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2004-02-18 第159回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十六年二月十八日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  二月十七日     辞任         補欠選任         加納 時男君     佐々木知子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         関谷 勝嗣君     理 事                 愛知 治郎君                 岩本  司君                 田村 秀昭君                 高野 博師君                 緒方 靖夫君     委 員                 入澤  肇君                 佐々木知子君                 椎名 一保君                 西銘順志郎君                 野上浩太郎君                 三浦 一水君                 池口 修次君                 今泉  昭君                 小川 勝也君                 田名部匡省君                 広野ただし君                 荒木 清寛君                 池田 幹幸君                 大田 昌秀君    事務局側        第一特別調査室        長        渋川 文隆君    参考人        東京工業大学大        学院社会理工学        研究科教授    橋爪三郎君        一橋大学大学院        経済学研究科教        授        加藤  博君        大東文化大学国        際関係学部教授        元駐エジプト大        使        元駐イラク大使  片倉 邦雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (「新しい共存時代における日本役割」の  うち、イスラム世界日本対応イスラム社  会との相互理解促進のための課題)について)     ─────────────
  2. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨十七日、加納時男君が委員を辞任され、その補欠として佐々木知子君が選任されました。     ─────────────
  3. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会調査テーマである「新しい共存時代における日本役割」のうち、イスラム世界日本対応に関し、イスラム社会との相互理解促進のための課題について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  本日は、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授橋爪三郎参考人一橋大学大学院経済学研究科教授加藤博参考人及び大東文化大学国際関係学部教授・元駐エジプト大使・元駐イラク大使片倉邦雄参考人に御出席をいただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。  本調査会では、イスラム世界日本対応について重点的かつ多角的な調査を進めておりますが、本日は、イスラム社会との相互理解促進のための課題について参考人から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず橋爪参考人加藤参考人片倉参考人の順でお一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、橋爪参考人から御意見をお述べいただきます。橋爪参考人、お願いいたします。
  4. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 橋爪でございます。文明間対話の継続というテーマで二十分ほどお話ししたいと思います。  私は、社会学専門にいたしておりまして、イスラム専門家でもないのですけれども、御縁がございまして、外務省で行っておりますイスラムとの文明間対話のシリーズがございますが、一昨年でしたか、バハレーンで第一回が行われまして、昨年東京で第二回が行われました。どちらも参加しております。この次はイランで行われると聞いております。そういう経験も踏まえまして、社会学の見地から文明間対話について幾つか述べたいと思います。  第一に、対話を行う場合には対話の主体はだれなのか、だれとだれが対話をするのかということが大事になるんですが、ここがまず意外に難しゅうございます。  日本では、外交というのは国が行うものであると、それ以外の団体、地方自治体であるとか民間の企業であるとか個人であるとかは、余りそういうことは行わないというふうな暗黙前提があるんですけれども、イスラム世界に関して言いますと、この前提が余り成り立っていないのではないかというふうに考えられます。  イスラム圏諸国は、まず国を超えた人類大共同体というのが存在するんだという強い信念を持っております。このイスラム共同体はウンマというふうに呼ばれておりますけれども、それはまず民族を超越しております。ムスリムにはアラビア人アラブ民族もありますけれども、ペルシャ人とかトルコ人とか様々な民族がここに加わっております。また、政治的国家も超越しておりまして、理想的には一つ国家になるのがいいんですけれども、歴史的にはいろいろ分裂してきました。こういう国家を超えた存在というのに対する信頼があります。  その下に国家がありますが、それは世俗の人為的な組織でありまして、日本国家のような重みというのがない場合もあります。更にその下に地域社会や部族や家族や、また宗教の宗派ですね、シーア派スンニ派スンニ派の中にも様々な法学派とかあるわけなんですけれども、こういう細かなジャンルがありまして、国家相対的位置が比較的低いということになります。  そうすると、国と国が対話をしていればいいというものではなくて、この各レベル相手にして、それぞれに納得できるような情報を提供し、対話を続けるということがイスラム圏にとっては大事になります。その意味で、日本に比べますと、国家、国民の輪郭がはっきりしていないと思います。  また、外交とそれ以外の活動、商売ですとか文化交流ですとか、ただの友好関係とかいうものの区別も余りはっきりいたしておりません。ですから、私どもは外交というジャンルを超えて対話というものを構想しないと相手に届くメッセージが伝わらないということがあるのではないかと、これが一の一のところでございます。  もう一つ難しい問題があるのは、日本イスラムというものの関係なんですけれども、日本というのは実は文明かどうかという点が一つ大事になるんですけれども、私の理解文化であると。文化であるけれども、文化を超える要素があると。しかし、いわゆる文明というふうには言えないのではないかというふうに思っています。文明というのはいろんな定義ございますけれども、様々な民族を含む、様々な国家を含む、単なる文化を超えたものであると。ローマ帝国のローマ文明にせよ、イスラム文明にせよ、中国文明にせよ、そういうものなんですけれども、日本日本人だけでできた日本文化を基礎にしたまとまりですので、文明と言いにくい面があります。  しかし、イスラム圏になりますと、これはもう完全に文明でして、地域民族を超えた共通考え方行動様式を持っています。日本にはそれに匹敵するものが実はないので、対話をするときに象とネズミの対話のような感じになって、対等でないという感じになることがあります。これを十分注意するという点が二番目に大事な点かと思います。  では、対話の中身、二番ですが、対話はどうやって成立するのかという具体的なところを見ていきたいんですが、対話を行うためには言葉を使わなければなりません。対話というのは言葉を使う交流の技術ですね。その言葉をどうやって見付けるかということなんですが、普通、言葉を使っているわけなんですけれども、これでは不十分ではないかと思われます。適切な言葉を使うということは適切な概念を見付けてくるということなんですが、しばしばこの対話に必要な共通概念というのが存在しない場合があるんです。  日本社会をまず説明するということを考えてみますと、一番簡単なのは、日本人の常識を日本語で語るということなんです。しかし、ありがちなことなんですけれども、一番外国の人が日本について知りたい情報というのは余りに当たり前なので、日本社会の中ではそれが言葉になっておりません。逆もそうで、イスラムについて理解しようと思いますと、アラビア語なり彼らの言葉理解すればいいのかというと、一番大事な情報ほど暗黙前提になっていて、彼らが自覚していないということがあります。  実は、本質的な対話を行うためには、日本前提となっている暗黙価値観思考方法、これを客観化して相手に伝える、相手に同じことをやっぱりやってもらうと、こういうことをしませんと、非常に表面的なものになってしまうわけですね。この作業は案外難しいというふうに思われます。  二の二の方に移りますけれども、次に、どういう言語対話を行うかということも実はなかなか大変で、日本語を使おうとしますと、まず相手に伝わらないということもありますし、先ほど申しましたようにまず概念がないということなんですね。実用上やはり英語を使うというのが適当な方法かも分かりません。英語日本にとってもイスラム圏にとっても外国語ということになり、英語を話す知識人が大勢いるわけで、交流はできるんです。ただ、英語というのはやはりキリスト教をベースにした言語であるために、日本文化イスラム文明を表現するのに不適切な場合も多々あるわけです。簡単に言うと、バイアスが掛かってしまうわけですね。このことを取り除く方法というのを十分考えないならば、英語を使う対話というのは大変危険になります。  では、アラビア語を使えばよいか。これもなかなか難しくて、アラビア語ができる日本人の絶対数が大変に少なくなっています。さらに、困難な問題として、現代日本語アラビア語対応するようにできていません。英語フランス語、ドイツ語は、明治の翻訳文化関係でほぼ対応する語彙が日本語の中にありますので比較的簡単なんですけれども、アラビア語日本語対応が付かないので、アラビア人にとって大変重要な概念を、では日本語でどう表現するかというときに大変難しい。こういうことからして、かなりの困難があるということを理解していただきたいわけです。  三番目に、異文化理解する場合の一般的な問題として、誤解が避けられないということがあると思います。  相手社会は、まず説明を理解する場合に、自分になぞらえて、自分の中に似たようなものがあった場合に、相手もそういうものであろうというふうに理解するわけですね。例えば、ピザであれば、お好み焼きのようなものであると考えると一応理解したことになるわけですが、実は大分違いますね。これは理解でありますが、誤解です。そういうわけです。  そこで、対話をするには、相手がこういうことを誤解するであろうということを織り込んでメッセージを送らなければ、誤解がそのままになってしまいます。これはかなり事前対話の準備というものが必要になりますし、相手考え方というものを十分理解していなければ、この誤解を避けるということは不可能なんですね。  そこで、対話に即しましては、こういうふうに理解してくださいという相手文化における脈絡をこちらから示唆するという方向で対話するのが大変望ましいと思います。  例えば、天皇将軍関係について説明しようと思うときに、天皇カリフのようなものである、将軍スルタンのようなものであると言いますと、イスラム圏の人であれば、ああなるほど、そうかと。カリフの方が偉くて、スルタンカリフに任命されるんだとか、そういうふうにある程度の即時に理解できると思います。しかし、カリフスルタンは、天皇将軍関係とは違うわけですね。ですから、「のようなものであるが……」と言って、その後、更に補正をする必要がありますね。こういうふうな努力というものが対話ではないかと。  こういう注意を欠いたまま、対話をすれば理解が深まり、理解が深まれば友好が増進されるというふうに短絡的に考えて対話のチャンスを増やす、予算を付けるというふうなことでは思うような効果が上がらないというのが私の予想です。  例えば、キリスト教圏イスラム圏ですが、対話をすればするほど仲が悪くなってしまうという側面があって、初めから対話をあきらめているという側面もあります。対話をすれば仲良くなるであろうというのは日本の一種の文化的な前提なのであって、これはこちらの側での思い込みですね。ほかの文明圏がそういうふうに考えているとは限りません。こういうふうなことが実際に対話を行う場合の注意点かと思います。  三番目に、では、政府なり国がどのように文明間対話を支援すればいいかということなんですが、私が思い付く提案を三つほど述べておきました。  まず第一に、日本社会理解される、それから相手社会理解できる、これにはいわゆる文化交流にとどまらない大きな利益があるんだということをよくよく認識すべきであると思います。ちょっとプリントがミスプリになっております。最後の「利益」は「べき」というふうに直していただければと思います。  安全保障にとっても、経済にとっても、文化交流にとっても、相手社会利益は不可欠な前提になるというふうに思います。なぜかというと、相手思考行動が予測可能になるからでして、これは大変に大きな情報になります。また、当方の思考行動相手に予測してもらえるという便宜がありますから、信頼を築くことができます。  その利益に見合った資源を事前に配分しておく、対話インフラを整備しておくということは国の適切な行動になると思うんですけれども、一つ考えられますのは、日本基幹図書計画的翻訳であります。イスラム圏大変出版事情が悪いらしくて、出版点数も少ないですし、そのうち日本に関するものは数えるほどであるというふうに聞いております。一般のアラビア語の読者が日本について知る機会は非常に少ないのですね。ですから、日本にとって非常に基本的であると思われる書物、古代、中世、近代のもの、そして重要な思想家のもの、文学の作品、政治的な経済的なテキストのようなものを計画的に翻訳していくと。これは文部科学省ないし文化庁の任務ではないかと思われます。  二番目に、文明を継続的に研究する機関というものを設置することも大事だと思いますが、日本にとって大事な外国、例えばアメリカとかイスラム圏というふうなものに対する研究所というものが実は日本に余りないので、戦略的な総合的な研究というのが推進しにくいうらみがあります。こういうものも必要かと思われます。  さらに三番目として、文明間対話を長期的に進める計画と、それに即するための競争的研究費を配分していくということも大事であろうかと思われます。  簡単でございますが、ほぼ以上でございます。
  5. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、加藤参考人から御意見をお述べいただきます。加藤参考人、よろしくお願いします。
  6. 加藤博

