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参考人(
高山俊吉君)
高山俊吉でございます。お招きをいただいたことを感謝します。
私の
意見はレジュメに用意させていただきまして、自己紹介等と題する添付の資料が若干ございます。一緒にごらんいただければ有り難いと思います。
私自身の自己紹介はこの別紙にありますとおりですので、詳しく申し上げません。交通法科学研究会の
事務局長職にあります。また、この組織の紹介も別紙のとおりでございます。ただし、今日の
意見は私の
個人意見であります。
私は、これまでこの
法案に強い関心を寄せてまいりましたけれ
ども、この
法案の提出に向けた検討とか協議等の
機会にかかわってきませんでした。その意味で、今日のこの
意見は道交法の運用の
現場からの声だと、文字どおり在野の
意見だと、こういうふうにお受け止めいただければ有り難いと思います。
運転者対策の推進、そして
暴走族対策の推進、携帯電話の
使用等に関する
罰則の
見直し等については時間の
関係で割愛をさせていただきます。
高速道路における
自動二輪車の二人
乗り禁止
規制の
見直し、それから
飲酒運転対策の推進の問題に簡単に触れて、
違法駐車対策の推進について少し詳しくお話をさせていただきたいと思います。
高速道路における
自動二輪車の二人
乗り禁止
規制の
見直しであります。後に述べる条件の下に私はこの
改正案に
賛成をいたします。
率直に申し上げて、この結論を得るのになぜかくも長期間を要したのかということが理解できないという感じがございます。
高速道路、高速
自動車国道等ということになりますが、
車両が交錯しない構造であります。一般道路の交差点
事故に当たる
事故が
基本的には発生をしない道路、一般に幅員も広く、見通しも良く、
車両専用道路であるために人対車の
事故発生数は極小であります。道路延長対比での
事故発生率を見ますと、一般道路に比べて極めて低い。
高速道路は超高度安全、超高度交通安全道路だと称して差し支えないのであります。
他方、二輪車の乗員複数化が危険
要素を高めるということを証明する具体的なデータはない。四輪、二輪を問わず、同乗者がいる場合の方が
運転者の判断、行動がより慎重になる傾向があることはよく指摘されている。
事故発生時の致死率が高いということも、強調することはこれは不合理であります。もし仮に、極論でありますが、致死率だけを考えれば、航空機は最も危険な交通媒体だということになります。
普通乗用車の平均乗員数が二名を割っているというのが
現状であります。この
状況の下で道路の損耗に与える影響の小ささ、
車両排気量の小ささ等を考え、そしてまた
自動二輪車が
高速道路利用
車両の質的合理化に寄与することになるものだというふうに私は考えています。
問題なのは、有資格者を年齢二十歳以上、経験三年以上の者に限定したことであります。依然として時代後れの及び腰の姿勢が目立ちます。安全思想に関する消極的な思想だと思います、消極的な受け止め方だと思います。
年齢二十歳未満の者や年齢、経験三年未満の者の
高速道路二人
乗りが特に危険であるということを示すデータはない。その気になれば外国の実情を調べることが可能であります。この検討をするのに一般道路における若年者、初心者の事件例を考察することはほとんど無意味であります。この
法案参考資料の中にもデータが用意されておりますが、私は非常に不合理な資料であると思っています。
高速道路と一般道路では
事故発生の契機が全くと言っていいほど違います。また、そもそも
自動二輪車の利用者自体、若年者や初心者に大きく偏るという傾向があることは、これはもう知られたことであります。年齢二十歳以上、経験三年以上の者というふうに言えば、これは概括的に言うならば、
自動二輪車から四輪車に移行していく時期の人々が多いのであります。
規制改革推進三か年計画再改定などを根拠に挙げることについて、私は強い違和感を持っています。交通安全には
規制が徹底的に求められる局面も当然あるのであります。
高速道路の
