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参考人(
功刀達朗君) 御紹介いただきました
功刀です。これで参議院の
調査会にお招きいただくのは三回目になりますが、何かお役に立てれば幸いと存じております。
歴史は常に過渡期の連続であると言われますが、ここ数年来、世界的転換の様相というものは確かに見えています。
大沼さんの方から
二つの見方があって、その両方が重要であるという
観点には私も賛成であります。時代の流れには
二つあって、長期的な趨勢、そして短期的な動乱とか変動というもの、その
二つがあると思います。殊に最近のように優れたリーダーシップというものが、
個人あるいは国、そういうもののリーダーシップというものが
一般的に不足ぎみな時代においてはいろいろと混乱が生じるということ。しかし、
一般市民の分析能力の向上ということを
考えると、私は、全体としては民意の時代への潮流というものは既に見えている、全体としては抗し難いうねりのようなものになっていて、そして楽観的に将来を見ることはできると思います。ただし、それには一定の努力が必要であるということは否めません。
短期的にどういう
状況にあるかといいますと、二〇〇一年の九・一一の事件以後、世界は非常な混乱に陥っておりますが、これは、私は主としてアメリカとの
関係において世界がそういう混乱
状況に陥ったと思っております。
その背景には、アメリカがはまり込んでしまった九・一一症候群、ナイン・イレブン・シンドロームというべきムードがあって、強烈なナイン・イレブンのショックを契機とする米国の主として自覚的な後遺症というものは、心身相関症というのでしょうか、サイコソマティックであるので非常に扱いにくいわけです。これは対テロ戦の旗の下にむき出しの単独行動主義をあおり、世界的規模で様々な他覚的なシンドロームというものを引き起こしていると思います。これに対しては、早期の対処を怠れば、世界
政治あるいは世界の景気、そういうものに対して長期スパイラル下降というものに陥れるおそれがあると思います。
今日の
審議の
テーマにつきましては、私は第一に、
行為規範としての
憲法、
国際法、これをいかに活用し、いかにこれに働き掛けるかということを
考えることが非常に重要であると思います。法は与えられたものとして見るのではなく、それを活用し、そして働き掛けるというスタンスが重要であると思います。それから、世界市民社会というものが台頭していることを視野に入れて、
国連の役割というものを政策志向を持って
考えるということが大事であると思います。そういう態度から私は今日この
審議に
参加させていただきました。
最初に、
憲法につきまして、私はお配り申し上げたアウトラインの中に「「護憲的改憲論」でなく「護憲的護憲論」」という言葉を使いましたが、これはごろ合わせではなくて、
大沼参考人の方からの御
意見では護憲的改憲論というお
考えがあり、大要においては私もある程度賛成でありますけれども、今申し上げた現時点、どういう時代に今あるかということを
考えると、護憲的護憲論の方が私は正しいと思います。
日本の
憲法は平和
憲法と言われますが、冷戦がちょうど終わったころに出された本で
憲法の研究書の
一つ、「戦争放棄と平和的生存権」を書かれた深瀬忠一先生のお書きになったものを見ますと、その当時、世界には約二十か国が平和
憲法を持っていたと、そしてそれは五つの類型に分けることができるということが指摘されています。
確かに、
我が国の
憲法の平和条項というものは、他の
憲法のい
ずれと比べてもより徹底した非武装
平和主義というもの、そして
構成的にも前文及び九条という
構成からいっても優れた構造を持った規範性を持っていると思います。殊に前文において、全世界の人民の普遍的かつ平等の平和的生存権を尊重する責務を表明しているということは非常に重要です。
あと、
平和主義として、
日本が軍備を持たないということ、それからそれが世界の軍縮につながるという信念、それから軍備を持たないことによって、また戦争に
参加しないことによって
武力紛争、
武力衝突というものの機会を減らしていくという、そういう基本的な理念というもの、これは私は世界で誇るべきものであると思います。したがって、世界にある多くの平和
憲法の中でもこれは正に優れ物であり、そう簡単に改憲するということを私は
考えるべきでないと思います。
それでは、第一番目に、度重なる九条の拡張解釈というもので
憲法の
平和主義はなし崩しにされてきたかどうかということ、これに対して私はノーと答えます。度重なる拡張解釈というものは時代の必要に応じて