    参考人加藤博君) 私の方は、イスラム圏が非常に広いですので、私の専門であります中東、それも私が日ごろ接しております中東研究に関することに限って少しお話をさせていただきたいというふうに思っています。  レジュメに沿って話を進めていきますが、まず知っていただきたい第一点は、我が国中東研究者は、ここへ来まして、好むと好まざるとにかかわりなく、学問国際化の波をもろにかぶろうとしております。つまり、経済世界に始まるグローバル化流れ中東研究世界にまで及んでおりまして、この流れは二〇〇一年九月十一日の米国での同時多発テロ以降、急になりました。私が個人的に関係した中東研究グローバル化だけを取り上げましても、レジュメに書きました二つ企画があります。つまり、第一回中東学会世界大会の開催、これは世界各国中東学会に呼び掛けて開催されたものです。今年は、去年第一回で、今年はアメリカ、次は恐らく中東でなされると思います。  第二番目が社会科学研究評議会、ソーシャル・サイエンス・リサーチ・カウンシル、略称皆さんSSRCと呼んでおりますけれども、による中東北アフリカのプログラムです。とりわけこのSSRC企画というのは、現在中東研究においてどのようなグローバル化が進んでいるかということを端的に示す企画であると思います。  SSRCというのは、社会科学振興社会科学振興目的に一九二三年アメリカ合衆国に設立されました非利益、非政府系独立団体です。これまでアメリカ合衆国の若い社会科学者を援助してきましたけれども、近年はその援助の対象世界各国に広がりつつあります。このSSRCは、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロを契機に中東北アフリカプロジェクトを立ち上げ、中東研究組織化に動き出したと。実はそれ以前においては、アメリカ政府の方針もあって、中東研究というものに対するお金もカットされぎみだったんですけれども、この同時多発テロ以降、急に予算が増えると同時に、この言わばNGO団体であるSSRCもそれに関係して企画を立てたということです。  アメリカ合衆国という国における政治学問、とりわけ国益に直接関係するような地域研究においては非常に微妙な関係があるということは、お配りしました新聞、朝日新聞の記事を見ていただくだけでもお分かりになると思います。とりわけ二段落目最後の方、「法案の支持者によれば、米国中東研究の多くは親アラブで反米的なバイアスがかかっており、国益を害する研究に税金を与える訳にはいかない」という、これは極端な例でありましょうけれども、アメリカ合衆国というのが国益に関する地域研究の場合にはこのような形での議論を行ってきているということを知っていただきたいというふうに思います。  このSSRCですけれども、この企画の手始めとして、中東研究にとって重要と思われるフランスロシア日本の三か国の研究者を招きまして、それぞれの国の中東研究現状と今後の課題について意見を交換するという機会を何度も持っています。その目的は、北米中東学会アメリカの場合には北アフリカ、カナダと一緒に学会を行っておりますので北米中東学会と言っておりますけれども、この学会が行ったと全く同じフォーマットでそれぞれの国の中東研究に対するアンケート調査を実施するように提案することでした。  招集されたフランスロシア日本というこの三か国の組合せというのは実に絶妙でありまして、中東研究の長い歴史を持ち、アメリカ中東研究に対しても一家言を持つフランス東洋学の伝統を持ちながらも旧ソビエト連邦の崩壊によって一から中東研究を始めなければならなかったロシア、それから、中東から遠く離れているにもかかわらず中東研究に比較的多くの金を使っております日本という組合せだからです。  何やら現在の国際関係の縮図みたいなことが展開されているわけでありますけれども、議論は当然予想されるように、中東研究グローバル化、それもアメリカ主導グローバル化は可能であるのか。あるいは、そもそもそのようなグローバル化は必要であるのかということをめぐって展開してきました。  様々な意見がぶつかり合いましたけれども、この御時世にどこの国であってもアメリカ提案を拒否することはできないわけでして、結論として、三か国においてできる限りの統一的なフォーマットアンケート調査を実施して、世界中東研究関係情報を共有しようということになりました。  二番目に入りますけれども、じゃ、我が国中東研究者はこのようなグローバル化の動きをただ手をこまねいて見ているかというと、そうでは決してありません。というのは、この流れの中で実は実にうまく立ち回ってきたと私は思っています。  一九八五年には、地域研究学会として日本中東学会が結成されました。それまで中東研究がなかったわけではありません。ないどころか、我が国中東研究の水準と蓄積は大したものです。しかし、それは伝統的な東洋学の一環としてなされてきました。  日本中東学会で目指されたのは、中東一つ地域としてとらえ、地域としての中東を総合的に理解するということでした。こうして中東を総合的に理解するための人文社会科学としては大掛りなプロジェクト組織されることになりました。それは、詳しいことは省きますけれども、イスラム都市性プロジェクトというもの、あるいはイスラム地域研究プロジェクトというものでした。  この二つプロジェクトの担い手は、主として中東研究者でした。しかし、ともにイスラムを標語にしていることが示しますように、この十年、二十年で中東研究地域的な重点は中東からイスラム世界へとシフトしてきました。その背景には、当時の指導的中東研究者が次のような二つ時代流れに敏感で、それに鋭く反応したからだと思います。  第一は、一九八〇年代になりまして、それまでの政治イデオロギーでありましたアラブ民族主義など世俗的な民族主義がその権威を失墜させまして、それに代わってイスラム運動国際政治経済の場で注目を集めるようになったということです。  第二は、ほぼ時を同じくして、我が国において自然科学研究のみならず、人文社会科学研究においてもプロジェクト単位学際的研究活動必要性が自覚されるようになったということです。その結果として、近年における我が国中東研究は量的にも質的にも飛躍的な発展をし、研究国際化もまた大いに進捗したと思っています。  また、我が国中東研究者は、さきに指摘しましたようなアメリカ主導中東研究グローバル化に対処しつつ、独自の研究のネットワークを作るということも試みてまいりました。  その一つ外務省の主催する日本イスラム諸国知識人との間の文明間の対話プロジェクトへの参加でありますけれども、こうした個人レベル活動のほか組織レベルでも、日本中東学会さきに指摘した中東学会世界大会への参加のほか、アジア中東学会連合を八年前に組織いたしまして、東アジア三国、日本中国、韓国における研究者交流を図っております。誠に残念なことなんですけれども、さきの第一回中東学会世界大会に非欧米の学会で公式に参加を申し込んだのは日本中東学会だけでありました。これは、これから二十一世紀にとってアジアが重要なことを考えると非常に残念なことでありますけれども、現実に今の世界中東研究現状ではそういうことになっています。  その我が国における中東研究特徴というのは、時間の関係上詳しく申し上げませんけれども、レジュメに挙げた三点です。  第一は、好んで地理的、客観的空間としての定義の困難なイスラム世界一つ地域として設定し、研究対象とするということです。二番目は、イスラム世界から、現代まで、長いタイムスパンの中で事象を研究対象としているということです。三番目は、地域密着型の人文社会研究が多いということです。  この特徴は、お配りしました日本中東学会会員構成からも読み取れると思います。時間がないので解説しませんけれども、歴史家が多いだとか、それからアカデミシャンが多いだとか等々、いろいろありますけれども、もし時間があれば見ていただければと思います。  これは、SSRCさきに述べましたSSRCの会合のために私の親しい研究者が作成した資料の一部です。現在、日本中東学会のメンバー数は約六百五十名、ここ数年、毎年四十名程度の新規加入があります。ですから、地域研究学会としては比較的活発に活動している部類ではないかというふうに思っています。  そこから我が国中東研究ならではの多くの成果が生み出されてまいりました。その最大の貢献は、我田引水的な発言でありますけれども、言わば現実には存在していないとも言えるイスラム世界という地域単位を設定することによって、従来の地域研究では無視あるいは軽視される嫌いのありました国家を超えるグローバルな問題群に光を当てたということです。  今、橋爪先生が日本イスラム世界理解の困難を御指摘くださいましたけれども、正にそのとおりでありますけれども、日本はどうして文明だとかイスラムに興味を持つのかというのも、恐らくこのような研究者のありようと深く関係していることではないかというふうに思われます。  次に、三番目に参りますけれども、よくあることでありますが、長所と短所というのはコインの裏表のようなものでありまして、時として長所というのは短所となったり、あるいは短所を映し出す鏡となります。つまり、これまで述べてきた我が国中東研究特徴は、同時に我が国中東研究に何が足りないかをもよく示しています。  それを一言で述べれば、地域研究に対する評価としては誠に逆説的なんでありますけれども、なぜならば、地域研究と称しているわけでありますけれども、我が国中東研究には地域性が極めて希薄だということです。  このことをもっと具体的に整理したのがレジュメで指摘した三点でして、第一番目として、基礎研究が多くて応用あるいは政策提言的志向の研究が少ないということです。第二は、現代関係研究が少ないということです。三番目は、社会科学関係研究が少ないということであります。  確かに、これからの我々の社会というのは国家の枠組みを超えたグローバルな圏域で大きく変容するものと予想されます。しかし、だからといって国家が消えるわけではありませんし、これからも政治経済はもちろん、文化交流でさえ依然として国家単位でなされるに違いありません。にもかかわらず、イスラム世界という地域を設定し、イスラムという宗教を研究の中心に置くならば、国家権力の磁場で生じている中東における現実の政治経済社会問題をぼやけさせ、分析し損なうのではないかというわけです。  こうして、善きにつけあしきにつけ、我が国中東研究特徴を成してきましたイスラム世界という地域単位で研究することに対する批判は、とりわけ現代研究を志す若い世代の研究者の間で最近強まっています。恐らく、それに対して我々シニアの方も対応しなければならないというふうに考えているわけです。  最後、大きなことは言えませんけれども、個人的な観点から、日本におけるイスラム世界理解の促進に何が必要なのであろうかということを簡単に五分ばかりで述べさせていただきます。  それでは、どうすれば中東を少しでも理解できるようになるかということでありますけれども、中東理解の手段としてすぐに思い付くのは、レジュメで挙げました対話情報収集ということです。  対話については、これは先ほどの橋爪先生と正に同じことを言おうとしているわけでありますけれども、現在進められている文明間の対話を含めて様々なレベルで一層推進してもらいたいと思いますし、しなければいけないと思います。  しかし、対費用効果を考えると、対話は大変だろうなと人ごとながら思います。というのも、中東は第一に、国家社会が乖離している、国家で考えていることと社会、人々が考えていることが必ずしも一致していない、あるいは非常に離れているということです。第二に、様々な民族、宗教、宗派から成る複合社会であるということです。そして第三に、住民、多数住民の宗教であるイスラムは、イスラムには中央集権的な権威が存在しないということです。  この三つを考えると、一体だれと対話をするのかということを慎重に見極めないと、その効果が期待できないということです。現実に、イラクの統治の問題においても、一体だれというのは、この三つの点において非常に重要であって、かえって対話する相手を間違えると事を複雑にしてしまうということが中東にはよくあります。  第二の情報収集については、これは全くの個人的な体験をしゃべらせていただきます。  ここでの情報というのは、我が国中東学会で欠けていると思われる社会科学関係情報です。人文科学関係情報については、既に述べた我が国中東学会特徴を反映しまして大変な蓄積があります。したがって、ここでは述べません。更に一層蓄積が進むことを私は望んでおります。  私は、経済学部に所属しておりまして経済史を担当しております。しかし、私の経済史というのは経済というよりも歴史に重点が置かれたものでありまして、実際、個人的には、ほこりにまみれた文書を解読してこれまで知られなかった世界を復元することに喜びを感じるようなたぐいの人間です。  しかし、五十を過ぎまして、自分の楽しみだけの研究もあるまいと思いまして、少しは人様に、なるためにも、何かをと思って思い付いたのが、さきに挙げた我が国では欠けている社会科学中東研究にどう道筋を付けるかということです。そして、社会科学的な研究といえば、何よりも経験的なデータ、情報、それも自ら得るデータと情報の収集が不可欠です。ところが、この出発点で私は暗礁に乗り上げてしまった。  まず、アメリカフランス、エジプトの研究機関、とりわけ体系立った研究システムを持つアメリカフランス研究機関にまずアプローチをしました。既に現地での社会調査を始めとした情報収集の経験を積んでおります欧米研究機関に共同研究を持ち掛けて、研究のための収集した情報を共有しようと提案したんです。ところが、共同研究はともかく、情報の共有はことごとく拒否されました。お金を出してくれれば調査報告書は与えますけれども、分析の基になったデータ、情報は参照させないというわけです。  彼らの主張も分からないわけではありませんで、現在でも、エジプトでは自由にエジプト研究者でさえ社会調査等々ができません。したがって、外国研究者社会調査をするためには長い時間を掛けて国から調査許可証を得なければならない。このようにして得たデータ、情報を、共同研究者として金を出すからといって、そうやすやすと日本人研究者に与えるわけがないというふうに思います。  そこで、私は頭を切り替えまして、欧米の研究機関に頼りに、欧米機関を頼りにせずに何とか日本独自のチャンネルでエジプト当局に直接働き掛けてデータ、情報を得ることができないものかと思ったわけです。  行ったことは二つでして、第一は、日本大使館の文化センター、日本学術振興会、日本国際交流基金、JICAなど、カイロにある研究関係する日本の機関に助力を求めることです。第二は、エジプトでの社会調査の許可証を出す中央統計局に直接掛け合うということでした。  結果としては、多くの偶然も重なって、その一つは、アメリカと、アメリカ研究者としては、一緒に研究をしたくないという何か面白い理由もあったんでありますけれども、日本人研究者としては初めてエジプトでの社会調査の許可を得て、一昨年より中央統計局との合同研究という形で、エジプト都市部、農村部での大規模な世帯調査を行うことができるようになりまして、現在でも行っています。その過程で接触した日本の諸機関から様々な援助、助けをいただきました。  そして、そのときに強く感じましたのが、もう時間がありませんけれども、レジュメで指摘した三点でありまして、日本独自の情報収集が是非必要である、二番目は、連携した、日本の諸機関で連携した情報収集システムが是非とも必要である、三番目は、社会との接触の中での情報収集が必要であるということです。是非とも国を挙げて日本独自の情報を収集するチャンネルやシステムを作っていただきたいというふうに私は思います。  パレスチナ・イスラエル紛争だとか石油だとかイスラム、この三つのある中東は恐らく今後の世界政治経済において最も戦略的に取り組まねばならない地域一つであると思いますので、そのことが日本国益にもつながると思いますので、是非考えていただければというふうに思います。  済みません、ちょっと時間が長くなりましたけれども、以上で私の報告を終わります。
  7. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、片倉参考人から御意見をお述べいただきます。片倉参考人、お願いします。
  8. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) 私は四十年ばかり外務省に勤務した者でございまして、アラビストとして一九六〇年に中東の現場を踏んだわけでございます。湾岸のサウジアラビア、イラン、イラク、そして最後にエジプトで上がったわけでありますが、私の述べますことは、決して理論的に精緻なことではなく、むしろ実践的な体験論でございまして、何とかひねり出してどういうふうにするか、ハウツーといいますか、今後一体何を日本としてしていったらいいかというところに絞ってまいりたいと思います。  やはり、西アジア中東とは日本は一万キロも離れておりまして、歴史的な関係も非常に希薄であったと。明治維新前後まで日本はほとんどノータッチであり、やはりイギリス、フランスロシア、そしてアメリカの影響力を、アメリカが影響力を行使する地域であったわけであります。  これがぐっと日本に近づいたのは一九七三年、油かアラブかと言われました第一次石油危機、オイルショックのときでございまして、経済エネルギー交流というものが主体となって、このときは平和裏に交流が行われたというわけでありますが、言ってみれば、物である油が中心になって、商品として日本に安定供給を受けるために努力したわけであります。これがより深刻な、真剣な、大規模な日本人中東イスラムの人との接触に発展していきますのは、今から十三年前の第一次湾岸危機のときでございまして、これは非常に厳しい経験を強いられたわけですけれども、二百五十人から成る女性や子供も含む邦人人質が拘束されたということであります。  今回、イラク戦後に発展しております状況で、これは、政治的な立場は是非、いろいろ今激しく論じられているところでありますけれども、数百名あるいは千人に上る自衛隊員がこのイスラム世界の一角である南イラク、サマワに入っていくと、そしてイスラム社会とコンタクトを行うと。場合によっては、特にこれらの住民の対日理解がうまくいかない場合は犠牲者が出ると。もう既に外務省の優秀な二人の職員が犠牲になっておりますけれども、血が流れると。こういう非常に深刻な事態が予想されると。こういう意味で、正にイスラム諸国における対日理解の促進ということは焦眉のことであるというふうに考えております。  メモ書きに入りますが、第一は、ちょっと走ってまいりたいと思いますけれども、歴史的に見た場合に、言わば日本に対するイスラム諸国の古典的なイメージ、古典的なイメージというのは日本への敬意、あこがれであったというわけであります。  特に、日露戦争を機会日本女性を賛美する詩が教科書に表れる。これはエジプトのハーフィズ・イブラヒームという詩人の作品でありますが。また、エジプトの政治家ムスタファ・カーミルが日いずる国と日本を賛美して、近代化の手本にしようという記録が残っております。また、青年トルコ党の革命指導者カマール・アタチュルクも、正にオットマン帝国をひっくり返して近代化に向かった。その場合に日本のモデルがあったということであります。  さらに、時代が下りまして、日本での太平洋戦争以前あるいは戦中の回教研究熱というのは著しく高まったと。この国会におきましても、帝国議会でありますが、昭和十四、五年に谷外務大臣が日本の回教政策ということで議会演説をしている記録が残っておりますし、また林銑十郎首相が日本イスラムの父として、そういう名前をもらったこともあります。すなわち、主として日本がエネルギー確保のために目を向けていた南方、現在のインドネシア方面で宣撫工作とか占領政策の一環としてこの回教研究が使われたという歴史があります。  しかしながら、イスラム教徒はキブラ、すなわちメッカの方向しか祈らない。そちらの礼拝の方向は決まっておるわけですけれども、宮城遥拝を強いて反発を招いたというような記録が、ここにあります齋藤鎮男元大使の「私の軍政記」などで残っております。  戦後になりますと、やはり日本の独自のエネルギー開発ということで、出光の日章丸事件とかアラビア石油の第一号井の成功と、カフジでありますけれども、これが起こってまいりまして、イスラム諸国において日本は独自のエネルギー開発に乗り出してきているということで、この民族、こういう産油国における民族主義に呼応した日本のアプローチという意味で強い印象を与えたわけでありますが、一般的に言いますと、経済技術大国として近代化のモデル、勤勉実直な日本人、また終身雇用、年功序列といったような経済秩序、一般に経済至上主義の日本というイメージがあったかと思います。パキスタンのブットー元大統領のエコノミックアニマルといった日本に対する烙印というのもこの辺から出てきております。また、非核・平和国家中東問題では帝国主義あるいは植民地主義として主義国家でない日本、手を汚していない日本という意味で、パレスチナ問題等で期待感があったわけであります。  これらの言わば古典的なイメージというものが一九七〇年ぐらいから変容してきており、また対日イメージも変化してきているということを述べたいと思います。  これは、彼らの方が変わってきていると。民族主義からイスラム回帰へ。これは一九七九年のイラン・イスラム革命くらいから非常に明らかになってきておりますし、この二ページ目のところに現在も使われているイラクの国旗が図版でございますけれども、イラク共和国、サダム・フセインの下でアメリカに、あるいはサウジアラビアに対する敵意ということで、我々の方がイスラム世界では本尊であるというような考えで、第一次湾岸危機の際に、国歌に、アッラーホ・アクバル、神は偉大なりというものを付けたわけでありまして、これが実は私は非常に不思議だと思うんですけれども、サダム・フセインが倒れた後、現在もイラクの国旗としてそのままとどまっていると。最近来たイラクのサッカーの選手たちも胸に付けておるわけでありまして、この辺のところは彼らのアイデンティティーが定着しているのかなと思います。  第二番目に、実は、言わば成金国であった中東の産油国でも財政が悪化する、インテリ失業者が増大する。特に、都市部門におきましてインテリルンペンが多くなってきておりますし、就職難の時代に入っていると言えます。また、民族自決・抵抗運動と。これはパレスチナが大本でありますけれども、チェチェン、そして現在イラク、これはテロではないという主張を国連の累次の議論の中に展開していると。  それから三番目には、グローバライゼーションの一環でありますけれども、インターネット世代が増大して、世界のネットワークに直ちにつながるような世代が増えてきております。これに応じた新しいニーズも出てきていると。  四番目には、これは日本に対する彼らのイメージの中で深刻な部分でありますが、ネオコン対テロ闘争と。言わば異文化を武力によって制圧できると、そして民主化の押し付け、あるいは民主化ドミノを図っていくというアメリカの新しい現在の政策に日本は盲従しているんじゃないかと。これは今のイスラム諸国あるいは西アジアの人々と話すときにぶつけられる問題であります。  五番目には、ルックイースト政策の消滅ということでありますが、マハティールが現役のとき、そして現在もイスラム諸国会議のイデオローグとして発言をしたりしておりますが、どうも日本をお手本にしようといういわゆるルックイースト政策は何か撤回しているんじゃないかと。看板をどうも下ろしているようであります。  そこで、ハウツーでありますけれども、私は、日本に対する期待というのはソフトパワーとしての日本に期待する。  第一に、日本近代化の秘訣といたしまして和魂洋才を訴えるというのは、なかなかのアピール力があるのではないかと思います。  私自身も伝統スポーツ、柔道をやってきた者でありますが、そういう意味で国際交流基金にも出向し、伝統スポーツが中東あるいはイスラム圏との間には非常にいい交流の手段になるのではないかと今でも考えているものであります。  心技体の一致といったようなこの考え方というのは、もちろんこれを簡単に、何といいますか、モンタージュすることはできないんですけれども、イスラム教義上のタウヒード、統一というものにかなりオーバーラップするといいますか、輪郭が合うものがあって、この点はアピールすることがあると。  また、ODA、NGOにおける技術協力、特に医療分野における協力実績の拡大というのは、その協力に当たる医師あるいは看護婦が東洋医学の紹介も兼ねてそういうことを相手に訴えると。これは十世紀から十一世紀に近代医学の祖と言われます、あるいは統合医療の祖と言われますイブン・シナがイランにて、またアラブ圏におきましても非常な現在尊信をされております。欧米においてもこのイブン・シナに対する評価は非常に高いものがある。こういったようなイラクの十三病院に対する協力を行う場合もこういったようなものを考慮してこの医療を進め、医療分野における協力を進めるということは大切ではないかと思います。  二番目には、河野イニシアチブ、先ほどから両参考人が触れておられるところでありますが、これは是非イスラム考え方、イルムを知り得ることが人生最大の目的というのがコーランにもありますが、知的な交流というものを、知的対話というものは、この歯車がかみ合う分野であると。これはいろいろな分野で考えられますけれども、あるいは女性、メディア、あるいはその他のいろいろな分野で交流していくということはいいのではないかと思います。もう既に国際交流基金とかそのほかのNGOを通じて現地のニーズに応じた講演、音楽、演劇、展示、映像文化、特に劇画、漫画のたぐいでございますね、既に行われているわけでありますが、より積極的に大幅に拡大していく必要があるのではないかと思います。  四番目には、言葉の問題でありますが、アラビア語は国連の公用語六か国語の一つであります。イスラム諸国会議の中でもこのアラビア語の価値言語としての尊敬を集めているわけであります。したがいまして、まだアラビア語を十分にこなせる人は比較的少ないということは御指摘のとおりでありますが、外務省でも大体百人ぐらいはアラビストがいるわけです。使い物になるかどうか、第一級の通訳とかあるいは翻訳家ということになりますれば少ないと思いますけれども、これからもアラビア語、ペルシャ語、ヘブライ語といったような現地用語を作って、もっと積極的に作っていかなければならないのではないかと思います。  最後に、これはまあ私自身、あるいは私の家内もイスラム研究やっておりますが、二人のこだわりなんでございますが、日本における公共施設にメディテーションルーム、これは国連にもこのメディテーションルームが国連発足以来あることは御承知のとおりだと思います。瞑想の部屋、祈りの空間と。これは無宗教といいますか、特定宗教とはかかわりないんですけれども、このメディテーションルームをなぜ日本の公共施設は一つもないのかと。国連本部にもありますし、諸先生、海外に出張される場合に主要な国際空港に必ずあります。これはキリスト教の、あるいは回教、イスラム教、ユダヤ教、まあ祈りたい方は待合の間にちょっと入ってお祈りをする。そこには何もない、しかし瞑想の空間であると。祈りをする。  これは法制上、日本で問題なのかもしれませんが、かなり前から私も、例えば国際交流基金の語学センターにこの祈りの空間を置いたらいいんじゃないかと、原案はあるんですけれども、途中で必ずなくなるんですね。いやもったいないと。そのくらいなら研修室をもう一つというようなことで、常にこれは消えておりますが、ひとつこの点はイスラム教徒のみならず、日本のやはり精神文化を示すものということで、ひとつこのような形の瞑想空間を作るように御指導いただきたいと、こういうふうに思っているわけであります。
  9. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  これより質疑を行います。  本日も、あらかじめ質疑者を定めず、質疑応答を行います。  質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  できるだけ多くの委員の方々が質疑を行うことができますよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いいたします。  また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  なお、理事会協議の結果ではございますが、まず大会派順に各会派一人一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  まず、愛知治郎君。
  10. 愛知治郎

