○岩本荘太君 無所属の会の岩本荘太でございます。
いよいよ最後の質問でございますが、大変いろいろな角度から午前、午後といろいろ質問出てまいりまして、実は私も先日、質問取りに来られた方といろいろ議論をしたときに、何となくいろいろ雑談といいますか議論を交わした中で、大体こんなことじゃないですかといって整理して質問作ってきてくれたんですけれども、今日は、その大体言っていただいている質問のほとんどがもう網羅されておりますので、改めてそういう質問をいたしませんが。
私、結局つまるところ、何といいますかな、私の感覚では、
競馬というものの今日的な意義といいますか、スタートしたときとそのままなのか、あるいはもう少し違った今日的な意味をどういうふうにとらえるかということに集約されるんじゃないかなというふうな気がするんですが、これはお答えは後でいただくとして、まず私なりの感想を申し上げさせていただきますと、今日のいろんな
質疑も、やはり何というか、今までの例えば米の
生産をどうするとか漁獲をどうするとかということとちょっと何か感じが違うなというような感じがいたしまして、というのは、やはり
競馬というもののとらえ方が、やはり何といいますか、人間の生きていく上の一義的な目的かどうかというところが
一つあると思うんですね。やはり衣食住足りて、それから次に、じゃ、こういうものじゃないかなというようなふうなのが
競馬というもののある面じゃないかなと。衣食住足りなくてもこういうものによって金をもうけた時代もあったでしょうから、必ずしもそれだけではないんですが。
ただ、そんな中で、今日の議論を聞いていましても、やはり農林省はこの法律を
改正させて、やはり
売上げを上げたいと、昔の姿に少しでも戻したい。というものに対して、質問者の方は、皆さんの認識は、本当かいなと、そういうことができるのかいなと、だけれども、できないとすればどう軟着陸させたらいいのかなというような、そういうような視点からいろいろあるんだと思うんです。
私自身としては、できるものであれば、こういうものは今までの歴史もありますから残してもらいたいと思っているわけですが、必ずしもそうはいかない、その辺の現実的な姿をどうとらえるかということじゃないかと思うんですが。
私自身、これもう十年以上前になりますけれども、
地方競馬にかなり深く関与する立場におったわけでして、そのころは
平成三年、農林省から表をいただきました中でも、
地方競馬の
ピークですね、売得金も入場者数も。そのときにおったものですから、来年は、これはもう、そのことで、たしか四百億前後、金沢
競馬ですけれども、四百億前後、これは来年になったら五百億に届くんじゃないかと、そんな時代でございました。
それが見る間に下がってきたと。これはある意味ではバブルと符合しているような感じがするんですね。その後ずっと減ってきて、今では半分になっていると。したがって、この問題をとらえるには、やはりいわゆるバブルによって起こった不良債権の処理をどうするかということとよって来るところが同じような気がしてならないわけでございます。
したがって、リストラが必要だと、構造改革が必要だということになるわけですが、先日お聞きしたのでも、
競馬の目的が、馬の改良ですか、品種改良、品種というか能力の改良ですね、それと財政寄与、それから健全な娯楽と、こういうようなことを言っておられて、馬の改良というのは今の時代に本当にそぐう問題なのかなという疑問がちょっとあるんですけれども、これはやはり農林省の方に
説明聞きますと、やはり人間だってオリンピック行って速さを競うじゃないか、したがって馬の速さを競うのもこれは大きな目的だと、言われてみれば確かかなと思うんですが、それはある程度否定しません。それから財政的な面、これもあるのも否定しませんが、これは、やはりこれは赤になったらもうこれは財政的な目的外、財政的な面で目的を外れるわけですから、これは考えなきゃいかぬ。まあ娯楽の面というのは、これは認められるものだと思いますけれども。
これも、それぞれ三つの目的を考えますと、結局、