自動二輪車の二人
乗りを不便の解消の問題としてとらえるということは、実は正しくない。あくまで危険を増幅するかどうかという視点で見るべきであります。今次
改正案には、
自動二輪車にはなるべく
高速道路を走らせたくないという、私の考えでは不合理な危険視思想と
規制意図思想がいまだに濃厚に残存しているというふうに思えてなりません。
私は、全面解禁、全面解禁といいますのは、一般道路
基準と同一に
免許取得後一年のみ禁止とするという意味でありますが、これを速やかに実現する道程としてという条件を付けて
改正に
賛成をいたします。
次に、
飲酒運転対策であります。
私は、これについては更に慎重な検討を求めたいと考えています。呼気検査を拒否した者に対する
罰則の引上げに関連して一言だけ触れておきたい。飲酒
運転の危険性に関する市民感覚の高揚あるいは醸成を抜きにした強権発動ではいけないと思います。
まず指摘すべきことは、厳罰化の成果が喧伝されているほど上がっているとは実は言えないのではないかと、厳密な検証が必要であるというふうに考えております。過大評価は
対策の非科学化につながります。
飲酒
運転の
罰則を引き上げた二〇〇二年の六月施行の
改正道交法の後を追ってみます。三年の後半から飲酒
運転死亡
事故事件の減少率が低下しつつあります。
改正道交法等の
効果が短期的なものにすぎないのではないかというその可能性については引き続き検討する必要があります。
飲酒
運転死亡
事故件数の減少については、他の
違反、道路形状、時間帯など、他の関与
要因との比較が不十分であります。そのために、飲酒
運転死亡
事故件数の減少が死亡
事故件数全体の減少の中でどのように寄与をしているのか、意味を持っているのかということの厳密な判定が必要であり、その点の資料が乏しいという研究者の報告があります。
もう
一つ指摘しなければならないことは、誤測定の問題であります。近時、飲酒検知の誤測定に関する報道が相次いでいることは御承知のとおりであります。私は最近、記事検索を試みました。飲酒検知の誤測定に関する新聞報道が、今年一月から三月までの間に六十三件あります。同一事件の報道が重なっていますから誤測定が六十三件あったという意味ではないけれ
ども、この問題に関する世論の関心がいかに高いかということをよく示していること、これは間違いがありません。「検知器誤作動 飲酒検問 揺らぐ信頼 厳罰化の中
現場に波紋」、このような見出しが掲げられている新聞もあります。
速度
違反の判定に用いる速度測定機器などにも通じる問題であるのでありますが、問題が
犯罪の成否を決する決定的な契機であるだけに、誤測定の原因解明や是正の経過が詳細に公表されないのは極めて遺憾であります。誤測定は発表された事案だけとは決して言えないのであります。誤測定には暗数がある。冤罪の存在を推定させます。徹底的な
情報公開をしない処罰
強化は明らかに不正義であります。
対策は二面から考えられる。第一に、疑問事案、疑問とされる事案、疑問が寄せられている事案、この
情報を隠さず迅速、詳細に公表すべきであります。第二に、測定機器の確かさや測定方法の妥当性についての
警察外の者の検証
システムが作られることであります。
警察外の者が測定の科学性を検証できるということは、飲酒
運転抑止の社会的な機運を作る上でも極めて有意義であります。
よらしむべし知らしむべからずの行き方を根本から改めて、検知拒否に対する
罰則強化に測定の公明正大さをきちんと伴わせる必要があります。問答無用の言わば北風政策に私は強く懸念を感じます。
次に、
違法駐車対策の推進に関してであります。
私は、
駐車車両使用者の義務
強化、放置
車両使用者の
放置違反金納付制度、放置
車両の
確認、
標章取付け
事務の
民間委託を中心とする
違法駐車対策に関する
改正に反対いたします。
放置
車両使用者の
放置違反金納付制度についてまず申し上げたいと思います。
まず、
放置違反金納付制度です。最大の問題は、
犯罪行為に及んだ者以外の者に当該
犯罪行為に関連して不利益を課することの問題性であります。