    ○愛知治郎君 自民党の愛知治郎と申します。本日は参考人の皆様におかれましてはお忙しい中、貴重な御意見をいただきまして本当にありがとうございます。  私自身、イスラム社会、現地に行ったことがない、その経験がないんで本当に分からなくて初歩的なことになるかもしれないですけれども、何点か質問させていただきたいというふうに考えております。  まず、橋爪参考人にお伺いをしたいんですが、対話の主体、これは非常に難しいということをおっしゃられましたけれども、じゃ果たしてその政府間の、政府間で仮にこう契約なり約束事をしたときのその効力とはどういうふうになっていくのか。また、いろいろ対話する相手もいると思うんです。例えば、部族長であるとか宗教的指導者であるとか、そういう方々に多分そうやっていろいろ約束事とか契約をしていくと思うんですけれども、その効力というのはどうなっていくのか。一部しか効かないのか、それともその一部においてですら人が替わればすべてほごにされてしまうのか。どういった対応を我々はしていけば、日本としてしていけばいいのかということをお伺いしたいと思います。  特に、先生おっしゃられた利益文化的、文明的なものだけではなくて経済的なものがメーンだと思うんですけれども、利益を与えていく必要があるというふうにおっしゃられたと思うんですが、その利益をどのような形でどこにもたらすのが一番有効的なのか、先生の御見解を詳しくお聞かせください。  続いて、加藤参考人になんですが、研究が必要であるというのは、私もそのとおりだと思いますし、もっともっと深くこれはじっくりと取り組まなくちゃいけない、しかも早急に日本独自の情報を持って取り組まなくてはいけないというふうには、全くの同感でありますが、この点で、これも文明とか文化のみならず、その経済的視点ですね、特にこの地域においては石油資源、天然資源ということを無視はできないのであって、この経済的視点の研究というのを今までしてきたことがあるのか、それから、これからどのように取り組んでいったらいいのか、御見解をお聞かせください。  次に、片倉参考人なんですが、イスラム諸国における対日理解ということなんですけれども、これは大変恐縮なことで、僕もびっくりしたんですけれども、イスラム諸国で最近、随分前にも言われていましたけれども、改めて、一般の方々にすごく人気があるというのが日本のドラマの「おしん」だということを改めてまた聞いたんですね。随分昔から言われていた話なんですが、今この時点でかなりブームになっているということを聞いたんですけれども、果たして、「おしん」、随分昔の話ですし、今の日本とは全く現実的に違う話なんで、一般の方がどのように日本に対するイメージを持っておられるのか、それが一点と。  インターネット等いろいろだんだん普及してくるとは思うんですが、この情報が広がることによって宗教的な価値観というのも随分変容していくんじゃないかと私自身は思っているんですけれども。といいますのも、これは聞いた話ですけれども、イスラム世界はほとんど情報のツールがなくて、情報がなかったおかげで、その部族であるとか、ほとんど言葉で伝統文化価値観などを伝えていたということが、インターネットなどの情報が普及することによっていろんな情報が入って受け取れるという状態になってきて、今までの宗教的価値観が随分変容してきたという話を私自身は聞いているんですが、この点について、どのような変化が起きているのか、御理解の範囲で結構ですのでお聞かせください。そして、今後、どのようなイスラム社会、変容があって、我々はどのように対応していったらいいのかを御意見をいただきたいと思います。  最後になりますが、お三方にですけれども、さっきちょっとサッカーの話が出たので、私自身も、これは余りにも稚拙な話で恐縮なんですが、トヨタカップというのがありまして、クラブチームの世界一を決めるというサッカーの大会なんですけれども、欧米のチームの優勝チームと南米の優勝チームが日本世界一を競って戦うということが日本で開催、十数年やられているんですけれども、理由はといいますと、欧米でやっても南米でやっても物すごく混乱が起きてしまう。戦いになって、みんな熱が、熱狂を帯び過ぎちゃって大混乱になってしまうので、安全な国日本でやろうということで開催されたらしいんですが、やはり世界の中でも、この中東においても、日本というのは欧米社会とはまた別の独自の路線で対応していくことが十分可能じゃないかというふうに思うんですが、その点、この国日本がどのような対応をしていったらいいのか、三参考人の御意見をお聞かせをください。よろしくお願いします。
  11. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 大変に難しいことを尋ねられてしまったという印象を持っておりますけれども、分かる範囲でお答えしたいと思いますが、まず第一に、先方は国のほかにたくさんの主体があって、しかも約束を厳密に守る文化でもないようなときにどういうふうにアプローチをすればいいのかというふうな御質問だと思うんですが、まず、その政府対政府ということでは、先方の政府も近代的な国家として国際法の枠組みの中で樹立されているわけですから、これは普通に対応していけばよい問題だというふうに思うんですね。  ただ、それ以外に、宗教的指導者ですとか部族長ですとか、こちらのよく、何というか、掌握できない、こちらに対応する機関がないような存在というものがあって、その影響力が無視できないという場合にどうしたらいいかということだと思うんですね。  現状はこういうふうになっていると思います。日本では、政府、外務省が現地にあるといたしまして、あと商社のような民間企業が出ておりまして、あと政府機関や大学の研究者とかばらばらに行っているわけですね。このばらばらな人たちがばらばらに行動していると。商社などを例に取りますと、商社というのは基本的に個別利害を考えますので、有力者がいたならば、適当にプレゼントですね、を贈ったりして商売の便宜を図ってもらうと、こういう情報を商社なりに集めて行動していると思うんですね。  ただ、個別企業にとって最大の利益をもたらすような、そういうやり方が仮にあったとして、全体の日本国の利益になるかということはまた別なんですね。ですから、国としては、個別企業がそうやっているけれども日本国としてはこの地域との最善の状態を作るのにどうしたらいいかという戦略が必要で、その戦略がないという点が今我が国の一番の問題なのではないかというふうに思います。  例えば、アメリカでしたらば、CIAのような機関があって、国外でも情報収集活動をしていて、国のために戦略を作りますが、我が国の場合はこれに当たるような機関がないんですね。国会もその一つだと思いますけれども、そういう戦略の必要性をまず認識していただくということが、一体日本利益を図るために何をすればいいかということのまず第一歩ではないかと。必ずしも専門家でない私は、取りあえずそういうふうにお答えしておきます。  それから、法律のことについてもう少しだけ申し上げますと、イスラム圏で一番難しいのはイスラム法と、それから世俗の法律、国会で通過する通常の法律との関係なんですね。イスラム法の中身というのは、民法とか憲法とか普通の法律で、非常に伝統的なものですから、しばしば重複してしまうわけです。矛盾してしまうわけです。  そこで、考え方としては三つぐらいありまして、一つは、イスラム法を基準にして、それと矛盾しない範囲でほかの立法行為も国会でやりなさい、イランのようなケースはこれに近いかと思うんですけれども、イスラム法が優位であるという主張ですね。もう一つは、世俗法が優位であって、イスラム法というのは世俗法に矛盾しない範囲でやってもよろしいと。これは多くのイスラム圏国家はこういうふうな構成を取っていると思うんですね。実態としてはこの中間というものもあり得るかと思うんです。  ですから、契約を結ぶときに世俗法に従って契約を結ぶと思うんですけれども、相手によってはイスラム法を準拠していて、イスラム法の考え方行動している伝統的な人たちもいるわけですから、法の概念を明確に、こちらで文脈を理解していれば、相手は法に従おうと思っているわけで、その点は、こちらが十分調査すれば、何ていうか、約束が予期しない形でほごにされてしまうということは防げるのではないかというふうに思っております。
  12. 加藤博