政府の苦渋の選択としてなされたものとして私は受け止めておりまして、必ずしも
平和主義はなし崩しにされているとは思いません。
正にその実践として、第二次世界大戦後に既に百五十、二百、三百と、いろいろな戦争の
定義によって違いますが、数多くの戦争というものが繰り返されてきたわけですけれども、
日本はそれのい
ずれにも
参加せず、また
武器輸出については一定の節度を守ってきたということ、それは私、平和
憲法の下での
日本の実践として世界に誇るべきものであると思います。
それでは、その次の
現実との乖離を埋めるために改憲は必要かという質問については、私は一番ギャップがあるということを認めざるを得ない項目というのは、やはり陸海空軍その他の戦力を持たないということと
現実の
自衛隊、これとのギャップというものは否定することはできないと思います。しかし、先ほど申し上げたような時代のジャンクチャーあるいはコンテクストにおいてどういう判断を行うかということにつきましては、私はその改憲は、今の段階でもそのギャップはあったとしても必要でないと思います。時代とともに軍縮が進めば、
我が国の
自衛隊の軍備をい
ずれは減らす
可能性もあると思います。
第三番目の強制行動、
武力行使を伴う
国連のPKFへの
参加というものは合憲かということについて、私は一九九〇年のころから朝日の「論壇」には三回ほど書いたことございますが、これはPKFを含め
日本が
国連の平和活動に
参加するということは正に正しい、望ましい国際貢献であり、合憲であると私は思います。
最近のイラクへの
自衛隊派遣ということは、確かに今、
憲法問題につながっているわけで、
安全保障理事会の一五一一号の決議の下に、
自衛隊が行って何に
協力しているのか、アメリカの軍政に
協力しているのか、あるいは
国連の人道
援助あるいは復興
援助に活動しているのか、その辺りがはっきりとしていないということがあり、私はかなり事態の発展次第では
憲法違反につながると思います。
次に、
国際法の問題ですが、
日本の
憲法は
条文上については一切変更がなされていませんが、
国際法というものは非常に急速に発展、変化している。これは私が、もう随分前ですが、四十年近く前に
国連の法務部で
国際法の発展あるいは
侵略の
定義とか友好
関係に関する宣言の起草というものに実際に携わったこともあるというところから、
考えてみますと、振り返ってみますと、
国際法はかなりの発展を遂げてきています。ところが、慣習法上もまた条約法上も多くの変化が見られています。
ただ、
国際法の中でも非常に重要な平和と
安全保障に関する問題については、最近、アメリカの現政権の単独行動主義というものは非常な混乱、混迷、そして困難を
国際法秩序というものに及ぼしているということは否めません。明らかに
国際法の無視、明白な違反という行動は何遍か繰り返されてきています。必ずしも、過去数年、現政権とは限りませんが、過去においてそういうことが
国際法の発展に非常な困難を生じさしめているということは言えます。
元々、
領域制限的な
国家主権というものと、それに基づいた、
国家主権というものに基づいた法秩序という
国際法と、それから
現実の相互依存、多元的共生のバランスということを
考えると、確かにいろいろと更に発展する必要があり、機能的な面から発展がまだなされていないということがあります。三年ほど前に出された、
日本で出された本で、「
国際法から世界を見る」という本がありますが、私は、それも重要ですが、世界の
現実から
国際法を見直すということが実はもっと重要であると思います。科学技術の進展とともに、また市民社会の台頭とともに、
国際法というものは大きく根本的に変わる必要が出ている時代だと思います。
武力行使に関する基本的ルールというものは、
国際法上また
国連憲章上はっきりとしたものが確立されています。これを無視しているのは正にアメリカの最近の政権であり、アメリカ自体が私は必ずしも違反
行為を繰り返しているということは言えませんが、現政権は確かにその違反
行為をかなり繰り返してきていると思います。
それに関連して言えることは、国際人道法という、戦時
国際法と昔言われたもの、どういう
武器を使うべきかという、使っていいのかという問題と、それからどのようなルールで戦争を始めどう終結するかと、そういうような戦争法規に関するものと、その中にはもちろん
武器、どのような
武器を使うことが禁じられるかということによって、人間性というものの尊厳を守るという
