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藤井基之君 ありがとうございます。
今おっしゃられたとおりでして、私はこういう規制という、民間の方々の御意見というものが、今までの我が国の一定のルールというものに対してよりよい方向に、
国民のためになる方向に動いていくという、そういったことがあるからこそ、いわゆる
規制改革に対する
国民の世論というのがそれをフォローしていくんだろうと思います。
ですから、問題はそのやるやり方といいましょうか、あるいはその
内容的なものを最終的にどのように
考えるかということに最後は突き詰めていけばそこになるんだろうと思っております。
例えば、今
一つお話ございましたように、利便性の問題という
お話がございました。あるいは、経済活性の問題というものもありました。
今、厚生労働省は、
規制改革
会議との約束によって、新しく約三百五十のお薬を一般小売店で売れるような仕組みにするというプロセスに今入っていると思うんですね。この形の動きというのは、実は
平成十一年のときにも同じようなプロセスが採択されまして、その当時、お薬でありましたいわゆるドリンク剤と言われている大きな
一つの区分があるわけですが、それが医薬部外品となってコンビニ等で売られるようなプロセスになった経緯がございました。
この結果を見ますと、確かに利便性が高まったということは私は言えるかもしれませんが、経済活性的な意味といいましょうか、市場が活性化されたか、市場が大きくなったかというと、残念ながらそういった傾向は実はなかったというのがもう定説になってきております。これは、商品がお薬という商品である以上、やはりそれが身近にあれば、それによって病人を惹起するとか、それだけその市場が大きくなるということはないんだろうと思うんですね。
それよりも、例えば、もしもインフルエンザがはやれば、それだけマーケットというものはその時点で興る。それは何も望ましいことだと思っておりませんけれども、やっぱりほかの商品と違った
性格というものをこれは持っている。あるいは、多分これは医療の問題においても一部そういった特殊性があると思いますし、教育等の問題についてもあるんだろうと思うんですね。
ですから、そういったことを踏まえて、一般的な規制の改革というもの、それをどういう個別具体のときにどう与えるか、当てていくかということについては、これはまた是非
大臣の御裁量いただかなきゃいけない問題だろうと私は
考えます。
それで、例えば、このお薬の問題で言うならば、
大臣御案内のとおりでございますけれども、今皆保険制度でございまして、お薬の、今生産されている世界一のお薬が実は日本の医療に使われておりまして、皆保険制度でありますから、実はお薬の生産の出荷金額の約九割、これは全部医療
機関、お医者さんのところに行った形で実は患者さんに使われるという形態になっているわけですね。といいますと、逆に言いますと、
国民の方々が自己
判断で選べるお薬というのは実は残りの一割しかないということになっております。
この比率というものは、少なくとも皆保険制度ができた昭和三十五年当時は、医療用と言われる、お医者さん経由して供給されてたお薬というのは七五%ぐらい、残りの二五%というのはセルフメディケーション、いわゆる
国民の方々が自己
判断できる、薬局や薬店にあった、そういった経緯から、どんどんどんどんシフトしてきている。
この九対一という割合というのは、世界的に見ても少し偏り過ぎているんじゃないか。逆に言いますと、今お医者さんのところに行かなければいいお薬というもの、新しいお薬というのがなかなか入手できないというふうに今
国民が置かれている。
私は
一つの方策としてですが、これはもう個人の意見だと思っていて結構なんですけれども、例えば、そういった意味で、患者さんのためにより利便性を高めるということだったら、お医者さんのところに行かなくても自己
判断で、
判断で使うことができるようなお薬、あるいはそういった自己
判断できるだけの情報提供する仕組みを作ってあげる、あるいはそれに対する例えば、先ほど言いましたが、例えば薬局に対するもう少し患者さんに対する徹底したサービスできるようなそういった仕組みに薬局を置くことによって、お医者さんに行って初診料も払う、あるいは再診料を払うということもなくて、そのお薬というのが個人の
判断で使えるような仕組み、この方が私はある意味で規制緩和という
目的に沿った形になるのかなという感じがしております。
これはいろいろな御意見があると思いますので、これをやってほしいというふうには申し上げませんけれども、お薬というジャンルの中でそれを、いわゆる許認可を受けている薬局や薬店以外のところに売らせるという、そういった発想法が出るのなら、お医者さんのところに行かなきゃいけないお薬というものがお医者さんのところへ行かなくても使える仕組みというのはどうかという発想がなぜ出ないのかということで、私は不思議に思っておりました。