    参考人加藤博君) 今日、お話ししましたのは、日本中東学会及びその多くが大学で仕事をしている人間の話をいたしました。  その中で、社会科学的な、とりわけ経済的な研究が少ないというのはそのとおりだと思います。しかし、もちろん日本では経済学的な研究をしている研究所はたくさんございます。例えば、日本中東経済研究所もそうですし、それからエネルギー資源については巨大な研究機関もありますし、ですので、決してないわけではありません。  ですから、私がここで述べたいと思われた点は、大学の中で主流である中東あるいはイスラム研究の動向と、そういうシンクタンク的な研究機関でなされている経済政治的な分析動向というものが必ずしもうまくつながっていないということを御指摘したかったわけです。  その理由はなぜかというと、これは端的には、アメリカのブッシュ大統領がアラブ諸国の全部のGDP、国民総生産、を合わせてもフランスのGDPの半分ぐらいしかないじゃないかということを演説で言ったことがあったとかないとか言われておりますけれども、そんな極端ではないにしろ、中東イスラム世界のほとんどは健全な経済を営めるほどの規模を持っていない小国ばっかりです。ですから、私の友人、経済学をやっている友人によく言われるんですけれども、中東経済やっても面白くないだろうと、なぜならばそれぞれの国の規模が余りにも小さ過ぎるのでやっても経済学的に面白くないと。したがって、どうしても大学にいる人間は広域な、国家を超えた、例えば経済だったらエネルギーの問題だと思いますけれども、あと、例えば民族問題だとか、あるいは宗教問題という形で国家を超えたところで研究をしがちです。それは中東イスラム世界が極めて小さな国の集合体でしかないという、その認識は非常に重要なことだと思います。  ところが、個々具体的に外交政治問題で対処するときには国単位ですし、例えば今イラクの問題にしたって、じゃ一体イラクの専門家がいるのかというと、非常に限られた、それもよりグローバルな形でのイスラムだとかアラブだとかいう、あるいはエネルギーの問題との関係の中でイラク一国をどういうふうに位置付けられるかということが非常に難しいことに今なっているというふうに思います。  ですから、お答えは、経済学的な研究はこれまでになかったわけではありませんし、今後も恐らくなされると思いますけれども、それがアカデミックな中東研究者研究と必ずしも一体化してなされていない、それは非常に重要なことである、このそごというものを克服するのは非常に重要なことであるというのは、これは繰り返しですけれども、中東イスラム世界というのが極めて小さな国の集合体でしかない、しかし政治経済の現場においては国単位でしかなされることはないということを指摘したかったことです。  それから、よろしいんですか、橋爪先生はおっしゃいませんでしたけれども、第三番目の日本役割というかについて、いいんですか、ついでに。御指摘のとおり、私は会議なりなんなりその場というものは極めて重要だと思います。今、トヨタカップの例を持ち出されましたけれども、これは学生によく言うんですが、ユーラシア大陸、アジア大陸の中においてアジア大会に出てこない二つの国があるんだよと言うんですけれども、一つはイスラエル、一つはトルコです。恐らく私の印象の中では、私が小学校、中学校のころはイスラエルもアジア大会に出てきたと思っています。つい最近までトルコは出ていました。  ところが、恐らくイスラエルがアジア大会に出なくなったのは、アラブとの関係でサッカーの試合をすると血を見るようなことになるかもしれないというので離れていったんだと思います。ですけれども、それは恐らく内心は、ヨーロッパの方に自分たちは近親感を持っているんだと思います。同じことはトルコについても言えると思うんですね。トルコは、ほとんどアナトリア半島のユーラシア大陸に位置しているにもかかわらず、つい何回か前のアジア大会から出なくなりました。彼らはEUに入りたかったからだと思うんです。  ところが、この二国は、したがって中東の中では、あるいはイスラムの中では孤立しがちでありますけれども、そのときにエールを常に送ってくるのは日本なんですね。ですから、その意味で日本は微妙な立場に立つでしょうけれども、日本が間に立てば、例えば会議の場を設定すれば二つの国も来るかもしれない。彼らはアジアと考えていないか、日本アジアじゃないと、考えていないかもしれませんけれども、そういうことはあると思う。ですから、どこで会議を開くのかということは対中東イスラム問題での理解の中で決定的に重要なことだと私は思います。
  13. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) 愛知先生から御質問ありました「おしん」のことでありますが、これ、誠に一貫してイスラム、西アジア地域におきまして根強い人気があると。もう随分古い映画ではありますけれども、イラン、エジプト、そしてイラクにおきましても最近非常に人気番組として上映されているということなんですが、これもイスラム諸国における対日イメージという面からいきますと、これ、美しき誤解といいますか、私も先ほど指摘いたしましたような日本人の、古き良き日本人のイメージ、勤勉実直、忍耐、そして我慢して一生懸命働けば出世できると、こういったような「おしん」のイメージというものが彼らに、しかし依然としてアピールするところが大きいんじゃないかと思います。  やや古いイメージでずれがあるんですけれども、彼らの理想とする日本像というものが「おしん」に表れているのではないかと思います。これは黒澤作品の中での日本の侍のイメージ、これもまたあると思います。しかし、ここにずれがあるということはやはり事実でありまして、やっぱり新しい日本の、現在の日本のイメージというものを、日本に来て実際に日本の実情をつかんだ場合にがっかりする面もあるかもしれない。そういう意味で、イメージギャップという意味ではちょっとおっかない面もあると思います。  サッカーのことでありますが、トヨタカップ、確かに日本で、欧米でなく日本で、あるいは中東でなく日本で開催するということは、やはり非常に適切なことではないかと思います。ドーハの悲劇と言われましたあの一件が、しかし現在にまで日本、イラクの間のサッカー交流にずっとつながっていい影響を及ぼしていると。勝った、負けただけでなく、やっぱりそれだけの肉弾相打つといいますか、汗とあぶらで交流するという面、こういうことで重要なリンクになってきたのではないかと思いますので、常に日本は開催地として大きなサッカーの交流、サッカー交流の場を提供することはできる国だと思います。  それからインターネットの問題なんですけれども、確かにインターネットで直に映像が家庭、お茶の間に舞い込むという時代になってまいりまして、また主要な中東の国々、あるいはイスラム諸国の国々で、都市部のみならず農村部におきましてもこのインターネットカフェが青年の間で非常に人気を収めております。これは、日本が広報あるいは情報提供する場合には非常にいい手段ではありますが、しかし宗教的な価値観というものが崩れるおそれというのは、よりファンダメンタルな、何といいますか、非常に峻厳なイスラムファンダメンタリスト政権であればあるほど、そこに何らかの形で介入したり、あるいは制限したりしようとしておりますので、実際のところを言って、なかなかインターネットもつながらないという国々もかなり多い。これは意識的に外からの電波が、あるいは映像が入らないようにしている国もかなりあると思います。  そういう意味で、なかなかインターネットを使っての広報が成功するかどうかはまだ実験段階であると思いますが、しかし、私もごく最近サウジ、イラン、モロッコなどに行って見ましたんですけれども、BBC、CNN、フォックステレビ、そして最近ではアラビア語手段によるジャジーラ、それからMBC、サウジ系のミドル・イースト・ブロードキャスティングなどが各国にどんどん番組を送り込んでいるという状況でありますので、こういったようなアラビア語放送、テレビ放送というものも我が国の広報関係では大いに使ったらいいのではないかと。善し悪しは別としまして、最近の自衛隊派遣についての小泉発言も、実は字幕でジャジーラテレビでテロップで相当強力に流れておりまして、直でアラビア語を解する人々に対する訴えはかなりあったんじゃないかと私は思いました。
  14. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  それでは、続いて田村秀昭君。
  15. 田村秀昭

    ○田村秀昭君 民主党の田村でございます。  橋爪加藤参考人に、お二人にまず質問させていただきます。  今、御承知のように、自衛隊がイラクに派遣されておりますけれども、国会でいろんな議論がありましたけれども、行く人の立場に立った議論一つもありませんでした。そして、自衛隊が海外に派遣される場合というのは、私は、大多数の国民が敬愛と感謝の念を持って自衛隊を送り出さなけりゃならないと。行く方も、何か半分の人が反対していて半分の人が賛成しているようなときに、何か悪いことしに行くわけじゃないのに行くというのは、どうも自衛官の立場に立った場合にはいかがなものかと私は思うんですが、両参考人はどのようにお考えなのか。反対なら反対、賛成なら賛成、おかしいならおかしいとお答えください。  それから、片倉参考人には次のようなことを。私、最もアラビストとして、奥様共々、もとこ令夫人共々、アラビア語を流暢に話されて、外交官として非常に希有な存在であったというふうに私は尊敬をしておりますので、尊敬の念を持って質問させていただきます。  二月一日に旭川駐屯地で、番匠幸一郎派遣隊長に対して総理から隊旗の授与式がございました。私も、民主党では私一人だったんですが、出席させていただいて、非常に感動いたしました。日々、余り感動の少ない日々でございますので、特に政治に感動がございませんので、非常に一瞬でしたけれどもいい感動をしたと私は思っております。  それで、その中で、派遣隊員の人たちと会食をしたんですが、一人の下士官が、これは今派遣隊に行っている下士官、陸曹ですけれども、この人がこういうことを質問したんですね。自分日本の国を守るために自衛隊入ったんだと、イラク行くために、派遣されるというのは命とあらば致し方ないけれども、イラク行くために私は自衛隊入ったんじゃないと。  それで、これは政府の説明が不十分だからだと私は思うんですが、片倉内閣総理大臣だったらどのようにお答えになられるか、お尋ねをさせていただきます。こういう隊員が、なるほど、こういうことで自分たちは行くんだということをもっと納得しない限り、説明責任が果たされていないと私は思っておりますので、よろしくお願いいたします。
  16. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 第一の問題は、国論が割れている場合に自衛隊が派遣される、派遣される立場になった場合、どのように考えたらいいかというふうな御質問だったと思うんですけれども、この問題はとても簡単なように私には思います。  難しい政治的な問題であれば国論が割れるのは当然でありますが、そういうときほど国の意思を示さなければならないわけで、その任務は国会にございまして、国会は法律を通し、正規の手続によって正式な派遣命令が出た。公務員といたしましては、その公務に従うということは個人意見とかかわらず当然のことでございまして、そのために危険な任務を引き受けると。そういう公務に従っている公務員に対して、国民全体は意見を超えてその任務を全うするように祈り、また、万一不幸にも犠牲が出た場合にはそれを悼むと。これは、党派とか思想、信条にかかわらない、非常に根本的な人間の倫理ではないかというふうに思うわけです。  ですから、仮に国論が割れていても正式な派遣手続になった場合には、そのことはそれ以上考えないということが一応正しい態度ではないかと思います。  ベトナム戦争のときにも同じようなことが起こりました。今大統領候補者になっておりますケリー上院議員が、個人的にはいろいろあったのでしょうけれども、しかしその任務を全うしたということで国民の間で評価されていますが、それに対してブッシュ大統領のいろいろな兵役の記録がはっきりしないということなんですが、これは民主主義国でのやはり基本的な考え方であろうというふうに考えております。
  17. 加藤博