条文は幾つも見られていますけれども、それと平時
国際法の一部と言われる人権法、国際人権法の補完性ということが非常に重要であり、これは過去十数年の間に長蛇の進歩が見られていると思います。
殊に重要なことは、形の上からいいますと、ノーピース、ノーウオーというような
状況があり、はっきりと平時
国際法、戦時
国際法と分けることができないということもあり、正に緊急事態においてこそ人権が無視されるということを
考えると、正に人道法の発展というものは更なる発展が必要であると思います。
殊に重要なのは、これとの
関係で
国際社会の人道的介入あるいは
国際社会の軍事介入の法理とガイドラインというもの、これが非常に重要であり、これについては二〇〇一年の九月、ちょうどナイン・イレブンの事件が起こったその直前に完成したレスポンシビリティー・ツー・プロテクト、これはカナダ
政府の提案でできた
委員会が提出したレポートですが、これが非常に立派なガイドラインというものをそこに提起をしています。余り
日本では検討されないで従来いるということは非常に残念でございますが。したがって、このような主権というもの
そのものを見直すという態度から始まり、主権というものは必ずしもその
国家領土内で最高の権限であるということではなくて、むしろ重要なことは、
国家主権というのは人々を保護する
責任であるというそういう
視点からもう一回見直す。しかも、それを通じて
国際法をもっと市民の、市民社会に近づけるという態度につながる非常に立派なあれは報告であると思います。
国連の実態につきましては、その改革の理念と見通しについて、根本的には主権
国家の連合体として成立しているということと、それから
憲法のように主権在民の各国
憲法の基本原理というもの、それと比べると性質が元々違うということからやむを得ないことはありますが、
国連の民主化ということを
考えなければいけないという点からいいますと、各国の主権在民の精神というものを
国連の
憲章にも、それから
国連の
憲章の下に管理運営されている
国連という機構
そのもの、そのプロセスをやはり民主化する必要があると思います。
権力がどうしても集中しがちな
安全保障理事会、現在の
安全保障理事会というものに更なる権力の集中を行っていく、それを強化していくということには、多くの面からいろいろと疑問があります。元々、
安全保障の三つのディメンションというか、三本の柱というのは、
国家レベルの
国家間及び国内の秩序と、人間レベルの
個人の人権、
権利及び責務、それから福利、生存の基盤というもの、それから第三には地球レベルの資源、環境、
世代間公平、このような三つの柱があり、
安全保障理事会のように拘束力を持った決定を行うことのできる
委員会というものは複数に、少なくとも三つ、い
ずれは成立することが必要であると思います。ということは、現在のような
安全保障理事会がその守備範囲をますます広げているという現状においては、あと
二つの分野におけるセキュリティーを管理運営する機構というものの成立を阻むという傾向につながると思います。
国連というものは、多くの行動主体の協働とパートナーシップによるグローバルガバナンスというアイデア、それを管理運営していく上で非常に重要な中枢的な役割をこれから果たすであろうと期待されているわけですが、それには第二
国連総会というものも設立されることが非常に重要であると思います。
最後に、現代、世界の主要アクターと言われる四つのカテゴリーがありますが、
国家、国際機構、市民社会
組織、それから企業、そういう四つのカテゴリーの主要アクターの間にパートナーシップというものが形成され、その
協力関係が自治的かつ利害調整的に管理運営されることがグローバルガバナンスの要諦であると言われています。
国連は、主権
国家である加盟国の分権的な自律性というものに左右され、主体的な対応というものはしばしば困難ではありますが、時空を超えて人類の問題に向かい合う地球市民の自由な発想、とみに向上しつつある分析能力と情報技術というものを活用したネットワークの威力というものを発揮する市民社会
組織に支えられてこそ、
国連システムというものは実効性と真の正統性を持ち、人類の公共財の管理と公共善の追求のためにパートナーシップ形成の中枢的な役割を果たすことができると思います。
よく言われる世界市民社会とか地球市民社会というものはどういう形を取るのか、今のところはっきりは出ていませんが、このようなパートナーシップの形成、その先に世界市民社会の具体的な形象というものが見えるのではないかと思います。
御清聴ありがとうございました。