駐車違反については、あくまで
犯罪者の
道路交通法違反について捜査を遂げ、当該
犯罪に関与した周辺の者については共犯としての
刑事責任の存否を考えるべきで、またそれでよいのであります。
違反運転者の特定が困難だとか、特定、呼出し、検挙に多大のコストが掛かるというのは
改正の合理的な理由にならない。犯人を捜し出して検挙するのは
警察の本務であります。犯人の特定が容易でないというのは少しも珍しいことではない。一般的に言えば、容易に特定できる方が刑事
犯罪の被告人としては珍しいのであり、犯人としては珍しいとも言える。刑法犯の
検挙率を大きく押し下げている
要因に空き巣ねらいがあります。検挙の危険が小さいことを奇貨として犯人が犯行を繰り返している可能性はあるのでありますけれ
ども、しかしそのことによって犯人検挙に多大のコストが掛かるからといって何らかの他の刑事政策を講ずべきだという議論は出てこない。
放置
駐車者の
責任とは何であろうか。放置
違反の本質は何か。自身の
使用車両を自分以外の何人かが
駐車違反を犯したときに、その
使用者が制裁を科されることになる理屈というのは何であろうか。この点はおよそ実は不透明であります。
運転者自身が
駐車違反の
責任を取ったときには
使用者の
責任がなくなるとされます、されています。
運転者が
反則金を
納付しようがしまいが、
違反行為に及んだというその事実そのものによって
使用者に
責任が生じるという
仕組みではないから、明らかに個別
責任ではなくて、刑事罰と
行政罰の連帯類似の
関係という摩訶不思議な構成になっています。
使用者が
放置違反金を
納付しても
運転者の道交法
違反は継続し、引き続き捜査が遂行され、両者は相互免責的
関係にないとされています。しかし、それは机上の議論です。現在でも、高コストと悲鳴が上げられている、
警察力の他部門への再配置を言う
警察当局が、
使用者が
違反金を
納付した
状況下に犯人捜しに精力を注ぐでしょうか。実際問題として、
使用者は
運転者の
責任を転嫁され、
使用者の代払いによって事件捜査に幕引きがされるということは自明ではないのでしょうか。
もしそうではなくて、
違反金の
納付を求められた
使用者若しくは
違反金を取りあえず
納付した
使用者が
運転者に迫って、
運転者に
反則金を
納付させるということで本来の
駐車違反の検挙が進み、そしてその結果として
使用者の免責が実現するのだから、決して中途半端な幕引きにはならないという説明が行われるかもしれない。
違反金が
反則金よりも高く設定されているということは、
運転者の検挙に向けた
対策の色合いをうかがわせます。上限が高く設定されております。しかし、もしそうだとすれば、その政策こそ犯人検挙のために制裁をもって
使用者を追い込む方策ということになります。言葉が悪いかもしれないけれ
ども、隣組運動にも似た
国民動員策のそしりを免れないと思います。私は、
現場の法律実務家の一人として、このような異様な法構造の存在を容認することができない。
具体的な問題を二点だけ示します。
駐車違反取締り件数中、出頭確保ができない
件数がどれだけあり、そのことが
違法駐車対策の実行上どのような支障原因になっているのかについて具体的な数字の資料等が何も示されていない。
法案提出に先立つ
違法駐車問題
懇談会では、説明者は、
駐車違反で
違反金を
納付している人の数は
日本は英米に比べて極端に少ないというふうな説明をしておられます。本当でしょうか。実情を全く開示しないまま、数字を挙げた説明がないままに議論を進める手法には私は強い違和感を持ちます。
それから、五十一条の四、第三、第四、十六、十七等について述べます。
放置違反金の
納付命令とその
取消しに関する規定であります。
当該車両に係る
運転者が
反則金を
納付し、又は公訴を提起される等その
責任を
追及されることができた場合には、この限りではないということになって、
違反金の
納付命令を出さず、出していれば取り消し、既に
違反金が
納付されていれば還付するということであります。
使用者の免責事由というのは、