    参考人加藤博君) この場では日本イスラム世界との理解がいかにして可能かということでしゃべれというふうに、つもりで来ましたけれども、自分政治信条を問われるとは、そう思いませんでした。自衛隊の派遣の問題と、中東研究者として中東をどういうふうに理解するのかということは全く私は違った問題だというふうに考えています。  これは、もう二・一一のときからずっと言い続けてきたことなんですけれども、二・一一以降世界で起きていることは中東問題ではなくてアメリカ問題なんだと。アメリカがどのような形で今後の世界秩序を考えているかの問題であって、実は中東というのは、もちろんサダム・フセイン政権がどうのこうのということは別にして、降ってわいたような事件だったんだと思います。  ですから、二・一一以降中東は変わりましたでしょうか、どうですかというふうによく言われるんですけれども、これは変わりました。だけれども、それは、主体的に動いたからではなくて、国際情勢が客観的に動いたから大変に変わったということでして、自衛隊派遣も恐らくその文脈で考えれば、対アメリカの政策をどう判断するかと、アメリカ日本との関係をどうするかだと思います。ですから、この時点で私が賛成か反対かと言うことは差し控えますけれども、日本が今の状況を作り出したアメリカとどう付き合っていくのか、それの政治判断だと思っております。
  18. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 加藤参考人がおっしゃられましたように、どうぞ御自由に御意見を述べていただく調査会でございまして、答えたくないことは何にも答える必要はありません。  ちなみに、田村委員は防衛大学校卒業第一期生でございますから、そういう、どう言いましょうか、生い立ちの方でございますので、まあ多少失礼な質問になったかもしれませんが、調査会長として仲を取り持ちたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  19. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) 私、冒頭に申し上げましたように、イラクに十三年前、第一次湾岸危機のときに大使館を預かっておりまして、そのときに二百数十名の邦人人質をサダム・フセイン政権によって取られたわけであります。そういう意味で、そのころ、早く釈放せいということで連日のようにサダム・フセインの政権の指導者に働き掛けをしてきておりました。  まあ、バース党政権の責任者であろうと、あるいは市井のイラク人であろうと、やはり相手はなかなか海千山千の、アラブの中でも、例えばエジプト人に比較いたしましても、さんざんオットマン帝国、それより前にモンゴル、オットマン帝国、イギリス、ロシア等に征服され、占領され、そういったような経験がありますので、海千山千であると。しかし、当時いかに独裁者であってもおもしがありましたので、民族、宗教、宗派のモザイク構造がばらばらになることはなかった。  アメリカが今回イラク戦を開始するに当たって、サダム・フセインをぶっつぶせば民主化の芽が生えるというふうに考えたのではないかと思います。スローガンはフロム・バグダッド・ツー・ジェルサレムと、こういうことですね。まずイラクを押さえて、そこに民主化の芽を生やせば、これがパレスチナ問題にもいい影響を与える、隣のイランも急進イスラム過激派を抑え込むことができると。しかし、そうではなかった。  もちろん、田村先生言われたような御質問に対しましては、大義名分があったかどうか、この戦争がですね。私は、正当性とかあるいは合法性、国連の関連決議が十分であったかどうか。ドイツ、フランス等が、ロシア中国もそうですけれども、全く手を引いてしまったこの戦争に日本が軽々と理解し、そして支持するということを言ってしまったこと自体が十分な読みがなかったんじゃないかと思っております。  しかし、それはそれとしまして、旭川師団の自衛隊の方が出るに当たって、これはもちろん命令で出るわけですから、個人個人ではいろいろな感情はあると思いますけれども、しかし私は十分な準備をしてあげられたかどうかと。  非常に即席のアラビア語教習とか、それからブリーフィングですね、土地の事情、これはやったようでありますが、私から見れば、誠に広報担当官にしても隊長さんにしても、ちょっとアラビア語を聞きましたけれども、とてもじゃない、これは通じないんじゃないかなと思いますね。  それは、我々やっぱり外務省では三年掛かる特殊語学ということになっておりますので、それはなかなか容易じゃない。しかし、会話だけでも、カンバセーションだけでもアラビア語でまあまあ何とかという、何のために来ましたというようなことを、水作りに来まして戦いに来たのではございませんというようなことを繰り返し述べるとか、何とかいくんじゃないかと思うんですが、まず語学の研修。  それから、やっぱりイスラム社会、そして特に南のサマーワはやはりシーア派の住民が多いわけでありまして、シーア派特有の年中行事、このサイクル。イスラム暦の一月の九日、十日というのはタスア・アシュラといいまして巡礼者の、これを、我と我が身に鎖をぶつけまして、当てて行列をやるわけですね。中には、昔はビール瓶を割りまして額を割って血がだらだら流れるといったような、そういう流血を伴うような巡礼体験を行う。そのほかに、被圧迫意識、あるいは巡礼者、殉教意識といったような、シャヒードと言いますが、こういうものに対してはもう激しく共感を覚えるという、この地域の特有のそういったような背景というものは十分やはり皆隊員一人一人が考えていかなきゃいけない。  ハードで無反動銃を持っていくのはいいんですけれども、向こうで群衆が何かでこっちへ向かってきたと、これは制止してもなかなか止まらない。実は鎖を持っていると、何か凶器らしいものを持って、鎖を振り回してやってくると。これが実は年中行事のタスア・アシュラの殉教者祭であるということを知らないで無反動銃をぶっ放しちゃったら大変なことになるわけで、やはりかなりの、イスラム社会、あるいはシーア派特有のメンタリティー、あるいは年中行事というものを知っていないと危なくてしようがないと私は思うんです。  それからまた、もう一つは、やはり土地特有のクライメート、もう既に砂あらし、アッジャージと言われるものが吹き荒れて、いろいろ電子機器や何かに障害をもう及ぼしているようでありますが、もう既に四十度、三十五度から、もうやがて五十度になってくると。こういったような地域でありまして、それだけに、いったんちょっとイメージの、正にイメージギャップができますと、いろいろなことで支障が起こってくると。それに外から浸透してくるアルカイダその他の過激テロリストもいるでしょうから、族長を中心にこれらのテロリストの浸透を抑えてもらわなければいけない。そういったようなことを考えますと、決して準備は十分ではないというふうに考えます。  ですから、外交史をひもといてみますと、一九一八年から二二年まで四年、シベリア出兵をやりましたけれども、そのときもさんざんバルチザンに痛め付けられまして、結局撤兵した原敬内閣。後藤新平外務大臣のときだったと思いますが、軍の田中義一さんやなんかの行け行けどんどんをようやく収拾して、アメリカは二年で撤退してしまいましたから、その後ようやく収拾したんですけれども、尼港事件の後ですね。ですから、どうも私は、この何のため出兵、大義なき出師と言われたシベリア出兵を思い出して非常に背筋が寒くなるわけであります。現地を知る者の少しオーバーリアクションかもしれませんけれども、私はそのように感じております。
  20. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  続きまして、高野博師君。
  21. 高野博師

    ○高野博師君 最初に橋爪先生にお伺いいたしますが、文明間の対話ということと対比して文明間の衝突というのは一体どういうことなのか。対話というのはだれとだれが一体何について対話するのかという、非常に難しいというお話がありましたが、それでは文明間の衝突というのはどういう意味なのか。これはこの対話と逆の概念としてとらえていいのかどうか。  具体的に、例えば九・一一のあのテロ事件は文明間の衝突だと言う人も相当いました。いや、あれはそうではないと、単なるテロリストが犯罪を犯したにすぎないというとらえ方もありました。先生は具体的にどうとらえておられるのか。  もう一つ、先生自身が文明間の対話の会合に出られたわけですが、そこで何を一番訴えようとされたのか、それをお伺いしたいと思います。  それから、加藤先生の方には、この資料の中に、中東研究がねらい、米国では補助金の見直しという記事がありますが、アメリカ中東理解はもう最初からバイアスが掛かっているのかなという気がいたすんですが、中東歴史とか文化とか宗教とかそういうものを研究して、これは橋爪先生の言葉をかりれば、彼らの思考行動が予測できるということが一番大事なんだと思うんですが、そういうことからすると、このバイアスが掛かった研究をするとそういう行動なり思考というのはなかなか読めないんではないか。そういう研究に基づいて中東に民主化をするというのは、あるいは民主化を推し進めるというのは非常に無理があるんではないかと思うんですが、その辺どうお考えか、お伺いいたします。  片倉参考人には、アラビアの専門家として、なぜイスラムあるいはアラブ系の人がテロリストに、テロに走りやすいのか、これはどういうふうにとらえておられるのか。  それからもう一つは、自衛隊のイラク派遣後、もし現場にいたとしたら、どういう説明をすればイラクの国民というのは納得し歓迎をするのか、御意見を伺いたいと思います。
  22. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) お答えします。  まず、文明間の衝突ということをどういうふうに考えればよいかということなんですけれども、御承知のように、サミュエル・ハンチントンという学者が十年ぐらい前に最初に小さな論文でこのフレーズを使いました。  当時は、歴史の終えんとか、何か幾つかある提案一つだったんですけれども、専門家の間では、本当にそうかなということで、必ずしも賛成を得た意見ではなかったのです。しかし、専門家を外れた一般ジャーナリズムの間で文明間の衝突ということが非常に流布いたしまして、なお九・一一事件もありましたことから非常に大きな影響力を持つ言論の潮流になったというふうに考えています。ですから、専門家考え方と一般の受け止め方との間に大きなギャップがある議論ではないかというふうに思います。  これだけ一般に流布している考え方となった理由には、二つぐらい理由があると思うんですけれども、一つアメリカ国内の事情というものがありまして、アメリカでは冷戦が終わった後、軍縮の動きがありまして、軍隊の規模を小さくする。当然、関連産業も需要がなくなって不景気になってしまうわけなんですけれども、次の潜在的な脅威というものがあってほしいということがあるわけですから、そうすると、中国とかイスラム圏というものが共謀をいたしましてアメリカと対抗するということがありますと、そういうシナリオは大変有利なわけで、そういうことを殊更大げさに言い立てようという、そういう人々もいたのではないかと思います。  もう一つは、そういう意図と無関係に、この一九九〇年代から二十一世紀にかけての世界の動きなんですけれども、中国を代表といたしまして、インドもそうですけれども、非西欧圏の近代化が急速に進みまして、そこが新しい産業を興していると。GDPなども大変に成長いたしまして、近い将来、EUとかアメリカなどに匹敵する経済圏になっていくであろうという、こういう予測があるときに、彼らは従来の西欧諸国中心の近代化とは違ったプロセスを歩みそうだという、そういう予測がありまして、それへの不安感からこういう文明間の衝突という一つのシナリオに飛び付いたという、こういう側面もあるのかと思います。  私の理解を申し上げますと、文明の衝突ということで現在の世界情勢を理解するのは不正確であって、余りいいやり方ではないだろうと。また、九・一一の事件とか、様々なテロリストグループの動きは宗教に名をかりたテロリスト運動であり、大多数のイスラム圏の人々を代表するわけでもないし、ましてハンチントンが初期の論文で言っていたような文明間の衝突が迫っているということでもないと思います。しかし、言論がこれだけ流布していて、人々がそういう枠組みで物を見るようになったこと自体が一つ危険なことであるということは十分注意しなければいけないと、これが私の基本的な認識です。  次に、もう一つ、二回ほどありました文明間対話で私が何を訴えようとしたのかというふうなお尋ねでした。  実は、対話になる前の段階でいつも話が終わってしまうもどかしい感じというのが基本的な経験なのですけれども、私から見て、個人的なことを申しますと、対話参加する日本側のメンバーですけれども、中東研究者イスラム研究者というものが中心なのですね。そして、アラビア語も堪能な方々が多いんですけれども。しかし、彼らは基本的にイスラム中東情報を取ってきて日本に紹介するという役目の人たちであって、イスラム社会の側に日本情報を紹介するという専門家ではないんですね。そういう訓練もしていない。じゃ、だれが適任かというと、実はそういう人は存在しないわけで、なかなか困った問題になっているんですけれども。  例えばイスラム圏との対話ですと、私が、素人から考えますと、何を説明しなきゃいけないかというと、日本はこれだけアメリカと仲良くしているではないかと、アメリカの同盟国であり友好国である日本がなぜ今イスラム対話をしようとしているのかと、ここを説明しなかったら対話の出発点にならないわけなんですね。  ところが、日本の何というか、外交政策や文化的な問題は、全部相手国をばらばらにしまして、取りあえずまずイスラム対話をして仲良くなればいいと。自分を統一的に説明しようとしないわけなんですね。イスラムの側は、少なくともそういう戦略みたいなものがあって私たちに対話をしようとしていると、こういうことですので、なかなかその入口が突破できないということが現状ではないかというふうに率直に思っております。
  23. 加藤博

