を進めております。そして、ある
意味では
教員にかなりのプレッシャーを与えています。しかし、そこでちょっとこれがつらいとか厳しいとかということになりますと、
教員は当然
都教委に
異動希望を出すわけでありまして、常にそこで人の入替えというのが始まってまいります。本区の
校長の場合には、今の
教育改革を進めていこうということで、一生懸命
教員に長年にわたり指導しているわけですけれども、毎年毎年よその
地域から新しい
教員が入ってまいりますと、その都度毎年毎年一から、
教育改革の
必要性から、
品川が今やっている様々な
取組の概要から、その意義といったようなものを毎年繰り返し指導していかなきゃならない。そして、その
教員がずっと
品川に居着いていくか、そしてそれが蓄積して
品川の
教育改革にあるいは質の
向上に結び付いていくか、必ずしもそうではないわけであります。常に人が入れ替わるという非常に不安定な
状況があります。
何を申し上げたいかといいますと、この
義務教育の
国庫負担制度といったようなものは、まず当然の
前提としてまず私は考えるべきだ、その次に
残りの半分を、先ほど申し上げましたように今
東京都がその
財政負担をしているわけでありますが、今盛んに
地方の
時代、
地方が、涵養の原則とでも言ったらいいでしょうか、自らの畑は自らで耕す、今そうしたものが要求されているわけです。
地方の
時代であるならば、やはり
地方は
それなりの
努力もすべきです。
そうした
意味では、私は今の
都教委が出している半分のその
学校職員の
給与負担ですね、これを、それを半分にしてでも、
残りの半分はやはり私はもう、
区市町村が最も身近なところで
義務教育にかかわっているわけでありますから、その
区市町村の
責任においてやはり私は
それなりの
努力をするべきだろうと、こう思うわけであります。
今、盛んに
教員の
資質向上であるとか、あるいは
教育委員会の
活性化ということも言われています。なぜ
教育委員会がこう形骸化しているとか、
余り機能を発揮していないじゃないかと言われるか。それは確かにいろいろな権限を全部、
地教行法に変わったときに随分取られてしまった、そういった
歴史的な
経緯もありますけれども、自らの
責任において自らの
地域において
成果を出すべく
努力をするような、そういう
社会的環境が必ずしも整っているとは言えない。
ですから、本格的な
税源移譲といったようなものを是非実施していただいて、それぞれの
区市町村は、国が半分ですね、
残りの四分の一が今度は都だとしますね、
残りの四分の一はやはり
区市町村がしっかり自らの
責任において、
基礎的自治体というのであるならばそこはやはり持つべきだ。そこでまあ
教員の
任命権をともに
区市町村教育委員会に移譲してもらいたい。これがなければ本当の
教育の
自由度というものはなかなか発揮できないのであります。
財政だけ、はい、何でもお使いになれるから
自由度が増したでしょうと。じゃ、
自由度が増したからといって
教育が変わるか。
教育論から考えて、
教師論から考えて私は必ずしもその論は成り立たないと思う。やはりそこには
財政的な自らの
責任を伴う
任命権が生ずることによって初めてその
一つの
基礎的自治体は自らの
地域における
教育の様々なアイデンティティーや新しいクリエーティビティーに富んだ
政策を出してこれるんだろう。そこから
教育委員会の
活性化といったようなものも私は十分考えられるのではないだろうかと。
したがいまして、その
区市町村の
税源はどうするか、それは様々なその
税源移譲の中でその
自治体がやるか、あるいは場合によっては、例えば外国の例なんかを見ますと、
教育税とか
学校税とかというような
一つの目的税を導入している国もあるわけであります。それがもし幾つかの
自治体の中でコンセンサスが取れれば、
教育税といったような形でその
残り四分の一の
区市町村が
負担すべきもの、これをやはり
財源確保していくという方法も考えられるでしょうし、そのほかの
税源移譲でもって別の方法でそれぞれの
地域、地区が、
区市町村がそれぞれ考える必要があるんじゃないか。そこはどういうふうに
財源を
確保するかということはそれぞれの
自治体、
基礎的自治体である
区市町村にある程度判断をゆだねるべきではないだろうか。それを一番根幹にある
義務教育国庫負担を御自由にどうぞという、国の方から御自由にどうぞという形で持ってこられても、これは甚だ
現実的ではないだろう、こう思うわけであります。自由に任せられるところ、それは本当に今の
制度でいくと
残り四分の一のところをどういう
財源確保でも御自由にお使いになったらいかがですか、それはそれぞれの
自治体の個性ではないでしょうかと、こういうことを考えるわけであります。
そういうことから、一番の問題は
任命権というものが
財源と一緒にセットで
区市町村に
教育委員会に下りてくる、こうしたらそれぞれの
教育委員会はかなり真剣になると思います。正にそういう
意味ではいろいろな
教育委員会が競争になるわけでありまして、今までのように形式的な
教育委員会の運営では済まなくなってくるだろう。自らの
自治体の中にいる
教員を、自らのその
財源の一部も使って、そして
任命権を行使して、そして
教員の
資質を
向上していく。やはりこうした観点が、
財源論ばかりがこう先行している、これで果たして本当に今
学校教育が抱えている
教育課題に正対しているものなのだろうかということを強く感じるわけであります。
是非そうした観点で、将来この国の
教育行政をどうしていくべきかという長いスパンの中で今の
国庫負担制度といったようなものの在り方を考えていかない限り、なかなか本格的な
教育改革の実現は見えないと、かように考えているところでございます。
以上です。