○伊藤
基隆君 民主党・新緑風会の伊藤でございます。
意見を申し上げます。
二十一世紀を迎えて、我が国の
経済社会は一段と急速な変貌を遂げようとしております。これまでの人口増加
社会は二〇〇七年からは人口減少
社会に転じ、文字どおり高齢
社会に突入しようとしています。
その一方で、いわゆるグローバル化が一段と進み、物も金も情報も、そして人の動きさえもが更に活発になり、こうした面からも私
たちの
社会、
国民生活は大きく変わろうとしています。
確かに、我が国は物質面では世界でも有数の豊かな国になりました。しかし、今日の私
たちの生活を振り返ってみると、更により便利なものを手に入れるために、またより多くの金をもうけるために、そして洪水のように押し流されてくる情報によって、肉体的に疲れ切り、精神的なゆとりや豊かさを見失っている人々の姿を見ることは決して少なくありません。
私
たちは、科学技術を発展させ、高度な文明
社会を作り上げることに成功しました。技術者も研究者も人間の生活をより豊かにしようとして
努力を重ねてきた結果ではありますが、単に物質的な豊かさを追求するだけの活動は、一方でアノミー現象と呼ばれる自己喪失感や精神的不安感を伴う
社会的な価値が見失われた混乱状態を引き起こしています。私は最近の新聞紙上をにぎわわせている事件の数々を見ていると、重大犯罪はもとより軽微なものにも
共通するのは、人間の精神活動が限界に近づきつつあるのではないかと感ずるのであります。
これからのあるべき技術革新の
方向性や有限な地球資源の活用について考えるとき、根源的な
意味で、精神的な豊かさの中に人間の幸福を求めていくべきではないかと思うのであります。何が人間にとって幸せであるか、豊かであるか、そこに
考え方を収れんしていくことで、単に物量やスピードだけを競うのではなく、だれもが安心して暮らせる、幸せに暮らせるという人間の精神的な視点や人間性を大切にした
社会構造へと変革することを目標に、
行政、製造、流通等を始め、
社会のパラダイムを大胆に変えていく必要があるのではないかと考えます。
調査会では、
ユニバーサル社会の
形成促進について、六名の外部の
参考人から、また本日は
政府参考人からも御
意見を伺いました。
障害者の
方々は、現在、
社会のあちこちに残っている
障害物を取り除き、安心して人間らしい生活ができる
社会にしてほしい、つまり
バリアフリーを実現してほしいという心の叫びを述べられました。その具体的な問題の所在の鋭い
指摘に、これまで、
障害者の視点からは不十分な
社会の在り方や構造を再認識させられ、その主張には胸を打たれるものがありました。
また、
行政の立場からは、現在展開している
ユニバーサル社会を形成していくための
施策や今後の
方向性などを伺いました。どんな
社会にしたら県民や市民が暮らしやすい
ユニバーサル社会になるかを考え、そこに住む人のみならず、訪れる
方々にももてなしの気持ちで迎え入れる、外に開かれた
ユニバーサル社会にしていきたいという
行政の立場からの考えを伺いました。
重度の
障害児を持つ
参考人からは、今後のあるべき
社会に転換していくためには、私
たちがこれまで
障害者や
高齢者に対して向けてきたまなざしや
考え方そのものを百八十度転換していくことが必要であるという、ある
意味では衝撃的な話を伺いました。
さらに、企業において
ユニバーサルデザインに携わっている
参考人からは、
ユニバーサルデザインとはすべての人のデザインであり、本来の
物づくりの姿であることを伺い、感銘を受けました。
これまで
ユニバーサル社会という
言葉そのものになじみのなかった私
たちにとって、各
参考人が向き合っている問題や取り組んでいる
課題の中で語られた
ユニバーサル社会像は新鮮なすがすがしいものとして受け止めることができました。しかし、
ユニバーサル社会という
言葉の中身は語る人によって微妙な違いを抱えているようにも感じられました。
今後は、この
ユニバーサル社会という
言葉が広く
社会の中に浸透し、人々の間で親しみを持って
共通の概念の下で語られるように発展していくことを願うものであります。
私は、私がこれまで携わってきた郵政
事業に照らして考えてみると、全国津々浦々、どこでもだれにでも同じ
サービスが行き届くようにすることを私
たちはごく自然な発想で
ユニバーサルサービスと呼んできました。これも
ユニバーサル社会の
一つだと思います。利益だけを追求したら全国で二万四千七百の郵便局ネットワークを維持することはできません。ましてや、過疎地域で郵便配達員が独居老人に声を掛けて御用聞きを行うひまわり
サービスは、スピードだけを重視したらとてもできるものではありません。百三十年間にわたり公的な郵政
事業を営んできた郵便局の現場では、無
意識のうちに人間に対する
サービスなのだという
共通の認識ができていたと経験的に思うところですが、こうした
ユニバーサル社会を創造していくためには、三百六十五日、二十四時間対応できる
社会システムも欠かせません。基礎の部分、例えば最低限、消防や救急がなければ安心して何もできないように、現実には公的な役割、私的な役割が多角的、重層的に、様々な事態に対応できる仕組みが有効に機能し合って初めて今日の
社会が成り立っていることを忘れてはなりません。
私
たち人間は
社会的な存在として生きていますが、その
社会の中で生きていくには自助、公助、共助の確立が重要です。申すまでもなく、自助とはまず自分の力で何事もやってみることですが、個人の力には限界があります。そのときには
行政など公の力をかりる、すなわち公助を受けることになります。公の役割は欠かせませんが、
行政にも予算の制約等の限界が出てまいります。その際に、周囲の地域や職場の人々が互いに
支え合う共助が必要になると思うのであります。楽観的に過ぎるかもしれませんが、共助には無限の可能性が秘められているとすら思っております。自助、公助、共助という重層的な
社会システムを
構築していくことが、すなわち
ユニバーサル社会の形成の早道なのではないかと考えるものであります。
経済社会の進歩とともに、
社会の組織や研究
分野が細分化され、それぞれの
分野がますます専門性を強めております。細分化と専門性、それ自体は
社会の進歩にとって必要なことではありますが、それだけでは
社会の中で有効に機能していくとは思われません。個々の専門
分野を有機的につなぎ合わせ、
社会の中にフィードバックしていくことが大切です。すなわち、分散と集中、これをつなぎ合わせていく仕組みを作ることが重要だということです。
私は、これまでの
経済社会の発展はサイエンステクノロジーに偏り過ぎてきたと思います。科学技術の進歩発展と効率性だけを中心に考えてきた結果、私
たちは
社会の中で暮らしていく上で最も重要な他人への思いやり、他人への愛というものを見失ってきたと感じています。その
意味において、科学技術が発達すればするほど、これからの
社会の中では義理人情的な人間同士のコミュニケーションが重要になってくると考えるのであります。
参考人が述べられた、IT技術の進歩で、余りに反応速度の速過ぎる駅の切符販売機や銀行の自動預け払い機が、果たして私
たちの感性に合っているかという疑問には印象的でした。人間性を決して忘れずに、義理人情という人間を大切にした日本文化もこれから
ユニバーサル社会形成を
支える精神的支柱の
一つとして再認識されるべきではないかと考えておりますことを申し上げまして、私の
意見表明を終わります。
ありがとうございました。