    参考人加藤博君) その前に、ちょっと係の方から指摘されたんですけれども、田村理事の質問に、少し頭に血が上ったのか、九・一一を二・一一と何か言ってしまったという話だそうですので、九・一一の間違いでございます。  御質問については非常に大きな問題で、錯綜したので、うまくお答えできるかどうか。  一つは、アメリカ中東理解についてバイアスが掛かっているんじゃないかというようなお話でした。  私は、やはりアメリカ中東をどのように見るかというときに、はっきり二つレベルで分けて考えるべきだと思います。一つ国益の問題です。それからもう一つは、オピニオンリーダーなのでしょう、中東研究者がどのように中東を見ているかという問題だと思います。  これは、二つははっきり分けて答える、考えなきゃいけない問題ですけれども、しばしばアメリカはこれを二つ結び付けた格好で動きがちです。特に地域研究の場合にはそのとおりでありまして、湾岸戦争以降、それまで例えばアメリカ地域研究への予算というのは東南アジアに集中していたと。ところが、中国が取りあえず脅威ではなくなったという場合に、御存じだと思いますけれども、東南アジアという地域概念というのは東アジアのうちの共産中国でない南を呼ぶために東南アジアという言葉を使っているわけで、その共産中国の脅威がなくなったとき、もう今はフィリピンでも何でもみんな東アジアという形でアメリカ研究者議論しています。ですから、当然もう東南アジアという地域概念を要らないということですので、予算を取り上げてしまう。そうすると、次どこかというと、湾岸戦争後の中央アジアという形で予算が中央アジアに付くという。  例えば大学の、大学院の最も有名な、文化人類学のテキストが、ザ・ミドルイーストという本があるんですけれども、ところが、その第四版になりますと、ミドルイースト・アンド・セントラルエーシアというのがぱっと、大先生でもテキストに使う本に入れてしまうと。そのように非常に敏感に研究者政治、国策に関与した形で研究をしますし、政府もまた、これを圧力というのかあるいは当たり前のことだというのか、私は少しは考え物だとは思ってはおりますけれども、そういう意味で政治経済政治研究学問との間に微妙な結び付きがあると。しかし、二つは考えるべきだと思います。考えて、国益の問題と研究者バイアスの問題。国益の場合には、これはもう国際関係論、国際政治経済の場でアメリカがどのような形をするかということが問題であります。  研究者の件については、これはアメリカ、例えばキリスト教イスラムというような対立というふうに見て、キリスト教徒とイスラム教徒は相ともに理解できないんじゃないかという議論が展開されますけれども、アメリカの対イスラム世界中東世界理解にゆがみをもたらしているのは恐らくユダヤ教の問題だと思います。ユダヤが入ることによってとにかく錯綜したものになっておりまして、それがある意味では原理主義的な突出したところで結び付いてしまっているようなところがあるのが今の状況だと思います。  ですから、そうしたアメリカ研究レベルにおけるバイアス、それは例えばイスラム教徒の若い人たちは非常に敏感に感じておりまして、例えばイスラム教徒、中東の人たちは、余りアメリカに、自然科学は別にして、人文社会科学へは留学したがりません。それは、アンチとは言いませんけれども、イスラムあるいは中東に対してネガティブな評価をする先生たちがほとんど、有名な大学ほどそうだというふうに彼らは思い込んでいるから、思い込みか実際かはよく分かりませんけれども、それで例えばカナダのマクギル大学だとかいう、ある意味で中立的な大学に流れる傾向がございます。  このように、バイアスといってもそう単純なものではないということが一つと、同時に、今の状況、私困ったものだと思いますけれども、それはアメリカ国益レベルでの問題と、それからアメリカにあるアカデミズムの中でのバイアスというのが結び付いてしまったような形で、ちょっとアメリカは強引なあのような行動を取っているというふうに私は非常に思っています。ですから、バイアスといっても単純ではないということだけを一つ。  もう一つは民主化の問題、これはもう大変な問題でありまして、どういうふうに答えようかというふうにおどおどしますけれども、ただ、一つ理解いただきたいのは、イスラム世界イスラムイスラムと言っておりますけれども、イスラム教徒だけの世界ではないんだということです。イスラム教徒にも様々なセクトがありますし、一〇%強ぐらいではありますけれども、非イスラム教徒も住んでいるわけです。ですから、イスラムですべてが中東だとかイスラム世界の問題が片付くかなんというととんでもない大間違いということになります。  それで、例えばサマーワ等々で自衛隊が行って平和が維持されるかもしれません、してほしいと思いますけれども、しかし政治を行っている方に考えてほしいのは、サマーワでの平和がイラクという国家の平和に必ずしもつながるものではないということです。それは、サマーワはある意味では、シーア派がどのぐらいいるのか私存じませんけれども、多数であって、シーア派を押さえればそれで済むというふうに考えていられると思うんですけれども、しかしサマーワを出た場合の地域がどういう人たちが住み、どういうものを考えているかということは必ずしも一緒ではない。したがって、それが足し算のようにしてイラクという国家の平和につながっていくものではないんだと。したがって、非常に大きな枠組みというものを必要とすると。民主化というのもやはりそうだと思います。  ですから、戦略として民主化はどう、アメリカ的な民主化は、私は無理じゃないかと思ってはいるんですけれども、民主化というやはり枠組みは作るべきだと私は思います。だから、そのときにどうするのか。私の能力に余る問題でありますけれども、ただ様々な思想を持った人たちがいろんなレベルで争い合っているのが事実です。ですから、イスラム教徒と非イスラム教徒、イスラムの中でもそうですし、民族的にもそうです。  ですから、その中で、穏健で、我々が理解可能なセクトも、人たちもいるわけですね。ところが、そういう人たちはしばしばテロに遭ったりして死んだりなんかして悲惨な状況にあるわけでありますけれども、やはりそういう人たちを見分けてサポートして、そういう人たちを中心に民主化を図っていく、そうしたことしかないんじゃないかというふうに私は思っています。
  24. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) まず第一に、高野先生が提起されました、なぜイスラム中東地域においてテロリストがどんどん出てくるのか、この点ですね。テロとかテロリストというのは、これまた定義をすることになりますと、国連の議論でももう本当に議論百出、日本の学者でも、おっしゃる一人一人によって定義が違うということなんですが、私はこれを、非常に現象面を具体的に考えて現象としてとらえた場合には、やはりある政治的な動機があって、そして暴力とか威嚇、そして自爆それから自殺といったような異常な手段に訴えて恐怖の拡散効果をねらう、往々にして不特定多数の非戦闘員、一般市民を巻き込んだ行動であると、こういうふうに考えるわけです。  そこで、イスラム起源のテロがいつから起こったかというふうに考えてみると、これは一九六〇年代、エジプトでいわゆる防衛的ジハード、聖戦という考えが特に出てきて、ジハードというのは元々、アラビア語では努力するといったような非常に日常的な言葉でありますが、外界、外敵の侵入とか、あるいは暴虐な支配者というものに対する抵抗、その論理としてこの防衛的ジハードという言葉が起こってきたのは、一九六〇年代の、特にエジプトでイスラム同胞団とかイフワーン・ムスリミーンと言われた人々、そしてガマーア・イスラミーヤ組織、こういったようなものが中心に、この防衛的ジハードのイデオローグが出てきたわけでございますね。  だけれども、実際の脅威として顕在化するのは一九七九年のイラン・イスラム革命以降、特にこれが出てきたと思います。そして、冷戦が終わって、アメリカの一方的な行動主義、しかも唯一のスーパーパワーとしての圧倒的な軍事力に基づく、軍事力を万能薬とするいわゆるテロの防圧、これに現在相呼応するようなイスラエルの占領政策、占領行政が暴力化してきている。この現象に対してパレスチナ人を中心に猛烈な反発と抵抗が出てきたということではないかと思います。  イラクで起こっていることも含めましてちょっと考えてみるならば、中国の戦略家、孫子の言葉ではありませんけれども、どうもアメリカは敵の内情もよく知らないで武力の強大さを誇示して、最新兵器を頼って力ずくで押さえようとしているけれども、相手はもちろんサダム・フセインの残党にしても、あるいは一般的な、一般市民の、特に肉親を殺傷されたような連中が恨みつらみということで必死になって抵抗している。  やっぱり敵国の、敵国といいますか、かつての敵国の文化価値観というものを十分理解することなくこの戦いを敢行してしまったというところに現在のアメリカの占領行政の悩みがあるのではないか。特に、今、人口六〇%を占めるシーア派の動向というものを十分察知できないで、単なるサダム・フセインに対する抵抗勢力ということでこれを信頼した。一定の信頼を、期待感を持って戦争を終結させたというところに現在の問題があると思います。  それから、第二の問題、これ大変難しいんですけれども、自衛隊のイラク派遣をどのように現場の住民に説得させるかということでありますね。  これは、一つは、第一の点は、サダム・フセインの統治下でありましたけれども、日本はイラクに対しまして一時は七千億円くらいの混合借款を与え、国づくり、特に十三病院とか石油関連プロジェクト、尿素プラント、あるいは製油所、それから教育施設、水利その他やってきたわけでございますね。これはもちろんバース党政権に裨益したということはあると思いますが、しかし、一般の人民としても福祉面での非常に利益するところがあって、現在も私は友好の言わば貯金が、友好の貯金がまだ残っていると。サマーワにおきましても十三病院の一つがあるわけでございまして、これを復旧してもらいたいというような期待は大きい。また、止まりがちの飲料水ですね、これのろ過をやってもらいたいと。  したがいまして、こういう期待に対して一刻も早く、水の一滴でも早く出してやるということが必要であり、とにかく目に物を見せなければ彼らはやはり信じないという面があると思います。しかし、まだ残っている友好の貯金。  第二の問題は、やはり、そういう意味で日章旗を付けて、日の丸を付けて来ておりますが、しかし知る人ぞ知るで、アメリカの占領行政の一環であると、こういう見方が当然あるわけでありまして、これに対する抵抗、反発というものもいずれは出てくるであろうから、日の丸というものも安全な、何といいますか、葵の御紋ではないわけですね。  私は、どうしてもいち早く、これは非常に難しい、六月の末までに主権の移譲をするということにはなっておりますが、これがずれ込んでくると思いますが、しかしできるだけ早く国連の枠をかぶせて、そして自衛隊の皆様にブルーヘルメットをかぶっていただくと、国連旗の下でこういう復興支援を行うと、こういう切替えをできるだけ早くやらなければ、やはり何らかの形で犠牲が出ることが予想されると思います。これは非常に深刻な問題だと思いますけれども、住民説得の手段というのは限られていると考えます。
  25. 高野博師

    ○高野博師君 ありがとうございました。
  26. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、緒方靖夫君。
  27. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。  三人の先生方、本当にありがとうございました。  最初に、片倉大使にお尋ねしたいと思います。  大使、それから夫人の著書や事典はいつも使わせていただいております。  私は、この二、三年の間、イスラム諸国をかなり訪問する機会がありました。その中ではサウジアラビアを訪問したときに、ジッダでOICの事務局を訪問して、それが機会になりまして、ちょうど昨年の十月にマレーシアでOICの首脳会議が行われたときにそこにゲストとして参加するという、本当に貴重な機会を得ることができたんですね。そこで改めて感じましたのは、イスラムというのは平等、平和、寛容、それを表しているということを感じてまいりました。  今日のテーマでいって、私が一番思うのは、対話で一番大事なことは何なのかということなんですけれども、結局、互いの価値観を認め合う、そしてある特定の価値観を他に押し付けない、これが一般的に言って非常に大事な点かなと思います。その点で、よくイラクの民主化ということが言われるわけですけれども、その内容がもし仮にアングロサクソンの価値観をイラクに持ってくるということならば、これはやはりなかなか成り立たない話ではないかと思います。  そこで、イルムのお話がありました。知的対話というのが何をもって成り立ち得るのか、これを長い経験をお持ちの大使にお伺いしたいと思います。  それからもう一つ、瞑想の空間のお話がありました。これは私もいつも痛感するんですが、どこへ行っても、どこでもそれが可能な場所なんですね。それが国際都市としての資格みたいなものだと思います。例えば、極端な話、これは特殊かもしれませんけれども、サウジの飛行機に乗ったら、サウジの飛行機の後ろの方には十何席かの分を、お祈りの空間を取っているわけですよね。しかし日本では、あってもそこに十字架が掛かっているとかそういうこともあったりして、結局すべての宗教に対応できる瞑想空間はほとんどないというのが実際だと思います。ですから、それがなかなかできないというお話いただきました。  これは、恐らくこの問題については、関谷会長にそれからまた委員部の方にもお願いして、やはりこの委員会として、恐らくこれはもう当然のことじゃないかと、なぜそれができないんだというふうに大使の話聞かれたと思うんですよ、皆さんは。ですから、これは是非御尽力いただいて、やはりこれができるようにするということが、東京があるいは日本のそのほかの主要都市が国際都市として通用する資格でもあると思いますので、そんな気持ちでお聞きしました。ですから、この問題について、もしここで話して差し支えないことがありましたらお聞きしたいというふうに思います。  それから、加藤先生にお伺いしたいのは、イスラムの中の非ムスリム部分というのは当然あるわけですけれども、同時に、非イスラム国の中でイスラム人口があるというケースがあると思うんですね。これは、例えば昨日、ちょうどジャパン・ファウンデーションと中東調査会などがイスラム共生という、そういうシンポジウムがありまして、大変面白く話を聞いたんですが、そこでタイのタクシン首相の政策主任顧問をしているパンサックさんが話したことが大変面白かったんですね。  つまり、タイという国は、人口で七%、パーセントはいろいろずれますけれども、そのぐらいイスラム人口がある、だから、仏教国であるけれども、同時にそれだけのものを抱えて、この間ずっと平和的に共存してきたと。そしてまた、今、近隣の諸国ともこの間共存してきたと。しかし、これがイスラムの中でなかなか騒がしいことが起こっている中で、なかなか難しい問題も起きているという話をしながら、しかし、自分たちは外交政策の中でイスラムをきちっととらえて、そして自分たちの外交を進めているんだという話をして、その話を聞きながら、なるほどACDというのはそこから生まれているんだという、その戦略性と視野を感じたわけですけれども。  そういう中で、何といいますか、そういうイスラムの人口が一定程度を占めているそういう国々の中で共存していくという、そういうケースを研究したら、日本イスラム人口というのは数えてみたら、何か聞くところによると一万人ぐらいいるというんですが、ですから、日本ではなかなかそういうことは成り立ち得ないと思うんですけれども、イスラムと付き合う上で非常に参考になることが多いのではないかと思うんですね。ですから、その点について先生のお考えをお伺いできたらと思います。  それから、橋爪先生にお伺いしたいんですけれども、イスラム全体と対話するときにはちょうど象とネズミですかの関係になってしまうという、そういうお話がありました。確かにそういうことになると思うんですけれども、同時に、イスラムというのは大変多様だと思うんですね。イスラム諸国の中にも紛争を抱えている国もある、領土問題もある。ですから、結局、イスラムを代表してそういうつもりで話す人はいるかもしれないけれども、結局、個々の国との付き合いということになるのかなとも思うんですね。  そうすると、結局、例えばイランの人たちと話をしてアラブと混同するとすぐに抗議が返ってくる、もうそういう特徴がありますよね。ですから、そういうことで考えると、個々の国の特徴とか歴史とか文化とか、そういうことを見た関係ですか、あるいはそういう対話ですか、そういうことが必要になるのかなという感じもするんですけれども、その分野での方法論といいますか、それについてお伺いできたらと思います。  以上です。
  28. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) 緒方先生、緒方委員の方から御指摘ありました点でありますけれども、確かに世界人口の中でイスラム人口ということになりますと十二億とか十三億、推定。その中でイスラムの発祥の地であるサウジを、サウジアラビアを中心とした中東は二億余りということになると思いますけれども、非常に多様な、スンニ、マジョリティーのスンニ、そしてイラン、イラクを中心とするシーアその他、いろいろなニュアンスを持った非常に多様な存在だと思うんですね。しかし、そこに共通項が当然あるわけでございまして、御指摘のように、非常に平等な、平和的な、寛容をモットーとするという意味で日常のイスラムは非常に平和を求める、そういう宗教だと思うんです。  しかしながら、いわゆる六信五行というのがございますけれども、特に五行では信仰告白とか、それから巡礼、それから断食、日に五回の祈祷、お祈り、そういったような、これはもう共通したことでありますけれども、そのほかに、実際には豚を食べないとか、いわゆるハラーラ、清浄なプロセスを経て屠殺した動物でなければ食べないとか、この点のやはり慣習といいますか、言わば生理的な嫌悪に通じるような食、食事上のタブーといったようなものもありますので、なかなか親しみを持てないという面はあるとは思いますけれども。  しかし、もう既に日本でも、亡くなった人をどこに埋めるかと。かつては山梨にありましたけれども、イスラム共同墓地を千葉の方にもまた新しく新設しているはずでありますし、それからイスラムの人たちが割合多いところは、埼玉県でも春日部市とか、あちらこちらに広がっているというようなことで、日常、市井の日本の一般市民とのコンタクトも随分出てきていると思います。  日本人のモスレムが何人かといえば、まあ一万人、多くて一万人ぐらいじゃないかと思うんですけれども、でも比較的若い方が、若い女性が入信して、結婚という機会に入信する人も多いようでありますが、結構そこそこ増えてきているということもあります。  そういうことで、接触面は非常に多くなってきているということは事実でありますし、ちょっと、瞑想空間につきましても大変温かい御理解をいただいて力強く思うわけでありますが、しかし、日韓共催のサッカー大会のこの機会に、例えば府中市でイスラム教徒のプレーヤーのためにキブラ、看板を出したと。キブラというのは、先ほどちょっと申し上げましたようなメッカの方向を、方角を示す、メッカの方向でありますが、それを道に立てて、なかなか、非常に気の利いたことをしていただいたと私は思っておりますが、公共施設でもそういうふうなことも行われておりますので、空港とか、あるいはホテルとか、そういうところでメディテーションルームができるのもそう遠くないんじゃないかと期待しております。  この知的な対話、確かにイルムを交流しようということでありますが、私は、やはり参加者、今までのような学者、研究者に偏ってはおりましたけれども、もっと広く経済、技術面の方々、実際に経済にかじを取っている方々とか、それからもちろん芸術、映像面の方々、そして女性、メディア、さらに宗教関係者なども含めて、非常に多角、できるだけ多角的な、多元的な交流が行われることが望ましいんじゃないかと、こういうふうに考えております。
  29. 加藤博

