○吉岡
吉典君 これ自体、いろいろ聞きたいこともありますけれども、今日は、これは今の説明にとどめて、先ほど
採決されました
在外公館の活動に関連して、一、二、私の要望を含めて質問していきたいと思います。
私は、
在外公館の活動の中でも、またその前提としての
外務省の活動をより有効に進めていくためにも、もう少し
外交史に関する知識を強めてもらう必要があるじゃないかと思います。
質問取りに来られるお方、私、十数年付き合いしてきましたけれども、例えば朝鮮の三・一独立運動について何も分からなくて、それは何ですかという質問を受けたことも、これは数年前ですけれども、ありました。また、今年は日露戦争百年ということで日露戦争百年に関連する質問をしても、ほとんど知識がなくてというようなこともありました。若い人が来られますからある
意味では当然とも思いますけれども、やっぱり
外務省の人はプロですから、やっぱり
外交史の知識も持ってもらわなくちゃならないと思います。
特に私、
在外公館のいろいろお世話になったりレクも聞いたりする中で感じたことの
一つは、やっぱり
在外公館があるその国と
日本との関係について、最低こういうことは知っておいてもらいたいなということが案外知られていない場面にも幾つかぶつかりました。
それで、私が今日提案していきたいと思うのは、
日本とどこの国との関係であれ、その二国間の歴史的な関係を、大使館にあるいは領事館に行く人だけの努力に任せないで、長い
外務省の蓄積があるし、
日本にはいろいろな研究
成果もあるわけですから、二国間についてのいろいろな研究の到達点が
外務省の蓄積された財産となって、新しく行く人はそれを
参考にすれば基本的には分かる、その上で個々の人の努力も行われるというようなことが好ましいじゃないかというふうに私は思っております。
抽象的に言っただけではよく分からないでしょうから、
一つの事実ですが、私、一九九六年と去年、二〇〇三年と二回トルコに参りました。トルコは、もうバスのガイドさんに至るまで、我々は明治の時代から親日国家だということが強調される国です。私は二回行っていろいろ会談しましたけれども、二回とも向こうからは親日国家だという強調が行われました。
私は、一面、有り難いことだと思いますけれども、しかしトルコに行くに当たって、一体
日本とトルコはどういう関係にあったんだろうかということで、少し読んでみました。これは駐日大使が、ウムット・アルクさんという人の書いた「トルコと
日本」という本ですけれども、この本を読んでみましたら、トルコ
政府の公文書の背景説明に、オスマン
政府は
外交関係の樹立に当たって
日本政府の治外法権の特権と免除の要求に驚いている、トルコ
政府は国際法に基づいて両国関係を樹立すべきであるとの回答を送ったが、この反対提案に対しては何ら
成果はなかったと、そういうふうに公文書の中に記録されていると。
つまり、
日本が治外法権を要求したということで、この本を作るに当たって引用された内藤智秀という人の
日本トルコ交渉史という本をよく読んでみると、こういう本ですが、そうすると、
日本とトルコはともに帝政ロシアと対峙するという点での共通性があったと。それから、アジアの西の果てと、東の果てと西の果てでともに欧米から治外法権を強制されて、それを撤廃する条約改正運動を行っているという共通性があったと。その二国が大いに連帯感もあって
外交関係を結ぼうという努力が、この内藤さんという人の書かれた本によると、明治八年から始まったけれども、それが実を結んだのは四十九年後のことであったと。なぜそうなったかというと、同じ治外法権撤廃の運動をやっている国でありながら、
日本がトルコに治外法権の要求をしたのでそうなったんだということが書かれてありまして、私はこれちょっと前に何かの機会に触れたことがありますけれども、びっくりしまして、それでトルコへ行きました。
トルコへ行ったら、にもかかわらずそのようなことを触れる人は全然いない。そういう過去は忘れて親日だということで国がまとまっているのかなと思っていましたけれども、しかし親日親日と言われると、そういう事実を現職の大使が著書で書いている、全く無視しておくわけにはいかないと私は思いまして、そういうふうに言っていただくのは有り難いけれども、私は
日本が、治外法権撤廃を求めている国同士でありながら、治外法権を求めたことは大変遺憾な歴史を持っているなと感じておりますと、今後の
日本とトルコの関係は本当に対等な友好関係にしたいと思いますという
発言をしましたら、向こうの人は物すごく喜びまして、私は、トルコ側からはそれが言えないんだと、それ
日本側から言ってもらったことに感動するという
発言がありました。やっぱりこだわってはいるんだな、内心はと思いまして、やっぱりそういうことが知識になっているか否か。
後でイスタンブールの領事館の人が私どもにレクしてくれました、過去の。そのレクというのは、明治二十三年のトルコの艦船が遭難した事件の救援運動から始まる
日本とトルコの関係の美談の話だけで、そのような話はありませんでした。僕はたまたま
外交文書をずっと読んでいて、明治八年の
外交文書集の中にトルコと
日本との関係を作るための研究をやれということがあったのをちょっと頭の中にあったものですから、
日本とトルコの関係を明治二十三年から話し始めるのではこれはどうかなとも思いましたけれどもね。
いずれにせよ、
日本側が一々あらゆる場でそういうことを釈明するとか、あるいは謝るなどということを私言うわけじゃありませんけれども、しかし、そういう知識が
日本の側にあるかないかということは、これはやはり向こうと本当に心の触れ合う関係を作る上でやはりいい面を持つなと思いました。
それで、去年も行きました。去年行ったときにもまた相変わらずだあっと並び、親日
発言がありましたので、大体似たようなことを私ちょっと簡潔に言いました。去年は大使館の人が大いに関心を持ってくれまして、それで私に後から説明聞きたいということで、ちょうど私この本の関係部分の膨大なコピーを持って行っていたので大使館に差し上げて帰りました。その結果がどうなったかは分かりませんけれども。
外交関係について、大使館の、去年行ったときにもそういう過去の治外法権云々ということはどなたも御存じないようでありました。
私、今の大使館の人に、最初言いましたようにあれこれ言うわけじゃありませんけれども、やっぱり
日本と諸
外国との関係の歴史の中に我々が念頭に置かなくちゃいかぬどういうことがあるかということは、やっぱり
組織的に
外務省として出掛けていく人の最初から知識としていけるような
体制というものが
考えられないものかどうかというのが私の問題提起の
一つです。
大臣、どうでしょうか。