運転者の
反則金納付と公訴提起等であります。ところで、
駐車違反を争う
運転者の中には納得がいかないことを理由に出頭しない者、出頭しても事情を訴える者もいます。この
法案では、そのような場合にも
使用者は当然に
違反金を
納付しなければならないことになるのであります。
弁明や証拠提出の
機会は与えられるといっても、
基本的にそのような場合には
対象から除外されるのではない。実際問題として、他者の
駐車違反嫌疑に対してどれだけ
使用者が実証的な主張や立証ができるかという問題があります。このような
機会提供が
実効性を持つとは到底考えられない。結局、
運転者が争っているのに
使用者が
責任を取らされてしまうという事態は排除できない。
このようなことは、種々事情を訴えたい
運転者が
公安委員会だけにではなく
使用者に対しても自身の主張を尽くすことが求められて、結果的には
運転者の訴えを押さえ込む結果に結び付きます。
法務省は
駐車違反で不起訴に終わる者の数を公表していません。しかし、道交法
違反全体の不起訴
件数は公表しています。最近のデータでは年間約十万件を超えています。
駐車違反は道交法
違反の約四分の一を示していますから、
駐車違反の不起訴
件数の事例は少なくとも数万件に上がると思われます。それらは、言うまでもなく、起訴便宜主義を規定した刑事訴訟法二百四十八条によってそうされているのでありますけれ
ども、この数万人という数字の大きさは到底軽視することができません。
放置違反金制度は争う
運転者をからめ手から争いにくくする
制度だという批判は、本質をつく見解であるというふうに考えます。
放置
車両の
確認、
標章取付けの
事務の
民間委託についてであります。
私は反対であります。
駐車違反は、いかに普遍的に存在しているとはいっても、れっきとした
犯罪であります。
犯罪検挙の最前線の重要任務を
民間に
委託することは、
警察の
犯罪捜査に関する国家
責任をあいまい化するものという、そういうことを言わざるを得ない、指摘せざるを得ない。
民間委託の理由の
一つに、
治安悪化に対処するために
警察力を他に振り替えることが求められるということが言われている。しかし、現在、交通
警察に投入されている
警察力がどれだけかという
基本的なデータさえもこの資料の中には出されていません。
交通
警察にかかわる
警察官の数を
先生方は御承知でしょうか。現在、
日本全体でわずか五千人程度であります。
警察官全体が二十七万人、その二%程度しか交通事件に関与しておらない。これを更に減らすかもしれないという
状況下での対応策がこの放置
車両取締りの
民間委託であります。交通安全に向けた
警察の決意の程度がこのくらいのものなのかと、私は率直に申し上げて暗たんたる思いがいたします。
今次
改正の
基本的な思想は、
民間人の
警察補完であります。
民間人の
警察協力構造の推進です。これは極論をすれば
国民総取締官化構想ということになると思います。
どういう規模、構想、政策で実施するのか。実施するとどのような
効果があるのか。町じゅうが
違法駐車だらけという
現状の下でひたすら
取締りがばく進するということにならないか。
委託先に暴力団
関係者がいるかどうかということに
法案作成者はこだわっておられます。そのような人々がかかわること自体もちろん問題でありますけれ
ども、そうでなければよいということではない。交通安全のために誠実に取り締まりまくる、交通安全のために誠実に取り締まりまくるということがならないかというその保障がどこにあるんでしょうか。
パブリックコメントでも指摘されていますけれ
ども、どのようにチェックを掛けてもこのような組織が天下りの温床になるということは目に見えているというふうに私は思います。
駐車違反を
犯罪から
犯罪でないものにして、その所管を
警察から他の機関に移動させた上で
対策を官民協力して実施するものであるとするならばこれは十分に考えられるけれ
ども、法の
執行の面に途方もない混乱と矛盾を引き込むことになるのではないかというふうに私は考えます。
以上です。長くなりました。