    参考人加藤博君) 御質問は、国家、主権国家の枠組みとイスラム教徒の関係というふうに私は理解しました。その際、恐らく国民のマジョリティーがイスラム教徒であるかあるいはマイノリティーにしかすぎないかは決定的に大きいと思います。ですから、それを混同して議論すると、イスラム、アンチイスラムかプロイスラムかのような議論になりがちだと思います。  マジョリティーの話は今御質問にはありませんでしたので、マイノリティーがイスラム教徒の場合の問題というふうに質問をとらえましたけれども、これは橋爪先生がちらっとおっしゃいましたけれども、イスラム教徒あるいはイスラムという宗教に対する不気味さ、これは欧米の人たちも、また日本人も一部感じていると思いますけれども、それは恐らく、彼らにはイスラムの、例えばカトリックのバチカンのような権威、権力の中心がないということです。  ですから、常にアナーキーな状態でイスラム教徒は宗教生活を行っているということでして、基本的には人と人との結び付きでしかないわけですので、アメーバーのようにどんどんどんどん広がっていってしまう。それは、当然それは国境がないわけですので、主権国家を担っている担当者としてはとんでもない脅威を感じるというのはこれはよく分かることだと思います。ですから、恐らくどこかで臨界点があるんだと思います。  イスラム教徒がマイノリティーである、それで共存できるというような形でおおらかに構えておられる段階と、ちょっと待てよと、国家という枠があるのにおまえたちちょっと少しは国家を尊べよというような段階が恐らくどこかに来るんだと思います。ですから、その段階がどこにあるのかというのはお国の事情によるんでしょうけれども、その二つははっきり分けて考えるべきだと思います。  日本の場合には、これはもうマイノリティーというか、余りにもマイノリティー過ぎますので、日本人国家の中でイスラム教徒がどういうふうにという議論がなされ、研究もなされていますけれども、恐らく余り重要な意味を持たないほどのマイノリティーなんだと思います。  面白いのは、例えば、最近の若い研究者はその辺は非常に柔軟な頭でもって研究しているんだなと思うんですけれども、日本にいるイスラム教徒を研究したり、あるいはイスラム教徒の男性と結婚している日本の女性等々にインタビュー等々しているわけですけれども、面白いのは、今、片倉先生がおっしゃいましたけれども、ハラール料理、要するにイスラムでなきゃ豚等々、イスラムで禁止されていない料理の店はイスラム教徒がいるところ、いろいろなところにあるわけですけれども、住民は別にイスラムが禁止していない料理なんという大げさなことを考えないですね。子供がアトピーで悩んでいたらしかるべきものしか食べられないわけですよね。健康食品といっても余り脂っこいものは食べないわけですよ。今、日本の食生活、日本人の食生活というのはいろんな形で展開しているわけであって、そこにエスニックなイスラム料理があったって何ら構わないじゃないかというおおような考えでハラール料理。  ところが、研究者はそれは何か社会にあつれきを起こしているんじゃないだろうかという、常にそういうふうに思ってしまう。特に、結婚の問題もそうでありまして、我々注意しなくちゃいけないのは、例えば日本人の女性がイスラム教徒の男性と結婚すると、きっと思想、信条が共通で、しかるべき場所で出会いの機会があって、それはイスラム教徒の多いところでというふうに根掘り葉掘り聞くわけですね。ところが、本人は、そんなことはありませんよと、通常の日本の男性とたまたま知り合って結婚しただけなんですと。結局、ただ結婚した男性がたまたまイスラム教徒であったということだけだと。信仰心厚いイスラム教徒の男性であるならば、結婚した女性をイスラム教徒にしないまでも、例えばユダヤ教徒だとかあるいはキリスト教徒にするかもしれません。  それはそれで許されるわけですから。それで済んでいたわけで、たまたま結婚した男性がイスラム教徒であったと、これで済むんですが、必ず問題があるのはその男性が母国に帰ったときです。一緒に帰ったとき、そのときには必ず社会的なあつれきでノイローゼになって、こんなはずじゃなかったと言って帰ってくる。それは日本イスラムがもうマイノリティー過ぎて余り社会的にも問題にもならないということなんだと思います。それはまだ日本は幸せなのか不幸なのか知りませんけれども、対イスラムとの関係における日常生活のレベルではそのようなレベルにあるんだと思います。  ただ、それがもっと大きな社会集団になり、さらにそれがマジョリティーを脅かすほどになると全く違った政治社会問題が出てくるんだと思います。
  30. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) イスラムは多様であるので国ごとの個別の付き合い方の方法があるのではないかと、そこについてのお尋ねだったというふうに思います。確かに、イスラムという世界といっても多様でして、御質問のように国ごとの対応というのがあってよろしいのかと思います。  概略的に私の印象を申しますと、イスラム世界の周辺部、その外側は非イスラム圏だという国の場合は、比較的自分たちがイスラム国家であってそうでない国もあるということを意識している場合が多くて、国ということをまとまりにしていると思います。こういう場合には国対国の付き合いになるので比較的簡単に付き合えると。マレーシアとかインドネシアとかバングラデシュとかパキスタンとかいう国は、国という意識が非常に強いというふうに思いますね。エジプトも入れてもいいのかもしれません。  しかし、その反対に、中東という地域はもうど真ん中であるために周りじゅうイスラムで、逆に国という意識が非常に少ないと。こういうところはイスラムという茫漠とした意識を持っている人が多いので、我々として戸惑ってしまうということを申し上げたわけなんですね。  もう少し子細に見ますと、どの国にも政治的リーダーというのがいるだろうと。それから、西洋化した知識人というのがいるわけですね。こういう人たちは国という意識を比較的持っていますので、普通に交流ができると。  ただ、イスラム圏はそのほかにイスラム知識人という人たちがいて、大抵イスラム法を研究したそういう知識人なんですが、この人たちは、どうも私の見るところ、国という観念との間に距離があって、むしろイスラムというアイデンティティーをしっかり持っている人がいると。それから、そのほかに膨大な数の民衆がいるわけですけれども、中東地域などですと、何というか、国とは違ったアイデンティティーを持っている人たちも一緒にいると。イスラム世界にもこの知識人や国の組合せがいろいろ違ってタイプが何種類もあるので、この国の場合はどういうふうなタイプに分類できるのかと、そしてその場合、この国で影響力を持っているのはだれで、働き掛けるのにはじゃだれをターゲットにしたらいいのか、これを個別に研究していくということが御指摘のように必要になるんだと思います。そこから先は私は専門家じゃないので詳しくはお答えできませんが、おおむね私の考えを申しました。
  31. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 ありがとうございました。
  32. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 次に、大田昌秀君。
  33. 大田昌秀

    ○大田昌秀君 社民党の大田でございます。よろしくお願いいたします。  最初に片倉先生にお聞きしたいんですが、先ほどのお話で、マレーシアのマハティールさんのルックイースト政策が撤回されたという趣旨のお話があったと思いますが、どうしてかということですね。なぜそのような状態に至ったかということを簡潔で結構でございますのでお願いします。  それと、今もちょっとお話がありましたけれども、エジプトの国民は今のイラク戦争についてどのような対応をしておられるのかということですね、政府も含めてですけれども。時間がありませんので簡潔にお願いいたします。  それから、加藤先生にお伺いしたいのは、先ほどのお話で、中東研究者学会に約六百五十名ほどいるというお話がございましたけれども、生徒たち、学生は一体どれくらいいるのか、もしお分かりでしたら教えていただきたい。それと、今の若い人たちが中東研究をするその動機というのは、いろいろあるでしょうが、大まかにとらえてどういう点が動機になっているかということですね。  それと、湾岸・中東地域にASEAN地域フォーラムみたいなのが作れる可能性はあるかどうか。ASEAN地域フォーラム、ARFみたいな、一つ安全保障政策として、あるいは経済的な共同体を作るという意味でのそういう地域フォーラムみたいなものが中東地域にできる可能性はいかがお考えかということですね。この二点。  それから、橋爪先生にお伺いしたい。  たくさんの面白そうな論文をお書きですが、その中から、「戦争の効力とテロ抑制の道順」という論文をお書きですが、テロ抑制の道順について、時間がないので簡潔で結構でございますので教えていただきたい。  それから、「テロと特攻の混同」という論文をお書きですが、一般的にはよく混同されていると思いますけれども、テロと特攻隊の違いというのは基本的にどういうところにあるか、ちょっと教えていただきたいと思います。  以上です。
  34. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) マハティールが特に現役のときに、やはり日本の近代化のパターンといいますか、また日本人の勤勉さ、それから独自なアジア的な経営方法といいますか、非常に人間的な温かみのある、そういうファミリービジネス的な手法、恐らくホンダとかそういうところがパターンになっていたと思いますけれども、こういうものによってジャパン・アズ・ナンバーワンというような、ナンバーワンにならんとするような勢いで昇竜のように伸びてきたアジアのお手本日本と、こういうイメージ持っていたと思うんですね。  しかし、マハティールがたしか辞めてからの発言だと思いますが、どうも日本はこのごろ若者はよく働かないと、それからフリーターがいて割合のんべんだらりとしておると、余り手本にはならぬのじゃないかと。そしてまた、グローバリズムといいますか、市場経済流れにすっかり身を任せて、独自な経営といいますか、そういうものもだんだんなくなってきているというようなことから、仰げば尊しというようなパターンというふうに考えていた日本というものを目指してのルックイーストというものを何かこう取り下げていったのではないかと思うわけでございます。  それから第二のエジプトですね。政府、それから企業、メディア、それから知識人一般と、それぞれによっていろいろイメージは違うと思うんでございますが、イラク戦争、特にアラブ連盟の所在地でもありますし、元外務大臣だったアムル・ムーサというのが今アラブ連盟の事務局長になっておりまして、彼なんかの言動を特に見ますと、やはりイラク戦争についてはできるだけ早く占領行政はイラク人自身によって選ばれた政府に早く移管しなければいかぬということで、厳しい目で見ているのではないかと思います。  辛うじて、日本のイニシアチブもありまして、日本と協力して医療協力をやろうというようなところは実際に手をかしていると思いますけれども、復興支援につきましても、若干腰が引けているのではないかと私は見ております。
  35. 大田昌秀

    ○大田昌秀君 ありがとうございました。
  36. 加藤博

    参考人加藤博君) 今、資料を探していたんですけれども、もしお必要でありましたら、SSRC用に、日本のどの、どういう機関でアラビア語が教えられているか等々、生徒の数までは把握していないかもしれませんけれども、もしよろしければお渡ししますけれども。  しかし、直接的なお答えにはならないかもしれませんが、生徒の状況も含めてなんですけれども、イスラム研究あるいは中東研究での問題、私は相当な水準に今あると思うんですけれども、国際的にも。ただ、日本においての最大の問題は何かというと、東京に集中してしまっているということです。  有名な先生たちもほとんど東京です。関西にやっと今力を入れて、京大だとかほかの大学で力を入れつつありますけれども、圧倒的に、オピニオンリーダーといいますか、中東イスラム関係研究者は東京におります。特に、これは私は非常に問題だと思いますけれども、東京大学が一番多いです。したがって、なかなかイスラム理解というものが地方に及ばないということが明らかにあると思います。質はいいんですけれども、その広がりにおいて非常に欠けているところが中東イスラム研究にはあると思います。そして、イスラムに関心ある、ですから、大学に先生がおられないわけですので、主に東京でも研究所に多くの先生がおられます。ですから、学生と直接接する学部のレベルで生徒たちが中東イスラムに興味を持ってもなかなかアクセスできない。イスラム関係の、例えば東京外語だとか大阪外語だとかいうような語学校と、あと歴史等々の文学部が多くて、法学部、経済学部、社会学部等々の社会科学系統の学部にはほとんど先生はおられないと言ってもいいと思います。ですから、その辺でもう少し、ディシプリンにおいても地域においても、中東イスラム研究者がばらまかれたらいいんじゃないかなという気はしています。  ですから、我々は、全国の高校に全国行脚みたいにして、イスラムはこういうものだということを教えに行こうかなんという話をしているんですけれども、高校の先生にそういうことをちらっと言いましたら、私は一橋なんですが、いやそんな、もしも学生、高校生に中東に関心を持たせるならば、一橋の大学入試でイスラムを一杯出したら物すごく上がりますよと言われてしまいまして、えらい効率的、まあ実際そうなんだろうとは思いますけれども、そんなような状況です。  あともう一つ中東安全保障問題を含めた政治経済のフォーラムができるかと。これはできますし、恐らく必要だと思います。  例えば、このようにイラク問題が複雑になる前にアジア経済研究所の酒井啓子さんが我々にメールで送ってきた一つのプランとして、イラク復興、まだイラク復興が安全になされると思われていた時代の話なんですけれども、イラク復興を契機に、イラク並びにアラブのそうした安保を含めた政治経済問題を討議するような機関を作ろうじゃないかと。ついては、酒井啓子さんはイラクの専門家ですから、また、日本での集金という、お金というものが大きかったんだと思いますけれども、是非参加してくれないだろうかというので、自分参加するつもりでいるけれども、皆さんも是非参加してくださいというメールが回ってきました。それはポシャったんですけれども、イラク問題がこういうふうに複雑になって。  しかし、問題は、だれがどこでイニシアチブを取るかというふうに思います。ですから、日本研究者がもう少し学務に追われず、法人化みたいな問題に追われず自由であるならば、日本人がイニシアチブを取ってそうしたフォーラムを主催したらいいんだと思います、ある意味ではそれは中立的、非常に中立的ですから。だけれども、そうでない、現地に調査員を派遣するのもままならない状況において、結局現地の人にそうしたフォーラムの主催を任せるとなると、これは様々な利権が絡まってとんでもないことになるんだと思います。  ですから、必要はありますし、現実問題としてできると思いますけれども、だれがイニシアチブを取るんですかということだと思います。
  37. 大田昌秀