競馬の場合の特徴というのはやっぱり馬の改良ですね。これ、馬の品種改良というか、これがなかったらほかのギャンブルと一緒なんですね。競輪とか競艇も一緒でしょうけれども、要するにほかのギャンブルと一緒で、国が法律で認めるとか、禁止されているようなものもあるわけですから、そういうものと同じ視点で見られちゃう。したがって、馬の改良といいますか、馬に対する改良という目的がどうあるかということをそれをしっかりやっぱり考えなきゃいけないんじゃないかなというような気がいたします。
それで、そういう視点から、私は何でこんな人気がなくなったのかなということを私なりにちょっと考えてみますと、いわゆる、いろいろ出ておりますけれども、
一つやっぱり馬に対する愛情といいますか、速さを競うこともそうでしょうけれども、これがどうも昔とはちょっと違う。速い馬を求める、これは
中央競馬ではそうでしょうけれども、
地方競馬ではなかなかそこまで求めていいものかどうかがあるんでしょうけれども。
大臣も先ほど、
子供のころ
競馬場に行かれたと。私も、実は小学校ぐらいから行っておりまして、そのころは何か馬に夢を持っていたといいますか、ある馬に非常に愛情を持っていたことがあります。今でも忘れられない名前もあります。
大臣も御存じでしょうけれども、かつて幻の名馬と言われたトキノミドリですか、ああいう名馬というのはもう今の私の感覚では、今の
競馬の馬の名前なんていうものでない以上に皆さんはもう関心を持って見ていたわけです。
地方競馬から中央に行ったのでもハイセイコーなんというのがおりましたし、そういう愛情というのが何か今欠けてきているんじゃないかなと。ほかにもっと愛情、愛情といいますか
ファン心理といいますか、そういうものを持つのはいろいろなスポーツが増えてきたからじゃないかなという気もいたすんですが、何しろそういうものがあると。
それからもう
一つは、賭博というのも、賭博性というのも、これもほかにも幾らでも出てきた。それから
射幸心も、何か考えますと、今は確かに昔と倍率が同じぐらいで配当が来ますけれども、昔は、何といいますか、それでまず、配当は、自分が当たってもうかったら、何か特殊、非日常的な、今まで普通の生活ではできないものを例えば買うなり、そういう気持ちがあったのが、今はほかのもので割合そういうものが買えるから、そういうものに対するその気持ちがだんだん落ち込んできたかなと、そんないろんな
社会的な面があると思うんですね。
それともう
一つ、これは私だけの感覚かもしれませんけれども、いわゆる回収、回収といいますか、
売上げから賞金に回す率、これは今七〇%か七五%か分かりませんけれども、七〇%で計算しますと、もうそれ、最初からそれに回転させて持っていきますと、三回ぐらいやれば三〇%になっちゃうんですね。ほかの、例えばほかのラスベガスとか何かへ行ってギャンブルやった場合に、あれ、場合によったら胴元をもう破産に追い込むぐらいなギャンブルだってあるわけですよね。ところが、
競馬に限りませんけれども、競艇にしろ競輪にしろ、親元は完全にもうかる。ということは、逆に言えば、かけた人間は確実に損をすると。こういうことがだんだん分かってきたんじゃないか。そういうようなもろもろのことが昔とは違ってきている。その辺を考えなければいけないんじゃないかと。
したがって、そういうことを考えた上で、私は、今ここで、先ほど言いましたように、構造改革というかそういうことを考えなきゃいけない時期であるとすれば、その辺の価値の見直しといいますか、その抜本的なところをちょっと考えなきゃいけないんじゃないのかなと。まあ、失礼な言い方をしますけれども、今の、先ほど言いましたように、確かに売得金を上げるような
努力をしよう、しようという
努力は見えますけれども、そういう
努力の中で、やっぱり現状維持でそういうふうに向かおうとしているわけですから、そうやってみて駄目だと、これは今までもう幾らでもやってきたわけですよね、そういう
努力は。それでいて少しずつ消滅していったと。だから、そういう
努力をして自然消滅を待とうとするつもりがおありなのか、まさかないとは思いますけれどもね。あるいは、この際、本当のあるべき意義の見直しをして、場合によったら
経営規模の変更とかいろんな問題があると思うんですけれども、そういうところまで足を踏み込んで考えるべきではないかと。
その辺の御所見、これ一問で結構です。
大臣、お答え願いまして。