    ○大田昌秀君 ありがとうございました。
  38. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 一つのお尋ねは、テロ抑制の道順について述べよということでした。  難しい問題ですが、テロリストというものも、やりたくてやっているのではないという側面があると思います。テロリストは自分の命を犠牲にしますし、かなりのコストを払っているわけです。にもかかわらずこういうテロという行動を取るという理由ですが、恐らく、政治的な効果をねらうとか、あるいは、そういう何かの信念を持っているのでそれを表現せざるにおられないという、こういうことが引換えになっていると思うんですけれども、私が見るところ、その根底にあるのは絶望であると思います。通常の方法によっては自分の望むような世界を作ることもできないし人々を幸せにすることもできない、だから最後の手段としてテロを選んでいるという、こういう絶望というものがあるのです。この絶望を希望に変えていくということが、長い目で見てテロを根絶する最終的な手段であろうというふうに考えます。  テロに対する対策というのは、まず、取り締まったりするというふうな言わばバンドエイドのような応急手段というのがあって、これは必要ですけれども、しかし漢方薬のような手段も同時に必要で、この絶望を希望に転換していくのはどうしたらいいのかということを、長い目で見るならば真剣に考えるべきである。絶望のよって来るゆえんというのは、マーケットメカニズム、市場経済ですとかグローバル化とか、そういう中で取り残されている国々の中に自分たちの望むような世界を作り出す方法がないという、こういう絶望が広がっているということにあるわけですから、日本としては、これに何ができるのかということを考えていくというのが真っ当な方法であろうというふうに考えております。  二番目のお尋ねは、テロと特攻の違いということですが、これは割合明快だと思うんですが、かつてあった特攻というのは、まず、自分が軍人です。そして、目標は軍事的目標です。そして、通常の指揮系統に基づいて、目的合理的な手段によってそういう特攻という作戦を行っていると。ただ、普通と違うとしますと、生還が期待できない、必ず死んでしまうと。通常そういう命令は発しないわけなんですけれども、本人が自発的にそういう命令に従っているという、こういうものなんですね。  テロは、まず、自分が軍人とは限らない、民間人、NPO、NGOみたいなものですね。そしてターゲットも、軍人ではなくて民間人であって構わない、無差別なものですね。そして、どこから、正式な機関によって命令されたということがないわけですね。  簡単に言うと、テロは違法、それに対して特攻というのは合法的な戦争行為の一部分として行われているわけでして、顕著に違っているというふうに理解します。
  39. 大田昌秀

    ○大田昌秀君 ありがとうございました。
  40. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 以上で各会派一人一巡いたしましたので、これより自由質疑に入ります。
  41. 西銘順志郎

    西銘順志郎君 自由民主党の西銘順志郎でございます。先生方には大変御苦労さまでございます。  私ども、中東へ行ったこともなければ、テレビで見る、見聞するかあるいはニュースペーパーで見るかというようなことしかないんですが、まず三名の先生方に共通してお聞きしたいことでございまして、イスラエルとパレスチナの問題。もちろんこの両方とも、自分の国というものを持ちたいということで相争っておるんだろうということぐらいは私どもにも理解できるんですが、暴力の悪循環といいますか、イスラエルが戦車をもってガザ地区に侵入していけばパレスチナの過激派と言われる皆さんは自爆テロを繰り返すというようなことで、私は軍事的と言っていいのかどうかよく分かりませんけれども、イスラエルが僕は圧倒的にパレスチナの皆さんよりは軍事力は勝っていると思っておるんです。勝ると言ったらいいか、もうこれは比較にならないと思うんですが。  じゃ、なぜこのシャロンさんがアラファトさんを、言葉は悪いんですが、抹殺しないのか。あるところまで追い詰めているんですが、抹殺まではしないという状況をテレビ等で見たことがございます。それは何か後ろにそういうような背景があるのか、三名の先生方の御意見をお聞かせをいただきたいなというふうに思います。  それからもう一点、これは、ついせんだって中東の暴れん坊と言われたカダフィ・リビアの大佐が核の放棄を宣言しておられるわけでございますけれども、これはやはりイラクをアメリカがその圧倒的な軍事力をもって制圧をしたというようなことだけでそういう状況になっていったのか。一説によると、カダフィ・ジュニアといいますか、それに政権を移譲するために、安全に移譲するためにこういう放棄をしたという説も見たような気がするんですが、その点、二点について三名の先生方の御意見をお聞かせいただければと思います。
  42. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) 第一の点でありますけれども、これはもう本当に古くて新しい、最も根の深い紛争だと思うんですね。これは、よくユダヤ教対イスラム教の戦争ではないかと、宗教戦争ではないかと言われますが、これは誤解でございまして、例えばパレスチナの暫定自治政府の中にもクリスチャン、キリスト教徒は相当いるし、全くイスラム教徒ばかりではないと。宗教上の信心のずれといいますか対立ということは全くないんですけれども。  やはり非常に残念なことは、やはりイスラエルはアメリカにも五、六百万のユダヤ系市民がおりまして、特に大統領選挙の年には、特にメディアにも力があり、非常に影響力の大きい知識人、また企業家その他を持っておりますので、アメリカの言ってみれば第五十一州といいますか、ハワイの次の第五十一州であるかのような様相を呈すると。  もうイスラエルについては、相当なことをやっても、国連の安保理でアメリカはビートー、拒否権を使ったことは何度もありまして、どうもアメリカは民主党、共和党を通じて公平なアンパイアといいますか公平な判断がなかなかできない、どうしてもイスラエル寄りになっているということがあり、したがってアラブ、パレスチナ側から見ますと、これはアメリカが仲介者として、公平な仲介者として頼りにはならないという、もう初めから非常に不信感があるということだと思うんです。  EUと日本が間に入ってこれまでもいろいろ実績ある仲介といいますか、調停者としてどのような役割ができるかということもいろいろ考えて実績も残してきましたけれども、これは一九九一年の湾岸、第一次湾岸戦争のとき、その後にあったブッシュおやじのイニシアチブによるマドリッド和平会議辺り、日本は非常に積極的な役割を果たしましたけれども、最近に至りましてどうも影が薄くなって、本当は日本はもっと積極的な動きができるはずなのに、どうもアメリカに気を遣って手を抜いているんじゃないかという感じがするわけでございますね。残念ながら、どうもなかなか名案ができないうちに、イスラエルはセキュリティー確保のために、入植者保護のために防護壁を、ベルリンの壁のような形のものを造り始めて、これがまた非常に自爆テロを招くというふうな悪循環に陥っております。  第二に、リビアのカダフィでありますが、もちろんイラクのああいう言ってみれば暴虐な独裁者をアメリカが退治したということで、言ってみれば悪の枢軸というような一環としてリビアも今にそういう目に遭うんじゃないかということで最近の核放棄というようなことになったんじゃないかという考えもいたしますが、実は例のパンナムの爆破事件というものが大分前にありまして、この二、三年の間じわじわとリビアは妥協をし、ついにスコットランド法で解決するというようなことで、オランダのヘーグの司法手続に任せると、そして犯人、容疑者を引き渡すというようなことももう既にやっておったわけですね。ようやく補償の問題が解決しましたもので、今度この辺のところで核開発にもこだわらないでというのは確かにイラク戦の結果の一つとは思いますけれども、そういうことで早く国際社会に復帰したいという、そういう動きが出てきたのではないかと思います。
  43. 加藤博

    参考人加藤博君) 大変に難しいイスラエル・パレスチナ問題、本当に困った問題でありまして、結局、話せば幾らでも長くなってしまいますけれども、やはり日本人、今ちらっと暴力の連鎖という言葉を使われましたけれども、実はアラブ側あるいは中東の人たちが嫌う言葉一つがこの暴力の連鎖という言葉なんですね。なぜなら、暴力の連鎖というのは対等の立場で、目には目に、歯を歯をという形、これは中東の古来の伝統でありますからそれはよく分かるんですけれども、しかし、パレスチナの人たちあるいはアラブの人たちは別に対等で争っているんではなくて、自分たちの土地、故郷を奪われたんだと、正義は自分たちにあるんだと。それなのに暴力の連鎖という議論においては、例えば和平交渉を次に一歩進めるときに泥棒、こういう表現は何ですが、泥棒が取ったものを返すなりなんなり反省して次のステップに歩めば、それが筋なんだけれども、奪われた人間がもっと妥協しろという形で先に進めというのは何事だというのが彼らの議論なんですね。  ですから、新聞にもまだ暴力の連鎖という言葉がはやっていますけれども、そういう恐らく発想を持ち続ける限りイスラエル・パレスチナ問題の根深さというのは恐らく理解できないでしょうし、これから政治の場でパレスチナ・イスラエルやるとき、そういう言葉で、いや、私自身はやってほしくないと思いますし、それは結局パレスチナ、イスラエル・パレスチナ問題というのは日本人とは直接関係のない問題で、突き放してしまえばそれっきりなんですけれども、やはり歴史をどう見るのか、あるいは政治、パワー、力の行使なのかもしれませんけれども、自分たちのパレスチナ問題を議論することによって歴史観だとかあるいは政治観というものを問われるテーマになってしまっているんだというふうに思います。ですから、今言えるのはそれぐらいです。  もう一つのリビアについては、これはもう単純だと私は思っておりますけれども、北朝鮮も含めてかもしれませんけれども、強権的な政治体制を持つ国家のリーダーたちが自分の体制を守るために行ったことであって、これはですから今のアメリカの政策を見てびっくり仰天してやったということに尽きると思います。
  44. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 最初のイスラエル・パレスチナの問題ですが、アラファトが抹殺されないとしたら、それはイスラエル政権がまだ利用価値があると考えているということではないかと思います。イスラエルとパレスチナの紛争ですけれども、これは大変に根の深い問題で、五十年、百年というタームであと多分時間が掛かるというふうに覚悟した方がいいと思うんですが、日本はその紛争の当事者になれるかというと、当事者ではないし、仲裁するという能力も準備もないと思います。  では、日本は何をすればいいかということなんですが、恐らくイスラエルに対してもパレスチナに対しても、日本は十分に共感できるだけの、何ていうか、同情心というものはあるだろうと。当事者でないということもあるんですが、イスラエルに関しては当然ユダヤ人の大虐殺とか国がない悲劇とか、そういう、自衛権とか生存権とか、そういう問題がございますし、パレスチナに関しては故郷を奪われたとか何だとかという、そういう問題がございます。この両当事者が争っている場合に、どちらの味方をすればいいかという単純な問題ではなくて、それぞれの当事者の主張のどこが正しく、どこが間違っているかということを逐一検証していくという、そういう努力を続けることが多分大事であろうというふうに思います。  その上で、そういうスタンスを、アメリカと違った観点から発信していって、その当事者が和解できるための土俵作りというか、プラスになるようなことをしていくということが大事かなと。アメリカと違うスタンスということは、やや日本にとっては危険な問題も、側面もあるわけなんですけれども、私はそれは、このパレスチナにとっては意味があることだと思いまして、アメリカが当事者として両者を仲裁する能力が多分ないと思うんですね、肝心なところで中立でないと考えられますから。ですから、日本が明確にアメリカと違っているというスタンスを五年、十年、二十年というふうに示していると、最後にこじれたときに日本の利用価値というのが出てくる可能性もあるわけですから、かえってアメリカのためにもなるというふうに判断します。  次に、リビアの件ですが、カダフィとアメリカの話合いが付いたということが原因なんですけれども、なぜ付いたかといえば、核を放棄してもカダフィの現政権、現体制が維持できるというふうに彼が考えているからなんです。ここが北朝鮮との違いで、私の理解によれば、北朝鮮の場合、核が放棄できないのは、放棄してしまうと体制が維持できないと現政権が思っているので、したがって交渉が成立しないと。この違いがあるように思っております。
  45. 加藤博

    参考人加藤博君) 済みません、あともう一つですけれども、アラファトの件ですけれども、アラファトさんは生きていますけれども、実はその周りで有能な側近たちはどんどんどんどん暗殺されてしまっているということだけはやはり、結局アラファトさんは一人になってしまったと。しかし、彼に代わる者を自分たちが殺していったというようなところがありますので、しかし、彼に代わる人間って恐らくいないんだと思いますね。ですから、後継者を育てなかったのがアラファトさんの間違いでしょうけれども、と同時に有能な側近たちがイスラエルに殺されていったというのも確かだと思います。
  46. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 速記者のために申し上げますが、今の答弁は加藤さんでございます。その前が橋爪さんで、アラファトさんの件につきまして、片倉参考人、御答弁ありましたかしら。どうぞ。
  47. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) アラファト……
  48. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) どうして残しておるかという質問でございますが。
  49. 片倉邦雄

    参考人片倉邦雄君) そうでございますね、やっぱり後継者がこの間まで出ていたんですけれども、アカバの会議やなんか出て、そしてハマスなどのイスラム過激派、取締りをやるということで、ブッシュ・ジュニア、それからイスラエルの首相シャロンの三者で合意をしたんですけれども、しかし、やはりアラファトでないとなかなか、あのおやじでないとやはりハマスも含めた、あるいはそのほかのPFLPだとか、いろいろ過激派を抑えることがやっぱりできないという、一定のカリスマというものはやっぱりあるんだろうと思うんですね。だから、そのためにアラファトは続いているということではないかと思います。
  50. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  まだ質疑のお申出の方がいらっしゃいますけれども、予定の時間も参りましたので、本日の質疑はこの程度とさせていただきます。  一言お礼のごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な調査を行うことができました。  皆様方のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会をいたします。    午後三時五十六分散会